蒼月鬼譚 -sougekkitan- 後章



「そこの、旅のお方・・・」

不意に呼び止める声に、俺達は振り返った。



昨夜は、森で夜を明かした。そしてその森を抜け、かなりの距離を歩いて来た。
陽の傾きもだいぶ進んだ頃、砂の丘陵地に程近いその町 --アーガス-- に、俺達は入った。

・・・妙に人気のない町だった・・・―――――

表通りに人っ子一人見当たらない。だが廃れた町だとは思えない。
家の中には気配が感じられるのに、誰も外には出て来ない。
夕刻までにはまだ間がある、刻限の所為という訳ではないようだ・・・
家の戸は何処もしっかりと閉ざされ、窓には雨木戸までが堅く下ろされていた。
これでは、陽の光も家の中までは届かぬだろうに・・・ いったいどうしたというのか・・・


呼び止めた声の主を、無言のまま俺は見据えた。

「剣を下げているところを見ると、渡り戦士とお見受けしたが、相違ないか?」

訊ねて来たのは老人だ。だが、どういう訳か隙が全く感じられない。
その老人が徒ならぬ者である事は、すぐに判った。

「・・・・・そうだが、何か用か?」

表情を変えずに問い返す。

「あんたを是非雇いたいのだが、宜しいか?」
「・・・依頼の内容と、報酬にも因る」

俺が短く答えると、その老人は当然だと言うように頷いた。

「儂の名はグラドスと申す。すっかり老いさらばえてしまったが、これでも昔は剣士をしておった」

剣士・・・ この隙の無さは、やはりそういう事か・・・

「ついて来なされ。依頼の内容を伝えよう」

グラドスと名乗ったその老人は、それだけ言うと背を向けて歩き出した。
他人に後ろを見せているにも関わらず、やはり隙が感じられない・・・
心配そうに俺を見つめるノリコの背に手を遣り、警戒心を解かぬまま、俺達はその老人の後について行った。





「ミナバのならず者共を倒したのは、あんただろう?」

この町にしては似つかわしくないほど重厚な屋敷に入っていったその老人は、一室に俺達を案内すると、
いきなり話を切り出した。

「何故それを・・・」

警戒の色を一層濃くする。それを察してか、老人はふっと微笑う。

「そう身構えんでも良い。あんた達をどうこうすると言うのではないんだ。ミナバの廃れ振り、奴等の評判の
 悪さはこのアーガスにも轟いていた。時にはこの町にも現れて、悪さを働いとったでの・・・ほほほ・・」

穏やかに笑った後一際くっと口元を歪ませ、更にその老人は言う。

「むしろ、有難いとさえ思っている。厄介な連中をよくぞ倒してくれた。ミナバから遣いの者が来ての。
 伝えられた風体から、あんたではないかとすぐに判った。・・・しかも若い女連れであると・・・ほほほ・・」
「・・・・・」
「・・・案じなさるな。そのお嬢さんには何もせん。純粋にあんたの腕を借りたいだけなんじゃて・・・」

無言のままノリコを背に庇う俺に老人はそう言い、そして更に話を続けた。

「この先の砂漠に出現する怪物を、あんたに倒して欲しいのじゃ。頼めるだろうか?」
「・・・砂漠に出る、怪物・・・」

俺が老人の言葉を繰り返すように呟くと、彼は頷いた。

「この町を外れて少し行くと、広大な砂漠地が広がる。流砂や砂嵐が起こり、時に旅人泣かせではあるが、
 そこを越える以外にこの町を出てから次の町へと行く術がない・・・」
「・・・・・」
「砂嵐が治まりし後、その怪物は地中より姿を現す。・・・そして、旅人を襲い・・・喰らう・・」
「ひっ・・」

