グゼナの憂鬱。。 2 





はぁ〜〜・・・


そしてここに、深い深いため息に暮れる女性がいた。
いつもは前向きなのが取り得であるのに、そのノリコが珍しくどんよりしている。


(・・・ああ、失敗してばっかり・・・)


部屋のベッドにその身を預けながら、一人考えにふけっていた。


(ダメだよ〜〜・・・もっと、しっかりしなくちゃ・・・・・・)


そして、両の掌で、頬をぺちんと一つ叩く。

だが、考えれば考えるほど、浮き足だっているのが解かる・・・
気づけば、いつの間にか身体のあちこちが痛い・・・
今日だって、何度壁にぶつかりながら歩いた事か・・・ 我ながら、情けなく感じてしまう・・・

一昨日からイザークと話し合って、この先の落ち着き先を決めて、あれこれこれからの事を考えたら・・・
嬉しい気持ちと共に、本当に自分で良いのだろうか・・・大丈夫だろうか? 自分・・・という、急に自信なさげな思いもまた出てきてしまうのだ。
本当はイザークと一緒になれるのが凄く嬉しい、嬉しくて堪らない筈なのに・・・
なのに先刻からなにやら気になる事が出来てしまい、それが自分を切なく苦しめている。

なにもそこまで大袈裟に感じるほどの事ではないのかもしれない。
だがノリコにとっては、かなりの自己嫌悪を引き起こしてしまった程の事で・・・
それが、ここに来て急にふっと脳裏に蘇ってしまったのだ。


(やだなぁ・・・どうしよう・・・それとも・・・・あぁ〜・・・考え過ぎかなぁ・・・)


ベッドに身を起こした。

イザークに直接訊いた方が、早く解決する問題だったが・・・・・
《デキてる》の意味を知ってしまった為に、反って訊きづらい・・・・・
お陰でその思い出してしまった事柄が、考え事の殆どを占める・・・・


(はぁ〜〜〜〜〜〜・・・・・どうしよう・・・あたしで大丈夫なんだろうか・・・・うーん・・・)


ノリコにしては珍しく、マイナス思考の海に酷くどっぷりと浸かってしまっていた。

ベッドを降り、部屋の端から端へと歩き廻ってはみるのだが・・・
それが解決する筈もなく、ただ悪戯に時間が過ぎていくだけ・・・
しかも懸念は深まるばかりで・・・

部屋にある鏡をやおら覗き込む。・・・顔が童顔なのは仕方がない。
いや、童顔なりにもほんの少しは大人っぽくなって来た・・・と思う。

が、しかし・・・・


(うーーーーーん・・・・・)


鏡を見ながら、身体を横向きにして映してみたり、後ろ向きで、背中の面を確かめてみたり・・・

鏡に映る自分の姿を見ながら、思わずため息が漏れてしまう。



だが、暫くしてノリコは、キッと顔を上げた。


(このままじゃ、やっぱりダメよ。気になって仕方ないのに、このままイザークと結婚したら、彼に申し訳ない・・・
 あーん・・・でもどうしよう、不安が的中したら・・・・・・)
 

急に不安になり、また下を向く。・・・だが、


(・・・やっぱり、イザークに確かめてみよう・・・うんっ、そうしようっ!・・・この際、当たって砕けろよ、ノリコっ!)


意を決したノリコは、その部屋を後にした。




・・・・・・・・・・・・・・・だが・・やはり・・・


(・・・・でも、でも、やっぱり不安が的中したら・・・どうしよう〜〜〜〜〜〜〜〜〜っ!!!
 もし、そうなら・・・・やぁだぁ〜〜〜〜〜〜〜〜〜!!!)


廊下に出た後も・・・ノリコの心の叫びは、まだ続いているようだった・・・。






(・・・?・・)

部屋で書簡をしたためていたイザークは、流れてきた思念に顔を上げた。
それはノリコからの思念だったが、なにやらいつもと様子が違う。いや、既に一昨日からノリコは充分おかしくなっているのだが、その思念には何か思い詰めたような色合いが滲み出ていた。

