グゼナの憂鬱。。 1 





・・・・・・その日、ノリコはぼぉ〜〜〜っとしていた。


それこそ何も手につかない。
生活の基本部分を全うする事すら、難しいかもしれない。

ぼぉ〜っと何かを考えているかと思えば・・・
急に思い出したかのように顔を赤くしては、首をぶんぶん横に振る。
お茶を注げば溢れさせ、ハッと気づき、慌てて顔を真っ赤にしてテーブルを拭く。
廊下を歩けば壁にぶつかり、ぶつけた鼻を押さえながらそこが壁である事を悟る。
慌てて周りを見渡しては、がっくり肩を落として首を左右に振り、また歩き出す・・・という始末。

そして・・・
案の定と言うべきか、今も彼女は壁にぶつかっている・・・。

食事の時でも、フォークを持ってはそれをぼぉ〜っと眺めているのか、
それとも心ここに在らずな状態なのか、とにかく進まない。
見兼ねたイザークに声を掛けられて、初めて我に返るという有様だ。

それは誰が見てもおかしいと思えるほどの、変調であった。




「イザーク・・・いったいノリコはどうしちゃったんだい?」

これには流石にガーヤも見兼ね、廊下にいたイザークを掴まえて問い質した。
ノリコは相変わらず、ぼぉ〜っとしながら歩いては壁にぶつかっているし、
イザークは腕を組んで苦笑しながらも、その様子を眺めているだけで・・・

「ガーヤ・・ 」
「ずっとあの調子じゃないか。・・・そう・・、あんた達が一昨日の外出から戻ってきてからじゃないのかぃ?」
「まぁな。だが、昨日から症状が一層酷くなったようだ」

応えながらも、イザークは何故かクスクスと笑っている。

「イザーク、あんたそんな笑ってるけど気にならないのかい? ・・普段ならあんなぶつかるままになんて
 しておかないじゃないか・・」
「ああ、確かに。だが、今回ばかりは俺にもどうしようもないんだ・・・ガーヤ」

と、にべもない。お陰でガーヤにはさっぱり的を射られない。

「そうやって笑ってるって事は、原因が解かってるんだろ?」
「ああ。一つは、俺が一昨日、あいつに求婚した事だ」
「はあ?? 何だぃ、そりゃ・・」
「どうやら、足が地に着かん心境らしい」

目を細めて、くくくっ・・・と笑う。その様子は、本当に可笑しそうだ。

「まあ・・・気持ちは解かるけどねぇ・・」

得心が行ったガーヤは、それでも若干呆れ混じりの表情で笑った。

「だが・・・ もう一つの原因は、ガーヤ達にも責任がある」
「え? 何だぃ? そりゃ。・・・あたしや皆が原因って、何の事だぃ?」

呆れ半分、更にはニヤリと片方の口角を上げている。そんなイザークに詰められガーヤは更に怪訝な顔をした。
最大の疑問符を顔に貼り付けているガーヤに、イザークは一昨日からの事を話して聞かせた。





それは一昨日の夕食後・・・―――――

ノリコはその頃は、まだ若干ぼぉ〜っとしている程度だった。
それでも、イザークにプロポーズされた嬉しさで、彼女が舞い上がっていたのは確かで、時折頬を赤くしては、
手で押さえニコニコっとなり、そしてまた考え、更に満面の笑みを浮かべては、一人喜びに浸っていた。

周りで見ている皆にとっても、それは微笑ましい光景で、アニタやロッテニーナにも散々羨ましがられ、
そして、ジーナには、

「ねっ・・・だから、凄く明るくて幸せそうな柔らかい光のイメージが見えたよって、ジーナが言った通りに
 なったでしょう?」

と、同じくニコニコ笑顔で言われ、ノリコは頬を手で押さえて頷きながら幸せな気分に浸っていた。

更に、バラゴがイザークを冷やかしたのは言うまでもなく・・・
バラゴには羽交い絞めにされ、アゴルやガーヤに苦笑されたりニヤニヤされるも・・・
この時ばかりはイザークも冷やかされるままに甘んじていた。

だが・・・

「イザーク、おまえもついに年貢の納め時だな〜!」だの、
「これからはもう誰に遠慮する必要はないなっ!」だの、
「ついにおまえ、翼竜並ともオサラバか〜?」だの・・・、

