◇ あの夢の輝きを共に・・・ ◇


「イザーク ! ノリコ ! それに、ああ、皆、また会えて嬉しいよ!」

ザーゴから戻ったイザーク達一行を、ガーヤは満面の笑顔で出迎えた。



イザークとノリコ、そしてバラゴ、アゴルとジーナ達は、今、グゼナの首都セレナグゼナにいた。
東大陸から戻ったものの、一息つける暇もなくザーゴへと向かい、ジェイダ左大公への報告を完了し、
そして、アレフやグローシア達と久々の楽しいひと時を過ごした後、グゼナにやって来ていたのだ。

ここセレナグゼナには、双子の巨漢姉妹・・・ガーヤとゼーナがいる。
ゼーナは、この地で再び国お抱えの占者として活躍しており、アニタやロッテニーナも共に、助手として
ゼーナを助けていた。そしてガーヤは、ここで姉ゼーナを手伝いながら、イザーク達の到着を待っていた。
彼等の到着をガーヤは心から喜び、二人を抱き締めて出迎え、約半年振りの再会、つもる話に華も
咲いた。

「あんた達が来るのを姉さんの占いで知った時は、小躍りして喜んだよ。よく戻って来てくれたねぇ〜」

余程嬉しかったのか、この台詞をガーヤは何度も二人に言った。特にノリコは、その度にガーヤに
抱き締められ、頬擦りまでされてしまう。更に、イザークに対しては、ガーヤも話したい事が山ほど
あるのか、夕食の後、「後で大事な話があるから、イザーク、時間作っといておくれよ」と、念を押す。
その念押しの際のガーヤの表情たるや・・・、イザークが思わず後ずさりしてしまうほどの迫力があった。


・・・だが、何故、ガーヤがイザークに念を押す必要があったのか・・・
それは、皆との会話の中でのバラゴの台詞に、事の発端を見ることになる。


ゼーナの館の居間に皆で集い、談笑に華を咲かせていた時、

「なぁ、ガーヤ。イザークはなぁ、翼竜並なんだぜ」

バラゴがニヤニヤしながら、皆の前でそう告げた為、イザークは飲んでたお茶を噴出してしまう。
これにはアゴルも、ぶっと笑うのを隠せなかった。そしてガーヤとノリコ、更にはジーナも、怪訝な表情で
バラゴとイザークに注目したので、イザークは赤い顔でバラゴに詰め寄る。

「バラゴっ! おまえ、また・・・余計な事をっ・・・」

恥ずかしさと怒りとで綯い交ぜ状態のイザークに追いかけられ、バラゴはニヤニヤしながら逃げ回る。

「翼竜並って、いったい何の話なんだぃ」

勿論訳の解からなかったガーヤは、ノリコ達に訊ねた。そして無言で首を傾げるノリコに代わり、
アゴルがコロポリの町での顛末を掻い摘んでガーヤに説明する。その話を聞いたガーヤは、

「そりゃあ確かに・・・翼竜並だねぇ・・・」

と、感心とも呆れたとも取れるような声を洩らした。
そしてノリコに向かって、

「あんた達、三年近くも付き合ってるのに、まだデキてなかったのかぃ?」

と、これまた呆れながらこぼしたのだが、言葉の意味を知らなかったノリコもまた、

「は?・・・あの・・・コロポリの町の宿でもお客さんに訊かれたけど、意味が解からなくて・・・
 ・・・おばさん、《デキ・・てる》ってどういう意味なんですか?」

と逆にガーヤに訊ねたものだから、ガーヤもアゴルも更に苦笑してしまった。

「そうかぃ、この言葉は知らなかったのかぃ・・・まあ、敢えて特別教えるような言葉でもないしねぇ。
 イザークも、あんたに言葉を教えたはいいけど、これだけは教えなかったと見えるね」

そう意味ありげな表情で含み笑いをしたので、ノリコは顔中はてなマークにする事しか出来ず、
それがガーヤとアゴルを更にぶっと噴出させてしまう。

その後、半ば虚脱の態で戻ってきたイザークに、ガーヤはすかさず鋭い突っ込みを入れた。

「イザーク、あんた、まだノリコとデキてなかったのかぃ」

ガーヤのその言葉は、イザークを凍りつかせるのには充分だった・・・。

更に、事情を飲み込めないでいるノリコが席を立ち、

「イザーク、どうしたの?・・・何処か具合が悪いの?」

と、心配げに彼に駆け寄ったので、イザークは言葉に詰まった。
情けなくも真っ赤になった顔はなかなか元に戻らず、

「い、いや・・・その・・・そうでは・・ない・・が・・・・」

と、説明に窮し、こんな単語の羅列に終始した。これでは申し開きにも劣る。
その様子を見ていたガーヤとアゴルがまたも噴出し、そして、扉の所に寄り掛かっていたバラゴがニヤニヤして
いたのは、言うまでもない。

尚、ゼーナに至っては、この様子を終始呆れながら見ており、訳が解からず皆のやり取りを伺っていた
ノリコとジーナは、きょとんとしながら首を傾げ、お互いに顔を見合わせるだけだった。




「ねぇノリコ、さっきは何賑やかに話ししてたの? 私達、ここで書類の整理をしていたから、そっちに
 行けなかったのだけど、居間の方では随分と話が弾んでいたようね?」

夕食の後、ノリコは、アニタやロッテニーナと共に、ゼーナの資料室にいた。
ゼーナのたくさんの書物や、資料の整理をしている二人の手伝いを買って出たのだ。
そして奥の書斎には、居間から戻って来たゼーナもいる。

「んー・・・何だかよく解からないの。バラゴさんがイザークをからかって、それでイザークが怒ってバラゴさんを
 追いかけて・・・ あたしもガーヤおばさんに言われたんだけれど、それが、言葉の意味が解からなくて・・・」
「へぇ〜、あの冷静沈着なイザークがそこまで怒るなんて・・・珍しいんじゃない?」
「でも、意味の解らない言葉って何? ノリコはこっちの世界に来てもうだいぶ経つのに、それでもまだ
 解らない言葉があるの?」

