◆ 君につなぐ想い 38


抱きしめられているその手は緩められず、身動きも取れない状態だったが、僅かだけ顔を上に向ける事が出来た。 典子の髪に顔を寄せている為表情は伺えないが、苦しげな息遣いが伝わって来る。

同時に伝わってくる温もり・・・ そして、彼の身体も僅かに震えていて・・・

『・・・イザーク・・』

思わず呟く。とにかく彼の気持ちを知りたくて・・・


『・・・許せない・・』
『・・・ぇ・・』
『昔のおまえを・・・知っている者達が・・許せない・・・・』

その言葉に典子は目を見開く。

『・・・イ・・ザーク・・』
『もっと早く・・・もっと前に・・・おまえと出会いたかった・・・っく・・・』
『イザーク・・・でも、それは・・・』
『ああ、解かってるっ・・・今更言っても仕方のない事だっ・・・莫迦げた嫉妬心に過ぎないというのも解かるっ・・・
 だが・・・』

抱きしめる手に再び力が篭る。何処にもやりたくないと、離したくないと、言うかのように・・・

『だが、この気持ちはどうしようもない・・・ 過去のおまえを知っている全ての者が許せない・・・ それに・・・
 おまえのあんな姿を、他の奴等に見せたくないんだ、ノリコっ・・・』
『イザ・・・ク・・』

『・・・おまえの過去を知らないというのが・・・こんなにも苦しいとは・・・こんなにも・・・悔やまれるとは・・・』

くぐもった苦しげな彼の声に典子はハッとし、そして頬を染める・・・――――

どんなに彼が自分を想ってくれているか、そしてどんなに自分を愛してくれているか・・・
例え嫉妬からであったとしても、その言葉は充分過ぎるほどに彼の心を物語っている。

睦言は、これまでにも何度も聞かされて来た。外での不意打ちに赤面させられた事も、情熱的な言葉に身を熱くさせられた事も数え切れない・・・ その全てが彼の妻への愛情深さを、不器用だがまっすぐな彼の気持ちを裏打ちしている。そして典子にもそれは充分過ぎるほど解かっていた。

恋は好きになり過ぎた方の負けと言うが、最初に好きになったのは典子でも、今はイザークの方が愛情を示す事においては深いと言えるかもしれない。その意味では、彼は典子に完敗している事を潔く認めるだろう。

生きて来た世界が違う為、二人が出会う事は本来ならばなかった事だ。出会ったのも奇跡ならば、今こうしてここにいるのも奇跡。だが出会う以前の『時』は、言うまでもなく取り戻せない。それがどうしようもなく歯がゆくもどかしい。そして呆れるほどに悔しいのだ。
だから、それが理不尽だと解かっていながらも・・・ 過去の彼女の姿を知っている全ての者に対し、心に生じた慟哭を抑える事など、イザークには到底出来ない事であった。




「典子・・・イザークさんは、大丈夫?」

暫くの沈黙が続いた後、典子の母が静かに訊いた。他の家族もずっと様子を見守っている。

『っ・・・・・』

その言葉にイザークはやや顔を上げ、若干腕の力を緩めた。だが、またすぐに俯く。その顔がやや赤い。
醜態だ。そう思っただろう。心に生じた激情の所為とはいえ、家族の目の前で・・・ とんだ醜態だ。

「・・・うん・・・ごめんなさい急に・・・ だい・・じょうぶ・・だから・・・」

腕の力がやや弱まっても、典子はその腕の中から逃れる事はしない。顔だけ、両親の方を向いて答える。

『・・・・・すまん・・』
『イザーク・・・ううん、謝らないで。あなたは悪くないんだもの・・・』
『ノリコ・・・』

赤かった顔は、今度は少し蒼褪めているように見えた。思い詰めたような翳りのある表情が、反って痛々しくさえ思える。 典子は彼の頬に手を添え、撫でるようにやや滑らせる。そしてすぐに両手を彼の背中に回し、そっと胸に顔をつけた。

『?・・ノリコ・・』
『大好き・・イザーク・・・あなただけ・・』
『っ・・・』

トクン・・・と心臓が跳ねた。我ながら子ども染みていると、不器用であると、そう思わざるを得ない。
典子の事となると、どうしても動揺してしまう自分が情けなかった。だが、やはり自分の気持ちは偽れない。
その腕にまた力が篭る。抱きしめる腕に、精一杯の気持ちを込めた。





