陽だまりのモチーフ




卓の上に可愛らしい手指がふっと乗っかる。そして、

「かぁーしゃ?」

愛らしい高音域の声。更に、

「こぇ、にゃ・・に?」

幼児語特有の些か調子のずれた言葉。そして、卓の天面にその手指の主が顔を半分覗かせた。

手と同じく可愛らしくあどけない顔。しかし背が低い為に、精一杯背伸びしても、出せるのは大きな瞳と鼻の上っ面が限界である。 それを見て、ノリコはふわり笑んだ。

光に透かせばキラキラ溶け込むその髪は、自分と同じ淡い茶の色。髪の丈は小さな肩にやっと届く程度だ。 そして瞳は大きくやはり可愛らしい。焦茶、いや殆ど漆黒と言って良い輝きをしている。
面差しは小さい頃の自分によく似ていた。ただ、目元の辺りには兄のトウガにも似通った印象を時折漂わせている。という事は、ここにも父親のそれが受け継がれているという事だろう。

「そんな所にいたの? おいで、レーン」

別に居場所が解らなかった訳ではない。さっきから「う゛」「ぶっ」「みゅー」「あーぃ」「う゛ぶー」と意味不明の喃語を発しながらトコトコとそこらを歩いては、卓の下や長椅子の影に隠れる素振りを見せたり、ひょこっと顔を覗かせてはニィーっと笑顔でこちらを窺ったりしていた。 本人はかくれんぼらしき遊びをしている途中だったらしい。それで、わざと解からなかった振りをノリコもして見せたのだ。
手にしていた鉤針と糸を卓上に戻し、ノリコは小さな天使へと手を伸ばし膝へ抱き上げた。

「かぁーしゃ」

齢四つの兄が喋る「かあさま」という言葉を聴いて覚えたは良いが、まだ会話が出来るようになって間もなくしかも幼児特有のそれだ。 「かあさま」とははっきり表せず、どうしても「かぁーしゃ」となってしまう。
それでも極最初の頃などは「あーしゃ」とか、「あーちゃ」としか言えなかった。これでも格段の進歩である。 いや、まだ齢二つに満たない今時期で一応にも会話が成り立つのだ。これ以上を望むのは贅沢というものだろう。 無論ノリコもそんな事には頓着しない。たどたどしい言葉で一生懸命自分に話し掛けてくれるこの存在を、愛おしく思うばかりだ。
そしてこの小さなレーンも、母親のふんわりと薫る匂いが大好きだ。笑顔に至っては言うまでもない。抱き上げてくれた母の懐に満面の笑みでぎゅっと抱きついた。

幼児特有の何処かミルク臭い香りを柔らかく抱きしめて堪能する。こういう時、ノリコは非常に幸せを感じる。

「こえ、な・・にぃ?」

作り掛けのそれに好奇心一杯の瞳で小さな手を伸ばそうとする。しかし空を掻くだけで届かないのをノリコは微笑ましく見つめ、自らが手を伸ばし小さな花のモチーフを掌の上に載せて見せた。

「レーンのお花よ。解かる?」
「んー・・・ん?」
「お、は、な」
「お・・な・・にゃ?」
「そう、お花。白と黄色のお花」
「んー、んっ、んっ。にゃにゃ」
「お、は、な」

解っているのかいないのか・・・ 優しく繰り返して言う母の顔をレーンは見上げた。

「お、は、な」
「お・・は・・にゃ」
「うん」
「んーっ」

にこりと笑む母の姿が嬉しくて、レーンは満足げな笑顔で唸った。

「黄色い縁取り、そして白の色。アルシェスの祝福を受けた幸せの花よ」

レーンという名は、この国の人々に親しまれている祝福の神アルシェス・レーンから貰ったものだ。
そして、遠き自分の祖国、懐かしい人々が暮らす元の世界。その家の庭で祖父が丹精込めて育てた白木蓮。 その蓮という意味もある、娘の名・・・
白木蓮と光を象徴する白を基調とし、陽だまりの黄色を縁取りにした花のモチーフ・・・ノリコはここ最近、この創作に勤しんでいた。 キラキラと、それこそ陽だまりのように明るく微笑う娘の姿に癒され、一編み一編み、鉤針を動かす手も進んでいた。

「あーしぇ♪あーしぇ♪」

無論、幼子にアルシェスの意味が解かる筈もない。しかしそれでも満足したのか、レーンは再び母の膝の上から自由の身となり、下りた勢いのまま、またトコトコと機嫌良くそこらを歩き始めた。

「ふふ、おやつにしようか。そろそろ父さまと兄ちゃまも帰ってくる頃よ」

その声にぴたと動きを止め、大きな瞳を更に見開き振り返る。

「とーしゃ? にーに?」
「そうよ」
「ひゃいーっ」

意味不明の声だが、これは彼女の機嫌が益々向上した事を表している。それが証拠に更なる満面の笑顔できゃいきゃい言いながらそこらをぴょんぴょん飛んで回っている。
レーンは母も大好きだが、父親と兄も大好きだ。序列をつけるなど無理な話、皆、小さなレーンを慈しみ可愛がってくれる。 トウガはまた幼かったが、それでも妹の面倒をよく見てくれる頼もしさを見せてくれていた。 そして父親については、これはもう言うまでもない事だった。

―――そして、
愛する家族のその気配を感じ取ったノリコが窓の外を見遣ったのとほぼ時を同じくして、通りの方より馬の嘶く声が聞こえてきた。






「降りられるかトウガ、気をつけろ」
「うん、だぃ・・じょうぶ、だよ、父さま」

先に馬から降りた父に息子は笑顔で応え、注意深く鐙(あぶみ)に足を掛けようとした。
タージ家の馬は、他の馬種よりもかなり体格が大きい。荒仕事を請け負う機会が多いという所為もあるが、有事の際一番の無謀を買って出られるのもこの家の当主である。謂わば必然の成り行きであった。 酷使される側としては堪ったものではないが、馬とは本来運び屋、丈夫なものだ。その上必要な世話や労いは滞りなく受けているので、主人に逆らった事はただの一度もない。
タージ家にはもう一頭馬がいるが、こちらはノリコの日常の移動に便利なようにと置いているものだ。 華奢な身の女主人にこの大きな馬を繰るなど、たとえ必然があったとしても無謀の極致であるし、それ以前の問題としてまずイザークが許さない。 だから、この馬をノリコが使う時には必ず後ろにイザークが乗るのもまた・・・必然の成り行きだった。
そして・・・
健気に足を掛けようと試みるも、やはり子供のそれで届くような鐙(あぶみ)ではなかったようで・・・
微笑いながらさりげなく手を貸してくれた父のお陰で、問題なく降りる事が出来た。

「とーしゃっ、とーしゃっ」

厩に繋ぐ為手綱を引いて来たイザークの許に、家の扉を母に開けて貰ったレーンがとことこと駆けてきた。 両手を前に広げ、まさに抱きつかんばかりの体勢で出迎えてくれた愛娘を微笑ましく見据え、イザークは手綱を放し、我が子を抱き上げた。
小さなレーンが傍にいても決して動じぬようこの馬は躾けられている。そして無論、こんな時に手綱を放しても大人しいものだ。
目線が高くなったのと大好きな父親に抱え上げられたのとですっかりご満悦のレーンは、甘えるように抱き付いた。

「起きていたのか、レーン。ご機嫌だな」
「お帰りなさい。ええ、お昼寝から覚めて、ずっとご機嫌で遊んでたのよ。あなたとトウガが帰ってくるって知ったら、余計にね」

レーンの後ろから、こちらは落ち着いた感のノリコが出迎えた。

「母さまー、ただいま」
「お帰りなさい、トウガ。帰ってくるのが待ち遠しかったわ、買い物は楽しかった?」

レーンは夫に抱き付いたので、こちらは息子のトウガを抱き締めた。

イザークとトウガは街へと買出しに出ていた。普段なら家族揃って出掛けるのも珍しくないが、昼寝へと突入してしまったレーンを慮り、ノリコが残った次第だ。
そして、やはり甘えたい年齢真っ盛りの彼は、大好きな母に優しく抱き締められ、ご満悦だ。

