蒼月鬼譚 -sougekkitan- 前章



ヒュンッ!  キィィーーンッ!!

空を切り、交える剣の無機質な音が鳴り響く。
更に、地を蹴り、迫り来る奴等の足音が轟き渡る。

ズザザザザザッ!!!

「ギャハハハハッ! 逃げるな、女ぁぁーッ!! 待ちやがれぇぇぇーーッ!!!」
「きゃあーっ! いやあーーっ! イザークっ!!」
「ノリコッ!!・・・くそッ」

――――ズバッ!! ――――ザシュッ!!

即座に剣が唸りを上げる。
ノリコを捕えようとしていた男を・・・斬った。

「ギャアァァーーッ!!」
「ひっ!!」

眼前で展開されるそれは、悪夢にも等しいだろう・・・

「ノリコッ! 来いッ!!」

繰り広げられる光景に恐れ慄く華奢な身体を、庇うように抱きしめる。
そして間髪入れず、片手で彼女を抱え上げた。

「・・イザークっ!!」

咄嗟に彼女が俺の身にしがみつく。それを合図に俺は、そいつ等の間を走り抜けた。
だが、すぐにまた行く手を塞がれる。最早、躊躇っている猶予はない。

「いいかノリコ、俺がいいと言うまで絶対に目を開けるなッ」
「・・・えっ・・」
「しっかり捕まっていろ。突破するぞッ!」
「う・・うんっ・・・」

恐怖に強張った表情ながらも俺に従い、彼女はぎゅっと目を瞑り、抱える俺の背に手を回す。

走り抜けながら、向かって来るそいつ等を相手に構えた剣を振るう。
剣気を込めたそれ・・・ 振るう度に、肉を断つ鈍い音が響き渡る。
直接剣が斬らずとも、気がそいつ等を斬る。
俺の剣気に触れただけで、肉が裂け、血飛沫が舞う。
薄闇を劈く男達の悲鳴。そして、血生臭い独特な臭気がそこら中に拡がってゆく・・・

背を掴むノリコの手に一層力が入り、俺の肩に顔を埋めた。
―――――見るなッ、絶対に見るなッ!

奴等が放つ断末魔の如き叫びが一つ、また一つと増え、まるで不協和音を奏でているかのようだ。

ザザザザザザッ!! ザッ―――――!!
キィーンッ!! ズバッ―――――!!

「ぐえッ!!」
「ギャァァーーッ!!」

多勢に無勢、しかも相手は女連れ・・・ 楽に仕留められると目論んだか・・・

奴等の目的はノリコだ。・・・俺を殺し、ノリコを捕まえて連れて行こうとしていた。
恐らくなぶりものにするか、人買い商人に売り飛ばす気であろう。
目的の為なら手段など選ばない者達、最初は誰もが不気味にほくそえんでいた。
だが俺の剣捌きに、タカをくくっていたどの者の面も例外なく慄き歪んだ。

ダンッ――――!!

彼らの遥か上へと跳躍する。驚愕、そして更に強張る顔。
着地―――・・・ すぐさま地を蹴り、駆ける。

「くっそぉぉ・・・なんて奴だ・・・」
「チッ!! 冗談じゃねぇー!! この野郎、舐めるなぁぁぁーーー!!!」

バシュッ!! キィィィーーーン!!! ザンッ―――――!!!

それでもまだ尚怒号と共に斬り掛かってくる奴等を、次々と返り討ちにしては倒していった。

月明かりに銀の輝きを見せる刀身・・・
それが、鮮血を啜り真っ赤に染まってゆく―――――


彼女を肩に抱えたまま、俺は疾走した。
奴等の悲鳴、やがてそれが呻き声へと変わり、そして消える・・・
幾人かは恐怖に竦み、逃げて行ったであろうか。
疾走する俺に追い着ける者は、一人もいない・・・



――――・・・

いつの頃からか、思うようになった。
こいつには血を見せたくないと・・・
流される血で、こいつを穢したくないと・・・
そう思えて仕方がなかった。

彼女は白い。正に白い。光のように照らす。その笑顔も、その言葉も・・・

まだ覚えたての言葉で、たどたどしくも話してくれた。
彼女の住む国には、争いはないと・・・
多少の悪さをする輩は存在しても、日常的に武器が振るわれるような場面は無いのだと・・・

平和な世界で育ったのだろうとすぐに解した。
彼女は穢れを、全く知らない―――――


俺の手は血塗られている。
そしてこの剣も多くの者の血を喰らった。

決して斬るのを好んでいるのではない。むしろ厭なくらいだ。
出来るなら人を殺めたくなどないのだ。
向かってくる者を斬らずに済むならば、それに越した事はない。

だが・・・ 止む終えない時も確かにある・・・ それは認めねばならん。
今日のように、いきなり敵が刃を向けて来た時は、尚更だ。
彼女が傍にいるが為に、咄嗟に迎え討つ体勢が間に合わない事もある。
そんな時は、考える猶予すら与えられない。
否応なしに振るいたくない剣を振り、相手を倒す。
あくまでも彼女を護る為だ・・・