アニタとロッテニーナに相次いで質問され、ノリコは少し困ったように微笑う。

「そうね・・・イザークは普段滅多な事では感情的にならないから・・・確かに珍しいかも・・・。
 それから、解からなかった言葉は・・・・・」

ノリコがそこまで言った時、奥の書斎からゼーナが顔を出した。

「ノリコ」
「あ、ゼーナ様・・」

ゼーナの言葉に、アニタとロッテニーナは共にゼーナの方に注目した。
ノリコも同様に、ゼーナに視線を向ける。

「あんた達、おしゃべりはそれくらいでね。今日中にここの部分をやっておかないと、明日にまで
 ずれ込んでしまうよ?」

資料の整理は、些かにも膨大な量になっていた。それで、見かねたノリコが助け舟を出した訳だったのだが・・・・。

「はぁ〜い、すみませんゼーナ様。急いでやってしまいますね」

微笑ってそう言いながら、アニタとロッテニーナは作業を再開した。

「すみません、あたしが来たら反って二人の手が止まってしまって。頑張ってここ片付けちゃいますね」

ノリコは、申し訳無さそうにはにかみながら頭に手を遣り、出されている資料のファイリングをしていく。
尚も微笑みながらゼーナが近づいたので、改めてノリコは問いたげに若干首を傾げたのだ。

「ゼーナさん?」
「ノリコ、・・・その言葉の意味は、イザークがきっと教えてくれるだろうから、心配おしでないよ、ね?」
「え・・・」

ノリコにそっと耳打ちし、身体を離すと、ゼーナはにっこりしながら「じゃあ、そこ頼むね」と言い、
また奥へと戻って行った。

ノリコは暫し何も言えないまま、ゼーナの去った書斎の方を見つめていた・・・









(・・参ったな・・・)


深いため息を漏らす、殿方がここに一人。

刻限は、宵の頃をだいぶ過ぎようとしていた。


ゼーナの館の外、庭のベンチに一人腰掛け、イザークは物思いにふけっていた。
館の方には勿論灯りが灯っている。そして、背を向けているゼーナの書斎の方からは、アニタやロッテニーナの
声に混じり、時折ノリコの声も聞こえてきていた。

顔だけ振り返り、そちらに視線を向けながらも、イザークは先程の顛末について考えずにはいられなかった。
端整な眉が顰められる・・・・


(・・ったく・・・言いたい事を言ってくれる・・・)


どうしてこう、自分の周りの奴は・・・お節介というか、お人よしというか・・・そういう奴らが多いのか・・・
そんな事を考え、ため息がまた漏れる。
さっきから何度となく同様のため息をついていた。そして、情けない思いに駆られたのだ。



「イザーク」

ガーヤの声。館の方から歩いてきたのは、ガーヤだった。

「こんなところにいたのかぃ、イザーク、探したよ」
「ガーヤ・・・」

ガーヤは、イザークよりやや離れた場所に、どっこいしょと腰を下ろす。

「説教なら、止めてくれよ・・ガーヤ・・・」
「いやいや、何も説教なんてしやしないさ」

イザークの物言いに、ガーヤはそう言って微笑う。

「あんたのことだから、ちゃんと考えてるんだろ? ノリコとの今後の事をさ」
「・・・・・・・」

ガーヤの言葉に、イザークは苦笑を漏らし、その顔を伏せる。
暫し黙り、考えるように間を置いた。

「・・・ずっと・・・言わねばならないと・・・そう思っていた・・・ 本当はもっと前に、言ってしまった方が
 良かったのかもしれない・・・ だが、なかなか言い出せないまま、今まで来てしまった・・・」

自嘲気味の笑みを作り、言葉に重ねる。

「イザーク・・・あんた、何を躊躇っているんだい?・・・今更心配ごとなんて何も無いだろうに・・・」

苦笑したまま、イザークは首を横に振る。そうして顔を上げ、視線を遠くに遣った。

「・・・ノリコは、あれからも、ずっと俺の傍にいてくれた。それが嬉しかった・・・ だが、この旅が
 終わった後も、あいつと一緒にいてもいいのだろうか・・・、本当に、元の世界の親の元に返して
 やらなくてもいいのだろうかと・・・時々どうしようもなく、不安になる・・・」
「イザーク・・・」
「・・・こんなことを言えば、滑稽に思われるかもしれん・・・ だが、あいつの家族の事を考えると、
 俺はとんでもなく酷い事をしているのではないかと、思えてしまう・・・いくら・・・手紙や日記で
 無事な事を知らせているとしてもだ・・・ そんなものよりも、きっと、逢いたいと思っているに
 違いないんだ・・・」

ガーヤはイザークの話す言葉にじっと耳を傾けていた。
だが、おもむろに口を開く。

「イザーク、あんたはどうしたいんだい?」
「・・え」

不意にそんな事を訊かれ、イザークはガーヤに視線を戻す。

「ノリコや、ノリコの家族の事を真っ先に考えるあんたの気持ちは解かるよ・・・だがね、あんた自身は
 一番にどうしたいと思ってるんだぃ? イザーク」
「ガーヤ・・・」
「どうもあたしは、あんたが人の事を考えるあまり、自分を犠牲にして苦しんでいるように思えて
 ならないんだよ・・・ あんたはノリコを、向こうの世界に返したいのかぃ?」
「!・・・それは・・・」
「ノリコがあんたと共に歩もうとしているのは、もう解かっている事じゃないか。それとも、ノリコの事が
 信じられないのかぃ?」
「っ・・それは違うっ・・・そうじゃない・・・・俺は・・・」

否定の意で首を振った。だがその次の言葉が出ず、瞳を閉じる。その眉が苦悩を表すように歪められる。
漸く吐いた息は、やっと絞り出したかのように苦しげだった。

「あんたは今まで、いろんな意味で自分を制御してきた。ノリコに対するあんたの態度を見てても、
 それがよ〜く解かるよ」
「・・・・・・」
「だがね、男と女が一緒になるのに、何の理屈が必要だい? あんたは本当に、充分過ぎるほど
 ノリコにその誠意を示して来たじゃないか、イザーク」
「・・誠・・意・・・」
「まぁ、ノリコと出会う前のあんたは、それこそ、人付き合いにも縁が薄かったんだから、そりゃ不器用なのも
 解かるけどね、ことノリコに関して言えば・・・あんたはもう、誰に遠慮する必要も無いし、ノリコに対しても
 もっと我侭になってもいいとさえ、あたしは思っているんだよ」