「とーしゃ、とーしゃ、あーしぇ、う゛ー、おはなぁー」
「ん?・・・あーしぇ、花?」

娘の言葉に若干首を傾け、訝しげな表情のままイザークはノリコに視線を移した。それにノリコは微笑う。

「卓の上におやつの用意がしてあるから、手を洗ってきなさいトウガ」

おやつという母の言葉にトウガもレーンも大きく瞠る。

「おやつ? 母さま、あの・・・」
「ふふ、トウガの大好きなレルナのケーキよ」

レルナのケーキと聞き、うきゃーと歓声を上げる。真似てレーンもうきゃーと叫んだ。盛んに下りたがったので、イザークは娘を下に降ろしてやった。

「レーンも連れて行ってやってね」
「はーいっ。レーン、行くよー」
「いくよー、うきゃー」

嬉々として家に駆けて行く子供達を、イザークは苦笑しながら眺めた。

「・・・現金な奴だな」

レーンの事である。ついさっきまで甘えて抱き付いていたにも関わらずだ。
子供とはおやつに至極弱い生き物らしい。特に母の作るおやつは格別だと、トウガは勿論の事、小さなレーンの脳腑にさえ既に刷り込まれている。
レルナというのは木苺やブラックベリーのような果実を付ける植物の事で、ノリコは幾つかの種類のレルナの実をふんだんに使いタルトに仕上げた。甘酸っぱい芳香が別腹を促進させるこれは、トウガの大の好物であった。
子供用にはミルクで拵えた甘めのソースを添える。それで酸味が和らぐので、レーンも好んで食べる。ケーキに使う糖はノリコの世界のような精製した糖ではなく、楓種の樹液を煮詰めて作られている糖蜜なので くどい甘さではない。そして・・・実のところ、これはイザークも好物だったりする。但しお子ちゃま向けの甘めのソースは添えないが。
かのいかつい風貌の友人曰く、

「ノリコの手製ってだけで、おまえには十二分の甘さだろうが」

という事らしい。別にイザークが甘党という訳ではない。だが、ノリコという"甘味"は彼の人生には欠かせない。

「・・・やっぱり甘党じゃねぇか」

と、かの友人はぼやくだろう。他の仲間も同様だ。寧ろこれに異論を唱える者を探す事の方が、至難の業だ。

イザークの言葉にノリコは目を細め、それから、夫の懐に身を寄せた。

「・・ノリコ」
「お帰りなさい、あなた」

お互い最初の抱擁は子供達に取られてしまったので、改めて、である。 一度夫の逞しい身に腕を廻し、きゅっと抱き付いてからノリコは顔を上げた。

「ただいま」

背に廻された夫の腕の温もりが嬉しく、そして、自分の許に帰って来てくれるのが嬉しく。何よりも優しい笑顔で応えてくれるのが嬉しくて・・・綻ぶように微笑み、瞼を閉じた。
唇に交わる優しい温もり―――それが、嬉しい。離れては、額を合わせるように近付け、また唇を合わす。そうして何度か触れ合いを楽しんだ。 "残り物に福"という言葉がこの際に適当かどうかは定かじゃないが、待った分、互いに至福の時であるのは間違いない。
そしてこんな時でも、馬は動じない。寧ろ、茶飯事だとでも言うように時折耳をプルプルさせる程度で、落ち着いたものだ。自分の背に在る時には至極厳しい表情さえ晒す主人が、妻の前ではこんなにも甘くなるのか・・・と思っているかどうかも、これまた定かではないが。
そんな"何処吹く風"な様子の馬にもノリコは笑んだ。イザークの腕から離れ、ご苦労様と労うように、伸ばした手で鼻面を撫でてやった。 無論、この女主人にも全幅の信頼を置く馬は、撫でて貰ってご満悦だ。

「・・・で、さっきレーンが言ってたのは、何なんだ?」
「ふふ、中で話すわ」

二人がそんな会話を楽しんでいた時、家の中からトウガの悲鳴が聞こえてきた。 きゃー、という突然の声に流石の二人も何事かと家の方を見遣った。

「母さまぁーーっ、来てぇぇーーっ、たいへーんっ、レーンが、お手手も服もべとべとーーーっ!! あ゛っ、
やぁーあっ、僕のケーキ食べちゃだめぇーーーっっ!!」
「べとべとぉーー、だめぇー、う゛ー」

相当な事態であろうトウガの悲痛な叫びと、相対するレーンの暢気極まる声・・・に、唖然となる二人。

「・・・大変・・だな」
「そのよう・・ね・・・」

言って、だがすぐにノリコは微笑い、厩に向かう夫と別れ、この緊急事態解決の為家の中へ戻って行った。






窓辺は開け放たれ、爽やかな微風が室内を通る。
一通りの馬の世話を手早く終えたイザークが荷物を持って戻ってきた時、レーンは着替えを終え、汚れ防止用の前掛けを着けて貰っているところだった。しかしその手は尚もぐちゃぐちゃのケーキに伸びようとする。
床に落ちた残骸は綺麗に片付けられ、トウガにはレーンに台無しにされたそれの代わりにちゃんとした一切れが与えられた為、おやつ損失という悲劇は免れた。

「戦の後か」

犠牲になったトウガの最初のそれを見て微笑い、イザークは息子の頭に手を遣った。
ノリコが戻ってきた時、目に飛び込んできた最初の光景が、レーンの手に因るものであろう見事に"加工"されたケーキとそれに顔も手も服も塗れ見るも無残--可愛いとも言う--なレーン、そして、レーンの手を掴み自らも少なからぬ被害を被ってべとべと、しかも半泣き・・・の息子の姿だったという。 確かに、この"成れの果て"なら想像に難くない。
咎めの意ではなかったが父の大きな手でくしゅりとされ、バツの悪さにトウガは頬を赤くして俯いた。

「ご免なさい、僕・・・」
「あら、トウガは何も悪くないわよ。ちゃんとお世話しようと頑張ったんだもの、偉いわ」

まだあるから、安心して食べなさいね―――という、母の言葉と笑顔に漸くホッとしたように笑み、ケーキを一口頬張った。

「おいしいーっ」
「おちぃーーっ」

同じくぐちゃぐちゃのそれを口に持って行き、にこにこ顔で兄の言葉を真似るレーン。そんな二人をノリコは微笑ましく見つめる。

常の事よ―――と、この緊急事態に少しも慌てず、いともあっさり解決してしまった。実際こんな事は日常茶飯事だった。
洗濯のし甲斐があるわ、とノリコはイザークに微笑う。そう、子育てというのは汚れとの格闘だと言っても過言ではない。要するにキリがないのだ。言ってる傍からレーンの手はまたべとべとだ。

「すまんな、洗い物は俺も手伝おう」
「えー、どうしてあなたが謝るの? おかしなイザークっ、ふふふ」
「ノリコ・・?」

怪訝な表情の夫に尚も微笑う。

「楽しいのよ、皆の衣類を洗濯する時、お陽様の下に干す時、畳んで仕舞う時、全部っ」
「・・・・・」
「幸せなの。あたしの幸せ、取らないでね。・・・あ、でも、手伝ってくれるのは大歓迎よ。一緒に同じ時を過ごせる分、幸せも倍になるわ」

言いながらも、ノリコはべとべとのレーンの手を湿らせた布で拭いてやっている。
そう幸せなのだ。共に住まい、彼の衣類を洗濯するようになった時、そして、いつしかそれにトウガの分が加わり、更に今はレーンの分も増え・・・
愛され、平和に暮らせる事が、愛する者の世話が出来る事が、ノリコには無上の幸せであった。

「かぁーしゃ、おちぃーねっ」
「ん、美味しいね、良かったね、トウガ、レーン」
「うん、僕もおかわりーっ」
「おかぁーりーっ」

カップに注いで貰ったミルクを美味しそうに飲み、口の周りに牛乳鬚を拵えながらも、満足げな笑顔の二人・・・
邪気のない天使達とその母の遣り取りを、イザークも満ち足りた心地で見つめた。











小さな星の煌きは、夜の世を静かに照らす。
瞬きがもたらす光景は、愛しい子等を安息の夢の世界へと誘(いざな)うだろう・・・――――


夕食を終え、子供達を風呂に入れてやって後・・・ゆったりとした部屋着に着替えたイザークが濡れ髪を布で撫で付けながら戻ってきた際、 居間の棚にある編み掛けのそれに目が行った。
花を模った可愛らしいそれ。そして、編み紐のような細長い仕様のものもある。いずれも白が基調で、縁の黄が印象的だった。
風呂上がりのまだ湯気がほやほや立っている子供達を寝巻きに着替えさせていたノリコが、手に取ってそれを眺めているイザークに気付き、あ、と思い出したように微笑んだ。

「昼間話してたのね、それの事なの」

例の緊急事態で忘れちゃってたわ―――と、若干恥ずかしげに頬を染め、レーンの寝巻きの胸辺りにあるリボン紐を結んでやっているノリコにイザークもふっと微笑う。
そして父親の持っている花のモチーフにレーンも気付いた。