「やはり、原因は水着か・・・」

父はややニヤリとした笑顔を浮かべる。

「・・すみません・・・・・」

バツの悪い表情でしか返せない・・・ 情けない事だが、最早あれこれと言い訳したところで始まらない。
イザークはその一言で自分の気持ちを全て込めた。

「いや、何も別に謝る事じゃない。・・・そうか、あまり肌を露出してくれるな・・か。文化の違いとはいえ、この
 世界での習慣は、イザークにとってはカルチャーショックな事ばかりに見えるかもしれんな・・・」
「向こうの人の方が道徳的なのかしらねぇ、ふふふ」

「ほとんどは・・・ しかし、そうでないものも・・いる・・・ だが、それを、しごとにするもの・・だけで・・・」
「ああ、男相手の商売女は別か。何処の世界もそれは同じだな。で、男も大して変わらんか・・・」

言いながら、含み笑いを漏らす。

「そうそう、水着といえば典子、あの水着まだあるわよ」
「・・・え?」

唐突な母の言葉に、典子はきょとんとする。あの水着と言われて、何であったろう・・とその記憶を掘り起こしてみる。

「忘れたの?前にお友達にそそのかされて買ったはいいけど・・・って・・・」
「っ!・・・あああーーーーーー!!!」

母の言葉に典子はある事を思い出し、大きな声を上げその場に立ち上がった。
何事かとイザークや、父、そして兄も彼女を見上げる。どうやら母と典子だけが知っている事のようだ。

「あ、あの水着・・・まだあるのぉ?お母さん・・・」
「勿論。あなたの衣類は全部大事にとってあるわよ?」

ニコリと微笑みながら言う母に、典子は冷や汗を感じた。

「あの水着って・・何なんだ?典子」
「・・お兄ちゃん・・・ぁ、あの・・・・前にひろみ達と、街に買い物に行って・・・その時に水着を買ったんだけど・・・」
「そんな事があったのか?」
「うん・・・でも皆に、これ似合うからって言われて・・半分強引に買わされたようなもので・・・それが・・・・・・」
「合わなかったのよね?サイズが大きいって・・」

兄と典子の会話に、母がフォローを入れる。

「合わない?なんだよ、返品しなかったのか?」
「・・・うん・・・なんかそのままになっちゃって・・・返してない・・」
「何やってんだ?おまえ・・・」
「だって・・・ ぁ・・・それで、その水着が・・・その・・・ビキニ・・・なの・・・」
「はっ?ビキニだと?おまえが?ワンピースしか着た事のないおまえが?・・・無謀な事するなァ、おまえ・・・
 じゃあ、サイズが合わないっていうのは・・・」
「ぅ・・・その・・胸が・・・・」

消え入りそうな声で、俯きながら話した。このもじもじとした彼女の仕草は本当に愛らしいのだが・・・・

事の次第はこうだ。高校時代に例の悪友三人と典子は都心に買い物に行った。その時友にそそのかされて買ってしまったのがビキニの水着だ。しかし、せっかく買ったものの残念ながら胸のサイズが合わず、今まで一度も本番で着用されずにクローゼットにお蔵入りになっているのだ。返品するにもモノがモノだけに、なにやら恥ずかしくて行けなかった。まさか、サイズが合わないから取り替えてくれとも言い難く・・・最初に試着すれば良かったと後悔したが、後の祭りだ。

その後彼女は爆弾事件によりかの世界に飛ばされてしまった為、ついにその水着は主に着用される事なく、いつの間にやら忘却の彼方へとすっかり追いやられてしまっていたのだ。

それが、まだ家にあったのだとは・・・

「とっくに捨ててるかと思ったのに・・・」
「あら、本人の承諾無しに捨てられる筈がないでしょ?それに行方不明になったからって、急に衣類を処分
 出来なかったお母さんの気持ちも解かって欲しいわねぇ」
「それは・・解かるけど・・・」

