xx 夜明けの光へ xx



身体が・・・重い・・・

それに・・・何だか・・・熱いような・・・・・・

彼の後ろを必死で歩きながら・・・あたしは、そんなことを頭の中で考えていた・・・

でも、・・・頭が朦朧とする・・・何故?・・・

目の前がふっ・・・と暗くなる ・・・意識が遠く・・・・な・・・る・・・


ドサッ・・・――――!


その場に膝をついたあたしは、崩れるように倒れた・・・


「!・・・・ノリコッ」


微かに瞼を開けたその向こうに、振り返り際に少し慌てたような・・・イザークの姿が・・・見えた。




戻ってきたイザークが、倒れているあたしを抱き起こす。
覗き込むようにして、あたしの顔を窺う・・・そして、彼の大きな手が、あたしの額に乗せられる。

「・・・い・・・ざぁー・・く・・・」

声が掠れる・・・ 苦しくて、それしか話せなかった。

「無理・・し・・・話・・な・・・熱が・・・るな・・・」

頭が朦朧としてて、彼の言葉があまりはっきり解からない。
多分、あたしの熱の事を言っているのだろうと思う。

ああ、なんて事だろう・・・熱が出るなんて・・・・・・

彼は周りを見渡している。何かを探しているようだった。

「ちょ・・・・待ってろ・・・」

そして、あたしをその場に静かに寝かせ、彼は何かを捜し求めて走っていった。

でも、あたしの意識はそこで遠のいた・・・――――




ふっと・・・身体が浮くような感覚に、あたしはうっすらと瞼を開けた。
温かい・・・と思ったそれは、イザークの胸だった。あたしは彼に抱き上げられていたらしい。

ああ、最初の時も、彼に抱きついて・・・そして、温かさにホッとしたんだっけ・・・
今も、あの時と同じ・・・鼓動の音が聞こえる・・・

あたしは無意識に、顔をイザークの胸に寄せた。彼の視線が、あたしを向いたような気がした。



彼の名は・・・「イザーク」

あたしを、あの樹海の花虫から助けてくれた人・・・
凄く強くて、走るのも速い、そして凄く高く跳躍出来る・・・
まるで超人。本当に夢の世界に出てくるような・・・そんな人だ。

でも言葉は通じない。
自分が聞いた事の無いその言語に、あたしは目の前が真っ暗になった。

だから、あたしは、この世界の言葉を覚えようと必死だった。
言葉さえ覚えれば、あたしだってこの世界で生きていける。そんな気がしたから。
それに、あたしがこの世界に飛ばされた目的だって、解かるかもしれないから。

だから、必死だった。

彼はとても無口。普段は本当にしゃべらない。
それに表情も少ない。殆ど笑わない。

何故あたしを連れて歩いてくれるんだろう・・・ 多分、放っておけなかったんだろうな・・・
あの樹海で、きっとあたしはとても情けない顔をしていただろうから・・・

でも、今も同じかも・・・
また・・・迷惑・・・掛けちゃったな・・・

熱が出るなんて、本当になんて事・・・

でも、この世界に突然飛ばされて、あたしの頭は正直パニックを起こしていた。
言葉も習慣も、何も解らない・・・
慣れない世界・・・

そして、彼の足は速い。足も長いけど、歩幅もあるから、あたしなど、とてもとても。
追い着くのなんて、正直とてもしんどい。彼の一歩は、あたしの有に三歩分はあるだろう。
だから当然、彼に着いて行くには小走りになって、疲れ方も半端じゃない。
息も切れるし、いつも肩で息をしている感じだ。だけど、それでも必死に着いていった。

置いて行かれたくなくて・・・・

何故だろう・・・この人なら、信頼出来る・・・そんな気がした。

時折見せてくれる、遥か彼方を見つめ、何かをじっと考えているような仕草・・・・
そして、笑いはしないけど、それでも、見せてくれる優しげな視線・・・・

赤の他人の男の人なのに・・・どうしてこんなに信頼出来るんだろう・・・

不思議だった・・・

こんな事、お父さんが知ったら、きっと飛び上がるほどに驚くだろうな・・・


あれから毎日一生懸命だった。言葉を覚える為に、イザークの言う言葉をオウム返しのように
繰り返したり、ノートに書いたり・・・

おまけに、盗賊だの、国と国との戦だの、変な生物だの・・・そんなものが当たり前のような世界。
死がいつあってもおかしくない世界。冗談抜きで笑えない。気を抜く暇も無い。緊張の連続だった。