「あーしぇっ、おはなーっ、かぁーしゃっ、おはなーっ」

昼間の母との遣り取りを思い出したのか、こちらは些か興奮気味な態で、父親の手にしているそれに小さな手を伸ばそうとする。 自分で寝巻きを着たトウガも、興味深げに傍に寄ってきた。

「あーしぇ・・・アルシェスの花か」

若干まだ発音が難しいのか、小さな子の間ではアルシェスとは言えず《あーしぇ》となってしまう場合が多い。だから、アルシェスは子供達の間ではアーシェという愛称で親しまれていた。 イザークもそれを知っていたので、レーンの言う《あーしぇ》がアルシェスの事であるというのは、すぐに判っていた。

「ええ。・・・オヤっていうのよ」
「オヤ・・?」

だが、今度のそれは聞き慣れぬ言葉だ。イザークは問う眼差しを向けた。

「昔・・・学校・・学問所の課外活動でね、外国の文化を学んだ事があって・・・、これはトルコという国の伝統的な手工芸品の一つで《オヤ》というの。頭に巻く布とかの縁飾にしたりしたそうなんだけどね、髪に結(ゆわ)える飾りにしたり、窓辺に飾っておけるようなモチーフの組み合わせも面白いかなと思って・・・ それでね・・ガーヤおばさんのお店に、似た感じの物が置かれているのを見つけたの」
「ガーヤの店に・・」

イザークの言葉にノリコは頷いた。

「おばさんの店ではそれが壁飾りのように展示されていたの。細工が繊細でとても綺麗だから、製品になっている物と製作用の材料を行商の人から仕入れたんですって。糸もね、色んな色があって・・・その行商人の出身地が、染織が盛んな地域なんだとかで・・・」
「なるほど」
「お店でそれを見つけた時に、昔のその課外活動の事を思い出しちゃって。教えてくれた先生が手芸が趣味の方でオヤにも精通しててね。実際にあたしも作ってみたのよ。本当に小さな物だったんだけど、ね・・・懐かしかったわ」
「それで・・また作ろう、と?」
「う・・ん、昔の記憶を頼りにね。・・・お日様の明るいイメージの黄色と白。あたしが描いたレーンのイメージなの」
「ほう」

ノリコの説明の間も、レーンは、おはなーおはなー、と盛んに手を伸ばしていた。その娘をノリコは抱き上げる。

「髪に編み込めるような細長いのと、置き飾りとして飾れる物をね。レーンの髪も伸びてきたから、一筋くらいなら結べると思ったの。もし結えるのを嫌がっても、その時は、その花のモチーフと一緒に置き飾りにしてもいいかなって・・・」

レーンを見つめその髪を優しく梳いて遣りながら微笑うノリコに、イザークも、そうか・・・と笑んだ。

「・・・いいなぁ」

母の話を聴いていたトウガが少し羨ましそうに呟き、イザークとノリコ二人の視線を受けて、今度は少し恥ずかしげに俯いた。ノリコは微笑う。

「大丈夫よ、トウガ。あなたの分もちゃんとあるから」
「え、本当? 母さま」

笑顔の母の言葉にトウガの表情が明るくなる。それにノリコは頷いた。

「本当はね、内緒にしておきたかったの。皆の分を作ってしまってから披露するつもりだったんだけど、ね」
「皆の分?」
「ええ、当然あなたの分もね、イザーク」
「えー、父さまのもあるの? 凄ぉーい」
「しゅごーい、しゅごーい」

些か面食らった感のイザークにノリコは微笑う。

「勿論、女性の装飾品みたいに華美な物ではないけど、あなたとトウガのイメージに合うような色で仕上げたから、遜色はない筈よ。でも、ね・・その・・・」
「・・ん、どうした」
「・・・やっぱり、昔の記憶が頼りなもんだから、編み目が・・・・・・酷いでしょう?」

作り掛けのそれにチラと視線を遣った後、恥ずかしげに、今度はノリコが若干瞳を伏せた。その母にレーンが手を伸ばす。頬を撫でるように触れる小さな手に癒しを得たように目を細め、ふんわりとその手を包んだ。

「なら、俺の目がおかしいという事になる。ノリコの言うように酷くは見えないのだが?」

微笑うイザークに、トウガも同意する。

「うん、とぉーっても可愛いよ、母さま。だって僕も作って欲しいなーって思ったもの」
「本当? だったら嬉しい。有難う二人とも」
「ね、母さまのもあるんでしょ?」
「・・・え・・ぁ・・」

トウガの続くそれは意表を突く質問だったようで、ノリコは少し困ったような表情を作った。だがそれはほんの刹那で、少しだけ考える間を置いた後、我が子に微笑み掛けた。

「うん・・・母さまのも、ね」
「どんなお色かなー、父さまや僕のも早く見たいな」
「なぁーいしょ。レーンのが出来たら、ね」


ノリコに抱かれていたレーンが母に寄り掛かりながら、不意にぐずり始めた。
うとうとと目を閉じ閉じ、そうかと思えばまたふっと開き掛けて、不機嫌になっては母の胸元に顔を擦りつける。 眠りに就く前の恒例行事だ。
レーンは基本安眠体質だが、時折こうして眠る前にぐずる。興奮を催す体験をした時は顕著であった。スムーズに眠りに行けないのを何とかしてくれ・・・と訴えるようなぐずりは元々乳幼児特有のものである。
ノリコも、先のトウガや他の子のそれでそうした感覚については手慣れたものだった。レーンの背中をぽんぽんとあやすように優しく叩き、ねんねしようね、と語り掛ける。

「・・かぁーしゃ・・・んーね・・」
「俺が寝かせるか?」
「有難う、今日はあたしが寝かせるわ。トウガもおいで、もうお休みの時間よ」
「うん、母さま。父さま、おやすみなさい」

屈んでくれた父の頬に頬をそっとくっ付け、お休みの挨拶をする。息子の頭を撫で付けるように、イザークもそれに応えた。

「お休み、トウガ。良い夢を。レーンもな・・お休み」
「とーしゃ・・・んーね・・」


子供部屋に向かう三人の姿を、イザークは黙ったまま見送った。






ベッドに横たえたレーンに掛け布と上掛けを被せてやり、もう一度、今度は胸の辺りをゆっくり、しかし一定のリズムでぽんぽんと触れる。 こうして落ち着かせ、レーンが眠りに入って行くのも常の事だった。だが、今日は少々事情が異なっていたようだ。

「かぁーしゃ?」
「ん、なぁに? レーン」
「かぁーしゃ・・・あーしぇ、おはなー」

余程気になっているのだろう。可愛らしく発する健気な言葉を微笑ましく受け止め、穏やかに目を細めた。

「大丈夫よ、レーンのお花、ちゃんと作るからね」
「おはなー?」
「うん、ちゃあんと作るからね、安心して、お休みなさい」
「んー・・・んーね、かぁーしゃ・・・」

ゆっくりと優しく語る母の言葉に漸(ようや)く安心したのか、幾度か眠そうに瞼を上下させた後、そのまま眠りに入っていった。

「お休みなさいレーン・・良い夢を・・・」

はみ出た手を掛け布の中に入れてやり、額にそっと口付けを落してから立ち上がった。
少し離れて並んでいるベッドの中ではトウガが、母の方をじっと見つめていた。

「母さま」
「ん? なぁに? トウガ」
「うん、母さまのオヤは、何色かなーと思って。僕ね、薄い紅色が可愛いなと思うの」
「薄い紅色? ふふ」
「うん、それからね、父さまや僕の色も、何かなーって考えてるの」
「そう・・・でもね、あんまり色々考えると期待が外れてがっかり・・・なんて事になるかもよ?」

悪戯を匂わせるように微笑う母の言葉に、トウガはにこりと笑んだ。それから、ううん―――と、頭を左右に振る。

「あのね、僕、母さまのお色は、どんなお色でもいいなって思うの」
「トウガ?」
「母さまは、どんなお色でも似合うもの。えへっ」

思いがけぬ息子の言葉にノリコは目を瞠った。
母を慕う邪気のない笑顔―――それに、吐息のように微笑みを零す。

かつて夢の中で見た最愛の人の姿がそこに被る。トウガは幼き日のイザークに本当によく似ていた。
なのに、幸福に満たされた目の前の存在とは違い、一人涙を堪え、寂しげに佇み・・・
愛していたのに、大切に思っていたのに、悲しい、そして全てを諦めたかのような、切なく寂しげな笑顔・・・

親の庇護を疑わず、ただひたむきに語り掛けてくれる幼い我が子。
その我が子の愛をどうして無視など出来ようか・・・
どうして、悲嘆に沈み、涙に暮れる想いなど、させられようか・・・

「どんな服を着ててもね、とぉーっても素敵だなーって思うの。帽子を被った時だって可愛いよ。父さまも言ってたもの」
「え・・?」
「母さまは、世界一可愛くってキレイなんだって」
「・・・ぇ・・ゃ・・」