イザークは、ガーヤを見つめた。

「あんたがノリコを大事にしているのもよく解かる。大切なものを得るというのは、嬉しい事さ。だけど
 時として、どうしようもなく切なく感じる事もある。もどかしくてしょうがないってね」
「・・ガーヤ・・・」
「そうじゃないのかい? 今のあんたの心境はさ」

全てを見透かしたようなガーヤの言葉に、イザークは目を見開き、それから・・・顔を伏せた。

「ノリコなら、これからもあんたに随いて来る筈だろうよ。あの時、あんたが元の世界に返せるんだと伝えた
 時だって、あんなにあんたと離れるのを嫌がったじゃないか。ノリコはいつだって、あんたの事を見ているのさ。
 ・・・何にも不安に感じる事はないじゃないか」

そう言うと、ガーヤはイザークの肩をポンポンと叩く。

「本当にあんたは、不器用で、真面目で、イイ男だよ。・・あんたがノリコと一緒になるのが目に浮かぶねぇ・・・」

思いを馳せるように目を細め、屈託無く笑った。

「・・・ガーヤ、・・・俺は・・・まだまだ未熟だ・・・どうしようもなく脆い・・・」
「な〜に言ってんだいっ、あんたがダメな男なら、この世の男はみぃ〜んなダメ男だよっ!」

叱咤しながら、ガーヤはイザークの背中をバシッと叩いた。

「それにねイザーク、完璧な人間なんて、何処にもいないんだよ。それはノリコにだって言える事さ」
「違う。・・・ノリコは俺よりも人間がずっと出来ている・・・あいつは、俺なんかよりも・・ずっと優れている・・・」
「はっ! のろけるのはいいけどね。そのノリコをずっと守ってきたのは、あんたなんだよ? イザーク」

ガーヤの言葉に、イザークは瞳を見開いた。

「あんたが自分よりも優れていると感じているノリコが、一番頼りにしているのは、いったい何処の
 誰だと思ってるんだい?」
「・・・・・・」
「・・・他の誰でもない、あんたじゃないか、イザーク」


風が、ゼーナの庭にも吹き抜ける。夜の涼しい風が、さやさやと・・・流れていく。
心を洗うかのような、涼しい心地良い風が、心の中の迷いも、洗うかのように・・・・・


「ノリコが一番信頼し、愛情を持っているのは、イザーク、あんただけなのさ。あんたはいつだって
 あの子の一番近くにいるのに、そんな事にも気がつかないでいるのかぃ?」

ガーヤは、カラカラと笑う。

「・・ぃ・・いや・・・」

若干顔を赤らめ、イザークは視線を伏せた。


「ああ、今夜はいい月夜だねぇ・・・・」

夜空を見上げながら、ガーヤが呟く。ゼーナの書斎に視線を移し、聞こえてくる女の子達の
会話にも耳を澄ませる。

「ノリコの声も聞こえてくるねぇ〜、姉さんの資料整理にノリコは役立ってくれているようだ。
 整理しなければならない物がちょいとばかし膨大になってたからねぇ。助かるよ、ほんとに・・・」

イザークも、書斎に視線をやや移す。窓のカーテンに影が時折映し出され、それを見て、また視線を伏せた。

「ノリコに手を出さないで来たのは、・・・家族への気兼ねからかぃ?」
「っ・・・・」

虚を突く鋭い質いに、イザークは視線を上げる。が・・・言葉に詰まり、その顔も赤く、そんな自分を
覆い隠すかのように、再び俯いてしまった。
質いには応えられず、それ以上何も言葉を継がず、そのまま黙ってしまった。