緊張で気が張り詰めていたから・・・一気に、疲れが出てしまったのだろうか・・・・




ふと、何か柔らかい物の上に寝かされた。

イザークが、どうやら寝床を作ってくれたらしい・・・
雨風を避けられるところ・・・洞窟とまでは行かないが、奥まった場所がある。
そこに焚き火の火が燃えている。そして、少し離れたところに、あたしの寝床がこしらえてあった。

さっき何かを探しているように見えたのは、この場所を探す為だったのかな・・・
何だか安心して、ふっと意識がまた飛びそうになった。

「ノリコ。」

呼ばれて、目を開ける。すぐ傍には身を屈めたイザーク、手に何かを持っている。
カップと・・・何?

「薬だ。眠る前に、飲め。・・・解かるか?・・く・す・り・だ・・・」

あたしは半開きの瞳でイザークを見つめ、微かに頷いた。
イザークは、カップを横に置くと、あたしをそっと抱き起こしてくれた。
そして、薬を口の中に入れてくれ、カップの水を飲ませてくれた。
冷たい水が喉元を過ぎ、熱で火照った身体に・・・とても・・・心地良かった・・・

そしてあたしは再び寝かせられ、パチパチと燃える火を眺めながら、また意識を失いそうになる。

額にそっと乗せられた冷たい布が・・・とても・・・有難い・・・


意識を失う直前・・・僅かに言葉を発する。

「い・・・ざぁー・・・く、・・・ごめ・・・・・あた・・し・・・また・・・め・・わく・・・か・・・け・・・・」

イザークに詫びたかった。こんなあたしを連れて歩いてくれる・・・だから、彼に詫びたかった・・・
でも、それだけ言うのがやっとだった・・・

伝わったかどうかは解らないが、あたしは彼の返事を聞く間もなく、意識を失った。









ノリコの額に手を置いた・・・かなり熱い・・・
水で濡らした布を彼女の額に乗せる。


可哀想に・・・

彼女の眠る姿を見ながら、そんな事を考えていた・・・

慣れない世界で、言葉も習慣も解からず、自分の身を護る術も何も知らず・・・
そして、こんな旅にも彼女はきっと慣れてはいないのだろう・・・

必死になって俺の後を着いて来た、彼女・・・

泣いたのは最初の樹海でのあの時だけで、その後は気丈に頑張っていた気がする。
言葉を覚えようと、本当に彼女は頑張っていた。
俺の話す言葉を繰り返し復唱しては、持っていた書紙に書き写したりしていたな・・・

頑張ってきた分、疲れが出てしまったのだろうか・・・
この世界に飛ばされなければ、こんな辛い思いもしなくて済んだものを・・・


自分と同じく、この世界にはたった一人しかいないのだという
≪その立場≫のノリコに、俺はいつの間にか、同情心を抱いていた・・・――――


夕暮れまでに次の町までと思い、つい気持ちが急いてしまった。
そうそう野宿ばかりもさせられんと思ったのが、裏目に出てしまったな・・・
連れていた馬が、異形の生物に驚いて逃げたが為に、彼女には歩く事を
強いる羽目になってしまった。