男二人で一体何を話しているのやら・・・ 知らず苦笑が洩れていた。

「だから、ね、母さま、がっかりなんてしないよ、僕」
「トウガったら・・・」

男同士の密かな話もさることながら、自分を慕ってくれる我が子の想いが嬉しくてならなかった。
この愛し子の笑顔を失くさせてはならない。
そして、かの人の笑顔も・・・

「有難うトウガ、とても嬉しいわ。母さまもトウガが大好きよ」

楽しみにしててね―――と、その頭を優しく撫でる。

「今日は楽しかったわね。ゆっくりお眠りなさい、良い夢を・・・」
「うん、お休みなさい、母さま」

瞳を閉じ、すーっと眠りに入って行った息子の額にも、同じくノリコは唇を落とす―――
灯りを手にし、満ち足りた心地のまま、子供達の眠る部屋の扉を静かに閉めた。











「嘘なんだろ?」
「・・・え」

イザークの言葉に、ノリコは目を瞠ったまま夫を見つめた。
手には果実酒の瓶。しかし体裁はそれらしく整えてはあるが、アルコールには程遠い。 元の世界で言うなら《シャンメリー》の類だが、生憎発泡成分はない。本当に子供でも飲めそうな、殆どジュースと捉えて良いそれを、ノリコは杯に注いでいた。
一方のイザークは、立派に酒成分を含むそれを手にしていた。長椅子にゆったりと腰掛け、部屋着の胸辺りを少し肌蹴た姿には男の色気がある。
イザークと同じ酒は飲めないが、その趣には付き合いたい。子供達が寝静まった後に、ノリコはこうして時折二人の時間を楽しんでいた。 そのイザークからの少し悪戯な笑みを含んだ問いに、きょとんと目を瞠ったのだ。

「トウガに言った言葉だ。本当は自分のそれは作れていないんだろう」
「ぁ・・」
「レーンの後に作ろうと思っていた・・・という訳でもなさそうだな」

的を鋭く突いたその言葉。問うた訳ではない、そして確認したというのでもない。イザークは先の息子の問いへのノリコの表情の変化から、その裏に隠された意を具(つぶさ)に掴んでいたのだ。
そこまで言われては、万歳するしかない。

「イザークには敵わないなぁー」
「何年一緒にいると思っている」
「ふふ、そうね。・・・ん」

手にした切子の杯から一口含み、夫の足元傍に座ってから、前の小卓にそれを置いた。
長椅子があってもノリコは地べたにペタンと座る事が多い。元の世界のお座り生活の名残とも言える。勿論足元には趣味の良い敷物が敷かれているから、何の支障もないが。

「・・・でも・・・」
「作らない訳にはいかなくなった、か」
「ぇ・・」
「おまえの思念が流れてきた」
「ぁ・・・」

無意識であったろう、それ。更なるバツの悪さに、自嘲のような照れ隠しのような、そんな相まった笑みを浮かべた。

「ん・・ 素直で、凄くひたむきで・・・あんな風に想いを向けられたら、ね・・・ だけど・・・」
「何を躊躇っている」
「ん・・・なんかね、その・・・イメージが、湧いてこなくって」

問うような夫の視線に、ノリコは更に恥ずかしげに微笑う。

「ほら、イメージって他の人が見て捉えた印象でしょう? だから、トウガやレーンや、あなたのイメージは考えられても、自分のって決められなくて・・・自分で自分のイメージを固定するのも変な話だし・・」
「なるほど」

呟きながらイザークも微笑い、杯をまた傾けた。

「ならば、俺やトウガに訊けば良かっただろう。家族の分としながら自分だけないのでは、不公平ではないのか?」
「・・・そうね、うん・・確かにそう・・・」

イザークを見つめ、そして卓上の杯を手にしながら少しだけ俯く。あのね――と言葉を続けた。

「トウガはね、薄い紅色がいいなって言ってたの、さっき・・・」
「ほう、可愛らしいな」
「でしょう? あたしには少し可愛らし過ぎるかな・・・どちらかと言えば、レーンの方が似合うかも」
「しかし、レーンのは白と黄にしたんだろう」
「うん、まだ小さいあの子はこれから一杯輝いていける・・・何にも染まってないまっさらな白、でも、少しだけそれにお日様の色を加えて・・・アルシェスの陽だまりの喜びもね、考えてみたの・・・陽の当たるいつも暖かい場所で過ごせるように・・って・・」
「そうか」
「トウガのはね、優しい緑なの。広い大地を満たす緑の草原。陽を一杯浴びた命漲る濃い色から、優しい息吹の草色への変化(グラデーション)。そして、縁には白をあしらってみたの。それも光のイメージ・・・」
「なるほどな・・・で、俺にはどんなイメージを抱いたんだ?」
「・・・ぁ」

その問いには一段と頬を染めた。開き掛けた唇が少しだけ震える。
それを思い浮かべた時、そして作っていた時の気持ちが溢れるように蘇り、感極まって瞳を閉じた。
大切な者への贈り物にもされたという、オヤに込められた想い。それは、行商人の縁の土地でも在ったようで、ガーヤも仕入れる際に聞いたという。

しかし、黙ってしまったノリコを訝しみ、イザークは再び問うかのような真顔を晒した。そして、おもむろに目を開けたノリコは、そんな夫を見てやはり恥ずかしげに微笑み、ご免なさい、と呟く。

「空と風と、水の色なの」
「空と、風と、水・・・?」

ノリコは肯いた。

「澄み渡る、光を含んだ空の蒼・・・風や水には色はないけれど、でも、肌に爽やさを覚える風の蒼・・・それから水は、底深い海を思わせるような濃い藍、涼やかなせせらぎを感じさせる蒼・・・ふふ」
「ノリコ・・・」
「濃い藍の色から、涼しげな蒼への変化を付けて作ってみたの。そしてね、縁には、やっぱり白を入れてみたの。あなたも、光の人だから」
「ふ・・・光栄だが、些か褒め過ぎだな」
「え・・そうかな、でも・・・空となり、風となり、水となり・・・全てを包み込んでくれる・・・そんな気がしたの。だってあなたは、」

優しい人だから―――そう、ノリコは言葉を紡いだ。

「・・・・・」

己が優しいかどうかなどと、取り立てて意識した事はイザークにはない。大切にしたい、ただ、そう願ってきただけで・・・
だがノリコは、出会ったその頃より時をそう隔てる事なくイザークという人間をそのように捉え、信頼し、慕って来たのだった。

流れてきたもう一つの思念。単なる同情のそれではない、ひたむきな想いだった。
これまで、傍で、健気にも惜しみなき献身を示してきてくれた目の前の存在。
いじらしいのは、子等だけではない・・・

ノリコの答えにイザークは満足げに、そして、感慨深げに目を細めた。

「トウガの抱いたイメージで作るのか?」
「ぇ・・、うーん、そうだなぁ・・・トウガはね、どんな色でもあたしには似合うって言ってくれたのよ。どんな色でも可愛いんですって、ふふ」
「どんな色でも似合う、か・・・なるほど、可愛い事を言うな」
「あら、でも・・・あなたも・・」

含んだ笑みで見上げられ、イザークは僅かに眉根を寄せる。

「ううん、何でもないの。・・・そうね、イザークと出会った頃のあたしだったら、薄紅色でもいいかな・・・あの頃はあなたにも色んな色合いの服を見繕って貰ったわ。薄紅、それから黄橙(おうとう)、そして萌木の若草色・・・」
「そうだったな」

似合う色か・・・―――と、考えを巡らせた。実際どんな色であれ、ノリコになら魅力的に映えるだろう。
―――しかし、自分が描くノリコに馴染む一番の印象は・・・・・・・・・
両手で杯を持ち、大事そうに一口ずつゆっくり含む妻を前に、改めて湧き上がったそれが脳腑を占めた。

「・・・決め兼ねているのなら、俺が決めてもいいか?」

少し間を置いた後、イザークが呟いた。

「ぇ、・・・イザーク?」
「俺の意見を聞いておいても損はないと思うが、どうだ?」
「あ、うん、そうだね、でも・・・ドキドキするなー」

不意を突かれて少し慌て、だが嬉しそうにはにかみ・・・
あの頃よりも更に深みと和らぎを増し、美しい花弁を綻ばせながらも・・・その姿は少女の頃と変わりなく・・・
そんな妻を、愛おしく眺めた。