俺一人ならば、奴等などモノの数にも入らない。
だが、彼女と共にいるようになってから、剣や力を使う機会が確実に増えている。
心の中に苦いものが生じ、それが全身を駆け巡る。
しかし、躊躇っている暇などはない。
俺はともかく、彼女を傷つける訳にはいかない・・・

俺の中から苦いものが消えてなくなる日・・・ 多分訪れる事などないだろう・・・



俺の背に回された彼女の手・・・ 背中の服をぎゅっと掴む手が、震えている。
随分と森の中を駆けて来た。奴等の姿は既に見えない。もう安全圏だ。

「もういいぞ、ノリコ・・・」

俺の掛ける言葉に、僅かに震えていた身体から緊張の糸が切れたかのように、力が抜ける。
背を掴んでいた手も緩んだ。
ぎゅっと瞑られていた瞳が、ゆっくりと開かれ、俺を見つめる。

「・・・ぁ・・」
「恐かったな、もう大丈夫だ」

森の中の木の株に彼女をそっと下ろし、腰掛けさせる。

「・・・ううん・・」

ふるふると左右に振られる首。・・・その顔はまだ蒼褪めている。

「だい・・じょうぶ・・・ こわくない・・・」

俺を見上げる瞳が若干潤んでいる。

――――剣を振りかざし、襲い掛かってくる大勢の輩・・・ 恐くない筈がない・・・


「・・・・ッ・・」

剣に付いている血糊を見た彼女が身を竦める。
夢であって欲しい・・・ だが、それは決して夢ではない・・・
逃れようのない現実。目を背ける事は不可能だ・・・

無言で剣の血糊を振り払い鞘に収めてから、俺は返り血の付いた上着を着替えた。


「・・・イザーク・・怪我・・ない?」
「・・・ぇ・・?」

心配そうに俺を見上げる。俺を気遣うその顔にもう恐怖の色は見えない。

「大丈夫だ・・・怪我などない」

少し微笑って見せると、安心したように彼女にも僅かに笑みが漏れた。
だが、またすぐに沈んだように俯く。

「・・・ごめん・・ね・・」
「ノリコ?・・」
「いつも・・・いつも・・・ あたし、守る・・・ イザーク・・つらい・・・・・」
「あたしいない・・と、イザーク・・・人・・斬らないで・・すむ・・・」
「・・・・ノリコ・・」
「ホントは、イザーク・・・人・・斬りたくない・・・なのに、あたし・・・あしで・・まとい、イザークの・・・
 あたし、何も・・・出来ない・・・ごめん・・・」

「・・・・・ノリコ」

項垂れてそう呟く彼女の頭に手を遣ろうとして、ピクリと震える。・・・・一瞬の躊躇い。
手の動きが止まる。

・・・・俺の手は、血塗られている―――――



頭をくしゃりと撫でてやると、彼女はホッとしたような顔をする。
だから、これまでも彼女が不安げな時にはそうして来た。

だが、今は・・・ この手で触れる事は出来ない。触れる訳にはいかない。

「何を言っている。あんたの所為じゃない・・・」
「イザーク・・・」
「気にするな」
「・・・でも・・」

ノリコは天性の優しさを持っている。
これまで彼女と過ごして来て、その性質が解かるまでにそう大して時を要さなかった。
カルコの町で盗賊に襲われた時には、発作で身体の自由が利かなく傷ついた俺を庇おうと、
恐怖に震えながらも盗賊の頭に体当たりした事もあった。だが、彼女は殺生を好まない。

彼女の性質は優しく、そして柔らかい―――――

「あの町に入った時から、奴等は俺たちに目を付けていたようだ。妙に殺伐とした町だと
 訝しんでいたが、予想以上にあの町は荒んでいた。逗留せずに早めに出て来て正解だった・・・」
「・・・・・・・」
「剣を振りかざして来る以上は、奴等にもそれ相当の覚悟は出来ている筈だ・・・
 あんたの所為じゃない・・・ 気にするな・・」
「・・・・・・う・・ん・・」

俺の話を聞いても、彼女は尚俯いている。
こんな風に沈んだ面差しは、彼女には似合わない・・・・
彼女の前に屈み、片膝をつく。その顔を窺う。

「すまなかったな・・・」
「えっ・・・」

その台詞は意表を突くものだったのか、彼女は驚いたように顔を上げた。

「あの町を通ったのが間違いだった。俺の見当が甘かった所為で、あんたにまで血の匂いを
 嗅がせる事になってしまった・・」
「ぃ・・イザーク?」
「恐かったろう・・・赦してくれ・・・」
「ぁ・・・」