老人の言葉にノリコは驚いたのか、俺の袖をぎゅっと掴んで来た。
・・・無理もない。人を喰らう怪物・・・おぞましい以外の何物でもない・・・

「おお、恐がらせてしまったの・・・すまぬ・・・ だが、儂等もほとほと困っておる。お陰で町からも出られん。
 ミナバにも行けなんだが、幸いこっちの方は、あんたがあの者共を倒してくれたお陰でまた行けるように
 なると喜んでおるがな・・・」
「その怪物を、倒せと・・・」
「早い話がそうだ。その砂嵐は日に幾度か発生する。嵐の合間を縫って行こうものなら、忽ちそいつが牙を剥く」
「以前は、そんな話など聞かなかったが・・・」
「そうだな、昔は砂漠も安全だった。まあ、砂嵐はあるにはあるがな・・・。しかし、いつの頃からか巨大な
 王蔭虫(おうかげむし)が現れるようになった・・・」
「王蔭虫・・・ 腑に落ちんな。確かにあれは砂地に棲息するが、大きい物でもせいぜいが子どもの腕程度の
 体長しかない筈だが・・・」
「そうなのだ。その筈だったのが、いつの間にか人の丈を遥かに超えるそれが姿を見せるようになった。
 普通なら人を襲うこともない、勿論喰らう事などないそいつが・・・人の味を覚えてしまったのじゃ・・・
 そして、その最初の犠牲者となったのが・・・儂の倅だ・・・」
「・・・・・・っ」

俺の背に隠れるようにノリコは視線を伏せた。その手が更にぎゅっと俺の袖を掴んでいる。
花虫の大群から逃げた時の事、恐らくはまだその記憶に鮮明に残っているだろう・・・
その上にこの老人の話・・・いささか生々しさが過ぎるか・・・

しかし・・・どの道、砂漠は避けては通れない。俺達も、いずれ通る筈だった。
砂嵐は厄介だが、それを遣り過ごせば無事に通れるただの砂漠であると・・・・・・
なのに・・・更に、そんな厄介な怪物までが出るとはな・・・


「この町の様子を見たであろう ?・・・どの家も外扉をしっかりと閉め、昼日向から雨木戸までしっかりと閉じて
 しまっている。砂嵐の砂が町まで飛散する所為もあるが、やはり砂漠に怯えて暮らしているのじゃ・・・」
「・・・・・」
「報酬は三万ゾル出そう。今まで町の皆で積んで来た報酬だ。どうだろうか、引き受けてはくれぬか?」
「・・・随分と張込むんだな・・」
「ミナバの奴等を倒したあんたのその腕、全く隙を感じさせない立ち構え。相当の手練と見た。
 それを踏まえての頼みじゃ・・」
「・・・・巨大な・・王蔭虫・・」
「他の者に退治を依頼しても、誰もが恐怖に慄き引き受けてはくれぬ・・・ この町を訪れる渡り戦士に
 しても然りじゃ。話を聞いただけで断られてしまう・・・」

老人の口から、落胆のため息が吐かれた。

なるほど・・・ 渡り戦士といえども、命は惜しいか・・・。
対人間であれば、多少の強者相手であっても何とか出来るだろう。
しかし、対怪物となると話は別だ。・・・巨大な王蔭虫、しかも自分を喰らいに来る。
如何に屈強な男といえど、怖気付くのも無理はないか・・・

「・・・儂はご覧の通り年老いてしまった・・・ 息子の仇を取りたいが、儂の力では最早奴に只で餌を提供して
 やるようなものだ・・・ もう命など惜しいとは思わぬが、倅の事を思うと口惜しい・・・口惜しくて堪らんのじゃ・・」

老剣士の肩が力なく下がる。隙を見せなかった先ほどまでの元剣士の姿が、酷く小さく見えた。
相当気を張っていたのだろう。愛する者を失った辛さ・・・やるせない気持ち・・・ 彼の心情は理解に容易い。


「その依頼、引き受けよう」
「ぇ・・・・」
「なに!?・・・それは本当か!?・・・本当に引き受けてくれるのか!?」
「ああ」

・・・別に同情したからという訳ではない。俺達が砂漠を越える為にも、そんな化物がいて貰っては困る。

「イザーク・・・」
「心配要らんノリコ。大丈夫だ・・・」

不安げに俺を見上げるノリコに、安心させるように告げた。

「有難い事じゃ・・・引き受けてくれるとは・・・では、明日陽が昇ってからでもっ・・・」
「・・いや、今から行こう」
「なに!?・・・それはいかん、危険じゃ。じき日が暮れる、夜は一層危険が強まるんじゃ。明日の方が・・・」
「どの道、化物が相手だ。いつであろうと同じ事。ならば、早い方がいい・・」