イザークはやや訝しげにノリコに思念を返す。



―――どうした? ノリコ・・・何かあったのか?・・・―――



―――ごめんね・・イザーク・・・ あの、今・・・出てこれる?・・・―――



その『声』も、なにやら酷く遠慮がちだ。



―――ああ、今行く、待ってろ・・・―――



思念での短い会話を終え、イザークは席を立つと、したためていた書紙を引き出しに仕舞い、部屋を出て行った。


ノリコは、館の中にはいなかった。館の外に出たイザークは、彼女の気配を辿って、通りに出た。
どうやら、彼女は館の敷地内にもいないようなのだ。
外に出るにしても、あまり遠くへは行くな・・・と伝えてあったのだが・・・
イザークは、少しばかり心配になりながらも、彼女の気配を頼りに、とにかく道を急いだ。





セレナグゼナの街の中から西の方向、ゼーナの館よりおよそ二百ヘンベル(約1.8KM)ほど離れた場所に、
刻限を知らせる為の鐘堂がある。その一帯を眼下に見下ろせる小高い場所に、ノリコはいた。

そこは、鐘堂と街の様子をつぶさに見渡せるかなり良い場所なのだが、そこまで来る為には数百段ある
石の階段を上がって来なければならない。今は夕刻の所為か、街の人間は誰も上がっては来ないようだ。

ノリコはゆっくりそこを登ってきていた。確かに上から見渡すと、かなりの眺望だ。

街の人通りもそろそろ少なくなってきている。例外を強いて挙げるとしたら、歓楽街だろう。そこなら遅い
刻限であっても男達の数がそれなりに多くなるのだろうが、ここは街の外れ・・・ その場所は街でも中心にあり、
ここからはかなり離れていた。セレナグゼナの街も結構大きいのだ、と言えるだろう。



彼女の気配を頼りにやってきたイザークは、その小高い場所にノリコを見つけ、ホッとしながらも
石段を素早く跳躍で駆け上る。

「ノリコ」


ハッとしたノリコは声のする方を見つめ、イザークを見つけてその表情を綻ばせた。

「イザークっ・・・」

「どうしたんだ、ノリコ・・・じき日が暮れるというのに、こんな所まで・・・」
「・・ごめんなさい、イザーク・・・遠くまで来ちゃって・・・」

イザークはノリコの隣のベンチに腰掛けた。視線は彼女を捉えたままだ。

「ここ、見晴らしが良くて・・・ 本当はね、セレナグゼナの外れにあったお花畑に行きたかったんだけど、
 ここよりももっと遠かったから・・・・ それに、今の時間はここにもそんなに人がいないし、あの・・・、
 ・・・他の皆には、どうしても聞かれたくない話だったから・・・それで・・・」

ノリコの言葉に、イザークは目を細める。

「・・そういう事なら仕方がないが、遠くに行く時は一言声を掛けてくれ。いないと解かれば俺が心配する」
「えぇ・・・本当に・・ごめんなさい・・・」

萎れてしまうノリコに、イザークは微笑いながら、その頭に手を置いて撫でた。

「・・で、話というのは何なんだ?」

イザークの言葉に、ノリコの身体がピクリと震えた。
なかなか、その訊きたい言葉が出てこない。
訊くのが恐い・・・・ 急に、そんな思いが出てきて、また邪魔をする・・・・

「・・・どうした?」

元気なさげなノリコを、イザークは訝りながら見つめた。彼の視線を受け、ノリコもようやく顔を上げる。
が、やはり視線を合わせられず、すぐにまた俯いてしまう。そして、ようやくノリコは言葉を繋いだ。

「・・・あ、あのね、・・・あたし・・・前に、グゼナの国境近くで、・・・怪我を・・・した事が・・あったよね?・・・」
「・・・怪我・・、ああ、・・あの時のか?・・・その怪我が、どうかしたのか?・・・」

ノリコが急に、以前グゼナ国境近くで負った怪我の話をし始めたので、イザークは訝った。
彼自身もその時の事は、忘れてはいない。
否応なしにあの時の記憶が蘇ってきて、正直心臓がトクンと跳ねたほどだ。

「・・・あたし、あの時の・・・応急手当・・・最初、ガーヤおばさんが、してくれたんだとばかり・・・思ってたの・・。
 でも、本当は・・・イザークが・・・最初に・・手当てしてくれたんだよね?・・・」

「・・・あぁ・・・そうだが・・・」

何故ノリコが今になって、そんな事を言い出すのか、イザークは更に訝しんだ。
まさか、怒っているのだろうか、それとも、未だに気に病んでいるのだろうか・・・・
いや、平気だった訳ではなかろう・・・それは当然の事だ。
成り行きとはいえ・・・手当てで仕方が無かったとはいえ・・・彼女に無断で肌を見てしまったのだから・・・