そんなイザークを見て、ガーヤは言葉を続ける。

「イザーク・・・幸せなんてものはね、自分で掴みに行かないと、そしてしっかり掴まえてないと、いつでも
 するりと逃げてしまうものなんだよ?」

ピクリと震えた。イザークの瞳の光が切なげに揺れる・・・

「それに、言葉で言わなければ伝わるものだって伝わらない。自分の気持ちは、声に出して言わなければ、
 何も思ってないのと一緒さ」
「・・・・・・」

「本当にあんた達ときたら、互いに遠耳でやり取りが出来るってのに、肝心な時に肝心な事が
 伝えられなくなっちまうんだからねぇ・・・」

ガーヤは、そう言うと、またもカラカラと笑った。

その笑い声が、庭に響く・・・



・・・月は中天に来ていた・・・そして空には満天の星が瞬き、小さな癒しの光を注ぎ続ける・・・――――









館の中の一室・・・灯りもつけずに、イザークはベッドに仰向けになっていた。

月明かりが部屋の中ほどまで、入り込んでいる・・・・



説教しないと言いながら・・・結局説教になってたじゃないか・・・

ガーヤのお節介を思い出しながら、ふっ・・と微笑う―――


・・・戻ってきたら言おうと・・・そう思っていた・・・ だが・・・

ここへ来て、急に己の不甲斐なさを・・・まざまざと思い知る事になろうとは・・・

ガーヤの数々の台詞・・・・・・それが、いちいちもっともで・・・

何も言えず、黙って聞く事しか出来なかった・・・・・・


心の隅から追い出すことの出来ない・・・微かな迷い・・・

もう心は、決まっている筈なのに・・・

もう不安なんて、何も無い筈なのに・・・

その小さな迷いは、ある時、巨大な剣となって己を斬りつけ、

そして・・・心に大きな空洞を作るかのように・・・深く抉り・・・血を流させる・・・・


ため息がまた漏れた。何度となく出てくるため息・・・・・数えるのすら、当の昔に諦めた・・・

・・・苦い笑いだけが、己を嘲笑するかの如くこみ上げてくる。


額に手の甲を当て、じっと目を瞑った。



――――ノリコに手を出さないで来たのは、・・・家族への気兼ねからかぃ?・・・



あいつには、自分の暮らしていた世界がある・・・

・・・・・・もしも、あいつが、やはり元の世界に帰りたいと言った時・・・
あいつを、・・・きれいな身のままで、戻してやらねばならん・・・

その為には、俺との関りなど・・・無い方がいいのだと・・・・



――――だがね、あんた自身は一番にどうしたいと思ってるんだぃ?・・・



っ・・・・

閉じていた目が再び開かれる・・・・・・―――

・・・俺は・・・・・



――――幸せなんてものはね、自分で掴みに行かないと、いつでもするりと逃げてしまうものなんだよ?・・・



起こした半身が、鉛のようだ。

「・・・俺は・・・・・」

端整な眉が寄せられる。
再び目をぎゅっと閉じ、自らの目元と額を掌で押さえた。









翌朝――――


朝食後にノリコは、再びゼーナの書斎でアニタやロッテニーナと共に、資料のファイリングをしていた。
だが、その表情は、やや硬い。

(・・・何だか・・・今朝のイザーク、ちょっと様子が変だったな・・・ 昨日の事、気にしてるのかな・・・)

何となく元気が無さそうだった。それをノリコはとても心配していたのだが、イザークは何でもないと
言うだけだった。

(・・・ガーヤおばさんや、バラゴさん、アゴルさんに訊いてみても、大丈夫だから放っておけと言うし・・・
 ゼーナさんは、昨夜のように微笑うだけだったし・・・本当に大丈夫なのかな・・・)



書斎の窓からは、朝の心地良い陽差しが射し込んでいた。

ノリコは思わず瞳を閉じる。

(あぁ、気持ちがいいなぁ〜・・・ 役目を果たした後って、本当に清々しい気持ちになれるんだよね・・・
 ・・・元凶を倒した時、雲が晴れ渡った時に感じたあの気持ち・・・同じ・・・ この世界の役に立てて、
 嬉しいな・・・)

窓を開ける。庭の方からは、鳥のさえずりが聞こえてくる。庭の花の香りも心地良い。

(ここの整理が終わったら、お花畑にでも行ってみようかな・・・、イザークを誘ったら、一緒に行って
 くれるかな・・・気分転換になると思うんだけど・・・)

「あぁ、気持ちのいい風が入ってくるねぇ〜」
「そうですね、ゼーナ様。こんな天気の良い日に中での仕事だなんて、勿体無い気がするわ」
「ふふふ。そりゃ昨日のおしゃべりが遅れた原因だろ?」
「でも、久し振りにノリコが戻って来たんですもの。やっぱり話しちゃうわよねぇ〜」

ゼーナや、アニタ、ロッテニーナの言葉に、ノリコは微笑う。

「まぁ、いいよ。急ぎのって訳じゃないからね。でも、遊びに行きたいのなら、やはり急いで
 仕上げることだね?」

ゼーナは悪戯な表情で微笑う。




「ゼーナ、いるか?」

扉をノックする音と共に声・・・
書斎の扉のところに現れたのは、イザークだった。
その肩には、雌と雄のチモが乗っている。

「・・・イザーク・・」

イザークを見つけたノリコの表情が明るくなる。イザークもノリコを見つめて微笑う。

「あれ、イザーク、どうしたんだい?」
「資料の整理、忙しいか? ゼーナ・・・」
「そうだねぇ、もう少しでキリの良い所まで終わるけどねぇ。何か急用かい?」
「忙しいところすまない。今日一日、ノリコを拝借したいのだが、いいか?・・」

穏やかに微笑いながら、イザークは告げた。
ノリコは少し驚き、アニタやロッテニーナとも顔を見合わせる。

「いいも何も・・・・あんた達のデートの邪魔はしやしないよ。・・・ま、確かにノリコは、手離すには
 非常に惜しい助け手だけどね。連れて行くといいよ」

ゼーナは悪戯に片目を瞑ってそう応えると、ノリコの背中に手を掛けた。
ノリコの頬が赤くなる。

「ゼーナさん・・・でも・・・、」
「行っておいで?今日はいい天気だから、楽しい時間になるだろうさ・・・」

「いいなぁ〜ノリコは。あたしたちもステキな彼氏が欲しいわぁ〜」
「ホント、ホント。」

アニタとロッテニーナが羨ましそうに言う。
二人のそんな言葉にも、ノリコは頬を赤く染める。

「帰ってきたら俺も手伝おう、ゼーナ。それで借りは返す。・・・じゃあ、行くぞ、ノリコ」
「あ、はぃ・・・」

手を差し伸べたイザークにノリコは従う。

「すみません、ゼーナさん。じゃあ、ちょっと行って来ます」
「ああ、行っておいで」

ゼーナはにっこり微笑う。
そして、ペコリと頭を下げ、ノリコは、出て行くイザークの後に続いた。



「あ〜あ、ホントにノリコが羨ましいわ〜」
「ホントねぇ〜」

アニタもロッテニーナも、互いに頷き合う。

「さぁさ、今日中に仕上げてしまうよ。おしゃべりはもうおしまい」

ゼーナの一声で、アニタとロッテニーナは「はぁ〜い」と長い返事一つして、
微笑いながら、作業を再開した。

二人が出て行った扉の方を見て、ゼーナはにっこり笑っていた。




「イザーク・・・チモを肩に乗せてるけど・・・何処かへ遠出するの?」

外に出た時に、ノリコがイザークに訊いた。
ノリコの質問に、イザークは微笑いながら応える。

「ああ、ノリコに見せたい場所があってな・・・一緒に行ってくれるか?・・・」
「見せたい・・・場所?・・」
「・・昔、俺がまだ小さかった頃住んでいた場所に、程近い・・・・ 家を抜け出しては、よくそこで
 過ごしていたものだ・・」
「イザークの小さい頃?・・・」
「ああ・・・」
「・・・よく行ってたって事は、そこはイザークのお気に入りの場所なの?」
「そうだな・・・そう言えるかもしれん」
「行きたい。連れてって、イザーク」