と、やはり羽交い絞めにされ、挙句皆に言いたい放題吊るし上げられるに至っては・・・
イザークもいささか閉口せざるを得なかったのだが・・・。



そして、庭に出て東屋のベンチで夜空を眺めながら、二人でこれからの事をいろいろ話し合っていた時・・・

落ち着き先をどこにするかイザークがノリコに希望を訊き、ノリコはあれこれ考えてとある場所を提案する。
そこは、以前にも二人が訪れた事のある地だった。

花がいっぱいで温暖な、そして気の良い人達の住む・・・――――
・・・・―――


そうした話し合いの後、ふと、ノリコがイザークに気になっていたある事を訊いた。

「そういえば、イザークあのね、・・・一つ訊きたい事があるんだけど・・・」
「ん・・どうした?・・改まって・・・」

ノリコにそう振られ、イザークは微笑いながら訊き返す。

「うん、昨日の事のね・・・」
「昨日の?」
「うん・・・皆で話していた時に、バラゴさんがあなたをからかってたじゃない? その後ガーヤおばさんに、
 あたし訊かれた事があるんだけど・・・意味が解からなかったのよね。・・・で、後でゼーナさんのお手伝いを
 してたでしょ? その時にその話題になったのだけど、アニタやロッテニーナに訊いてみようと思ったら
 ゼーナさんが、あなたが教えてくれるからって・・・そう言って、結局その時は解からず仕舞いだったの・・・」

昨日の事を思い出しながら、ノリコは言う。

「ゼーナが? ・・・・・・で、いったい何が解からないんだ?」

バラゴにからかわれた昨日の事を振られ、イザークは若干嫌な雰囲気を覚えた。
そしてその予感は、不幸にも的中してしまう。

「あのね・・・《デキてる》って、どういう意味なのかな・・・? なんかね、イザークとまだデキてないのか? って、
 そうガーヤおばさんに訊かれたんだけど・・・」
「っ!?」

ノリコのこの疑問は、イザークを硬直させるには、やはり、充分だったようだ・・・・・。

「・・・・・ノリ・・コ・・」







「ぶっひゃっひゃっひゃっひゃっ!!!」

イザークのこの話に、ガーヤは腹を抱えて笑い出した。

「笑い事じゃないぞ、ガーヤ ・・・ったく、ロクでもない事を訊いてくれる・・・」

イザークはため息と共にガーヤに振った。

「あ? ああ・・ はぁ〜笑ったあ〜、ああ〜愉快だよぉ〜、まったく・・・はっはっは! ・・はぁ〜・・・はは・・」

ガーヤは止まらない笑いをどうにか落ち着けようと、呼吸を整えている。

「・・はぁ〜、可笑しい。・・・ま、確かにそんな事も訊いたかねぇ〜・・・はははっ!
 イザーク、あんたこの言葉はノリコにはまだ教えちゃいなかったようだね?」

ガーヤは凄く楽しげだ。これにはイザークも呆れ顔を隠せない。

「当たり前だろう・・・率先して教える類の言葉じゃあるまい・・・」
「まあ、そうだろうねぇ。・・・だけど、それで教えたのかぃイザーク?」

ガーヤの質問に、イザークは小さくため息をつく。

「仕方なかろう・・・ しかし、ゼーナも随分と無責任な事を言う。ゼーナといいガーヤといい、
 あんた等姉妹は揃いも揃って・・・」
「ん? あんだって? イザーク?」

そのニタァ〜っとした顔に、イザークは一瞬詰まり、再びため息を漏らした。

「いや・・・何でもない・・」


ガーヤもゼーナも、良いようにお人好しなだけなのだ。
それが解かっているだけに、イザークもそれ以上無碍に出来ない。

親切心からのお人好しな行為は、ある意味とても・・・罪作りなのだ。





――――・・・しかし、


ノリコの無邪気な瞳は、更に罪作りだった。ましてや、その瞳でじっと見つめられては・・・。

彼女は今まで、この世界での知らない事は、大体が殆どイザークに訊ねてはその都度解決してきた。
彼女に質問されて、これまでイザークが嫌な顔をした事は一度だって無かったし、この世界の習慣や
言葉についても、文句など一切言わず、彼女に付き合って一つ一つを丁寧に教えてきた・・・・。

だから、今度も解からない事をイザークに訊ねた訳だ。

無論、ゼーナにそうしろと言われた所為もあるのだが、彼女には悪気も、この質問での大意も一切無い。
それこそ、ただ知らない言葉を訊いているだけなのだ・・・・。

だが、訊かれた側のイザークにすれば、これほど説明に窮する質問は他には見当たらないかもしれない。
・・・実際、この時のイザークは正にそれに圧され、言葉に詰まっていた。