彼女の歩は、俺よりは小さく、遥かに遅い・・・
独り旅では、誰かに気を遣う必要などないから、彼女の変調に気づくのも遅くなってしまった。

それに、渡り戦士として盗賊退治などで報酬を稼ぐ俺に着いてなどと・・・
この彼女には気の休まる暇も無かっただろう・・・

疲れが出たとしても、仕方がないだろうな・・・

拙かった・・・もう少し気に掛けてやれば良かったか・・・
飲ませた薬が、上手く効いてくれれば良いのだが・・・・



燃えている火に、木片をくべる。
日は既に落ち、辺りも暗くなってきている。
空に、星の光が見え始めた。

今夜一晩ゆっくり休めば、彼女も少しは回復するだろうか・・・



それにしても・・・・・改めて思う。 ・・・何故・・・彼女が【目覚め】なのか・・・

能力者である屈強な男でもなく、異形の化け物でもなく
・・・何故、人間の非力な彼女が【目覚め】であるのか・・・

この彼女が、俺の運命を握っているというのだろうか・・・・?・・・
俺の未来が、この少女に掛かっているというのだろうか・・・・?・・・

解からない・・・

樹海で花虫に恐怖し、何も出来ずに立ち竦んでいた。
カルコで盗賊に襲われた時も、彼女はむしろ足手纏いであるかのようだった・・・

自らを護る術も知らない。特別な能力があるとも思えない。
本当に普通の人間の女の子ではないか。

この手で仕留める筈だったのに・・・気づいたら彼女を助けてしまっていた・・・
俺を、望まないものへと変える存在だというのに・・・


この世を騒乱へと導くもの、それが【目覚め】。
闇の力を担う存在・・・それが【目覚め】ではなかったのか?・・・・
だが、この彼女にそんな力があるとは・・・とても思えない・・・


闇よりも、むしろ・・・光・・・・――――


そこまで考え、俺は目を見開いた。

光・・・だと?・・・


彼女が俺に見せる、その笑顔。

俺を信頼し、俺をまったくの味方だと信じ切っているかのような、その瞳・・・
カルコで盗賊に襲われた時も・・・確か、その身を呈して彼女は俺を庇ってくれた・・・
俺を陥れる素振りなど、まったく見られない・・・

光・・・なのだろうか・・・

・・・いや、・・・では、何故・・・

光ならば、何故、俺を・・・こんなに・・・・


思考を巡らし、俺は視線を伏せ、何かを否定するように頭を振った。


ノリコの方に視線を移す。

呼吸が少し落ち着いて来ているようだ。
薬が効いてくれたのか・・・


『・・ん・・・』

ノリコの瞼が若干動く。・・・気がついたのか?

『・・・・・・ぁ・・・さ・・ん・・・・ぉ・・・と・・・さ・・ん・・・』


寝言か・・・・

・・・・何だろう・・・

俺の知らない言葉で、ノリコは寝言で言った。きっと彼女の世界の言葉なのだろう・・・・

誰かを呼んでいる言葉なのだろうか・・・
もしかしたら、彼女の家族か・・・
元の世界にも、きっと彼女の家族がいるのだろう・・・
大切に育んできただろうに・・・

彼女の笑顔を思い起こすにつれ、きっとその家族も温かいのだろうな・・・と、そう感じる。
そうでなければ、あの≪笑顔≫は出てこない・・・

俺の・・・闇に囚われたものとはまったく違う・・・笑顔・・・


ふと、ノリコの目尻から光るものが溢れ、ひとすじ頬を伝うのが見えた・・・

涙・・・

焚き火が作り出す僅かな灯りではあったが、照らされたその頬に伝う彼女の涙ははっきりと解かった。

そっと傍に寄り、その涙を俺の手で拭ってやる。 ・・・・・・温かい・・

彼女の頬の温かさに、俺は慌てて自分の手を引っ込めた・・・・

触れた手を見つめる。そして、その手をぎゅっと・・・握り締めた。


彼女の言葉を、思い出す。

意識が飛ぶ前に、彼女が言った言葉・・・・


――――・・・い・・・ざぁー・・・く、・・・ごめ・・・・・あた・・し・・・また・・・め・・わく・・・かけ・・・


最後まで聞き取れず、言葉も苦しげな息の下でだから途切れ途切れだったが・・・
俺に迷惑を掛けたと思い、謝っていたのだろう・・・・

彼女が覚えた言葉でよく使うのは、≪ありがとう≫・・・と、≪ごめんなさい≫・・・だ。

俺に世話になっていると思うのか、その都度笑顔で、ありがとう・・・と言う。

そんな風に礼を言われる事など、あまり経験しては来なかった・・・
だから、正直戸惑いもあった・・・

そして、彼女はよく失敗もする・・・ だから、ごめんなさい・・・とよく言う・・・
今回も、俺に迷惑を掛けた・・・と・・・そう思っているのか・・・?・・

・・・・・何故・・・おまえが謝るのだ? ・・・おまえの所為ではないのに・・・

おまえがこの世界に飛ばされたのも、俺に関らねばならなかったのも、おまえが悪いのではないのに・・・
こんな辛い思いまでさせて、その上、おまえに秘密を話さないでいるのは、この俺の方なのに・・・