ノリコはイザークを見上げると、笑顔で応えた。イザークも笑顔で頷く。

「じゃあ、行くぞ・・・俺にしっかり掴まっていろ・・」
「うん。」

ノリコはイザークの表情が穏やかなのを見て、今朝の事は、自分の取り越し苦労だったのだと
思い、ホッとする。そして、彼の背中に手を廻し、その胸に、嬉しそうに、ぱふっ!と顔をつけた。

ノリコの身体をしっかりと抱き留め、イザークはその場所を思念にして思い浮かべる。


その思念にチモが反応し、チチチッと鳴いた。

シュンッ・・・――――! その場の空気が一瞬、渦巻くように変化する。

そして、二人の姿は、シンクロでその場から瞬時に消えた。




庭から館に入る廊下の辺りには、ガーヤとバラゴが佇んでいた。
二人とも、ニヤリと微笑うような仕草・・・
そして、後から、アゴルもやってきた。

「二人は出かけたのか? ガーヤ・・」
「ああ、たった今ね」
「ホントにあの二人は、いつ見てもじれったいんだよなぁ〜」
「・・・ガラが悪いね、あんたも」
「ガーヤだって、同じ気分なんだろ?実際のところはよぉ〜」
「まあね、昨夜はあたしもイザークに説教しちまったからねぇ〜、ふふふ」
「だがまあ、これでイザークも、腹をくくれるんじゃないか?」
「そうだな」

ガーヤ、バラゴ、アゴル・・・それぞれに思い思いの事を言っては、楽しんでいるようだ。
そして、バラゴが含み笑いをこぼす。

「どうしたんだい? バラゴ・・・ニヤニヤしちゃってさ」
「いや、・・・帰って来たあいつを、またからかえるんじゃないかと思ってな・・・
 それに、今後の事を考えると、楽しくてしょうがない。あいつの顔が目に浮かぶぜ」

そう言いながら、バラゴは尚もクスクス笑う。

「・・・あんたってホントに、ガラが悪いね」

ガーヤは、呆れたような微笑いを浮かべる。そしてアゴルが、その後に言葉を繋いだ。

「いや、バラゴだけじゃない。俺も実は今後が楽しみでな・・・」
「なんだい、アゴルもかぃ?」
「ああ、それにな、ジーナの方がもっと楽しみにしてるんだ」
「へぇ〜、ジーナがねぇ。でも解かるね、あの子はノリコが大好きだからさ」
「ああ」
「そういうガーヤはどうなんだ? 俺たちと気持ちは一緒なんじゃないのか?」

バラゴはガーヤにも振った。

「ああ、そうさ。決まってるじゃないか」

そう言いながら、ガーヤも面白可笑しそうに笑うのを止めなかった。


さて、この三人はいったい何を考えているのやら・・・・

それを知るのは、もう少し後の事となる。









さやさやと、優しい風が木々の間を渡り、そして陽の光が心地良く注ぐ・・・

そこは●国、ギステナの町からずっと奥地へ入った・・・緑豊かなところ。

小高い丘の上の・・・そのまた山になっている場所、そこに、イザークとノリコはシンクロアウトした。

空気が一瞬渦巻き、二人の髪が揺れる・・・・――――



しっかりとイザークにしがみついていたノリコは、顔を上げると、ふぅーーっと息をついた。
イザークはそんなノリコを微笑ましく見つめる。

「大丈夫か、ノリコ」
「ええ、大丈夫。ふふふ、シンクロ久し振りだったから・・・ もう着いたの?」
「ああ、この下に見えているのがそうだ」

そう言って、イザークは彼方の方に視線を移す。
イザークの仕草に、ノリコも振り返ってその景色を見た・・・――――


・・・――――!


(・・・えっ・・・)


ノリコは、瞳を大きく見開いた・・・

イザークから身を離し、一歩一歩ゆっくりと歩を進め、眼下に拡がる、遥か彼方まで見えているその景色に、
まるで心奪われたかのように見入った。



-- illustration by melt様 --
大きい画像は、『TREASURE』へどうぞ


「・・・ここが、俺が幼い頃よく過ごしていた場所だ。・・・流石に幼少の時の記憶だから、日々にどんな暮らしを
 送っていたのかは、殆ど覚えてはいない。・・・だが、他の事はあまり記憶に残ってないのに、ここの情景だけは
 今でもはっきりと思い出せる。・・・不思議な事だがな・・・・
 ノリコにも、是非見ておいて欲しいと思っていた。今まではそんな暇も無かったが、やっと叶えられる・・・」

イザークの話す言葉を聞き、ノリコは放心したかのように呟いた。

「イザーク・・・下に降りても・・・いい?・・・」

ノリコの口調に、いつもと違う様子を感じ取り、イザークは訝る。

「ああ、それはいいが、・・・どうした? ノリコ・・・」

ノリコは黙っている。その身体が少しだけ震えているようだ。そして、ようやく言葉を繋ぐ。

「ええ・・・下に降りて・・・よく見てみたいの・・・この景色を・・・」

ノリコの表情には、ただならぬものが感じられた。だがイザークは、訝りながらもノリコの傍まで歩み寄り、
彼女をそっと抱き上げた。ノリコもイザークに掴まり、彼の顔を笑顔で見上げる。その表情を見つめ、
イザークは、少し安心したかのように微笑う。

「じゃあ、降りるぞ」

そう言うと、跳躍を繰り返し、崖下まで降りた。



下に降りたイザークは、暫くそのままノリコを抱いていた。
ノリコもまた、イザークに抱き上げられたままで、景色を見ていたが、

「イザーク、下ろして貰ってもいい?」

そう訊く。そしてイザークは頷き、ノリコをそっと下ろした。


ノリコは歩を進め、そして再び、空を見上げる。

その眩しさに手を翳し、そして目を閉じ、手を下ろすと、空気をいっぱい吸い込み、深呼吸した。


ノリコが見た・・・その景色・・・


(ああぁーーーー・・・・)


ノリコの目尻から、涙が滲み、・・・そしてひとすじ、流れ落ちる・・・



―――・・・それはそれは・・・ きれいなところで・・・


―――・・・透き通るような花が咲いて・・・ 小川が流れて・・・


―――・・・彼方には金色に輝く 鳥の姿・・・


―――・・・蒼はなんとも言えない・・・ 蒼い蒼い色・・・


―――・・・穏やかな顔をした動物たちが・・・ 暮らしている・・・ 



(・・・夢で見た・・・あの景色だぁーーーー・・・・)