幸か不幸か彼女自身の純潔を今まで保って来られたのは、この無邪気さ故かもしれない。
たとえ彼女や彼女の家族へのイザークの気遣いがあって、この際それを割引いて考えたとしても・・・だ。
だが今のイザークにとって、ノリコは求婚までした最愛の女性であるだけに・・・・
この彼女の無邪気さは、何故にそこまで無邪気でいられるのだと謂わしめるほど・・・大いに罪作りだ・・・・。

天使を思わせる無垢さも、それが彼女の最大の魅力でもあり、結果としてこの世界と彼とを救う事と
なったのだから、本来なら感謝してもし足りないくらいなのだが、それも時と場合による。

ならば反対に、もし彼女にこの無邪気さがまったく無かったとするなら・・・・・
それはそれでまた別な意味で、イザークを硬直させる問題を呼ぶ事が容易に想像出来るだけに・・・・・

どちらにしても、やはり彼は頭を悩ませる事に甘んずる他ないのだ。


結婚後は、恐らくこの話題も笑い話の思い出の一つと化す事になるのだろうが・・・・・
今のこの状況下では、やはり依然として罪作りであることに変わりはない。



「・・・それは・・だな・・・その・・・」

イザークは、口元に指を当てて、どう説明したら良いか考えあぐねた。

たとえ彼にとって答え難い質問であっても、ノリコに対し「そんな質問に答えられるか!!」と
突っぱねたりするのは、例えばこの世界やノリコの世界が消えてなくなるのと同様有り得ない事。
だからこそ、巧く説明出来る言葉を、彼は頭を悩ませながらも考えていた。

だがそんな彼の様子を見つめながら、ノリコは、訊いちゃいけなかったのか・・・と心配になった。
自分がした質問の所為でイザークが困っているのを見るのは、ノリコにとって本意ではない。
彼を困らせるくらいなら、知らないでいる方がずっとマシだ。

「イザーク、あの、・・・ひょっとして訊いちゃいけなかった?・・・あたし、知らない方がいいのなら・・・
 もしそうなら、あの、無理には・・・」

ノリコがそう切り出した時、

「いや・・・」

というイザークの言葉に遮られる。

「イザーク・・・?」
「・・・この際、単刀直入に説明する方が・・・反っていいのか・・・・」
「え・・・」

深く息をついた後の、まるで独り言のようなその呟き・・・
回りくどい言い回しよりもはっきりと伝える方が、反って良いのではないかという結論に達した為か・・・
それでも、彼女の無垢な気持ちを傷つけないで済む言葉を、あれこれ悩みながら考えた末で・・・、
もしかしたら、元凶と戦った時よりも緊張を強いられているかもしれない。

「まあ・・・言葉自体を知らなくても一向に構わんが・・・ いずれは、知る事にもなるのだから・・・・・・」

ベンチの背もたれに背を預けながら額に掌を当て、イザークはそう呻き、目を閉じてまた一つ息をつく。
そして、少ししてから姿勢を戻しノリコの瞳を見据えた。

「ノリコ・・・デキるというのは、・・・つまり、・・・ロジー(夫婦)のように、男と女の間の関係を持つという事だ」

と、ふざけるでもなく真顔でその意味を説明した。

「ぇ・・・」

イザークの言葉に、ノリコは一瞬きょとんとなった。が、次にやや考えるような仕草を取る。
きっと言われた言葉を頭の中で反復し、そして日本語に変換したのだろう。

「え・・・・・・っ・・」

・・・彼女の頬がにわかに赤くなった。

「か、関係って、あ、あ、・・・あの、つまり・・・その・・・イザークと、あたしが・・・あの・・・か、か・・・か・・・・」

こんな風に吃音に邪魔され言葉がまともに出てこない様は、ある意味滑稽でもある。当のノリコにとっては全く笑い事ではないのだが・・・
そして、イザークはこれに小さくため息を吐き、ふっ・・・と微笑う。

「・・・まぁ・・・そういう事になる」

ノリコは、耳まで真っ赤になってしまった。

宵の頃で月明かりでしか互いの顔を窺えないというのは、彼女にとっては幸いだったかもしれない・・・。
真っ赤のまま顔に手を当て、ふるふるっと左右に振る。そして視線を伏せ、じっと黙って何やら考えては
また暫ししてから、やはり真っ赤のまま再度ふるふるっと首を振った。
お陰で彼女の顔の赤みは、暫く治まらなかった。

だがそんなノリコにイザークは穏やかに微笑い、彼女の頭に手を置くと、くしゃっと撫でる。
イザークが触れた事で、一瞬だがノリコの身体がピクリ・・・と震えた。
それがイザークにも伝わって来た為に、更に彼は苦笑した。