「気に・・しているのか?・・・その・・・怒っているとか・・・そうなのか?・・」

もし、彼女がその事で怒っているのなら・・・・
しかも、今までずっとそれを気にしていて、尚且つ話せなかったのだとしたら・・・
 
いや、・・・今までの事を考えれば、話せる状況でなかったのは容易に理解出来る。
とてもそんな状況ではなかったのだ・・・・
元凶を倒した後だって世界を建て直す事が最優先で、自分達の事など考える暇もなく・・・
自分だって今までずっと、彼女にはっきりと求婚出来ずにいたのだから・・・
彼女の心中は察するに余りある・・・

イザークの脳裏にあれこれといろんな思考が浮かんできて彼を追い詰め始めた時、ノリコが言葉を継いだ。

「・・・いえ、あの、・・・怒ってるんじゃ、ないの・・・」
「・・・・え・・」

ノリコの頬は、赤く染まっている。恥ずかしげに、彼女は言葉を繋いだ。

「あの時・・・あたしの身体・・・イザーク・・・見てる・・よね・・・」

肩を竦ませながら・・・そして声のトーンも、後になるにつれて段々小さくなる・・・・


・・・・・ノリコの台詞は、二の句を継げなくさせるほどイザークを打ちのめした。


いや、責められても仕方がない・・・ 当然そうあって然るべきなのだ・・・
彼女は怒ってはいないと言うが、気にならない筈がない・・・
彼女にとっては、・・・いや、若い女性なら誰だって、そうだろう・・・ 自分は責められて当然だ・・・

皆に聞かれない場所を選んでくれたノリコに、不遜ながら感謝した。
もしこれを皆に聞かれれば、また何を言われるか・・・ 吊るし上げを食らうことなど容易に想像出来る。
いや、ひょっとしたら、それだけでは済まないかもしれない・・・。

・・・・冷たい汗が・・・額に滲んだ。

「ノリコ、・・・す・・」
「イザークっ・・・」

暫しの沈黙の後、イザークがノリコに謝ろうとしたのと、ノリコが次の言葉を口にしたのは同時だった。
不意を突かれたような形になり、イザークは謝るタイミングを逸してしまった。

「・・・ノリ・・コ・・?」
「あのね・・・ あの・・・ イザーク・・・ 呆れて・・・ないかな・・・」
「・・え?・・・」

ノリコは何を言いたいのか・・・ イザークは別な意味で、パニックを起こし掛けた。

「あの・・・ あたしの身体・・見て・・その・・・ イザーク、呆れてしまったんじゃ・・・ないかって・・・」

そう彼女は肩を竦めて、恥ずかしげに小さな声で呟いた。


・・・*▼□@&☆●*◇$%※▲&・・・・???


「・・・・は・・・?・・・」

唖然として見つめるしか出来なかった。他者から見れば、多分間の抜けた光景に見えるだろう。
そして、そんなイザークの表情にノリコもまた動揺していた。
自分が間抜けな質問をしているのは心得ている。
わざわざこんな所にまでイザークを呼び出して、挙句の果てがこんな話題・・・!

本当に情けない気持ちで、そして申し訳なくて・・・押し潰されそうになる・・・・

「あ・・・の・・・やっぱり、間抜けな質問だったね・・・ ごめん・・・こんな所まで呼び出したのに・・・
 本当にごめんなさい・・・・あの・・・忘れて・・・いいから・・・・」

思い切り情けない気持ちで、声もやはり依然として小さくしか出せない・・・
きっとイザークは呆れているだろう・・・ やっぱり不安は的中してしまったのか・・・
もしそうなら・・・ そして、それが為に嫌われてしまったら・・・

自分で撒いた種のクセに・・・ノリコは、果てしなく自己嫌悪に陥っていた。


二人の間に、暫しの沈黙が流れる。
実際にはそう大して長い時ではなかったのだが、ノリコにとっては恐ろしく長く感じられたのだ。

彼の言葉を聞くのが恐くて、顔が上げられない・・・・
身体が・・・萎縮する・・・


暫く惚けていたイザークだったが、ややもってパニックになりかけた頭の中を少し整理した。
ノリコは今非常に不安を抱えている。しかもその不安というのが、手当ての際に彼女の身体を自分が見、
そして彼女の身体に俺が呆れてしまったのではないか?・・・と、こういう事らしい。