俺の言葉で、緊張の色をその顔に浮かべる老人。再び厳しい剣士の顔に戻る。

「・・・そうか、・・・では、お願いする事にしよう」


「あんたの名を聞いてなかったな」

部屋を出て行こうとした俺に、老人が声を掛けた。

「・・イザーク」

表情を変えぬまま問いに答える俺に、グラドス老人は頷いた。





留守中のノリコの身の安全を約束させ、俺は砂漠へと向かった。
馬を貸すと言われたが、丁重に断った。馬など必要ないし、反って邪魔だ。
それに、確実にその怪物とやらの餌食となるだろう。

俺がそう告げると、老人は心得たかのように頷いた。


町の人間は、本当に誰も出ては来ない。まるで死んでる町だ。
砂が飛ぶのに外に出てくる物好きなどはいないだろうが・・・

この町には色がない。飛んでくる砂のみの単調な色・・・
しかしその砂の所為で、確実に砂漠化は進んでいる。
下手をすれば、この町もいずれ砂漠に飲まれてしまうだろう。



アーガスの町を外れて暫く行くと、砂が舞い煙るそれが見えて来た。

砂嵐も以前はそれ程頻繁ではなかったと言う。
以前俺がこの砂漠を通った時は、砂嵐もせいぜいが三日に一度程度のものだった。
その王蔭虫が嵐の元凶という訳か・・・
ピタリとそれが治まり旅人が油断した隙を突き、そいつは現れるのだと言う。

一寸先まで見通せないほどに、砂は空高く渦巻いている。
風に煽られたそれが夕空の光さえも覆い、陽が暮れる様と重なって、
まるでこの世の混沌と、絶望に向かう様を象徴するかのようだ。

俺は、嵐が治まるのを待った―――――




巨大な王蔭虫、そして樹海の花虫といい、巨大化する生き物が増えている。
これも、俺や【目覚め】に関係しているのだろうか・・・
闇の力が世界に広がりつつある。
ゆっくりではあっても、不気味な悪夢は確実に・・現実へと向かっている。

いつか、俺もなるのだろうか・・・
夢の中で俺を苛むあの化物のように、本当に、そんな化物へと・・・俺も・・・・・

・・・くっ!! 冗談じゃないっ・・・ そんなものになって堪るかっ!!


―――・・・では、何故【目覚め】を仕留めなかった?・・・―――


! ・・・不意に俺の中に響いたその声に愕然とした。

・・・まただ。・・・また、もう一人の俺がこの俺を掻き乱す。


―――・・・楽になりたいのではなかったのか? ・・・だから樹海に赴いたのではなかったのか?・・・―――


その通りだ・・・ 俺は楽になりたかった・・・
【目覚め】さえいなければ、俺の中の奴も目覚める事はないのだと・・・
そう思っていた・・・ しかし・・・


―――・・・何を躊躇う? 今からでも遅くはないぞ?・・・くくくくっ・・・―――


・・・・・・・くっ・・・

・・・闇にまみれ、七転八倒している俺がいる。
苦痛に喘ぎ、砂を掴み、宿命から逃れたいと・・・ 這い出そうともがいている俺が・・・
喉が灼けつくほどに叫んでいる俺が・・・ しかし・・・

「あいつには・・・ 罪はない・・・」


―――・・・・・・・・・ ―――


そうだ。あいつには何の罪もない。 何も知らずにいきなり自分の世界から、家族から離されたんだ。
訳も解からず、言葉も習慣も全く違うこの世界に放り込まれたんだ。
あいつに何の罪がある!?
どうしてあいつを手に掛ける事が出来る!?