そんなに俺に気を遣うな・・・ノリコ・・・ 迷惑だとは思っていない・・・

確かに厄介者には違いない。おまえは俺に、望まぬ運命をもたらす存在かもしれないのだから。
だが・・・おまえが悪い訳ではない・・・・ おまえには何の責任も無いんだ・・・・
だから、そんなに謝るな・・・ノリコ・・・


『・・・い・・ざぁ・・・く・・・』


・・・・ノリコ・・・

・・・寝言か・・・ 俺の名を呼んでいるのか・・・?
こんな風に、名前を呼ばれる事など、無かったな・・・

彼女の顔に、髪がひとすじ掛かっていた。
横を向いた際に、乱れてしまったのか・・・
起こさないようにその髪に触れ、直してやった。

柔らかい髪・・・ そして頬の温もり・・・

いったい何だろう・・・
心の中に・・・ なんとも言えない、説明のつかない何かが・・・・ 浮かんでは、消えていく・・・


・・・・・・【目覚め】とは・・・ いったい何なのだ・・・?
俺にとって・・・ 【目覚め】・・・とは・・・・・・


違う・・・

俺は頭を振った。

心の中の、その何かを否定するかのように・・・・



空を、ふと仰いだ。

星ぼしが・・・俺の心の中の戸惑いを見透かすかのように・・・
その小さな光を・・・ 煌かせていた・・・









ん・・・・・

冷たい外気が頬を掠め・・・あたしは、うっすらと目を開けた・・・

明るい・・・ 夜明け・・・?

空が仄白く明けていた。朝の空気が少し冷たい。
でも、焚き火がパチパチと、その音と共に火の粉を散らしていて、
その温かな色合いに、心の中まで、ほぉ〜っとするような・・・・

そして、そこには、火の番をするイザークの姿があった。
太陽の光が射し込んできて、彼の姿を照らす。
逆光に、その表情はよく解からないけれど、輪郭がはっきり映しだされていて・・・
それが・・・ とても綺麗・・・だと、感じた・・・


毛布の擦れる音に気がついたのか、彼がこちらを向く。

目と目が合った。

逆光でよく見えない部分と、照らされてはっきり解かる部分と、そのコントラストに
あたしは思わず、見とれてしまっていた。

きっとあたしの顔は、少し赤くなってたかもしれない・・・



「目が・・・覚めたのか・・・?」

彼が立ち上がり、あたしの方に歩いてきた。

ドキドキする。・・・何故ドキドキするのだろう・・・ 何故・・・?