「ノリコ?・・・はなしが、わからん・・・ なに、はなしてるんだ?」

ビクーンっっっ!!!
イザークの問いに典子は目を見開き、思わず姿勢を正す。
その緊張の仕方たるや、端から見れば多分滑稽にしか見えないであろう。

「ぁ・・・ぁの・・水着の・・話・・・を・・・」
「イザークさん、良かったら典子の水着見せて貰ったらどう?」
「え!・・・お母さんっ」

先ほどその水着が原因でイザークが取り乱したというのに、ここで蒸し返してどうする!?
間髪入れずにそんな提案をした母を、典子は驚きと情けないのと半々の表情で見つめる。

「みずぎ・・・?さっきの・・しゃしんとかの・・・あれか?」
「ぇ・・・違う・・・ぁの・・あれとは・・・また別の・・・ぁぁぁの・・・」

「どうせ、向こうに戻ればもう着られないんでしょうから、今見せて上げればいいじゃないの?」
「それは、そうだけど・・・」
「それもそうだな。イザーク、物は試しだ。典子の水着を見てみるといい」
「えーっ、お父さんまでそんな事・・・」
「何も減るもんじゃないだろ?このままじゃ、その水着は永久にお蔵入りだ。気の毒な水着だと思わないか?」
「き・・気の毒って・・・」

どうしたらそんな理屈に行き当たるのか・・・ 典子は父の台詞に眩暈がしそうになる。

「いいじゃない、何も他の男の人の前で見せる訳じゃないんだから」
「・・・・・・・」

この家族のこの楽観的思考はいったい何なのだろう・・・眩暈も本格的になりそうだ。

「イザーク、あっちの世界じゃ間違いなく典子の水着は見られないぜ?これはある意味貴重な体験だ。
 今の内に見せて貰ったらいいのさ」

まだ何の事なのか汲み取れてないイザークに、兄が笑って畳み掛けた。

「もぉ・・・解かったわ。見せればいいんでしょう? ・・・お母さん、あの水着クローゼットに仕舞ってあるの?」
「そうよ、上の天袋の箱に入ってるから、見てみるといいわ」
「・・解かった・・・ありがとう・・」

なにやら意を決したように立ち上がる典子をイザークは見上げる。

「ノリコ・・?」
「イザーク、いこ・・」
「え・・・」
「以前買った水着が、まだ家にあるの・・・イザークに見せてあげる・・・・多分これが最後だと・・思うから・・・」
「・・?・・ノリコ・・」

イザークの腕を取り、まだ不思議そうな顔をしている彼を引っ張るように連れて行こうとする。

「典子・・・水着姿ここで見せてはくれないのか?家族旅行以来だというのに・・・」

ピキっ・・・
さも残念そうに話す父の言葉に一瞬固まる典子。
ゆっくりと振り返ったその表情は、明らかに引き攣り強張っており・・・・

「だっ、ダメよ・・・そんな事したら、最悪この家を壊してしまう事に成りかねないから・・・」
「ふむ。家が壊れるか・・・そいつは拙いな・・・くくくっ」
「あなた、悪い冗談ですよ、ふふふ」
「いや、すまん。そういう訳で典子、ほんの冗談だ。イザークにゆっくり見せてやりなさい」

典子は頬を赤く染め頷き、イザークの腕を引っ張って、居間を出て行った。





「この後の展開が予想出来そうで、なにやら楽しい気分なんだがね・・・」
「あらあら、あなたったら・・・でも、実はあたしもなのよ、ふふふ」
「なんだよ、父さんも母さんも、その楽観的な笑いは・・・ところで、母さん腹減った」

意味深な笑いを浮かべる両親に、典子の兄も半分呆れたような顔を見せた。「あらあら・・」と慌てて母は笑いながら台所に向かう。 どうやら今日も夕飯に在り付けるのは遅くなりそうだ。

「別に深い意味はないさ。・・・しかし、彼の純粋さには脱帽だな」
「イザークのか?・・・確かにあいつは典子にメロメロだよなァ〜。一人の男をあそこまで虜にするとは、我が妹
 ながら天晴れだ」
「虜にしたって・・・その言い方、もっとマシな言葉はないの?」