―――・・・それで良いのか?・・・あの娘と共に居れば居るほど、おまえの苦悩は増えるのだ・・・
   ・・・楽になりたいとは思わぬのか?・・・ほんの一瞬ではないか。おまえの剣一振りで良い・・・―――


! ・・・・・・・


―――・・・それとも力が良いか? おまえなら造作も無いだろう・・・ほんの一瞬だ。それでおまえは楽に・・・―――


「黙れっ!!」


―――・・・・・・・・・ ―――


「あいつには、何の罪もない。何の責任もない。・・・俺の都合で殺す事など・・・出来ん・・・」

俺の応えに声は哂った。嘲笑う声が、辺りにこだまする。


―――・・・所詮は血塗られた道よ・・・おまえには地獄も同然・・・くくく・・・ ――――


「・・・失せろっ!!」


―――・・・くくくく・・・くくく・・・くく…… ―――


「く・・・っ!!・・・」




ズズズズズズ・・・・・…

「む!!」

不自然な音にハッと我に返り、顔を上げた。
いつの間にか、砂嵐は治まっている。

・・・・何物かが近づく気配。・・・奴か・・・問題の化物・・・

ギアアアアァァ・・・ ギアアアアァァァ・・・

得体の知れぬ不気味な声・・・ 間違いない、奴だ・・・

ズズズズズズ・・・・・・…

前方の砂地が窪んでいく・・・

ザバァァァァーーーー!!!

その瞬間、窪んだ砂地から勢い良く砂を撒き上げながら、巨大な怪物が姿を現した。
その姿に目を瞠る。

「流石にでかい・・・ あれが王蔭虫とは・・・」

俺の身の丈を軽く超えるそいつ。・・・二倍、いや三倍はあろうか。
花虫よりも巨大だ。こいつが人を襲い、喰らっているというのか・・・


目の前のそいつが、俺を見据えている。その身は硬い甲に覆われ、側面には無数の脚が蠢く。
その中で一際大きな鎌脚を振り上げ、俺を捉え喰らおうと・・・機を計らっているのだ。

剣の柄を握り、身構える。

「悪いが、喰われてやるつもりはない。町の人間が難儀している。あんたには何の恨みもないが・・・」

チキッ!

「・・・倒させて貰う」

ギアアアアアアァァァァーーーーーーー!!!!

俺の言葉が解かっているのかいないのか、途端にそいつは俺を目掛けて突進して来た。
速いッ ! 砂の上だというのに、なんて素早い動きだッ !
俺の剣で何処まで遣れるか・・・

「はぁッ !!」

ダンッ――――― ! 跳ぶッ !

砂に力を吸収される所為で、踏ん張りが利かずあまり高くは跳べない。
奴は硬い甲冑のような物に身を守られている。下手に身体の前面を狙っても上手くはいかん。

跳び上がり様に剣を素早く抜き、剣気を込めて真一文字に振るい、奴の鎌脚を薙ぎ落とす。
そしてすかさず奴の懐付近に入り、右側面、脚の繋ぎ目を剣で捉える。
奴のあの動きを、まず封じる事が出来れば・・・

ギアアアアァァァーーー!! アギャギャギャギャアアアァァァーーー!!!

悲鳴か。俺の剣気に当たった奴の右側面の脚が飛び、同時におびただしい量の体液が噴出した。

「むッ!?・・・」

程なくその身体から触手のような細長い物が伸びて来る!
何だとッ !? ・・・王蔭虫にはこんな触手はなかった筈だ。
巨大化して、その身も変化したか・・・―――――!!

奴の触手がもの凄い速さで飛び掛り、俺の身体に巻き付いた。

「くそッ!」

凄まじい力で締め上げて来る。そして、宙に浮かされた。
俺の眼下には奴の巨体。更に別の触手を伸ばしてくる。
俺を雁字搦めにするつもりらしいが、こんなところで殺られる訳にはいかん。