「違うっ、違うっ、・・・イザーク、悪くない・・悪くないよっ」

悲しそうな顔で訴えるように首を左右に振り、両手をぎゅっと握り締め・・・・・・
その必死な姿が、健気に思え・・・

ふと、苦笑が漏れる。

「・・・イザーク?」
「お互い様だ。そうだろ?」
「ぁ・・・」
「どっちもどっち・・・そしてどっちも悪くない」
「・・・・・・・」

コクリと頷いた。

彼女の頭に手を遣る。さっきは躊躇ったのに、今度は自然に手が動いた。・・・くしゃりと撫でる。
俺の手に伝わる感触が、温かい・・・

・・・俺の内に、鈍い痛みが走り抜けた・・・―――――


「歩けるか?」
「・・・・うん・・」

安堵の表情を見せる。その瞳にようやく光が戻って来たようだ。
自然、俺にも笑みが浮かぶ。





満月に程近い・・・そんな月が浮かぶ夜だった。
夜の森は物騒だから、なるべくなら通らない。だが、今夜は別だ。
町で宿を取れなかったから、止む終えない。・・・いや、今夜に限っては、あの町に留まる方が危険か・・・

月明かりだけでは心許なく、松明に火を灯し、森の中を歩いた。
彼女は俺の後についてくる。

「疲れてないか?」

後ろの彼女に時折問う。

「だいじょうぶ・・・」

俺の顔を見て、安心したかのように二コリと微笑う。


この・・・ 笑顔だ・・・


いつの頃からだったろうか・・・ この笑顔に心和むものを感じるようになったのは・・・
俺を脅かす存在でありながら、一方で俺の心を穏やかにもさせてくれる・・・
不思議な存在・・・ 彼女は【目覚め】であるというのに・・・

彼女を穢したくない。自然とそう感じるようになった。
この存在は護らねばならんと。
無論、目覚めを狙い探している者達からも護らねばならなかった。
もし、彼女が目覚めだと世に知れ渡り、捕まるような事になれば、
彼女にとっては死ぬよりも辛い事が待っているだろう。
そして、間違いなく彼女は生きてはいられない。
俺の存在が知れるのも時間の問題だろう。
そんな事にならない為にも、俺はこの彼女を護らねばならん。

だが、何やら別の不思議な感情が俺の中に芽生え始めている。
それは時に嘲笑うかのように、俺を酷く掻き乱す。
理由など解からん。
しかし、この訳の解からない感情が俺の中に巣くい、俺に躊躇いを起こさせる。

忘れてしまえ―――――

俺の中のもう一人の自分が、そう囁く。
こいつと共にいれば、おまえの身は破滅だ・・・と。
言われるまでもない、その通りだ。

どうあっても、それは否定出来ない。





森の中はしんと静まり返り、夜行性の小動物だけが時折鳴き声でその存在を示す。


「ほら、食え」

目の前では焚き火の炎が紅々と燃える。

手渡した携帯食を彼女は遠慮がちに受け取り、いただきます・・・と言うと、少しずつ齧りながら食べる。
沢から汲んで来た水で湯を沸かし、香草と薬草の実、そして蜜片を一欠片入れたカップを渡してやった。

「これも飲め、疲れが取れる・・」
「ぁ・・・ありがと・・・」

ふうふうと息を吹き掛けながら、熱いそれを啜る。

「熱ッ・・・」
「慌てるな、火傷するぞ・・」
「・・・うん・・」

そしてまた息を吹き掛けながら、注意深くそれを啜り、ふぅー・・・と彼女は一息ついた。

「・・・・おいしい・・」
「そうか・・」
「携帯食、なれた。・・・はじめ、硬いの・・・凄い・・・びっくり・・・」
「・・・ああ〜・・」

初めて彼女に携帯食を手渡した時の事が思い出され、苦笑が漏れた。
お世辞にも食べ易いとは言えない、味よりも便宜性を重視しただけの、旅の為の食料。
適当な栄養があれば、後は腹を満たせればそれで良い。柔らかいと腐り易い為、充分に乾燥させられたそれ。
初めてそれを口にした時の彼女は、相当に変な顔をしていたな・・・
宿であれば、温かくて柔らかい食い物にもありつけるが、旅の途中ではそうもいかない。
荷は必要最低限にし、食料もせいぜいが三日分くらいの携帯食しか持たない。
火を熾して煮炊きする事もあるにはあるが、大抵は質素なものだ。
こうした旅に慣れてない彼女が、驚き戸惑うのも無理はない。