「ノリコは、白だ」
「ぇ・・・」
「それも、混じりけのない純白」
「・・・じゅ・んぱ・・ え・・」

みるみる顔が赤くなる。解かり易い反応に、イザークはふっと笑う。

「・・・からかってる?」
「まさか」
「・・・でも、白は・・・」

ノリコの言いたい事を判じて、イザークは頷いた。

「レーンのオヤに使っているんだったな」
「うん、だから・・・」
「確かに、レーンに白というのはいい見立てだ。陽だまりの意味の黄を置く事でその印象を効果的に強めているのも解かる。レーンも、そしてトウガも、光に満ちた子だ・・・だが―――」

手にしていた杯をイザークは小卓に戻す。そして改めて、問いたげな表情の妻を見据えた。

「その母親であるおまえは、光そのものだから」
「ぇ・・」
「温かく柔らかい慈愛の光、そして、穢れを知らず褪せる事もない」

面食らって言葉も出ないノリコのそれを尚も微笑ましく見据えながら、イザークは更に、そうだな、と言葉を続けた。

「あのアルシェスにも優っている。子供達の、おまえへの態度を見ていれば解かる事だ」

真っ赤になった顔は容易には戻らない。照れと嬉しさと少々の困惑と・・・そうした感覚が混ぜこぜになる。でも、やはり嬉しさの感情が優り・・・穏やかに笑みながらノリコは顔を若干伏せ、ほぅ・・・と息を吐いた。

「・・・アルシェスへの・・冒涜だわ」

敬虔なる信奉者という訳ではない。が、仮にも娘にその名を拝借している。そして、己への自嘲の意味もあった。だがイザークは意に介さぬかのように微笑い、腕を組んだ。

「俺が忠誠を誓った相手は、アルシェスじゃない」

その言葉に、再びノリコは顔を上げた。

「闇の呪縛から解き放ち、光の世界を見せてくれた。そして、還るべき本来の世界ではなくこの世界に留まり、俺の妻となり、掛け替えのない宝を更に二つも与えてくれた・・・
いつも俺の傍にいてくれたのはノリコで、アルシェスの業ではない、ましてや他の者達が信奉する世界のどの神々でもない」
「イザー・・ク・・・」
「この世の計り知れぬ力、神や精霊・・・及ぶものは多数在るだろう。だが、おまえが厭だと言えばその全ては覆った。おまえが否定すれば、俺の《今》もない。だから、俺にとってノリコという存在は、他の全存在に優る」
「・・・・・」
「純白の光、それがおまえだ」

見開いたまま、夫の言葉に聴き入った。
言葉が出てこなかった。くらくら、ふわふわした眩暈にも似た感覚が自分を包む。幸福に身が震える。最愛の人がいて、そして愛しい子供達に囲まれて・・・
ふっと瞳を伏せる。手にしていた杯の液体が、揺れた。

「・・・酔って・・しまったみたい・・・」

これにはイザークも微笑った。

「おかしな事を言う・・・それに酒成分は入ってなかった筈だが?」

しかしそんな夫の言葉にもノリコは穏やかに笑みながらゆっくり頭(かぶり)を振り、そして、その瞳を最愛の人に向けた。

「あなたの言葉に酔ったの・・・酷い酩酊状態・・・ふふ」

夫の膝にうっとりと顔を寄せ、ほんのり染まったその顔をこちら側に向けて微笑む妻の髪に手を遣り、そうか・・・と目を細めた。触り心地の良い柔らかな髪を弄ぶように梳く。

「ならば、酔い醒ましに散歩でもするか?」

ふっと見開く。思いがけぬ言葉に、ノリコはおもむろに顔を上げて夫を見つめた。

「今夜は星が綺麗だ。グレンダナの林ならそう遠くない」
「・・・・・・」
「それとも、少し遠くはなるが、ガイアスまで足を伸ばすという手もある」
「・・・・・・」
「・・・・気が進まないか?」

押し黙ったまま自分を見つめるだけの妻に、イザークも多少訝しげに見つめた。少しだけ顔を伏せたノリコは、頭を振り、

「この酔いが醒めてしまうのは厭だわ」

・・・でも・・・―――と、もう一度その顔を上げ、若干案ずる眼差しを見せる夫にふわり微笑む。

「あなたとの散歩は、大歓迎よ」

その言葉にイザークは満足げに頷き、そっとノリコの腕を掴み、問うように見上げたノリコにもう片方の手を差し伸べた。

「・・・イザーク・・」

ここへ来い―――そう言われているようで・・・
添えていた夫の腿から手を離し、誘(いざな)われるままゆるり立ち上げたその身を長椅子へ預け、愛しい人の肩に凭れかかるように身を寄せた。

包むように添えられる腕が、愛撫するように髪を梳く手が、心地良い。
顎を掬い上げられ、視線の先の夫を見つめた。漆黒の瞳に灯火の淡い光が輝き揺れる。時に蒼にも深翠にも思える、吸い込まれるような深い紫紺の瞳だった。

誰よりも、何よりも、大切なの・・・――――
そっと心で呟き、瞳を閉じた。額に、そして唇に、優しい熱を感じ・・・押し寄せる幸福にまた、身が震えた・・・
酒の呼気が酔いを呼ぶ。ずっとこの酔いに浸っていたい。醒めるのは厭・・・

「醒める事はない、ずっと」

耳元に落とされた囁きに、鼓動が高鳴る。
吐息するように、懇願の言葉を吐いた。

「連れてって・・・」





大切な時が流れていく。
大地も星も、蒼の月も、深宵の世に息づき、安らぎ人(びと)の心を映して輝くのだ。
今宵は、水もまた、蒼く美しく煌くだろう。











「何かいい事でもあったのかい?」
「えっ・・・ぁ・・」

にんまりと微笑うガーヤの言葉に、忘我から返る。

白の編み糸を手にしていた。視線はそれを捉えていたものの、思考はすっかり彼方へと飛ばしていたようだ。 恥ずかしげに微笑いながら、ノリコは頭を振った。

「いい事なら毎日あるわ、おばさん。毎日が楽しいもの」
「おや、ご馳走さんだね。でも、白の編み糸を見ながら、妙にニヤニヤしてたように見えたから、何か特別な事でもあったのかと思ったんだよ」
「ニヤニヤって・・・ ふふ、そうね、昨夜は散歩に行ったわ、イザークと一緒に」
「散歩ぉ? 二人でかぃ?」

子供達に聞かれたら、絶対一緒に行きたいっ!・・・となりそうな話だ。
二人だけの夜の散歩は子供達には内緒であった。だから、大きな声では言えない。ノリコは立てた指を唇に当て、申し訳なさげに微笑んだ。 慌ててガーヤは奥の戸口に目を遣る。
ノリコは子供達も街のガーヤの店に連れて来ていたが、ガーヤ自慢の焼き菓子に舌鼓を打ち、暫く遊んだ後、二人揃って昼寝をしてしまっていた。 今も奥で仲良く大の字になって、夢界を闊歩中・・・な筈だ。

「やれやれ、起きてないようだね」
「ふふ、ご免なさい」

ガーヤの店で、ノリコはオヤに使う糸を選んでいた。
壁に飾ったそれが人目を引いた。そして、先に糸を選びに来店した際、居合わせた客に成り行きで編み方を教えたのがきっかけとなり、ガーヤの仕入れた糸はその他の客にも好評を博す事となった。

「ノリコのお陰で、随分売れてるよ。特にうら若き乙女達にね。皆大事な人に贈りたいんだろうね」
「あたしは、たまたま居合わせてただけよ、それに編み方も昔の経験で知っていたというだけだし」
「教授して欲しいね、週一でもいいからさ」
「も、そんな教えられるような格じゃないわ。自分の分だってやっとなんだもの」
「白が足りなかったのかぃ?」
「ううん、レーンのは目途がついてるの。これは・・・あたしのなの」

頬を染めて、糸を見つめる姿が愛らしい。

「やっぱりいい事あったようだね。あんたのが白っていうのは、イザークが決めたのかぃ?」
「ぇ・・・」
「図星だね、本当にノリコは気持ちが表情に素直に表れる。ふふふ」
「も、・・・おばさんったらイザークと一緒・・・すぐからかうんだから」
「いやいや。あんた達の仲の良さには脱帽だよ。夜の散歩も恒例行事なのかぃ?」
「・・・うん、でも本当に時々・・ 昨夜はガイアスまで行ったわ」
「・・・・・・また・・随分と遠くまで。散歩というよりちょっとした遠足だね」

苦笑いを洩らしたガーヤにノリコも笑んだ。

「馬で行ったわ。あんまり長くも出ていられないから。・・・でも、ちょっと大変だったのよ」
「ぅん?」
「精霊達に悪戯されちゃったの、ふふふ」
「せいれっ・・・悪戯だって?」