台所から聞こえてきた母の呆れ声に頭を掻きながら、へへへっと笑う。

「それだけ典子に一途なんですよ・・・いいじゃないの、大事に思ってくれてるんですから・・・」
「ふむ。悪いとは言ってないさ、むしろ大歓迎だ。・・・親冥利に尽きるってものだよ」
「でも、この調子で早く孫の顔が見たいわ〜」
「・・・・・母さん、その年でもうバァちゃんになりたいのか?」
「あら、いいじゃないの。あなたは伯父さんよ?ふふふ」
「・・・孫か・・・確かに早く見てみたいが、これはあれだ、コウノトリのご機嫌次第だな・・」
「向こうの世界にもコウノトリっているのかなァ、父さん」
「ふっ・・さァな。イザークに訊いてみるといい。多分変な顔をするだろうさ。『何で鳥なんだ?』ってな」

言いながら尚もくつくつと笑った。

「しかしまだ新婚だろう?まだまだ二人っきりを楽しみたいんじゃないか?」
「そうかもな。じゃあ、おまえが早く一緒になるか?翔子ちゃんと。おまえが先に孫の顔を見せてくれても一向に
 構わないのだが?」
「・・・父さん・・俺と翔子はまだ院生だ。経済力がない。従って父さん達の脛を今以上に齧る事になる」
「ふむ。それも困るな・・・だが、大して変わらん気もするが・・・くくくっ・・」
「楽しんでるだろ、父さん・・・それに母さんも・・・」
「そりゃそうよ。もう何かを見て驚く次元は当に過ぎたわ。元々有り得ない話のオンパレードなんですからね」
「そうだな。我々もまた滅多にない体験をしてるんだ。この状況を楽しまなくてはな・・・」

胸のポケットから手帳を取り出し、父は笑いながら何かを書き付け始める。最近父はこうやってよくメモしている。 小説の題材や、思いついた事があれば素早くメモを取っているのだ。中身が気になるところではある。

「練れてるなァ、父さんも母さんも。流石は年長者だ。じいちゃんは・・・と、相変わらず茶か・・」

穏やかな顔のまま、祖父は茶を啜っている。

「しかし、アレだな・・・イザークには少し教育ってモンが必要だな・・」

典子の部屋の方向を斜めに見上げながら腕を組み、ぼそりと兄が呟いた。




椅子を持ち出して、クローゼットの天袋のダンボール箱を典子は慎重に取り出す。
箱を開けて中を探り、紙袋の中に目的のそれを見つけた。典子の顔が明るくなる。

『あった・・これだわ』

イザークといえば、訳が解からないままベッド脇に座らされていた。

『・・・ノリコ、何なんだ?』
『《みずぎ》よ。さっき話した、以前に友達と街へ行った時に買ったもの・・・で、これなの』

イザークにもよく解かるように典子はそれを広げ、更に身体に当てる真似をする。

『なにっ・・・・?』
『ふふ・・こんな感じに身体に当てるの。これは《びきに》といって、布地が少ないけど・・・』

・・・・・・言葉を失う。目の前にあるその存在が信じられなかった。

《しゃしん》で見たのとも違う・・・ あれはもっと身体を隠している筈だった・・・
ではこれは、今目の前にあるノリコが持っている物は何だ?・・・これも同じ物だというのか?・・・
こんなに少ない生地で、しかも妙に伸縮性のある見た事のない素材で・・・

写真で見ただけでは解からなかった水着なるモノの実態が、イザークに更に追い討ちを掛ける。
掛ける言葉が見つからず、ただ唖然と典子の持つ水着を見据えた。・・・・・だが、

『・・・違う・・じゃないか・・・』
『え?』
『・・・さっきの・・・《しゃしん》とやらに載っていたのと、違う・・・』

ようやく口から出てきた言葉。疑問に思う点、それだけを口にする。典子は少し照れたように問いに答える。

『・・・あれは学校用の物で可愛げも何もなくて・・・これは、個人的な用の物だから、色も形もいろいろで・・・』

典子の答えにも、イザークは呆気に取られたままだ。

『とにかく着てみるね、ちょっと待ってて・・』
『え・・・っ・・』

イザークにそう告げると、典子は姿見を持って来て立て、クローゼットの扉と共に衝立代わりにし、その中にすっぽり隠れる。

『お、おい・・・ノリコ・・・着るって・・』
『うん・・着ている姿を見せてあげるね。多分、これが最後になると思うから・・・』

そう言いながらも、典子は着替えの手を休めない。

衣擦れの音だけが、部屋に響く。いや、その他に響くものがあるとすれば、イザークの心臓の鼓動だろうか。
訳が解からず目の前で妙な水着を見せられ、しかもそれを今身に着けると言う。動揺するのも無理はない。