「かぁぁぁーーーッ!!!」

内に秘める力を集中させる。俺の発した熱、そして高めた気が奴の触手を破壊し吹き飛ばす。
触手から逃れ、身を翻して着地。

「これで最後だッ」

間髪入れず身構え、気を左手に込めた。

「はああぁぁぁぁーーーーーーッ!!!」

全身の気を集中させた渾身の遠当て。一瞬昼間のように辺り一帯が明るくなる。
遠当てを食らった奴の身が・・・ 四散した―――――

奴の成れの果て・・・ そこらじゅうに飛び散り、暫くは命ある物のように蠢いていた。
だが、やがてそれも動かなくなった。

砂が風に煽られ、舞い上がる。 奴の生の気配が・・・ 消えた・・・


砂だけではない。俺の髪もまた・・・
 
黒から変化したそれ・・・

そして解かる・・・ 口には牙も伸びているだろう・・・ そして瞳も・・・

身体中が小刻みに震える・・・

俺のもう一つの姿・・・ 忌まわしい、もう一つの・・・



舞い上がる砂が治まり、雲一つない空には夜の月が顔を見せていた。
月の光が、俺の長く伸びた髪を蒼銀に照らす。

流れている涙は銀の輝きか、それとも血の如く紅いそれか・・・

月は俺の問いには応えない。
ただ、闇の砂地を明るく照らすだけだ――――






その頃―――――

グラドス老人の家ではノリコが俺の帰りを待っていた。
窓の外をずっと見つめながら・・・―――――



「まだ窓の外を見ているのかね?」
「え・・・ぁ、はぃ、ぁの・・・」

呼ばれて振り返る。

「心配かね・・・ まあ、そうだろうて・・・ 彼はとても強そうに見えたが・・・」
「・・・・・」
「元剣士だった儂だ、よく解かる。彼には他者を圧倒する鋭い力がある。あの目、更には纏う気・・・
 全く隙を見せん。・・・この儂でさえも、気をしっかり保っていなければ、彼の気に飲まれるところだった・・・
 あれは相当の鍛錬を積んで来たのだろう。年は若いが侮れん。・・・だから化物退治を頼んだのじゃ・・」
「・・・・はぃ」
「そんなに沈むではない。彼はきっと帰って来る。そう信じておるよ」
「ぁ、・・・ぃぇ・・信じない、違う・・」
「ん?」
「・・・イザーク、強い、とても、強い・・・きっと、だいじょぶ・・」
「ああ、きっとな。おまえさんを連れていても、ならず者共を倒せたくらいだからな・・」

ノリコは再び窓の外に視線を戻した。

(きっと、帰って来るね・・・だいじょうぶ、だってあんなに強いんだもの・・・イザーク・・)

(・・・でも、待ってるだけなのは辛いよ・・・あたしにも何か出来たらいいのに・・・何の役にも立てない・・・
 ただ、イザークの足を引っ張るだけ・・・)

(また・・砂が舞っている・・・ さっき、向こうの方に明るい光のようなものが見えたけど・・・)


暫くの後、通りの向こうに何かが見受けられた。

(・・・・? 人影が見える・・・ あっ・・)

思わず窓に両手をついてその人物を確認した。あれは、間違いなくあの人影は・・・
咄嗟に扉に向かって走り出していた。

「ん、お嬢さん、どうしたかね? 何処へ行くんじゃ!?」
「イザークがっ、イザークがっ!」
「何じゃと、帰って来たのかっ!?」





「・・・・・?」

向こうから誰かが駆けて来る気配に俺は顔を上げた。

・・・あれは・・・ノリコ・・


俺が町に入った時だった。月は既に中天近くまで昇っており、
出始めた風の所為で、また砂が舞っていた。ただ嵐ほどの酷さは微塵もなかったが・・・

「イザークーっ!」

ノリコ・・・ あの老人の家で待っている筈だったのに・・・向こうから駆けて来る。
俺が戻ったのが解かったのだろうか・・・ 彼女は俺を目掛けて駆けて来た。

「イザークっ!」
「ノリコ・・」
「イザークっ、無事?・・・あっ!!」
「ぁ・・!」

走って来た彼女が躓いた。咄嗟に俺も駆け出す。

『あっあっあっ! きゃっ!!』

つんのめって転びそうになった彼女を、俺は受け止める。ポスンっと腕の中に収まった。

「・・・あ・・ご、ご、ごめん・・なさいっ・・・あのっ」
「いや、大丈夫か?」
「う・・ん・・、あ、・・イザーク無事? 怪我ない? 無事?」

必死な顔で見つめ、俺を心配する・・・

「ああ」

大丈夫である事を微笑って伝えると、途端に彼女の顔に安堵の色が浮かんだ。
その目に涙まで浮かべて・・・

「あ・・・良かった・・・イザーク無事っ・・良かったぁ・・うれしい・・・」
「・・・ノリコ・・」

ノリコの仕草に、笑みが漏れた。

・・・俺の帰りを待っていてくれたのか・・・ そんなに俺を心配していてくれて・・・
そうか・・・そういう奴だったよな、おまえは・・・ 今までも、俺を気遣ってくれていた・・・

