◆ 君につなぐ想い 28 ◆


『ホッとしたら、何だか喉が渇いちゃった。』

二人は、あの場所から離れたところにある、ファッションビルの中のカフェにいた。
喉が渇いた典子が、『何処かでお茶を飲もうよ。』とイザークを誘ったのだ。

『でも、まだちょっとだけドキドキしてるかな・・』

典子は注文したハーブティを載せたトレイを、テラス席のテーブルに置いた。

『大丈夫か?・・』
『うん。さ、頂きましょう?イザーク・・』
『ああ・・・』

二人のいるカフェは、地下にある。だが、地上からの光の射し込む吹き抜けた造りの
テラス席が設けられており、イザークと典子は、そこの一角に席を確保した。
地上からの柔らかな光が届き、落ち着いたBGMの流れる、居心地の良い場所だった。




お茶を飲みながら話をしていた二人だが、イザークが話した中で典子が驚く事があった。

『三日?』

イザークは、テーブルに肘をつきながら、やや難しい顔で言葉を紡ぐ。

『そう・・・三日だ。ノリコがいなくなってから、ここに来ておまえに会うまでに要した日数・・・
 俺の感覚では、三日しか経っていない。』
『そんな・・・』
『ザーゴに行った日の夜に、俺は家に戻った。そして、ガーヤから事の次第を聞き、
 翌早朝に樹海に向かった。樹海からチモを使ってここまで来たが、それは二日前の事だ。』
『二日前・・・一昨日・・・』

イザークは頷く。

『一昨日の夜に辿り着いた先は、こんな街中ではなく、何処か山の中だった・・・』
『山の中・・・』
『そうだ。チモにとっても初めての時空越えだから、多少なり見当違いの場所に
 出るだろうという事は覚悟していた。・・・後はおまえの気配を頼りにすれば、何とか
 辿り着けるだろうとな。・・・もっとも・・・最悪な事態も考えていたから・・・まあ、
 上出来だと見るべきだろうな・・・』

ノリコは神妙な顔つきになる。

『最悪の・・・事態・・・?』

イザークは頷き、苦笑しながら言葉を続ける。

『・・今だから笑って話せる事だが・・・こちらに飛んでくるのは、一か八かの賭けだった。
 成功するかどうかの確証もない。時空の狭間を越える際に、命を落とす危険の
 可能性だって、視野に入れねばならん・・・』

イザークの言葉に、典子は目を見開いた。

『だが・・・あのまま、黙ってはいたくなかったからな。』

そう言って、イザークは微笑う。

『だから、正直なところホッとしている・・・』


『・・・・・・・・』

典子は、イザークの顔をじっと見つめた。

そんな危険を冒してまで、彼は自分を探して来てくれたんだ・・・と、
申し訳ない気持ちと、有難い気持ちとで、感無量になる・・・・

彼が無事でいてくれた事を・・・
本当に良かったと・・・ 何かに感謝したい気持ちが溢れてくる・・・・

もし、彼に何かあれば・・・

自分がこんな事になった所為で、もし、彼が命を落とすような事になれば・・・
きっと一生・・・自分を赦せなかった事だろう・・・


典子は、思わず呟く。

『・・・あなたが無事で・・・本当に良かった・・・。天が、あなたの味方をしてくれたのね・・・』

イザークは笑って、首を左右に振った。

『まあ・・・結果、おまえの家族にも会う事が出来た。それに、何よりノリコ自身、心配して
 いた家族に会えたんだしな・・・』
『イザーク・・・』
『いきなりノリコがいなくなったのは、確かに痛い不意打ちだったが・・・もし飛ばされた
 ことに、何か意味があると言うのなら・・・・それはきっと、おまえが再び家族に会う為
 だったのではないかと・・・俺は、そう思いたい・・・』

『・・・家族に・・会う為・・・?』

典子の問うような眼差しに、イザークは穏やかな笑顔で頷いた。

『俺もいつか、ノリコの家族に会いたいと思っていた・・・ 最初から二人で来れるのが、
 本当は一番良かったんだろうが・・・形はどうあれ、それが叶った訳だ。・・・そう思えば
 いいのではないか?』
『う・・ん・・・』
『おまえは家族を心配していたのだし、俺もその事がずっと気がかりだった・・・
 お父さんとお母さんに会って、おまえとの事も許して貰いたかったからな・・・』