思わず、両手を口に当てる。嗚咽まで、漏れてくる。

ノリコの涙に、イザークは心配して声を掛けた。

「ノリコ・・・どうしたんだ、何故泣く・・」

イザークの言葉にノリコは、ようやく振り返る。
その華奢な肩にそっと両手を沿え、イザークは、顔を覗き込むように彼女を見つめた。

「どうした?・・・ここの景色がどうかしたのか?・・・」

ノリコは顔を上げ、少し照れくさそうに微笑い、そして、涙を拭う。

「・・・一緒なの・・・あたしが夢で見た・・・素晴らしい景色と・・・ここが・・・」

そう告げながらも、ノリコの瞳からは、尚も涙が止め処なく流れてくる。

「・・・夢?」

ノリコは頷く。

「びっくりしちゃった・・・あまりにも夢で見た景色と同じで・・・あの景色を実際に見れるとは思わなくて・・・」

そうして、ノリコは再び振り返り、涙を拭いながら、目の前に拡がるこの素晴らしい景色を堪能する。

「夢で、見たことがあるというのか?・・・ここの景色を」
「うん・・・」

「あたしが、まだ元の世界にいた時・・・・毎日のように見てた夢・・・ 空の蒼・・・なんとも言えない蒼。
 そして、小川・・・ それから動物たちがいて・・・ 透き通るような不思議な、でもとても綺麗な花・・・
 綺麗なところ・・・ それから・・・ 鳥・・・」
「鳥?」
「そう・・・金色に輝く翼を持つ鳥・・・陽の光にキラキラ輝いて、とても美しい・・・鳥・・・」

「不思議だったな・・・毎日同じ夢を見てて・・・ この世界に飛ばされる前日の夜まで、その夢を見てた・・・
 自分の世界とは違うなっていうのは解かるけど、とても綺麗なその情景に、心魅かれてたの・・・」
「元の世界で、ここの夢を・・・見ていたのか・・・」

イザークの言葉にノリコはまた頷いた。

「だからね、びっくりしちゃったの。最初の樹海があんなところだったでしょう? 夢で見たステキな
 景色とは全然違っていたから、ショックでショックで・・・ふふふ」
「・・・ああ、そうか。・・・いきなりあの花虫ではな・・・」

イザークが納得したようにそう言い、二人とも笑った。

「そうか、ここを夢で見たのか・・・ 不思議だな・・・ 知らない場所の筈なのに・・・」
「うん・・・そうよね・・・本当に不思議・・・ でも凄く嬉しい。それに、ここがイザークのお気に入りの
 場所だったって事を知って・・・余計に嬉しいの。イザークもここの場所を知っていたなんて・・・
 単に偶然なのかな・・・それとも・・・あたしがここの夢を見たのも、何かの運命だったのかな・・・」

イザークは、そう話すノリコの姿をじっと見つめる。

「俺も・・・嬉しい。たとえ夢でも、おまえがここを知っていたことを・・・」

ノリコは微笑う。

「あ、でも、透き通る花ってあるのかな・・・? ここには草原と小川と、小さな動物達の姿は見えるけど・・・」
「ああ、それなら、『リシュタール』の花だろう・・・ 白と薄紅色の中間のような色合いで、光の当たり具合で
 透き通ったように見える。・・・少し向こうの方に群生している場所がある筈だ」
「わあ、リシュタールっていうの? ステキな名前・・・」
「・・・俺も好きな花だ。よく摘んで、持ち帰った記憶がある・・・」
「へぇ〜・・・」
「それから、鳥・・・金色に輝く鳥とは、多分、『金色緋鳥(こんじきひどり)』の事だ」
「金色・・・緋鳥?」

イザークは頷く。

「向こうに見えている山の、また更に向こう側に岩山がある。その奥の方に、金色緋鳥の巣がある。
 普段は滅多に人にその姿を見せないが、翼を広げると、金色の色合いが、素晴らしく輝いて見える。
 頭部に一箇所・・緋色の模様があるので、緋鳥と呼ばれているがな」
「じゃあ、本当にいるのね・・・金色の鳥・・・ わあ、嬉しい」

イザークの言葉にノリコは瞳を輝かせる。

「ここは年中温暖なところだから、大人しい動物達にも楽園のようになっている。花も咲き乱れ、
 本当に、自分が楽園にいるかのような気にさせてくれるところだ」
「本当・・・とても暖かいし、風も心地良くて・・・」


風が、さやさやと通る・・・

そして、二人の髪をふわりと靡かせては、また通り抜けていく・・・

(ああ、本当に・・・ まだ夢を見てるよう・・・ 家で、毎晩夢で見ていた風景が・・・目の前にある・・・)

心の中が・・・温かくなる・・・
感極まった想いが・・・何度も何度もこみ上げる・・・

そしてまた、涙・・・

心地良い気持ち・・・それが身体を走り抜ける・・・・・
じぃーんと・・・それが走る・・・

心が震え、搾り出すかのような、震える吐息。深い、そして心地良い吐息・・・


ノリコはその情景を、再びしっかりと目に焼き付けた。


「ここがこの世界に存在する地で、良かった・・・ イザーク、連れて来てくれてありがとう・・・」

ノリコは笑顔で、イザークに礼を言った。

「ノリコ・・・」
「えへ」

笑顔のまま両手を広げて歩を進め、その場と一体になるかのように、クルリと回る。

「ふふふ・・・ホントに嬉しい・・・ すごく気持ちいいよ、イザーク・・」

そう言いながらも、ノリコは何度も舞うように・・・クルリと回る・・・

ノリコの柔らかな茶色い髪もまた、彼女が回る毎に靡く・・・
陽の光を受け、髪が透けてより明るい色に見せてくれて・・・ それがとても美しい・・・



イザークは、そんな彼女の姿をじっと目で追う。

愛おしい、何よりも大切に思う・・・彼女を・・・


「ノリコ」

イザークに呼ばれ、ノリコは、回りながら応える。

「なあに?・・・イザーク・・・ふふ・・」

応えながらも嬉しそうに微笑いながら回る。



「・・・・・・俺と・・・一緒になって・・・くれるか?・・・ノリコ」



・・・――――!