「そんなに身構えるな、ノリコ。・・・心配せずとも、まだおまえに手は出さん・・」
「ぇ・・・・」

そう言われて見上げたイザークの表情は、本当に穏やかで優しげだった。
ノリコの頭に置いていた手を、彼はゆっくり下ろした。

「ただし、・・・一緒に暮らすようになったら、俺も遠慮はしないからな」
「ぁ・・・・・」
「・・・それまでに、せいぜい心の準備でも・・しとけよ・・・いいな」

と、今度は少しだけ悪戯な表情でノリコの顔を覗き込み、そう囁くとクスッと微笑った。


ノリコは言葉も出せず、かといって肯く事も出来ず、ただ黙ったままで彼を見つめていた。
頬は相変わらず情けないほど赤いし、恥ずかしいのは大いに恥ずかしいのだが・・・
それでも何故か視線を逸らせない・・・
イザークの瞳に吸い込まれそうになる感覚・・・それが消えない・・・

胸に手を当てる・・・ 本当に、もう情けなくなるくらいに心臓が早鐘を打つ・・・
ひょっとしたら、既に彼に酔ってしまっているのかもしれない・・・・

幾ら彼女がその方面の話題に長けてなくても・・・
そして学友に『ネンネよねぇ〜』と散々言われていたとしても・・・
夫婦になればそういう関係を結ぶというのは、・・・・多少なりとも心得てはいる、つもりだ。

だがこちらの世界で、それがそういう事を指す言葉だとは、今まで知らなかっただけに
心の動揺はやはりあり、更にその事が余計に現実に目を向けさせる事にもなり・・・
情けなくも、ノリコの心を激しく揺さぶった。

ましてや今、目の前にはイザークがいる。意識せずにはいられない訳で・・・

鎮まらない胸のドキドキを抱え、暫くしてからようやくノリコは・・・ゆっくり肯いた。


そんなノリコの動揺を、果たして見透かしているのかいないのか・・・・
その晩の月には、羞恥を覆い隠すかのように僅かに雲が掛かっていた。そして時折風がその雲を流しては、月の醸す仄かな光を地上まで送り届けていた。


・・・―――――

――――







「で・・・ 最初に、俺とデキてるのかとあいつに訊いたのも、ガーヤなんだってな」
「あれ〜?・・・そんな事もあったかねぇ〜」

この問い質しにもガーヤはおどけて見せた為、イザークに更なるため息を催させた。

「とぼけても無駄だ。ノリコが言ってたぞ?・・・俺がガーヤの店にノリコを預けてた時に、その質問を
 あいつにしたらしいな」
「はっはっはっ! そんな事もあったねぇ〜。ほら、あんた達が遠耳でやり取りした事があったじゃないか。
 その後、ノリコは随分とあんたの事を心配してたのさ。だからついね、デキてるのかぃ? って訊いたんだよ。
 ま、あの子は言葉の意味を知らなかったし、デキてるんなら、あんたが置いていく筈がないからねぇ。
 だから、その考えはすぐに飛んじまったけどね」

更に深いため息が洩れた。

「あのなぁ・・・ 少し考えれば、解かりそうなものだろ」
「まぁね、ふふふ。・・・でも、あの時のあの可愛らしい女の子が、もうじきあんたの女房になるんだとはね。
 本当にあの子は、あんたの運命を大きく変えたね。あたしの予想は、当たっていたと言う訳だ」

ガーヤは胸元をパンと威勢良く叩いて、小気味良く語る。

「そんな予想なんて、立てていたのか・・・」
「ああ、そうさ。大体あんたが、女の子を連れてくる事自体、意外な事だったからねぇ〜、ふふふ。人とは
 あまり長く時を過ごしたがるようでもないあんたが、いったいどういう風の吹き回しかとあたしは思ったよ?」

当時の事を思い出してかうんうんと頷きながら、人懐っこい笑顔でガーヤは続けた。

「でもあんたは置いていったそのノリコと再会する運びとなった。あの子のあんたへの気持ちも解かって、
 あたしはもう無性にウキウキしたもんだよ。」
「・・・随分と楽しそうだな・・・ガーヤ・・・」

イザークのその台詞には、更に呆れた色が窺える。
だがそんな視線にも動じないのが、ガーヤのガーヤたる所以かもしれない。

「ふふふ。まあ、結果オーライさ。あんたもノリコと共に生きる事を決めたんだし、あたしはもう何も
 言う事はないよ。あんたとノリコの幸せな顔を見れるのがね、あたしは何よりも嬉しいんだよっ!」