『・・・・・・・』

それを聞いて、典子の顔が赤くなる・・・・・
嬉しいのと、照れるのと、恥ずかしいのと・・・いろんな気持ちが綯い交ぜになる。

そして、思い出したかのように、話題を戻した。

『・・さっきの話の続きだけどね、あたし、こっちに来て丸三日眠っていたらしいの・・・。
 そして目覚めてからは四日が経ったわ。あなたと再会出来たのは、八日目よ・・・
 あなたは三日間だけなのに・・・』
『・・・そうか・・・なるほどな・・・』
『どういう事?』
『よく解らないが・・・時空越えの際に、何らかの時間のひずみが生じるのかもしれん。
 俺としては、時空を移動するのにそれ程時間を要さなかったようにも思えたが、
 そうではないのかもしれんな・・・』

『イザークは三日間・・・あたしは約一週間・・・なんだか凄く損した気分・・・』

ハーブティを一口すすり、典子はごちる。

『え・・?』
『だって、その一週間の間に、あたしきっと、一生分の涙を流したと思うのよ?』

そう言うと、少し悪戯な表情で、クスッと笑った。

『すまなかったな・・・結果的に、来るのが遅くなってしまったようだ・・・』
『やだ、どうしてイザークが謝るの?あなたが悪いんじゃないのに。ふふふ。』
『ノリコ・・・』
『誰の所為でもないのよ、多分。・・・それに、こうしてあなたに逢えたんだもの。あたしだって
 もう泣く必要もないんだし、これからは笑顔でいられる・・・だから、もういいの。』

典子の笑顔に、イザークも微笑う。

『だが・・・おまえがいないとガーヤから聞かされた時は、流石に凍りついたな・・・』
『ごめん、イザーク。それに、ガーヤおばさん・・・心配してるよね・・・』
『ああ、酷く蒼くなっていた。夕方に来た時にはノリコの姿が無かったとな・・・』
『あの時・・・いきなりもの凄い頭痛に襲われたのよね・・・それで椅子ごと後ろに倒れちゃって、
 空間に飲み込まれるのを、どうにも出来なかったの。・・・それにあたし、何もかもやりっぱなしで、
 こっちに飛ばされちゃったから・・・』

イザークは、椅子の背もたれにやや寄り掛かり、腕を組んで典子を見る。

『・・・持ってきたぞ。』
『え?・・・』
『仕上げてくれるんだろ?あの上着・・・』

イザークは、やや悪戯な瞳で微笑う。

典子は驚いて目を見開くと、その場で思わず立ち上がった。
あまりに勢いよく立ってしまったので、椅子が後ろに倒れ、耳障りな音を立てた。

その所為で、周りの客の注目まで集めてしまった・・・・。

『あ・・・』

典子は恥ずかしくなって、慌てて椅子を元の状態に戻そうとするが、
先にイザークが、苦笑しながらすっと手を出し、椅子を起こして元に戻す。
典子は真っ赤になった・・・・・。

『ごめん、イザーク・・・』
『いや。・・・だが、何をそんなに慌てている?』
『だって・・・』

典子は椅子に座り直して、イザークを見つめた。

『・・・持って来てくれたの?あの布地・・・』
『ああ、荷物の中に入れてきた・・・』

そう言ってイザークは、クスクス微笑う。

『あたし、離さないで持ってくれば良かったなって・・・ちょっと後悔してたの・・・
 でも、出来上がるまで内緒にって思ってたんだけど・・・やっぱりバレちゃったね・・・』

苦笑する典子に、イザークは穏やかな笑顔を向ける。

『いい色だ・・・楽しみにしてる、ノリコ・・・』

そうして、典子の髪に手を梳き入れた。
典子は頬を赤らめながら、コクンと頷く。

『ありがとう、イザーク。向こうに帰るまでには仕上げるね。』

典子の言った『帰る』という言葉にイザークは反応する。

『・・・ノリコ、本当に向こうに帰るつもりでいるのか?・・・それでいいのか?』
『え?どうして?・・・あたしは最初からそのつもりよ。・・・だって、あたしのお家は
 向こうの世界にあるんだもの。当然でしょ?』