突飛な科白だ。若干呆れ顔を晒しガーヤはノリコを見つめた。

「そ。だから、ほんの少しのつもりだったのに、数時はいなくちゃならない羽目になっちゃったの」
「おやま・・・何があったかは知らないけど、イザークまでいてそんな体たらくだったのかい」
「ええ・・・だって、イザークにも悪戯しちゃったのよ、彼等は」

ほんの戯れなのよ―――と微笑うノリコに、ガーヤは益々呆れた。

「でもまあ、微笑って話すって事は、悪意じゃあなかったんだね」
「ええ、ガイアスは本当に久し振りだったから、どうやら歓迎の意味みたい」
「おやまあ・・・ イルクといい、ノリコは精霊達と相性が合うね、全く・・・ しかし、楽しい時間だったようだね。何よりだ」

楽しい時間・・・ そう、本当に、夢のような時だった・・・
思い出し、そしてまた頬を染めた。

「その様子だと、あと五、六人は余裕で授かりそうだねぇ、ふふ」

ノリコは微笑いながら手をひらひら振った。ないない、という意味である。

「天からの授かり物だもの、それにコウノトリのご機嫌もあるし」
「こぅのとゥり・・・ああ、前に言ってた赤子を運んでくるというノリコの世界でのお伽噺の事かぃ」
「ええそう、ご機嫌が悪いとね、ダメなの」

少しも悪びれずに、しかも肩を少し竦めて語る姿が愛らしい。ガーヤはまたも苦笑した。

「夢のある話だね。しかし赤子に鳥はこの世界じゃ関係ない話だよ。まあ天からの授かり物というのは解かる話だけどね、基本は、」

本人達の努力次第さ―――と、憮然として語るガーヤにノリコは微笑った。

「おばさん、この白い糸と、それから、こっちの糸も戴くわ」
「ん? それはまた違う色だね。誰に編むんだい?」
「ふふ、これもあたしのなの。レーンのにも少し加えるのよ」
「ふーん、また楽しげな構想だね。出来たら見せてくれるんだろ?」
「勿論」



持参した袋に品物を入れて貰っていると、奥からレーンの、母を呼ぶ声が聞こえてきた。

「かぁーしゃ・・ かぁーしゃぁ・・・」

まだ寝ぼけ気味な、しかし、くすんくすんと母を求めるその声。他の客の中にはその声に、可愛いー、と洩らす者も在った。

「ちゃんとしとくよ、行っといで」

ガーヤの言葉に甘え、ちょうど奥から目を擦り擦り出てきたレーンをノリコは包むように抱き締め、そっと抱き上げた。母の温もりに抱かれ安心したのか、幼子はまたうとうとし始める。 奥では、妹より些か遅れて目覚めたのか、トウガが掛け布を身に引っ掛けたまま半身を起こし、目を擦っていた。
くっ付いて離れないレーンを抱いたまま、温くなった香草茶を茶瓶から注ぎ、糖蜜を垂らして匙で一混ぜしてからトウガに与えた。目覚めの頭には、温めの甘味は至極心地が良い。
ゆっくりとそれを口にするトウガを好ましく見つめ、母の肩に顔を擦りつけるレーンの背を優しくあやしてやった。

「かぁーしゃ・・・ もっと、んーね・・・」
「ん・・・でももう少ししたら、お家へ帰りましょうね」
「んー・・・」

うとうとと、また腕の中で"有難く"なってしまったレーンに目を細めた。

今日は隣町まで依頼を果たしに行くと言っていた。帰りはきっと遅いだろう。
家に戻ったら夕食の支度をして、それから、子供達の身体を拭いて、早めに休ませて・・・
そうしたら、またオヤの製作に取り掛かれるだろうか・・・

カップを手に懐っこく身を寄せるトウガの頭を撫でてやりながら、思い巡らせる。

ああそうだ、野菜たっぷりの煮込みにしよう。予め柔らかく煮ておいた鶏肉があるから、スープと一緒に加えたら・・・さっぱり目だけどコクのある煮込みが出来る・・・

イザークも子供達も好きな・・・・・・










「おや、お帰り。待ち合わせだったのかぃ?」
「いや、気配を感じたから。おまけに、来てみれば、覚えに深い馬車まで店先にある」
「くくく・・・」

今日は馬は街の厩に預ける事にする―――と、声の主は告げた。その馬とは本来の彼の馬である。だが薄く笑みを拵えたその顔には残念そうな色はなく、寧ろ嬉しそうで・・・
ほぼ夕に近い刻限だったが、店には女性客等もまだちらほらいた。その客達からは現れた美丈夫の姿にそわそわした感の声も上がる、が、そんな声にもやはり全く耳を貸してない様で・・・

「それにしても、今日は遅いんじゃなかったのかい? 来しなにノリコがそんな事を言ってたようだけど」
「思いの外、早く終わった」

"思うがまま早く終わらせた"が正しいだろうに―――
そんな含みを込めて両の口角を上げ、奥にいるよ、とガーヤは指で店の奥を示した。



「途中までは子供達だけで寝てたんだけどさ、レーンが起きちまってね。トウガも一旦は起きたようなんだけどさ・・・」

あの通りさ、と微笑ましく説明するガーヤに相槌を打ち、だが視線は、そこで仲良く寝息を立てている愛しい者達へと注がれ・・・ 幼き我が子達を包むように身を添えて眠る妻が愛おしく、その傍に膝を付きそっと髪に触れた。

「そろそろ店仕舞いだ。良かったら家で食べて行っとくれ」

問う眼差しを向けると、これまたにこりと返される。

「たまには可愛い孫達と一緒に夕飯戴きたいからさ。あたしにも楽しみをおくれよ、イザーク?」

いつから孫になったんだ・・・と、口には出さずともそんな意味合いの笑みを浮かべ、だが断る理由も特に見当たらないので、

「いい提案だ」

同意を示し、また妻へと視線を戻した。

ランプの灯が心地良く揺れている。
起きたら彼女は驚くだろう。きまり悪げに恥ずかしがるだろうか・・・それもまた可愛いだろう。
今夜はまた、違った愉快な夕餉になりそうだ――――











楽しい時であった。

イザークの思惑通り、目覚めたノリコは傍で自分を眺める夫の存在に目を瞠り、言葉もなくすぐに身を起こし、そして状況を把握したのか、程なく頬を染めた。
トウガとレーンは既に起きていたが、ぐずる前にイザークがレーンを素早く抱きあやしたので、妻の安らかな眠りを妨げる事はなかった。
無論、目覚めた時、父親が傍にいたのを子等が喜んだのは言うまでもない。とはいえ、イザークが口に指をそっと当て"静かに"の身振りを取ったので、これも静かな喜びであったが。

「かぁーしゃ・・んーね?」

レーンだけはそんな可愛らしい声を父の腕の中で発したが、肯く父の穏やかな笑顔と、静かにな―――との諭しで、大好きな父に甘えながら、すやすや眠る母の寝顔を兄と共に楽しめた次第だ。
無論、真っ赤になった母の姿を見つめるトウガとレーンがニコニコ顔であったのも、言うまでもない。


店はとっくに暖簾を下げ、表も宵を迎えつつあった。
街中の程近い場所に居を据えるアゴルとその娘ジーナハースも呼ばれ、子等の面倒を見つつイザークはアゴルと談笑し、ジーナハースは懐く子供達と積木遊びや占い遊びをしたりして過ごし、 ノリコは、ニヤニヤなのかニコニコなのか冷やかし気分の・・それでも嬉しさを隠せないガーヤと共に厨房に立ち、やはり取り繕う暇さえ持てず時折真っ赤になりながらも大好きな者達の為の夕食作りに腕を振るった。
そんな愛する者達の姿を、イザークもアゴルも微笑ましく眺めた。
近隣--と言っても馬で半時程の距離に相当するが--に在る訳だし、仕事などで顔を合わせる事も少なくない。だから別段懐かしさに浸る話でもなかったが、二人の男達にとっては、こうした平穏なる時を大切な者達と紡げる事が何よりの幸であるのだ。
だから、その瞳には温かい灯火が穏やかに色付き、揺れている。

賑やかな食卓と談笑は、星の煌く宵遅くまで続けられた。



そして・・・―――

「お休みなさーい」

ガーヤやアゴルそしてジーナと別れ、家路に就く。
馬車を操るべく御者台に座すイザークと、荷台に子供達と同乗するノリコと・・・

満天の星煌く空の下、共に時を刻める帰るべき家の暖かさを思い、幸福な気持ちに満たされた。







翌日からノリコは、それまでにも増してオヤ製作に励んだ。
と言っても自分のそれもあり、しかも建前は子供達に内緒であるので、子等の昼寝の合間や、夜寝静まった後、長椅子で寛ぐイザークとの時を楽しみながら、一編み一編み心を込めた。
杯を置いた夫に後ろからそっと抱き締められるという微笑ましい邪魔を被った時だけは、編む手を止めたが。