屈んだ彼の大きな手が、あたしの額に触れた。
じっと触り、何かを納得したかのように、頷く彼。

「どうやら、熱は下がったようだな・・・良かった・・・」

滅多に見せない穏やかな彼の笑顔・・・・だ・・・

え?・・・熱が下がってる?・・・
そういえば、昨日のあの朦朧とした感じも、身体の重さもない。それに熱くもない。

「薬が効いてくれたな。・・・どうだ?・・・身体はまだ、辛いか?」

「え・・・、か・・らだ・・・・え、えと・・・へい・・き・・すこ・・し・・・ら・・く・・」

あたしは、彼の表情に釘付けになりながら、ようやく答えられた。
でも、言葉はめちゃくちゃだったかもしれない。覚えている単語はまだまだ少ないから・・・

でも彼はあたしの言った事をちゃんと理解してくれたようだ。
少し、ホッとしたような表情をする。

でも・・・

「だが、無理はするな。まだ顔が少し赤いようだ。」

えっ・・・

顔が赤い・・・ それは・・・ 熱の所為では・・・ないかも・・・

「だい・・じょぶ・・・」

あたしは慌てて起きようと、腕で、身体を支えた。だけど・・・

『え・・・』

眩暈のようなふらりとした感覚に、あたしは襲われた。・・まだ全快という訳ではないらしい・・・
倒れそうになったあたしの身体を、イザークの手が支えてくれた。

「無理をするなと言っただろ?・・・まだ寝てろ。」

そう言うと、あたしの額に手を置き、≪寝ろ≫というような仕草をする。
彼の言う通り、あたしは再び身体を横たえた。

「スープを作っておいた。もう少ししたら、食べろ?」

イザークのその言葉に、あたしは黙って頷いた。
そして、彼はまた火の傍に戻ると、パンを火であぶり始める。

彼はいつ眠ったのだろう?・・・そして、いつ起きたのだろう?・・・
何故だか、彼が夜通し起きていたのではないか?・・・と、そんな気になってしまった。

錯覚なのかもしれない・・・

でも、意識を失う前に見た彼の姿が記憶に残っていて・・・今の彼の姿と重なる・・・
だから、余計にそんな風に思ってしまったのかもしれない・・・

夜具もあたしのだけしか用意されてないし、あたしの上には、寒くないようにと
毛布が二枚掛けられてあった・・・
・・・イザークが掛けてくれたのだろう・・・・ 彼は、寒くなかったのかな・・・

いろんな事を訊きたいのに、言葉がまだ解らない・・・
もの凄く歯がゆい思いが、駆け抜けた・・・
早く、もっと早く覚えなければ・・・会話すら、ままならない・・・
早く彼と、まともに話がしたい・・・

でも、でも、お礼は言いたい。
それに、昨夜最後まで伝えられなかった、お詫びの言葉も・・・


「・・イザーク・・?」

あたしが呼ぶと、彼はこちらを向いた。

「なんだ?」

あたしが倒れてからのイザーク・・・本当に優しげな表情を見せてくれる・・・

「あ、の・・・ごめ・・・なさ・・い、あたし・・・めい・・わく・・、いっぱい・・・・」

イザークの表情が変わる。

「ノリコ・・・」




ノリコ・・・

朝の少し弱い陽の光が射し、彼女の顔を照らしている。
光を受けて、その表情がよく解かる・・・

熱は下がったようだが、まだその頬は赤い・・・
それが、陽の光を受け、病み上がりの彼女を綺麗に見せている・・・

透明感のある光・・・そんな事をふと感じた・・・
・・・・何故・・・・そんな事が心に浮かんだのだろう・・・・・俺には解かりようもなかった・・・

おまえは、また俺に謝るのか?・・・そんな事、気にしなくてもいいのに・・・・

「ノリコ・・・おまえ・・・」

「イザーク・・・いつ・・も・・・あたし・・かば・・う・・、あたし・・・いっぱい・・めい・・わく・・・」

「イザークの・・・あし・・ひっぱる・・・あたし・・・あたし・・・ごめ・・ん・・なさい・・・」


ノリコ・・・
まだ身体が辛いだろうに・・・ おまえは・・・・・


焙っていたパンを布の上に置き、俺はまたノリコのすぐ傍らに屈んだ。

「そんなに話すな、ノリコ。快復するものもしなくなる・・・無理はするな・・・」

「・・イザーク・・」

「俺は気にしていない・・・迷惑だとも思ってない・・・」

「ほんと・・・に・・?」

まだ、心配げな顔で、彼女は俺を見上げている・・・
俺は頷いて見せた。

「ああ・・・だから、謝る必要はない・・・」

俺の言葉に、少しホッとしたような表情を見せる、ノリコ・・・


「俺の方こそ、すまなかった・・・」

俺がそう言って謝ると、不思議そうな顔をして彼女は俺を見上げた。

「・・・・イザーク・・・あや・・まる?・・・ど・・して・・・?」

彼女の問いに、思わず、笑みが漏れる・・・

「次の町まで、急いでいたからな・・・ あんたの体調の変化に気づくのも・・・遅くなってしまった・・・」

俺がそう言うと、彼女は意外だと言うような顔をし、そして、首を左右に振った。

「ちが・・・イザーク・・・ ちが・・う・・・」

「ノリコ・・?」

「わる・・く・・ない・・・イザーク・・・わる・・く・・ない・・」

否定するかのように、一生懸命彼女はそう言い、尚も首を振る・・・・

「あたし・・・いな・・い・・・イザーク・・・もっと・・・らく・・・さき・・・いく・・る・・・
 あたし・・・いる・・・だか・・ら・・・イザーク・・・こむる・・・・・」