・・・何故、そんな事を彼女は考えるのだ?・・・

イザークは、あの時の記憶を脳裏に呼び起こした。
陽が沈みかけていたあの時・・・ ノリコは、岩の直撃や擦り剥いた傷などで酷く怪我をしていた・・・
手当ての為とはいえ・・・怪我の状況を確かめる為に服を脱がせる事での後ろめたさはあった。
だが、一刻も早く手当をしなければと、自分は相当焦っていた。
そしてその焦りと、目を逸らしながらだった為に、手元がおぼつかなかった事も確かだが・・・

・・・だが・・・・・あの時・・・自分は・・・



額に冷たい汗がじわりと滲み・・・それが、ひとすじ流れる。そして、まるでそれまで呼吸をしていなかったかのように、イザークは大きく息をついた。
不安げにしているノリコに対し、おもむろに口を開く。

「・・・・なんで・・・俺が、呆れたと言うんだ? ノリコ」

イザークの言葉に、ノリコはピクリと震える。そして顔を上げた。

「え・・・」

視線が合う。そして、ノリコの頬は赤い。
イザークは、また少しため息をつく。そして、やや恥ずかしげに頭に手を遣りながら言葉を繋いだ。

「・・あの時は、とにかくおまえの怪我が心配で・・・しのごの言ってられる状況ではなかった。その・・・
 ・・・それでも、なるべく見ないようにはしたが、その、やはり手当ての関係上、どうしても止むを得なく・・・
 すまないとは思っている・・・ だが、ノリコ・・・ 俺は、呆れたりはしていない・・・・・」
「・・・イ・・ザーク・・・?」
「・・・むしろ、その・・・きれい・・・だと・・・ 本当に・・・そう思っていた・・・」

そう説明するイザークの顔も、若干赤くなっていた。
思いも掛けなかったイザークの返答に、心臓の鼓動が早鐘を打つのを感じた。
頬の赤みが引かず、情けないことこの上ない。

「・・・えっ・・・あの・・・もしかしてまた、・・・あたしの事、からかおうとしてない?・・・」

もし、いつもみたいに、自分の反応を見てからかっているのなら・・・・
そんな考えがふと浮かんできて、不安になる・・・

だが・・・

「・・・いや、そうじゃない・・・ あの時のおまえは・・・光を纏っているようで、本当に輝いて見えた・・・」
「・・ぇ・・」

頬を赤く染めて見つめるノリコに、イザークもまた若干照れたように言葉を繋いだ。

「・・・そう・・・ 告白されて・・・余計にそう感じたのかもしれない・・・ 本当に思い掛けない言葉だった・・・
 俺にとっては、叶わぬ筈の言葉だったから・・・
 感謝と・・・だが、その時の俺には量れようもない不思議な感情と・・・それが一緒になって溢れそうだった・・・
 だから・・・後ろめたい気はしたが、それでも・・・目を・・逸らす事が出来なくて・・・」
「・・・イザーク・・」
「その、本当に・・・すまない・・・」

ノリコの抱えていた不安を拭い去るように、イザークは自分の思いを吐露した。
そして、彼女をそっと抱き寄せ、包み込むようにその身体を抱きしめる。

「・・・イザー・・ク・・・」

彼の着衣を通して伝わってくる温もり、そして聞こえてくるその鼓動もまた速く・・・



「・・・初めて・・・ あの時おまえに、俺の醜い姿を晒してしまったんだよな」

ノリコの身体がピクン!・・と、また震えた。

「・・・力の制御が上手くいかず、あんな醜い姿になってしまった俺を・・・ノリコにだけは見せたくはなかった。
 だから、あの時の俺は・・・酷く、動揺していたかもしれん。・・・絶対に守るつもりだったのに、それが出来ず、
 あんな大怪我をさせてしまった・・・ すまないと思っている・・・」
「・・・・・」

イザークの言葉で、ノリコはまたも酷く動揺した。

違う・・・ 違う・・・ あの時の怪我はイザークの所為じゃない・・・ イザークは力を使い過ぎて、
それで制御し切れなかったのだ。あんなに必死になって、守ってくれてたのに・・・・
身体が辛いのに・・・ それでもあんなに必死になって、自分を守ってくれてたというのに・・・・
そしてその所為で、彼はなりたくない姿に変わってしまったというのに・・・・