「あまり根を詰めるな、疲れてしまうぞ」

熱心に編み進める妻の身を案じての言葉。それに、有難う―――と、心持ち染まった頬で、笑顔を向ける。

「・・・揃いのオヤの飾り、早く皆で結びたくて」

やんわりと応えるが、それでも、髪の香りや感触を堪能するかのように身を寄せ抱き締めてくれる夫の気持ちが嬉しかった。




そして・・・

更に二週間程が過ぎた、月の輝く深宵時――――


仕上げの糸の始末を施し、最後に糸切り鋏を静かに入れた。そして、手の中のそれを見つめる。

「出来たのか」

夫の言葉に、うん―――と、感慨深げに肯き、視線を向けた彼女は満面の笑顔だった。

「どれ・・・」

手にしていた杯を小卓に置き、代わりに、ノリコの編んだそれをイザークは手に取る。
輝くばかりの白、レーンの陽だまりの白と黄を更に包み込むかのような優しい純白、縁にはより透明に近い色の糸が編み施され、花飾りの方には中心部分にそれが施されていた。

「結んでやろう」
「え・・・」
「一筋でいいんだな?」
「う・・うん」

夫の手が髪に触れ、器用に、そして優しくそれを髪に編み結んでいく。思わず目を閉じ、高鳴る自分の鼓動を落ちつけようとした。
やがて・・・
唇に何かが触れる感覚に、ふっと目を開ける。イザークの指がなぞるようにノリコの唇に触れていた。鎮めた筈の鼓動がまた高鳴りそうで・・・何も言えず、ただ夫を見つめた。

「綺麗だ」
「イザーク・・」
「上手に作ったな。やはり白はノリコに似合う」
「ぁ・・・」

嬉しさが込み上げ、すっかり赤く染めた顔で、有難うと呟いた。そして小箱の蓋をおもむろに開け、中からもう一つのそれを取り出した。
問うような夫の眼差しに、

「イザークにも・・・ 少しだけ、じっとしててね」

―――と、手を髪に伸ばす。見つめてくれる優しげな眼差しに幸せを感じながら、艶やかな髪の一筋に、深蒼のそれを結んだ。

「一筋だけ結ぶのは、それで・・・。それから、バンダナと一緒に結べるようにって、長めの物も作ってみたの。それがこっち・・・」
「ノリコ・・・」
「擦れると解けてしまうかもしれないから、お仕事に行く時にはあんまり勧められないけど」

それほど時間も割けなかっただろうに、こんな物まで作っていたとは――――
ふふり微笑うノリコの言葉に、そして見せられたそれに、イザークは内心驚き、そして、満足げに笑んだ。
結ばれたそれと同じく濃淡の変化のついた蒼の装飾。一見黒髪には目立たなさげに思えるが、縁の白が見え隠れし、それが時折印象的な輝きを見せている。それでいて、女性物のように華美ではなく、涼やかで好感の持てる色合いだった。

「あなたにだけは、先に見せてあげるね」

と、次に見せられたのは緑の変化のついた装飾。

「・・・トウガのか」
「うん」

色違いであるが、イザークのそれと変化の型は同じである。これも、長めのものと二通り出来ていた。

「あなたのと色違いでのお揃いなの。そしてこれが、レーンの・・・」

レーンのそれは、白と黄が印象的な・・・いつぞや見たそれであるが、かの時にはなかった淡い紅色の花飾りが増えている。

「実はね、これ取り外しが出来るの。イメージの話をしたあの晩、薄い紅色の話もしたでしょ? だから足してみたの。でも好みで、着けたり外したり出来るようにって・・・」
「なるほど」
「ぁ・・・それでね、イザーク・・・」

恥ずかしげに言葉を濁す。遠慮がちにも思えるそれに、イザークは些か怪訝な面持ちを見せた。

「純白がいいってあなたに言われたんだけど・・・ね、あたしのにも、実は、ちょっとだけ足してみたの、あの・・・これも、その、取り外しが可能なんだけど・・・」

おずおずと見せられた掌の上の小さな飾りは、レーンのと同じく淡い紅色の物・・・

「ノリコ・・・」
「気を悪くさせちゃったらご免なさい・・・あの・・・だから・・・これは・・・」

口篭り、それでも説明しようとしたノリコの唇に、もう一度指で触れた。

「ぁ・・」
「言わずとも解かる。トウガの為に、だな?」

小さく肯き、だが、微かに震える唇。後頭部を捉え僅かに顎を上げさせ・・・安心させるかのように今度は自分のそれで唇に触れ、そして、間を置かず抱き締めた。
断る必要などないのに・・・―――――
息子の健気な思いと自分のそれに応えてくれたノリコの想い・・・それが、いじらしくてならない。

「おまえは、いい母親だな」
「イザーク・・・」

腕の中でふるふると頭を振る妻を大きな手で撫でた。だって―――・・・と声がする。

「イザークとの間に授かった子だから・・・ とても優しくて、いい子・・・そしてレーンも・・・」

大切にしたい、あなたと一緒に――――

「ノリコ・・・」

衝動が突き上げる。腕の中で呟いた妻の身を力強く、だが一層大切にイザークは抱き締めた。

愛している―――との言葉と共に・・・











「ほぉー、ここんとこやけに締まりのねえ面を晒していたと思ったら、そういう事か」

翌日、家族で街へと繰り出したタージ家の面々は、同じく街で出くわした・・・というよりガーヤの店に来ていたやはり非番のバラゴに冷やかされた。

「普段と変わらんが」

と、さらりといなすも、真顔でも無表情でもない、誰が見ても機嫌良さげなタージ家の当主がそこにいた。バラゴをして謂わしめるなら、"陶酔した女が束になってゾロゾロ随いて来そうな面"だ。
その隣には妻のノリコがいる。若干恥ずかしげにはにかむ彼女の視線は、周りではしゃぐ子供達へと注がれている。

「んじゃ、普段から二ヤケてるって寸法になるぜ」

バラゴはニヤリと笑う。そして二人を眺めながら、相変わらずの過保護振りだと更にほくそ笑んだ。
ノリコの腰に添えられた手は、"添えられた"というよりは"しっかりと守備範囲に置いている"と評した方がより相応しい。己の物だという無言の主張--威嚇とも言う--がそこに滲み出ていて、呆れ面を晒しながらもそれを眺めて楽しんでいる自分もいて、そんな自分がまた妙に厭でもなく。
有体に言うなら、それが彼の"普段"になってしまったイザークのイザークらしい姿であり、それを冷やかしたりするのもやはり普段と変わらないバラゴの姿である。とどのつまり、何だかんだ言いつつも、バラゴは過保護っぷり炸裂なイザークとそれを厭がるでもなく自然に受け入れているノリコが好きであるのだ。
そして、ガーヤもアゴルもそんな彼等の遣り取りを微笑ましく見据えた。これまた、よくある"日常"である。

「しかし、よくレーンが大人しく結ばせてくれたねぇ、ノリコ?」
「ええ、最初はね、手を伸ばして掴みたかったみたいで・・・結ぶのが難しかったから、初めにトウガに結んであげたの」

出来上がったそれを見た二人の子等は、それはそれは大興奮で、

『おぉぉぉぉぉぉーーーーーーっ!!!』

二人して両の手を握り拳にしながら、まさに飛び上がらん程喜んだのだ。
その上、母の着けている白に加えた薄い紅色のそれにもトウガは大いに感動した。彼が益々"母さま可愛いー、母さま大好きー♪"になったのは言うまでもない。
そして、ドキドキしながら結んで貰ったその姿にレーンも更に大きく瞠り、"レーンもーっ!"・・・となったのだ。大好きな兄を真似るレーンにはよくある単純な図式である。

・・・と、ガーヤの問いにノリコはそんな感じで微笑って説明した。その髪にも、そして隣のイザークの髪にも同じく結ばれているオヤ。 微笑む二人の姿に子等が喜んだのは、これまた言うまでもなく・・・
トウガは父と同じ耳の横辺りの一房を、そしてレーンのそれは頭の上で・・・所謂ちょんまげ風に結わえられている。加えて、大きめの薄い紅色の花飾りも共に結ばれていた。 ノリコのそれは小さい物であるが、レーンのは子供らしく、大きめに拵えたのだった。そして、これが余計に人目を惹いた。

「素敵だわ。とても綺麗なイメージが見えるの。今度あたしにも、教えてくれる? ・・・あ、編むのは、時間が掛かるかもしれないけど・・・」
「勿論、喜んでジーナ。でも・・下手よ、あたし」
「そんな事ない、とても繊細な色合いが見えるわ」