そして典子もまたドキドキしていた。サイズが合わなくて着ていなかっただけに、今度もまた合わなかったら・・・
だが、それ以前にイザークが・・・彼が・・・怒らないだろうか・・・と・・・ そんな心配がよぎる。

しかし、それは杞憂だった。・・・少なくともサイズに関しては。

―――うそ・・・ピッタリ・・・だわ・・・・・・

合わない合わないと嘆いていたのが嘘のように、今の自分の身体にピタリと馴染むそれ。感慨深くもあり、でも複雑な気分でもあり・・・ 初めて水着に合う体型になれたというのに、これが最後なのよねと心に呟いて、それから、うん。と一つ典子は頷く。



『イザークぅ・・・終わったよ』
『え・・・』

終わったという典子の声にイザークはドキリとする。横の椅子の背もたれには、典子がたった今まで着ていた衣類が掛けられている。今の彼女が身に付けているものは、さっきのあの妙な水着という物だけなのだと・・・
発した声まで何故か上ずっている。それが妙に恥ずかしく、滑稽にも思え、それ以上は何も言えなかった。

『ドキドキするなぁ〜・・・笑わないでね、イザーク・・』

扉から顔だけ出して、少し恥ずかしげに頬を染めている。肩も少しだけ覗いて、それが可愛らしい事この上ない。 しかし、そんな事をチラと思ったのも束の間、典子は俯きながら姿を見せた。

『ぅ・・・・・・・』

・・・・・・・・・・・固まった。

細くしなやかな肢体・・・ 胸の膨らみと腰下と秘所しか覆っていない・・申し訳程度のそれ・・・
明らかに身体の線をはっきりと見せている。いや、身体の殆どを露出している・・・
そしてその形・・・ しかも、頬を染めたその姿・・・長い髪が背中に収まり、俯いている為に
その髪の一房だけ前に垂れていて・・・それが、例えようもないほど愛らしく・・・ しかも綺麗で・・・
 
言葉が出せない・・・ 目が釘付けになる・・・

しかしイザークが黙ったままなのを、似合わないと思われているのかと典子は考え、

『ぁ・・・変かな・・? やっぱり、こういうのって、あたしには似合わないよね・・・えへへ・・』

頭に手を遣りながら、恥ずかしげに微笑う。


―――いや・・・変とか・・・似合わないとか・・・そういう問題ではなく・・・・・・

・・・いかん、いかんぞ、これはいかん・・・
こんな物を着て水に入るだと?・・・男も女も関係なく同じ場所で共に水浴するだと?
大勢の人間のいる所で・・・そんな事させられるかっ!
いかんっ!絶対にいかんっ! おまえのこんな姿を他の奴に見せる訳にはいかんっ!!!!


ややもって混乱していた頭が急速に冴え、イザークの眉根が不機嫌に寄る。口は真一文字に引き結ばれ、その手は握り締められ・・・

『・・・イザーク・・?』

普段とは違う彼の気配に、典子は顔を上げる。不機嫌そうなその表情に、一瞬身が竦んだ。

『ダメだ・・・』
『ぇ・・・』

ようやく言葉を発したイザークは怒ったようなその表情を変えずに彼女に近づき、その華奢な肩を鷲掴みにする。

『こんな格好で人前に出るな・・・ 絶対に許さん・・・』
『・・・イザ・・・クっ・・あっ・・・』

肩を掴んでいた手が背中に回り、その身体を腕の中に抱き竦める。

『ノリコっ・・・』

掠れた声が耳元で響いた。苦しそうな荒い、そして熱い息遣いが耳を掠め、典子の身体が一瞬ビクンと震える。

『イ・・・ザーク・・』

辛うじて名を口にする事しか出来なかった。凄い力で抱き竦められ、殆ど全く身動きが取れない。
写真を見た時の比ではなかった。何も言わずとも、彼の全身から怒りの気持ちがビリビリと刺さるようだ。
やはり彼を怒らせてしまった。もう今後は着ないと決めてたのに、イザークを悲しませる事だけはしたくないからと・・・そう思っていたのに・・・
彼の怒りを全身で感じ、身を竦めながら、ただそれだけを典子は思う。