「違う・・・イザー・・ク・・・ちが・・・違うよ・・・あなたの所為じゃない・・・違う・・・っ!」

抱きしめられた状態で、それでもノリコは必死に否定した。

「あなたの方が、とても・・・大変な状態だったのに・・・それでも、あたしの身体を、心配してくれてた・・・」
「ノリコ」
「あたし・・・凄く感謝している・・・あの時、あなたが守ってくれてたから・・・あたしは死なずに助かった・・・
 いつだってイザークは、必死に守ってくれてたもの・・・」

その身体を少し離し、ノリコはイザークを見つめながらそう告げる。
瞳からは、いっぱいの涙が溢れていた。

そんなノリコに、イザークは穏やかに微笑い、ゆっくりと首を左右に振った。

「・・・ノリコは、いつも俺のことを気遣ってくれてたよな・・・ あの時もそうだった・・・
 だが、あの頃の俺は、やはり・・心にゆとりが全く無かった・・・ その事では、今でも心が痛む・・・」

そう言うと、イザークは視線を刻限の鐘堂の方に向ける。
鐘堂からは、先程から夕刻の知らせを告げる鐘が、数刻ごとに打たれていた。
鐘の音が、街にその音を響かせる。

「・・・天上鬼という、自分の運命を恐れていた・・・ おまえを・・・受け入れる事が恐かった・・・・
 そして、自分が・・・変わってしまうのが・・・恐かった・・・ 力はあっても、心の中には常に恐怖しかなく、
 破壊の化け物となって・・・おまえですら、この手にかけてしまうのではないか・・・それが恐かった・・・
 おまえの気持ちがとても嬉しかったのに、正直になれずにいた・・・」

ゆっくりと自分の気持ちを語るイザークを、ノリコはじっと見つめる。

「・・まったくもって、情けない・・・ 頭の中はぐしゃぐしゃで、どうしたら良いのか解からず、
 労わるどころか、おまえを傷つけてばかりだった・・・ 今思い出しても、苦いものが込み上げてくる・・・
 本当に、どうしてあんな事をしてしまったのか・・・・歯痒いほど、自分に呆れる・・・」

「・・・運命を切り開こうという勇気をもっと早く持っていたら、おまえを傷つけずに済んでいたかもしれない・・・
 本当に、悔やんでも悔やみきれん・・・」

深く息を吐き、そして再びイザークは、言葉を紡ぐ。

「・・・今ならもう決して・・・そんな事はしないのにな・・・」

イザークの表情には、何処か寂しげな色が見える。

込み上げる苦いものの所為か、深い悔恨のそれはやはり否めない。だが、そうした苦い思いも甘受しなければ
ならなかった。過去の自分を消す事が出来ないのと同じように、過去の自分が彼女を傷つけた事実もまた、
消す事は出来ない。

イザークは自嘲めいて微笑い、そして、ノリコを見つめた。

「本当に・・・すまなかった・・・」

ノリコの瞳は濡れていた。涙が、ひとすじ、またひとすじ・・・と、零れ落ちる。
首を左右に振った。黙ったまま、何度も、そうして首を左右に振った。

そして、イザークの瞳をじっと見つめ、ぽつりと言葉を繋ぐ・・・

「イザークは・・・悪くない・・・」
「ノリコ・・・」
「悪いのは、何も知らなかったあたし・・・ あなたを苦しめていたのは・・・あたしだから・・・」
「ノリコ、それは違う。おまえの所為じゃないんだ・・・」

ノリコを落ち着かせる為、イザークはその身をまたそっと抱き寄せた。

「・・・愛している・・・ ノリコ・・・」
「イザーク・・」

鼓動が早まる・・・

「俺は後悔していない。ノリコと共に歩もうと決めたあの日・・・おまえを引き止め、好きだと言った事を・・・」

髪に手を梳き入れ、愛でるように撫でる・・・ そしてまた抱きしめ、頬を寄せた。

「確かに・・俺には苦しんだ時期があった・・・ だが、そのおまえに俺は救われたんだ、解かるか? ノリコ・・」
「・・・あたしは、あなたの傍にいて、本当に、良かったの・・・?・・」
「勿論だ。ノリコがいてくれたから、俺は苦しみから抜け出せた・・」