イザークの言葉に、ノリコの動きが、ひた・・と止まる。

「・・・ぇ・・・・・」

笑顔が消え、驚いた顔で彼女はゆっくり振り返る・・・
そしてイザークもまた、穏やかではあるが、その表情は真剣だった。

「イザーク・・・今・・・なんて・・・」

見開いた瞳のまま、訊き返す。

「・・・これからも、俺の傍で・・・・俺の・・・家族として・・・一緒にいて欲しい・・・ノリコ・・・」

「・・・ぁ・・・」

思わず口に両手を当てる。

「ずっと・・・一緒に?・・・イザークの・・・家族として?・・・あたし?・・・」
「ああ、そうだ。・・受け入れて・・・くれるか?・・・」


見開かれた瞳から、涙が、ひとすじ・・・またひとすじ・・・
そして、溢れたそれは、止め処なく流れ落ちる。


「・・・ぅ・・・」

伝えたい言葉がたくさんあるのに、それが出てこない。
普段ならイザークよりも遥かにおしゃべりな筈なのに・・・・ 言葉が出てこない・・・

出てくるのは、ただ、感極まった涙だけ・・・・――――

だが・・・

「ノリコ・・・?」

イザークは、ノリコがぼろぼろと涙を流すのに、うろたえてしまった。
彼女に近づき、その肩にそっと手を添え、心配そうに見つめる。

「どうして泣く?・・・・ひょっとして・・・やはり、元の世界に・・・帰りたいのか?」

昨夜の悩んでいた心配事が、つい口から思わず出てしまう。

その言葉に、今度はノリコが慌ててしまう。
顔を上げ、涙に濡れた瞳のまま、首を左右に振る。

振る事だけしか出来ない。何度も何度も左右に振る・・・

そして・・・

「・・・イザークっ!」

大好きな人の胸に、飛び込んだ・・・・・・・・・


樹海で初めて出会った時にも、こうして彼に抱きついた・・・
あの日・・・この瞬間が来ようなどと、どうして予想し得ただろうか・・・

あの日と同じく、こうして抱きつき、ノリコは彼の背中をぎゅっと掴んだ。
涙が止まらない。

「イザークっ・・・イザークっ・・・」

名前を呼ぶことしか出来なかった。・・・それ以上の言葉が出てこなかった。

だが、イザークにはそれで充分だった。
彼もまたノリコの身体をしっかりと抱き締める。

「ノリコ・・・俺の傍にいてくれ・・・これからも・・・ずっと・・・」

ノリコは、うんうんと、何度も何度も頷いた。
イザークは尚も、大切そうにノリコを抱き締める。彼の目尻にも光るものが見えた。
それは、穏やかな、暖かい涙・・・・ そして、安堵したかのように、深く息をつく・・・・

イザークの心にも、光がまた射し込んでいく・・・――――


穏やかな風が流れ、小さな動物達も、彼等を祝福しているかのようだった。

そして、滅多にその姿を見せない・・・金色緋鳥。・・・それが彼方から翼を広げ、
陽の光を受け、やはり金色に輝かせながら、その姿を現した。

一声、通る鳴き声を上げ、二人の遥か上空を優美に飛ぶ・・・・

彼等二人を祝福するかのように・・・・―――――









――――・・・

「あたしが元の世界に帰るって・・・そう言うと思ってたの?」

少しの後、落ち着いたノリコは、イザークの心配事を聞き、驚いた顔で訊いた。

「まぁ・・そういう事になる・・・ノリコの家族も、きっとおまえに逢いたがっているのではないかと
 それが気になってな・・・」

それを聞いて、ノリコの表情が穏やかなものに変わる。
イザークを見上げると、笑顔で、応えた。

「向こうの家族には勿論逢いたい。それにきっと向こうも同じ気持ちだと思う・・・」
「ノリコ・・・」
「でもね、もし、あたしが向こうの世界に帰る事があるとすれば・・・それはきっとイザークと一緒・・・」
「え・・・」
「『いつか二人で、おまえの世界に行けたらいいな』・・・そう言ってくれたよね?」
「ノリコ・・・ ああ、そうだ・・・おまえと二人で・・・そうだったな・・・」

ノリコの笑顔に、イザークも穏やかに微笑う。

「あたし、ずっとあなたの傍にいたいと思ってた・・・ 勿論、あなたがそれを承知してくれたらだけど・・・」

「・・・ホントはね、あたしもほんのちょっとだけ不安だったの・・・旅が終わった後も、ずっとあなたの傍に
 いさせて貰えるのだろうかって・・・ だから、凄く嬉しい・・・ ありがとうイザーク・・・」

ノリコの心の内を聞いて、イザークは少し慌てて自分の気持ちを吐露する。

「ノリコ・・・俺がおまえを手放したい訳がない・・・ずっと傍にいて欲しいと・・・そう思っていた・・・」
「イザーク・・・」

ノリコは、イザークの胸にぱふっと飛び込んだ。

「イザーク・・・ありがとう・・・」
「ノリコ・・・?」
「あなたの傍にいさせてくれて・・・本当に・・・ありがとう・・・」
「ノリコ・・・」
「あたし、ずっとあなたの傍にいるよ。イザークがあたしの・・・新しい家族だから・・・」

イザークは、ノリコを再びしっかりと抱き締めた。

「ノリコ・・・」

彼女が自分と同じ想いで、そして、同じく不安を抱えていたのだと解かり、イザークは嬉しかった。
そして、彼女が自分の願いを受け入れてくれた事に、感謝の気持ちが溢れた。