『イザーク・・・イザーク・・・あたしは・・・・ っ! ・・・ん・・んん・・・』

それでも必死で気持ちを伝えようとしたが、彼の手が顎を押さえ上を向かされる。驚き、彼の顔を真近に感じた瞬間、発していた言葉は無に帰せられた。イザークの唇が典子のそれを捉え、言葉にならないくぐもった音
しか出てこない。
話をしようとその口を開けていた為、易々と彼の熱い舌が口の中に挿れられ、絡め取られ、そして激しく吸われていく内に、呼吸をするのも忘れ、次第に頭の中が真っ白になり、身体からも力が抜けていった・・・

半ば朦朧とする中で膝がガクリと崩れかかったが、すぐに逞しい腕に支えられる。
そして抱きしめられた格好のままで、床に膝をついた。

『ぁ・・・・・』

イザークは典子の肩に顔を伏せている。くぐもった苦しげな声が聞こえてきて、典子はハッとした。

『・・・・俺だけだ・・』
『イザーク・・・・・』
『・・・おまえの肌に・・触れていいのも・・・おまえの肌を・・見ていいのも・・・・』
『・・・・俺・・だけだ・・・』
『・・ぁ・・・』

『・・・・・頼む・・・ノリコ・・』
『・・・イ・・ザーク・・』

くぐもった声と共に、彼が震えているのが判る。

『おまえの、そんな姿を・・・他の誰にも・・・見せないでくれ・・・』
『・・・・イザーク・・・』

彼の声は、泣いているようにも聞こえた。だが、抱きしめるその手は震えてはいたが、
それでも彼女を離す事はなかった。まるで離すまいとするかのように・・・

『イザーク・・イザーク・・・ごめん、もう着ない・・・これはもう着ない・・・』

典子の声を聞き、イザークの身体がピクリと震えた。

『怒らせるつもりじゃなかったの・・・悲しませるつもりでも・・なかったの・・・』
『・・・ノリコ・・・』

ゆっくりと顔を上げ、典子の顔をじっと見つめる。

『あなたにだけなのよ・・この姿を見せたのは・・・・これが・・最初で最後・・・』
『ノリコ・・・・』
『もう・・着ない・・・絶対に着ない・・・約束する・・・だから・・・だから・・・』

笑顔で彼を見つめていたが、瞳の端からは涙が流れていた。

『ノリコ・・・っ』

想いが溢れ、愛おしむように、再びその身体を大切に抱きしめた。
典子もまた腕を伸ばし、イザークの身体を抱きしめた。

『イザーク・・・』
『・・・すまない・・・』

イザークの声に典子は首をふるふると振る。涙を流しながら何度も首を振った。

暫くそのまま抱き合っていたが、互いに身体を離し見つめあい・・・そして唇を重ねた。
先ほどのように怒りの感情に駆られたものではない、優しい口づけ。

典子の心が穏やかな気持ちで満ちていく・・・ そして・・・ふっと力が抜け・・・
腕に掛かる彼女の重みに、イザークがその顔を見つめ、そして、ふっと泣き笑いのような表情・・・
イザークの腕の中で、彼女はすっと眠りに落ちていた。

髪に手を梳き入れ、ゆっくりと愛おしむように撫でる。
そして、その後も暫くイザークは、典子を優しく抱き続けた。





その後、夕食にも降りて来なかった二人に、流石に母は心配の声を漏らしたのだが、

「放っておきなさい。・・まあ、夜食ぐらいは用意しておいてやってもいいとは思うがな・・・」

という夫の一言で、「それもそうね・・」とあっさり納得する。

「ま、ビキニ姿なんぞ見せられたら、イザークにとってはカルチャーショックどころの騒ぎじゃあないだろうさ・・」

と、妙に理解を示しているような科白を吐き、くつくつと笑いながら手帳にメモしていた。

「それにしても、本当に、あれこれと楽しい話題を提供してくれる・・・くくくっ・・・」
「あなた?」
「あぁ、いや・・すまん。・・・ふっ・・私はイザークが気に入ったよ」
「あらあなた、あたしは最初からよ・・可愛い息子じゃないの。あんなに可愛いところがあるのに、それをご両親
 は理解出来なかっただなんて勿体無い話だわ。だからその分私達で可愛がってあげなくちゃね、あなた?」
「ふっ・・・まあ、向こうには向こうの事情があったのだろうが、彼の所為ではないんだ。全く賛成だよ・・くくくっ・・」