「だから、あの辛かった思いも、おまえと出会い、そしておまえを得る為に必要だったのなら、俺は喜んで受け入れる」

イザークの言葉に、ノリコの唇は震える・・・
恐いくらいに幸せを感じる・・・ その幸せな気持ちが、身体中を駆け巡るかのようだ・・・

「それになノリコ・・・ 俺は、今はとても幸福な気持ちでいる・・・ そんな気持ちにさせてくれたのも、
 おまえなんだ、ノリコ・・」
「・・・イザーク・・あたしも・・・イザークとずっと一緒にいられたから・・・」
「ノリコ・・・」


「俺が一番大事なのは、一番欲しいのは、ノリコ、おまえだけだ・・・ 楽しみだな・・・
 バラチナで、ノリコと式を挙げるのが・・・」

「イザーク・・・」



―――おまえが好きだ・・・ 愛している・・・ ノリコ・・・



ノリコの瞳には溢れるほどの涙。・・・笑顔で・・・でも、涙は止まらない・・・
イザークが頬に手を添え、涙を拭うが、それでも、涙は止まらなかった・・・

髪に手を梳き入れ、頬を包むように手を添える。

「・・あたしも・・・ あたしも・・・ あなたが一番大事・・・あなたが大好き・・・ 愛してる・・イザーク・・・」
「ノリコ・・・」

イザークはその唇で、ノリコの涙を拭うように口づける。そして、額に、頬に、優しく想いを込めて口づけていく。
一度唇を離し、愛しい彼女の顔を見つめる。ノリコも、その愛らしい瞳で愛しい人を見つめ、

そして・・・ 瞼を閉じる・・・・

二人の唇が重なり合う。
ノリコを包むように抱きしめ、そして、深く口づける。唇と、そして奥まで絡め合い、更に深く・・・・
そしてまた、角度を変えては繰り返す・・・・・

イザークの肩に掛けていたノリコの手が、彼の首の後ろに回る・・・・

互いに抱きしめ合い、長く、熱い口づけを交し合った。




鐘堂の鐘が鳴り渡る。陽は西に沈み、夕の刻を告げる。
鐘の音が街に、静かに響き渡っていく。

それは、厳かな響きを思わせた。

二人の心の結びつきを更に深めていくようで・・・――――――



「・・・向こうに着いたら、すぐに住む場所を決めような。そして二人の式を挙げよう・・」

陽の沈んだ後の濃い橙と、薄暗くなり始めた青紺の色の交じった空を眺めながら、イザークは呟く。

「イザーク・・・本当に・・?」

イザークの言葉にノリコの顔も綻ぶ。そんな彼女の表情を見つめながら、更に言葉を続ける。

「ああ、・・・今、町長宛てに書簡をしたためている。・・向こうに着けば、全て滞りなく事が運べるように、
 今の内に手配しておくつもりだ」
「イザーク・・・嬉しい・・」
「カイザックやニーニャも喜ぶだろう。あの町に落ち着くように勧めてくれたのは、彼等だからな・・・」
「・・うん」


「・・・本当に、何もかも夢のよう。・・・幸せ過ぎて、恐いくらい・・・」
「それは、俺の台詞だ」

そう言うと、イザークはノリコの顔を見つめ、クスッと微笑う。
その意味ありげな笑みに、ノリコは問うようにまた見つめた。

「・・いや・・・ あまり泣き顔を見せてくれるな、ノリコ・・・ おまえの切なげな泣き顔を見ると、堪らなくなる・・」
「ぁ・・・ごめんなさい・・・つい・・・」

イザークは苦笑する。

「いや、いいんだがな、・・・俺の抑えが利かなくなりそうで・・いかん・・・」
「ぇ・・・抑え?・・・」

きょとんとしているノリコの肩をぐぃっと抱き寄せると、彼女の瞳を食い入るように見つめる。

「・・さっきのような切ない顔を見せられたら、式を挙げる前におまえを襲ってしまうかもしれんぞ? ノリコ・・」

悪戯にニッと笑いながら、そう告げた。

「!!」

・・・ノリコは、瞬時に耳まで真っ赤になった。そんなノリコの反応を見て、やはりイザークは可笑しそうに笑った。

「あ、またイザークっ!・・もぉ〜!!」

自分の反応を見て笑うイザークに、ノリコが赤くなった顔で頬を膨らませたのは、言うまでもない。
だがそれも、二人にとっては紛れもなく幸せな証拠だった。







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