彼女の気持ちが、こそばゆく・・・ だが、やはり・・・ 嬉しかった・・・


・・・・・・しかし、


―――・・・所詮・・血塗られた道よ・・・くくくくっ・・・―――


ふとよぎるあいつの声・・・ それが思い出され、知らず眉を顰めていた。
ノリコと共にいれば・・・ 俺はいずれ・・・


「イザーク・・顔色、良くない・・・どこ、痛い? だいじょぶ?」
「っ・・・」

ノリコが俺を心配する。・・・・彼女の心には嘘も偽りもない。
いつでも必死で、俺を心配する・・・・

「何でもない・・・違う、大丈夫だ・・」

ノリコに余計な心配はさせられん。弱さだ。あれは、俺の中の心の弱さが見せている単なる幻に過ぎん・・・


「おーいっ、あんたっ」

家の中からあの老人も出て来た。俺が無事で余程驚いているようだ。

「あんたっ、倒したのかね!? あの王蔭虫を!?」
「ああ、あいつの身体は四散した。気配ももう感じられない」
「四散じゃと!?・・・いったいどんな技を使ったらそんな事が・・・」
「遠当てが使える。最終的にはそれで倒した。本来なら王蔭虫にはない筈の長い触手を持っていた。
 恐らくは、巨大化する過程で出来たものだろうとは思うが・・・」

俺の言葉に彼は一瞬絶句した。無理もない。
怪物の姿がどうなどと、確認に行ける筈もないだろう。
行けば即、奴の餌食だ。

「・・・・・なんと・・・触手までとは・・・」

「・・・しかし、なるほど、あんたは遠当ての使い手だったか・・・凄い事じゃ。しかも、あんな怪物を
 倒してしまうほどの遠当てを使えるとは・・・ やはりあんたは、徒者ではなかったな・・・
 ・・・いや、本当にご苦労じゃった。有難う・・・有難う・・・ これで町の皆も喜ぶだろう・・・良かった・・・」

グラドス老人は安堵の表情を見せた。先ほどと同じく肩が下がりその目には若干涙まで滲ませている。
ただ、先刻のと今のそれとでは、涙の意味は全く別であろう。

俺達はその晩、老剣士の家に世話になる事にした。





翌日、念の為にもう一度砂漠に立ったが、奴は姿を現さなかった。
気配も感じられない。どうやら、化物は一体のみだったようだ。
砂嵐も今日は殆ど起きていない。この分なら午後に出発しても、夕刻には砂漠を越えられるか・・・

俺とノリコは午後になってから町を出発する事にした。
町には、人々の姿も見えていた。やはり安心して外に出られるのは、何よりだろう。

「今からだと、砂漠を越えるのは早くとも夕刻近くになるぞ。失礼だが、女性の足もある。
 砂漠は広い、もっと余裕を見た方が良い・・・ 出発は明日の朝にした方が賢明ではないか ?」

老人の忠告は尤もだ。確かにノリコの足では時間も掛かるだろう。
・・・だが、俺たちはいつまでも一所に留まる訳にはいかない。
ましてや、この老人に俺達の事情など到底話せる訳がない・・・

「いや。砂漠を越えれば、次の町まではそれほど遠くない。仮に野宿になったとしても慣れている。心配無用だ」
「・・・そうか、ではこれ以上は何も言うまい。世話になった、あんたには感謝している。道中気を付けてな・・・」
「お世話、なりました。ありがとございます、グラドスさん」

ノリコは頭を下げて礼を言う。
老人は頷きながら、元気でな、とノリコに声を掛けていた。




そして俺達はその町を後にした。

化物の影響がなくなり、あの町も息を吹き返すだろう。
町に活気が戻るのなら、それは良い事だ。


砂に足を取られながらも、ノリコは懸命に歩いていた。
彼女の歩に合わせて歩いていたが、前方の砂地が煙っているのに気付く。
それは渦を巻くように、こちらに向かって吹き荒れながら近付いて来ていた。

拙いっ、砂嵐だ。
すぐに切り返し、ノリコの元に急いだ。

「ノリコっ! ここへ来いっ!」
「えっ・・・イザ・・・」
「砂嵐だ」

素早く駆け寄ると、被っていた布を広げ、自分ごと彼女を包む。

「あ・・っ」
「このまま動くな」
「イザ・・ク」
「砂が口に入る、喋るな、そして目をしっかり閉じていろ」
「ぅ・・・」

返事をする代わりに、ノリコは俺の胸に顔をつけた。
砂が入り込まないように彼女を胸にしっかりと抱きしめる。


ゴゴゴゴゴォォォォォォォーーーーーー!!!