「ノリコ・・・」

ノリコの言葉に、一瞬俺は言葉を失った。
俺を悩ませている存在が自分であるのを、まるで彼女は解かっているかのような・・・
そんな口調に、俺は暫く、二の句が継げなかった・・・・

「イザーク・・・わる・・く・・・ない・・・ない・・・」

一生懸命にそう言う彼女の額に、俺はそっと手を置いた。
零れ落ちるくらいに、彼女の目が見開かれる・・・・

「解かった・・・解かったから・・・もう、何も言うな・・・ノリコ・・・」

俺は穏やかに微笑って見せた。
放っておけば、彼女はずっとその台詞を言っていそうで・・・


おまえがいなかったら・・・俺は先を急ぐ事などないだろう・・・
独りならば・・・ 当てなどない旅なのだから・・・

そんな事が頭に浮かび・・・苦い笑いが、こみ上げた・・・


俺の言葉に安心したのか・・・彼女は穏やかな笑みを浮かべ、目を細めた。

「ありがとう・・・イザーク・・・」

そう言うと、目を閉じ、それ以上何も言わなくなった。


彼女は、また眠りに入っていった・・・









陽はだいぶ高くまで上っていた。
蒼い空に、光が眩しい・・・


あれから、少しだけまた眠り、目が覚めたあたしは、イザークの作ってくれたスープを戴いた。

病み上がりの身体に、凄く優しい味だった。
訊いたら、≪ガレン≫という薬草が入ってるのだと、イザークは教えてくれた。

「・・・がれん?・・・」

「ああ、・・・ガレンの実だ。」

病などで弱った身体に良いのだそうだ。
お陰で起き上がっても、身体はそれ程辛くなかった。

あたしの顔色が好くなって来たのを見た彼は、少しホッとした表情だった。

心配・・・掛けちゃったな・・・
何かで、恩返し・・・出来たらいいな・・・

と言っても、今の段階であたしの出来る事なんて・・・まだまだタカが知れてるけど・・・



彼は出発する支度をしていた。

あたしは岩の上に腰掛け、自分の使っていた夜具を畳んで、イザークに渡す。
それを、彼は口の端でニッと微かに笑いながら黙って受け取り、荷物の中に詰め込んだ。

そして彼は火の始末をし、あたしは自分の荷物を持つ為に、紐を肩に掛けて立ち上がる。

そしたら・・・・

あたしの目の前に、出発の支度を終えたイザーク・・・
彼はあたしを見下ろすように立っていた。

「え・・・?」

不思議そうな顔であたしが見ると、彼は向こうを向いて屈み、

「負ぶされ、ノリコ・・」

そう、あたしに言った。

「イ・・イザーク・・・?」

さすがにあたしは慌ててしまった。
イザークに負ぶさるなんて・・・そんな事! そこまで迷惑掛けられないよ・・・

「だい・・じょぶ・・・あた・・し、あるく・・・だいじょぶ・・・」

赤くなってどもりながら、彼に伝えた。

「いや、その身体で無理はさせられん。次の町まで行けば、宿に泊まれる。
 そうすれば、またゆっくり休めるだろう・・・」

「で・・・でも・・・」

あたしがまだ躊躇っていると、彼は顔だけこちらに向ける。

「すまないが・・・少し急ぎたいんでな。病み上がりのあんたの足では、今日中に町に
 着けるかどうか、解からんのだ。」

「ぁ・・・・」

その言葉で、あたしは恥ずかしくなってしまった。

「ごめん・・なさい・・・」

「気にするな。・・・それとも、俺の背では・・・不服か?」

「えっ・・・!」

彼の言葉に更に慌てたあたしは、首をぶるんぶるん振った。
それこそ、首が千切れてしまうんじゃないかと思えるくらいに・・・・・

不服だなんて言ったら、バチが当たっちゃうよ・・・・・・・
ただでさえ、イザークにはいつもいろいろ・・・お世話になっているというのに・・・・・・・

激しく頭を振って否定するあたしに、彼は少し悪戯に微笑う。

そしてあたしは、彼の好意に甘える事にした。


大きな背中・・・

イザークの長い黒髪が、彼のバンダナが、目の前にある。

そして、彼の匂いが、ふっ・・・と香る・・・


また、ドキドキした・・・ 何故、ドキドキするのだろう・・・・

男の人に負ぶさるなんて、多分これが初めて・・・
お父さんになら、小さい時の記憶があるけど・・・

これは・・・ こんなパターンは・・・ 初めてだ・・・

口から飛び出るかと思うくらい・・・心臓が高鳴る・・・何故・・・?