そうして、二人で暫く笑いを交えながら話をした。


暫くして夜中近くに、空腹状態の典子がバツの悪そうな表情で居間に顔を出したのは言うまでもない。

「随分と長いファッションショーだったんだなァ、典子。相当観客を魅了してたのか?」

と、そんな風に父に冷やかされ、当然の如く言葉に詰まり真っ赤になった典子は、持って行こうとしてた二人分の夜食まで危うく落としそうになるが、結局首をふるふると横に振るだけで言い訳一つしなかった。それもまた慮って仕方なしかもしれない。


「男の人ってホント、時にどうしようもなくなるでしょ、典子?」

廊下で呼び止めそっと耳打ちした母に、典子はいつぞや父が酔っ払ってイザークに絡んだ時の母の話を思い出し、赤くなりながら頷く。

「それでもいいの、それも含めてのイザークだから・・」

穏やかに微笑みながら答える典子に、母も満足げに微笑う。この母もまた、全てお見通しなのかもしれない。

「水着はどうだった?」
「うん、サイズちゃんと合ったのよ。・・・それに・・・綺麗だって・・・ 褒めてくれたの・・」
「そう、良かったわねぇ」
「う・・ん、最初はかなり・・驚かれたけど・・・」
「そうねぇ無理もないわ。・・・引き止めてごめんね、さ、行っておあげなさい。お腹空かせているでしょうから・・」
「うん、ありがと、お母さん。この食器、明日の朝あたし洗うね・・」

そして典子は夜食を持って、二階の自室へと戻っていった。

そして・・・・

「ほぉ、サイズがねぇ・・・合わないと言っていたのにか。それはそれは・・・」

話を聞いて、案の定父はまたくつくつと笑う。

「女性というのは、神秘なモノだなァ・・」
「あら、今頃気がついたんですか?あなた・・」

「いや・・・娘というのはいつまでも子どもに思えてしまうからね。父親の悲しいサガというものさ・・」
「ふふふ、しょうがないわねぇ・・・ホントに男の人ったら・・」


そうして他愛のない話から他には聞かれちゃ拙いような話も含め、その後も遅くまで居間と二階とでそれぞれの夫婦の会話は続けられたのだった。





えぇと…宜しければ押してやってください(汗)コメントも出来ますぅ→ web拍手
長いご感想やメッセージがございますれば、こちらでも(ぉぃ)…→Mailform

兄ちゃんの彼女の名前、ここで初めて出てきました。なかなか日本名って浮かばないです。
あちらの世界の名前だったら、いろいろ浮かぶのですが…(^^;
その内に兄ちゃんの彼女も出そうと思ってます。
でもそうなると兄ちゃんの名前…「兄」じゃ困るな…(汗)
やっぱり兄ちゃんの名前も考えようかな…(くるしい…)
そうすっと、父ちゃんの名前も母ちゃんの名前も…く、くるしい。。
もし兄ちゃんの名前が出てきましたら、過去のページも修正しますんで…
変わってましたら、それとなく「へらっ」と笑ってやってください(^^;

それから背景をチェンジしました。あの背景はこれから夏!って時に替えたもので…
もう秋なのに、流石にあれでは眩しすぎる…って事で。。眩しい空と飛行機雲にはお下がり戴きます。(滝汗)
かといってこれも、では秋なのか?と聞かれても困るんですが…まあ、目に優しい落ち着いた緑という事で…
35〜3738と統一してチェンジしてます。コロコロ替わってすみません。

夢霧 拝(06.09.15)
文章修正しました。(06.09.16)
素材提供--Natural Breeze様--
Back  Side2 top  Next