「・・・一体、誰に贈るんだ?」

妙齢であるとはいえ、娘の発言には些か顔が引き攣りそうなアゴルである。その父にもジーナハースはふふりと微笑う。

「なぁーいしょ」

「かぁーしゃ、ねぇーちゃ、レーン、おはなー、おはなー♪」

喜んではしゃいでいたレーンの可愛らしい声に、ノリコもジーナもにっこり笑む。

「うん、可愛いわ」
「おぅ、良く似合うぜ、レーン。今度俺にも貸してくれよな」
「んー?」

顔を突き出したバラゴをくりくりっとした瞳できょとんとレーンは見つめる。だが、言葉が出てこない。

「バラゴだ」

別段初めて会った訳でもないのだが、名の発音が些か難しいのだろう。父の説明に首を傾げて、

「ばー・・お?」
「バラゴ。バ、ラ、ゴ、だ」

今度はバラゴ自身がゆっくり説明する。覚えてくれよーとの視線を受けて、それでも、尚・・・

「ば、あーー・・・おっ?」

途端に脱力するバラゴの隣でイザークが高らかに笑った。
普段余り人前では笑う事のないイザークの珍しい高笑いに、彼を知る者も、そして通行人も些かならぬ驚きを示した。

「あーしぇ、あーしぇ、う゛ー、おはなーっ、ばぁーお、ばぁーお、うきゃー」

それでも、娘の絶妙とも取れる掛けとそれに対するバラゴの反応が受けたのか、彼の笑いは暫く続いた。

「イザーク、おめぇ、ガキの教育はしっかりしろよな」
「何を言う、俺の子はどっちも素直に育っている。何せ、教育がいいからな」

しれっと告げて憚らないイザークも、傍のノリコも、子供達を捉える視線は穏やかだ。

「そーゆーのを世間じゃ親莫迦っつーんだ。過保護だけでなく、そっちの方まで健在かよ」

バラゴの苦笑を含んだぼやき節に、イザークはふっと笑った。

「レーン、駆けっこしよう!」
「うきゃー、あーい!」

大人達の周りを嬉々として子等は駆ける。そんな姿を見据えながら、イザークは今一度バラゴの言葉を脳腑に描き、そしてやはり笑んだ。
過保護、親莫迦、大いに結構―――そう、イザークは思う。
親莫迦振りを晒す己の二親の姿など終ぞ見られなかった。幼き頃のひたむきな思慕の情にさえ応えてくれる彼等ではなかったのだ。 だからといって、今更それをどうこう捉える訳ではない。悲嘆そして宿命への怨恨、既に過去の遺物となった底暗き感情である。
ただ、それ故、今自分がその手に抱ける家族の存在が一層大切であるのだ。 自分を心から愛し、慕ってくれる家族であるから、そして自分もまたそんな家族を愛しているから。そう、だからこそ、全霊を傾けて愛したいのだ。
それを過保護であると謂わしめるなら、親莫迦であると評するなら、寧ろ自分には最高の殊勲である。

そうした思いを込め、イザークはノリコの腰に添える手に力を込めた。

「? イザーク・・」

更に傍に引き寄せられ問うように見つめた妻を、イザークも穏やかな笑顔で見つめる。そして、思いを込めて、こう告げた。

「幸福な家族の、象徴だ」
「イザー・・ク・・・」

優しく、だが自信に溢れた夫の言葉に、ノリコもまたこの上なき幸せな気持ちで満たされた。

「あーしぇ、あーしぇ、う゛ー、おはなーっ♪ うきゃー♪」
「あーしぇ、あーしぇ、う゛ー、おはなーっ♪ うわーい♪」

妹の言葉をトウガも真似る。子を愛するアルシェスの祝福の如く、お陽様もまた穏やかに降り注ぐ。
にこやかな笑顔が、賑やかなはしゃぎ声が、石畳の界隈に溢れ、響き渡った――――




そして・・・

家の窓辺では、四つの花飾りが微風に揺れ輝いている。
はためく薄地の窓掛け、そして射し込む一杯の光・・・
陽だまりのアルシェスの祝福を注がれた、幸せな家族の象徴として・・・







END

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++ あとがき ++

お読みくださり、有難うございます。
背景に飾らせて頂いた素敵な飾り。オヤと申します。拙宅に遊びにいらしてくださってるみーちゃん様が創られた繊細且つとても綺麗な手芸品。みーちゃん様が愛して已まないトルコの伝統的な手工芸なのだそうです。本当に綺麗ですね。
そして大変勿体なくも光栄、且つ有難いお話なのですが、我が家のオリキャラであるレーンのイメージとして創ってくださったそうで、これを先様で拝見させて頂いた時には「うわー…」思わず見惚れてしまいましたですよ。
「我が家で飾らせてくださいっ!」
唐突しかも図々しい、そんな願いを申し出て、なのに快くご理解を頂いた訳ですが、それから少し考えて…
もやもや〜っと浮かんできたエピソードに、どうせならお話も添えさせて戴こうか、と思い立ち…
現在に至りました(笑)。

主体は親バカちゃんりん、な筈です(笑)。。
しかし、以前ZAREで神が降りたと書いた部分はそれではありませーん。で、妄想の所為かキャラが勝手に動いたのか、途中から随分走りました。でも漠然とした部分が具体的に文章になっていくのはやっぱり楽しかったですよ。
最初はもっと早く、そして短めに書き終わるかな…と思っていたのですが、前述のキャラの一人走り(暴走とも言う)によりテキストが多くなってしまい、トウガ視点の前回の話の二倍以上になってしまいました。。 そしてこの時期仕事も忙しく、圧されて圧されて思ったほど進められない〜〜な状況ではありましたが、それでも何とか書き上げる事が出来て、感無量であります。

タイトルも、最初は「家族のモチーフ」とか、「幸せの〜」とか、「〜の象徴」とか、色々それらしいのを考えたのですけど、いまいちパッとしないというか、収まらないというか(苦笑)。。
本人の度量も技量も及ばないんでひたすら申し訳ないんですけどね、本来のレーンの象徴として考えた「陽だまり」…それに全てを込めました。 「モチーフ」も、それではなく違った言葉を探したんですが、納得のいくのが見つからず…変な拘りを捨て去りました(笑)。。 だから、気軽に「モチーフ」という言葉が本文でも出てきます。「グラデーション」は流石に括弧付けで表しましたけどね。

あー、バラゴさんのアレは親愛の情からってヤツです。悪意ではありません。解かりますよね?
アゴルさんやジーナも物語に登場させたい、、と思いながら、かなり中途半端かなぁ、今度はもっと多くのシーンで登場させて差し上げたいです。
ジーナが誰に上げるのか、それとも単に自分用であるのか、それは内緒。
某様宅の様な素敵な殿方がいらっしゃる気配でもありませんし、これから…ですかね。
ちなみにバラゴさん、彼にもイイ人、一応いらっしゃるという(ぇ)。
これも、かつてあちらの某様や、現在こちらの某様の御宅でイイ人(らしき人)がいらっしゃるので、自分は多分書かないだろうな…と思っていたんですが、最近むくむくと名前とか、性格とか、 結構色々湧いて来まして、あららら。。
具体的な話になるのはまたいつの日かになるでしょうが、ねぇ、いつまでも独身さんでは…そりゃ、イザークも二児の父になったんだし、ねぇ、いつかは…  そして、過保護になる気持ちや親バカになる気持ちも、きっとその内解かるだろう〜〜と、一人ほくそ笑んでいる私です。
(実は最初、この話の中で名前出そうかな…とも思ったのですが、話の筋がまた変わってしまいそうで止めました。)

皆様はどんなご感想を持たれるでしょうか。ちなみに自分が一番好きな科白は、レーンのであります。
さてどれでしょう(^^* うふふ。
どうぞお気軽に読まれたご感想などお聞かせくださいませ。
それを励みにまた、もやもや〜っと妄想に励ませて(笑)頂きたいなーと思います。

みーちゃん様、とても綺麗な可愛らしいオヤをレーンの為に作ってくださり、本当に有難うございました。
レーンは勿論、両親のイザークとノリコ、そして彼女の兄のトウガも喜んでおります。
素敵なオヤにはとても及びませんが、ご笑納戴けましたら幸いです。

夢霧 拝(09.08.20)


ぱぱてぃあ倶楽部〜日々オヤ三昧
トルコへの熱い想いや伝統的手工芸のオヤ、そして日々の徒然が綴られているみーちゃん様のブログサイトです。
数々の素敵なオヤが出迎えてくれますョ♪



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