イザークはノリコの顎に手を添え、上に向かせる。ちょっとだけ、はにかんだ彼女の顔。
そしてそれを見つめる、イザークの穏やかな笑顔。

心に浮かぶ感謝の気持ちを、そして彼女への愛情を込めて、イザークはそっと唇を重ねた。




「実は、もう一箇所・・・おまえに見ておいて欲しい場所がある・・・」

名残惜しそうに唇を離した後、イザークはノリコを抱き締めながら、そう告げる。

「もう一箇所?・・・」
「ああ・・・」

少しだけ身体を離し、ノリコはイザークを見つめた。

「・・・付き合ってくれるか?」
「うん。・・・着いていくよ」

二人とも笑顔で見つめ合う。

顔を上げ、彼方の方に視線を向けながら、イザークはまた少しずつ語る。

「俺が、十四の歳まで暮らしていた地だ。・・・いい思い出など残ってはいないから、再び訪れる事は
 無いと思っていたが・・・今ならおまえと共に、帰る事が出来そうだ・・・」
「イザークの・・・育った場所?」
「ああ、・・・今はもう、その家は無いがな・・・ 俺を育てた父親と母親の最期の地となった所だ・・・」
「うん。連れてって、イザーク・・・」
「但し、面白い物は何も無いぞ。ここと同じように、緑や空なら腐るほどにあるがな・・・」

そう言うイザークの瞳は少し悪戯だ。

「ふふ。何処でも着いていくよ。一緒にいるって約束したもの、ずっと一緒よ」

そう語るノリコの顔にも笑顔。


「じゃあ、行くぞ。そこへ行ったら、後はゆっくりグゼナに戻ろう」
「うん。・・・イザーク、ここへも、また今度一緒に来たいな・・・」
「ああ、また来ような・・・ それから・・・」
「え・・」

少し照れたようなイザークの笑顔・・・

「帰ったら・・・何処か・・落ち着く場所を、決めないとな・・・」

それを聞いたノリコの顔が嬉しそうに輝き、満面の笑顔になる。

「うんっ!」


そしてノリコは、再びイザークにしっかり掴まり、イザークもノリコを抱き留める。
二人は、イザークの暮らしたというその場所へ向けてシンクロし、消えた。


――・・・

―――・・・イザーク・・・ 嬉しいよ・・・ ありがとう・・・


・・・夢で見たこの場所で・・・ 夢のような・・・あなたからの言葉・・・


・・・あたしは、今日のこの時を・・・ 絶対に忘れない・・・


・・・傍にいさせてくれて、ありがとう・・・ ありがとう・・・イザーク・・・


・・・これからも・・・ずっと・・・ずっと・・・ あなたの傍にいるね・・・―――




―――・・・そして、

残されたその夢の場所には、金色緋鳥が鳴きながら舞う・・・・

その優美な翼を陽の光に輝かせながら、再び彼方へと飛び去っていった・・・――――




(了)




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++ あとがき ++

前回555hitリクの時よりも、少し長い作品になってしまいました。
読んでくださった皆様、お疲れ様でした <(_ _)>
今回1000hit記念になる筈でしたがご報告がなく、
1001を踏まれた Elan様 からのリクを優先させて戴きましたのが、この作品です。

2回目のキリリク小説となりました今回の作品ですが、
管理人にとってとても思い入れの深いものとなりました。
時間軸としては、前回リクの続きとして書いてます。グゼナ編です。
でもザーゴ編もこの前に書くつもりでいたのですが、これに吸収されちゃった感あり…(笑)

リクエスト内容は…
『ノリコが夢と同じ場所を目の当たりにしたときに何を想うか』でした。
原作本編冒頭部分に出てきたノリコが見た夢、皆さん解かりますか?
ノリコが現次元世界にまだいる時によく見ていた夢、あの夢の場所は、果たして
かの世界に存在しているのかどうか?…という疑問がありました。
ノリコは、その場所を訪れる事があるのだろうか?誰かに連れて行って貰えるのだろうか?
これ非常に疑問だったんです…

END後にもし行く事があるとすれば、どういう展開になるだろう?
その場所をノリコがもし見るとしたら、どう思うだろう?
…リクエストの焦点となっていた部分です。

ですがですが、ノリコの気持ちよりも、イザークさんの心理描写の場面の方が目だってないかぃ??(汗)
書いてても、冒頭部分は完全に茶化してるし、これではふざけ過ぎかなぁ〜と思ってしまい、
冒頭を書いただけでストップしてしまい、なかなか先に進めませんでした。
途中、イザークさんの苦悩とガーヤの説教…と続き、
そして一晩(?)悩んだイザークさんが決意し、ノリコをあの場所へと連れて行く…
と、こんな展開を考え文章化…
夢の場所がもしこの世界にあるのなら、いったい誰が連れて行ってくれるのか…
そこで、この場所をイザークさんにとっても縁の地と解釈して、そこへノリコを
連れて行く、そして彼の想いをそこで告げる(プロポーズ)という形に持って行きました。

夢の場所で、彼からのプロポーズ。ノリコにとっても、最大の喜びの瞬間に
なったんじゃないかと思います。
でも、泣いちゃったノリコにうろたえたイザークさん。
「君につなぐ想い」の中でも、ノリコのモノローグで出てくるエピソードの一つです。
これを繋げるのが…また一苦労…。自然に繋がって見えてるでしょうか?(汗)

金色緋鳥も二人を祝福…あぁぁ絵になってるなぁ〜…

そして、書いていきながら、あたしはまるでガーヤの気分になってしまいました。
ガーヤの歳まではまだ遥か及びませんが、ちょいと母親的心境…ぉぃぉぃ。
悩めるイザークさんに発破を掛けたくなってしまいました(笑)

リクエストを戴いたのが41日です。
頭の中でドラマを作りながら少しずつHTML化して、411日にやっと仕上がりました。
リク元のElan様のOKを戴き、本日upです。
管理人的には、凄く時間が掛かってしまった印象が強いんですが、
それでも約10日間での仕上がりだったんですね…速い方でしょうか…

お読み下さった皆様は、どんな感想を抱かれるでしょうか?是非ご感想をお聞かせください。
そして気に入って戴けますと、幸いに思います。

Elan様、リクエストありがとうございました。<(_ _)>
夢霧 拝(06.04.12)

melt様より、素晴らしいコラボイラストを戴きました。
とってもステキなイラストをありがとうございました。
これに伴い、背景及び文字色共に変更しました。
夢霧 拝(06.05.15修正、及び10.01.19再度修正)
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