布の外で砂の唸る音がする。地をも揺さぶる、気が滅入る音だ。
飛ばされぬようにしっかり踏ん張り、耐えた。
この砂嵐を遣り過ごせば、道行きも楽になるだろう。

耳障りなほどに砂と風の音が鳴っているのに、鼓動の音が伝わって来るのが解かった。
彼女の心臓の鼓動。いや・・音というよりも、身体から伝わってくる振動なのかもしれん。

ドクン、ドクン、ドクン、トクン・・トクン・・・・・・・…

鼓動と共に伝わって来る彼女の微かな震え。

恐いか――――? ・・・そんな事、訊くまでもない。

夜でも灯かりが煌々と灯り、夜通し眠らない町が多いのだという。
緑も少ない、そしてこんな砂地の広がる場所とも縁の薄い世界で暮らしていた彼女にとっては、
恐らくこうした砂嵐の経験など皆無だろう。

恐いか・・・と、そう訊く代わりに、安心させるように彼女をしっかりと抱きしめた。
俺には、こんな事ぐらいしかしてやれん・・・


やがて音が静かになっていった。

どうやら砂嵐は過ぎたようだ。
二人を覆っていた布をゆっくりと取る。

午後の傾いた陽、そして若干赤みの差した蒼空が見えていた。


「大丈夫か?・・ノリコ」

俺の問いに、胸に掴まっていたノリコは、やや放心したように顔を上げた。

「・・だい・・じょぶ・・・ でも・・・ビックリ・・した・・」
「急だったからな。このまま行けば、日が暮れるまでには砂漠を越えられる。もう少しの辛抱だ」
「・・うん・・・頑張る、あたし」

笑顔で応える彼女に頷き、その手を取って立ち上がらせる。
そして覆っていた布の砂を払い、彼女に羽織らせた。



だが、再び砂地を歩き始めた時、不穏な気配を俺は感じ取った。

―――――!? ・・・何だ、この気配は・・・

あれに似ている・・・ まさか・・・
昨夜奴を倒した後には、もう感じられなかった気配。
今日もこの砂漠に立ち、怪物の有無をその気配で確かめた筈だ。
奴の気配は、確かに消えた。その筈だった―――――!

見当を違えたと言うのかっ 莫迦な、そんな筈はないっ!!

拙いッ!! 咄嗟にそう感じた。
今は俺一人じゃない。ノリコがいる。彼女が一緒では、危険だっ!

しかし、考える間もなく地響きの音が鳴り始めた。

ズズズズズズ・・・・・・… ズズズズズズ・・・・・・・・・…

「えっ・・・イザークっ・・・」

咄嗟にノリコが俺の腕を掴んだ。
くそっ、・・・間違いなく奴だ。しかも一体だけでない、複数の気配・・・

「拙いな、どうやら別な王蔭虫が生きているようだ・・・」
「ええっ!!」
「奴が近付いてくる。だが、おまえを危険に晒す訳にはいかん・・・」
「イザーク・・・」
「ノリコ、左方向に向かって走れ。出来るだけ急ぐんだ。いいな?」
「・・あ・・・」

ズズズズズズズズズズズ・・・・・・…

「走れっ!!」

手で方向を示し、ノリコを走らせた。とにかく少しでも、彼女を遠ざけなければ・・・
だがそうこうしている内に、砂の中からそいつが、やはり大量の砂を巻き上げながら姿を現した。

しかも・・・

「・・・二体」

昨日の相手とは違い、個体そのものの大きさが若干劣っている。・・・奴の子どもか?
二体が相手。しかし俺が奴等を引き付け、その間にノリコを出来るだけ遠くに逃がさねば・・・

瞬時に跳び上がり、奴の懐、もたげる鎌首へと飛び込む。
振り上げた剣をその頭部目掛け、力を込めて振り下ろした。

ズバッ――――――!!