彼女はゆっくりと噛み締めるように、それを食べている。

「ゆっくり、ね・・・よく噛む。そしたら・・・甘み、出る。・・・おいしいよ」
「そうか・・」

今夜は少し冷えた。自分の腕を抱き抱えるように肩を竦ませている彼女に上着を渡してやると、
躊躇うような申し訳なさそうな顔で俺を見た。

「あたし・・・だいじょぶ・・ぁの・・イザークが、寒い・・風邪・・引く・・うわぎ、いい」

遠慮がちに手を振ってそう言うノリコ。

「俺はいい。昔から風邪には縁がない。心配するな・・」
「でも・・・」
「俺より、あんたの方が風邪を引く。遠慮せずにそれを着ろ」

【目覚め】とはいえ、ノリコは普通の少女と全く変わらない。
特別な力もない。化け物にも勿論対峙出来ない。
怪我もすれば、熱も出す。俺とは明らかに違う・・・普通の身体だ・・・

「あんたに風邪を引かれると、後々が厄介だ。着ていろ、解かったな?」
「ぅ・・・うん・・・」

諭すように俺が言うと、ようやくそれを羽織り、肩を竦め縮こまっている。

「・・・あったかい・・・」

香草茶を口にし、呟く。ほぉーっと息を吐き、目を閉じた。
その声に頷きながら、俺もカップの香草茶を口にした。




炎は相変わらず、目の前で燃えている。

どのくらいの時が経ったろうか。
暫くして、ふと肩に何かが触れる感触に、隣りに目を遣った。

「・・・ノリコ?」

静かな寝息が聞こえる。いつの間にか、彼女は眠ってしまい、俺に凭れていた。
眠気の為に均衡を保てなくなった身体が行き場を探し、無意識の内に俺の方に凭れ掛かったようだ。
飲み終わったカップを手に、膝に抱えたまま・・・

さっきあんな事があったばかりだ、当然疲れも出ただろう・・・
恐怖から解放され、身体も温まり緊張感もほぐれ、ホッとして眠ってしまったのか・・・
また、苦笑が漏れた。

「しょうがない奴だな、おまえは・・・」

倒れないように支えながら、荷の中から毛布を取り出し、彼女を包む。
そして起こさないように抱き抱えたまま、柔らかな草の上に布を広げ、その上に彼女をそっと横たえた。
枕代わりに上着を丸めて、頭の下に敷いてやる。

「・・・ん・・」

安心しきった寝顔・・・ 出会った頃から変わらない・・・

頭に手を遣り、また彼女の髪をくしゃりと撫でる。
この手に馴染む彼女の髪の感触が、心地良かった―――――




今回ビターな内容ですが、宜しければぽちりと…コメントも記入出来ます→ web拍手
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えぇと、ビターな展開で始まってます。イザーク視点の今回の拙作品でございます。
鬱々…そんな状況に自分を追い込んで書いてみました。
めちゃめちゃ暗く、表現もかなり(?)グロいので、気分悪くされた方には申し訳ないです。
原作を読んでいて、単なる少女漫画には括れないなぁ〜と感じたのが、戦闘シーンの多さです。
アクションは確かに鮮やかで、小気味良い感じも致しますが、実際に剣でズバズバ…
尋常ではない世界ですね。現代モノの「藤臣くん」あたりであれば、せいぜいが喧嘩程度なんでしょうが…
人斬り… さらっと読み飛ばせなかった面であり、この物語全体を通しての奥の深さを改めて感じさせられます。
実際、そう実際こんなのが目の前で展開されたら、恐怖に竦むなんてモンじゃないですよ。
しかも人身売買もある、盗賊やならず者はうようよ居る、しかも女と見ればなぶりもの。。うぅぅ…
死がすぐ隣りにあるような世界、いつも気の抜けない世界、だけど、ともすればおかしくなりそうな精神を
ずっと正常に保っていなければならなくて、その為に必要とされる精神力、これまた尋常でなく要求される…
そんな中でノリコのような存在は、やはりイザークにとって、貴重なものになっていくのかなぁ〜と思えました。
気を張ってなければ殺られる世界だからこそ、彼女はオアシスに成り得るのでしょう。
乾いた心に潤い。荒んだ心に光。良いもんです。
別離前のエピソードで書きましたんで、二人のやり取りもそれ程甘くはないですが…

にしてもしみじみと思ふ、ホントにノリコは…そんな世界でよくぞ無事で…

まだ終盤を書いてなく、一度にアップ出来ないので前後編に致しました。
実は、管理人が書いてみたいと思ったテーマは後章にて出て参ります。
切ない感じ…はすると思います。そして後半もある意味グロいです。但し人斬りではございません。

後章も宜しければお付き合いくださいませ。

夢霧 拝(06.09.22)


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