そうして、典子は屈託のない笑顔をイザークに向けた。

イザークは、妻の笑顔に暫し見入ってしまう・・・・
ともすれば、吸い込まれてしまいそうになる程に彼を魅了してやまない、
彼女の邪気の無い瞳。・・・そしてその笑顔。

『ノリコ・・・・』

『それに、向こうの生活に、もう身体のリズムが出来ちゃってるのよね。
 だって、約四年間ずっと向こうで暮らしていたんだもの、ふふふ。』



―――・・・・

そう言いながらお茶を飲む彼女が、イザークは愛おしくて仕方なかった。


自分の育ったこの世界よりも、向こうの世界を選ぶと言う彼女に、精一杯報いたい・・・

そして・・・自分達がどれだけ稀少な確立で、出会う事が出来たのかを・・・
この世界に来てみて・・・改めて思い知る・・・・・

忌まわしいとだけしか思えなかった己の宿命だったが、今はそれに感謝すらしている。

この彼女と会わせてくれた、この宿命に・・・・


だが、同時に・・・思う・・・ 彼女の父親の・・・言葉・・・――――
複雑だという・・・父の・・・その言葉・・・・


愛する者が、突然いなくなるという・・・悲しみ・・・
それを、彼女の家族はいきなり味わい・・・そして今まで耐えてきた・・・・

そして今回・・・自分も・・・最愛の彼女が自分の下からいなくなるという経験をした・・・

愛する者が目の前から消えるとは・・・これ程までに悲しく、辛く、苦しい事なのだ・・・

まだまだ手離したくはない年頃の娘が・・・突然いなくなってしまったら・・・・
それを味わった家族の気持ちは・・・・いかばかりだった事だろう・・・・・

そして・・・彼女を向こうの世界に連れて行く事で・・・・
自分は再び、同じ事を、この彼女の家族に味わせようとしているのか・・・・

あの温かい家族に、そんな苦しみを強いるのか・・・自分は・・・

だが・・・

もはや、自分は・・・彼女と離れて生きる事など・・・

そんな事など・・・考えられない・・・


どうすればいいのだろうか・・・――――――



『こっちはこれから暑い季節だけど、向こうはこれからちょっと涼しくなって来るでしょ?
 帰る頃には丁度良い気候になってると思うの。』

典子の言葉にハッと我に返り、顔を上げる。・・・そして言葉を返す。

『・・・季節のズレもあるのか・・・?』
『うん・・・こっちは≪五月≫・・・ガレンの月に当たるのよ。だから、来月はあなたの
 誕生月になるわ。・・・またお祝いが出来ちゃうね。』

そう言うと典子はクスクス微笑った。

『そうか。・・・だが、誕生日の祝いは二度も要らんな・・・
 それよりも、向こうに戻る頃には、ノリコの誕生月が過ぎてしまってるかもしれんぞ?』
『ふふふ・・・そうかもね。』
『こっちにいる間に、祝ってしまうか?・・・何か欲しい物があれば、用意するが?・・』
『え・・・・』

イザークの提案に、典子は頬を染める。
視線を伏せ、少し考えるような仕草をし、それから、暫くして首を静かに左右に振る。

『・・・何も・・・要らないわ。』

そうして顔を上げた典子は、穏やかに微笑っていた。

『ノリコ・・・?』
『あなたには、それでなくてもいろんな物を貰ってるもの・・・それに、今回の事であたし、
 本当に、あなたがいなくちゃダメなんだなぁ〜って思い知ったの・・・。危険を冒して、
 あなたは迎えに来てくれた・・・・・あたしにとっては、それが何よりの贈り物なのよ。
 ・・・だから、あたしはあなたさえいてくれたら、他に何も要らない。』

典子の言葉に、イザークは目を見開いた。

『・・・ノリ・・コ・・・』
『そうね・・・あたしにとっては、あなたそのものが最高の贈り物なの。あたしきっと世界一の果報者ね。』

笑顔でそう言いながら、典子はまたお茶を一口含んだ。


『・・・・・・・・・』

思わず、瞳を伏せた・・・―――――

なんて、この彼女は・・・自分が予想もしない言葉を、次々とくれるのか・・・・


目頭を押さえた・・・・


『・・・どうしたの?・・イザーク・・・』

黙ってしまったイザークの様子に、典子が心配して訊く。
目頭に添えていた手を下ろし、顔を伏せたまま、イザークはやや自嘲気味に微笑い、応える・・・・

『いや・・・何でもない・・・』

そして顔を上げる。

『そうか、何も要らんと言うのならそれもいいだろう・・・、解かった。』

穏やかな笑顔を妻に向けた。
典子もまた笑顔に戻る。




――――・・・・・世界一の果報者は・・・・俺の方だ・・・・・・・・ノリコ・・・・・・




空からの光が、テラスに射し込む。

光と、静けさが、心を洗う・・・・






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このカフェは、完璧に架空捏造です。

イザークさんが、こちらの世界に来るまでの事に少し触れてます。
すんなり来られなかったのは、やはりチモの小さなトラブル。でも影響は少ない模様。
時間のズレ的表現は、管理人の単なる都合…(笑)
時空の狭間で起こり得るトラブルの一つとして書きました。
イザークさんが遅かったという訳には非ず…です。
それから、心理面での描写。二人のやり取り、…光が見えます。
これを書いている時、管理人にも地上からの光が、実際に見えたような気がして…
とても、清々しい気持ちになりました。
夢霧 拝(06.04.07)
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