でも・・・・・

イザークの背中・・・ とても温かい・・・

何だか、凄く安心する・・・・


大きな歩幅で歩くイザーク・・・ やっぱり、あたしのドンくさい足よりも早い・・・

ふと、彼の肩に顔をもたげた。

彼がピクリとする。僅かに顔をこちらに向ける。

「イザーク・・・」

「ん?・・・乗り心地、良くないか?・・・すまないが、暫くの間我慢してくれ・・」


違うよ・・・ そうじゃないよ・・・イザーク・・・

嬉しいの・・・

あたしの為に・・・ 気遣ってくれる・・・

それが嬉しいの・・・

「ちが・・う・・・ ありがとう・・・イザーク・・・」

感謝の気持ちが、後から後から・・・湧き上がってくるの・・・

ドキドキと一緒に・・・・

それは凄く・・・ 心地良い気持ち・・・

何故だろう・・・ 解からないけど・・・・


あたしが礼を言うと、彼は、またピクリとした。
そして、ふっ・・と微笑い、

「いや・・・」

と短く返事を返してくれた・・・・




町までの道のりを歩きながら・・・俺は考えていた・・・


ノリコ・・・・

おまえという奴は・・・ この俺にそこまで礼を言うのか・・・


――――・・・ありがとう・・・イザーク・・・


彼女に、ありがとう・・・と言われる度、心の中に・・・何か、温かいものが流れてくる・・・

何故だ・・・

ずっと独りでやってきた俺は、誰かの為に親切に接するという事など、殆ど無かった・・・
いや・・・ あっても、長いこと接する事など皆無だ・・・

なのに、何故・・・ 彼女には、こうして接する事が出来るのか・・・

厄介払いしたい筈なのに・・・

一番逃げたい存在の筈なのに・・・・

何故なのだろう・・・・

放っておいて、逃げる事だって出来るはずなのに・・・・

何故俺は・・・それが出来ないのだろう・・・・・・


考えても・・・納得のいく答えは、やはり出てこなかった・・・・・


夜明けの陽の光が、今は高く、蒼の空にその光を燦燦と輝かせている・・・・
あの陽が沈むまでには、次の町に着けるだろう・・・
これで、ノリコをゆっくり休ませる事も出来る・・・


だが・・・・

俺はまだ、彼女に明かせない秘密を抱えている・・・・
それを知らない彼女は、今も俺を信頼し、その身を俺に預けている・・・・

彼女の体温が、その温もりを、俺の背にじんわりと伝えていた・・・
秘密を抱えながらも、その温もりに心地良さを感じずには・・・いられなかった・・・・


だが、それが何故なのか・・・

やはり今の俺には・・・ 解かる筈もなかった・・・・




(了)




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++ あとがき ++
ううう、また短編にしては長い、あとがき入れて27KB…orz
さて…いったい何が言いたいのか…
いささか解からない作品となってしまいました。ぉぃ。
一人称を交互にやってみました。これも初めてのパターンです。
モノローグ中心で、台詞が少し。
まだあまり甘くない時期の二人なんですが
甘甘までの道のりは長い… でもそれだけ、
イザークさんの抱える宿命が重いという事なのでしょうか…。
それから、気持ちの変化を少し取り入れてみました。
でも、心の中の何かに気づいても、それが何故起きるのか
まだはっきりと解からん…あぁじれったい…な二人の様子です(笑)
でも、あまり甘くない時期な割りに、結構イザークさんって
ノリコちゃんに触れてないか?^^;
作品の時間軸は、コミックスでは2巻と3巻の間、
文庫本では1巻と2巻の間を想定してます。
タイトルもよく解らない感じですねぇ、夜明けに射し込んだ陽の光が
二人の心を温かく照らしている…というか、
二人の心の真髄を象徴しているというか…の意味合いも含めて
「夜明けの光へ」としてみました。う〜ん、どうかな?(笑)
夢霧 拝(06.04.18)
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