そう言うと、ガーヤはイザークの背中をバンバン叩いた。
そんな豪快な祝福を受け、イザークはやや噎せてしまうが、

「・・すまん、ガーヤには心配ばかり掛けた」

そう、礼の言葉を添えた。
いつも、影となり日向となり、温かく見守ってくれているガーヤの気持ちは、時に鬱陶しいと感じる事もある。が、やはり有難い事には変わりなかった。

「なあに! いいって事さ。だけど本当に、あんた達にはいつもヤキモキさせられたよ、まったくねぇ〜
 あっはっはっはっ!」




「ところで、これからどうするんだい? 落ち着く先はもう決めたのかい?」

一頻り笑った後、ガーヤはイザークにこれからの事を訊いた。

「ああ、ノリコと二人で決めた。と言っても、あいつの希望を叶える事になりそうだが・・・」
「ノリコの希望をかい? ふふふ、あんたらしいね」
「別に一国に執着がある訳でもない。一通り廻ったから、あいつが住みたいと思う場所でいい」
「ふーん。で、何処に決めたのさ。グゼナ国内かぃ? それともザーゴに戻るのかぃ?」

瞳を爛々と輝かせて訊いてくるガーヤに、イザークはその背を後ろの壁に預けながら思わず苦笑を洩らした。

「随分としつこく訊いてくるんだな、ガーヤ・・・」

なかなか教えてくれないイザークにもガーヤは怯まない。

「なあに、あたしはあんたの母親みたいなつもりでいるんだよ。我が子同然に可愛いあんた達の行き先は
 当然気になるのが当たり前じゃないか!」
「俺はあいつと、静かに暮らしたいだけなんだがな・・・」

イザークも苦笑しながら応酬した。

「おや。すると何かい? 教えると都合が悪いとでも言うのかい? 人聞きの悪い事を言うね、あんたも!」
「・・・いや・・・別にそういう訳ではないが・・・」
「教えとくれよ、イザーク。何かあった時に、行き先が解かっていればすぐに駆けつけられるし、何処に
 住んでいるのかも解からないままじゃ、この先ずっと心配で、あたしは夜もぐっすり眠れないじゃないか」

ガーヤのあまりの勢いに、イザークもとうとう根負けしたようだ。

「・・・解かったよ、そんなに悲しげに訴えないでくれ」

両手を前に翳しながら、そう応えた。

「バラチナに行こうと思っている。花の町の町長とも、その娘夫婦とも顔見知りだし、ノリコがあの町を
 気に入っている。・・・気候も温暖で暮らし易いし、ザーゴの樹海やグゼナとも、そう遠くないのでな・・・」

「ああ、なるほどバラチナの花の町だね。あそこは花に関連した産業が発達しているからねぇ」
「それに、薬草が自生する森も多い。俺にとっても助かるからな」
「納得だよ、あそこならあんた達も楽しくやっていけそうだね」
「ああ」
「で、いつここを発つんだい?」
「そうだな・・・町長にも書簡を出さねばならないから、それを出してしまって・・・それから発って、道中
 ゆっくり旅をしながら行くつもりだ」
「何だい? チモでシンクロして行けば、すぐじゃないか」
「それはそうだが・・・二人だけの旅も久々なんでな、別に急ぐものでもない」
「そんな事言ったって、イザーク・・・向こうじゃノリコと式を挙げるんだろ?」
「ああ。だがまず根城の確保をせねばならん。それが決まれば、多少の目処も立つだろうと
 踏んでいるが・・・」

イザークの言葉に、ガーヤはいちいち頷いて聞いていた。

「そうかい。・・・だがね、ノリコの気持ちも考えてあげなよ? きっとあんたと早く式を挙げたいと
 思っているだろうにさっ」
「ガーヤ・・・?」
「女なんて生き物はね、惚れた男と早いとこ挙式して一緒になりたいものなんだよ。それが、ゆっくりだの
 何だのって先延ばしなんてしてごらんっ、とんでもないアクシデントに見舞われてしまう事だってあるんだ
 からねっ・・・それにあんただって、早くノリコと一緒になりたいんだろうが?」
「それはそうだが、・・・脅かすなよ・・」
「まあ、老婆心からの忠告だよ。女心に疎けりゃ、あんたもイイ亭主にはなれないって事さ」
「解かった・・肝に銘じておこう・・」

力説するガーヤに苦笑を洩らしながらも、イザークは、この心優しき元灰鳥の女戦士の言う
忠告とやらを心に刻んだ。


イザークがその場を離れてから、ややもって、ガーヤはにんまりとしながらスカートの裾を持ち上げると、
嬉々として走って行った。

・・・・さて、彼女はいったい何処に走っていったのやら・・・・。







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