ギアアアアァァァァーーーーーーッ!!!! アギャギャギャーーーギギギィィィィィーーー!!!!

剣を食らい、奴の頭部が裂ける。耳を劈く奴の悲鳴。そして噴出すおびただしい量の体液。
しかしそんな状態にも関わらず、奴は尚も鎌脚を振り上げ、俺に迫ってくる。

奴の裂けた頭部を蹴り、身を翻し更に剣を振るう。息もつかせず、その鎌脚を薙ぎ落とす。

ザンッッ―――――!! バシュッッ――――――!!

鎌脚が飛び、体液を噴出しながら、その巨体は鈍い音と共に崩れ落ちた。

まずは一体ッ。残るは・・・あと一体。

俺が残りの一体に向かい、剣を構えたその時――――

「きゃあああーーーーっ!!!」

「むッ!!!」

ノリコの悲鳴!?
彼女の逃げた方向を見据えた。

その眼前で、更にもう一体の王蔭虫が砂を撒き散らしている・・・!?

三体目だとッ!?

―――愕然となった。何故昨日は掴めなかったのか、奴等の気配を・・・

王蔭虫は砂地の地中深くに棲息する。水や餌の少ない厳しい場所で生きていく為に
環境に順応し知恵を働かせ、生き延びて来たと言う・・・

その知恵とやらにより、昨夜も今朝も気配を消していたか・・・―――――!!
そして俺達がここを通るのを虎視眈々と狙い、待っていたという訳か!? ・・・くッ!!

不覚ッ・・・ そう思ったが後の祭りだ・・・

「ノリコッ!!」

そいつが触手を伸ばして来る。
拙いッ! ノリコは恐怖に竦み、動けずにいる。

「きゃあああーーーーっ! いやああーーーー!!!」
「ノリコッ!!」

奴がノリコを捉えた。身体が宙に浮き、これでは剣が届かんッ。くそッ!
即座に跳ぶ。そして、ノリコに巻き付いた奴の触手をぶった斬る。

ギアアアァァァーーーーー――!!!!

凄まじい奴の悲鳴が辺りに轟き渡る。

「ひあぁぁぁーーーッ!!」
「ノリコッ!!」

落ちるッ! 支えを失ったノリコが落ちていく!
急ぎその身に追い着き、彼女の身体を庇いながら下の砂地に落ちた。

「・・・イザークッ」
「くッ・・・」

怪我がないか、確かめている暇はない。彼女を降ろし、振り向き様にそいつに対峙する。

「はああぁぁぁーーーーー!!!」

グワ――――――ッッ!!

閃光・・・ 暮れ始めた辺りが一瞬昼間のような明るさに包まれる。
俺の遠当てを食らったそいつの身が、四散した。

これで、二体ッ。

「イザークっ! こっち、来るっ!!」

ノリコの叫びに振り向くと、さっきの残り一体が眼前にまで迫って来ていた。
俺はノリコを後ろに庇い、再び剣を構えた。

「ノリコ、この場から動くな!」

奴目掛けて跳ぶ。伸びて来た奴の触手を即座に斬り落とし、更に頭部目掛け、
気と共に剣を振り下ろす!!

ギアアアアァァァァーーーーーーン !!!

だが、こいつもだ。頭部が裂けているのに、まだ鎌脚を振り上げて来る。

「く・・・しぶとい奴だッ・・・」

鎌脚から逃れ、再度高く跳ぶ。そして空中から両手を構え、全身の気を集中させた。

「今度こそ、最後だッ!!!」



キィィーー――――――――――――――ンンン!!!!


光の音が・・・ 聞こえたような気がした・・・


―――――――ーーーー・・・グワッッ!!!!!


辺り一面、煌く閃光で満ちてゆき、奴の身は吹き飛んだ―――――




砂が舞う――― 陽が落ちた空には、満月が出始めていた。




『・・・げほっ、げほっ、砂が・・・ぁ・・』

(・・・イザークは・・・?)

(・・・えっ・・・)


動かなくなった化物の前に、黙ったまま立っているイザーク・・・
陽が沈み、辺りは暗くなって行き、はっきりとは解からなかった・・・ けど・・・ 月明かりを受けて・・・


ビューーーーッ!!

『きゃっ、うう、また砂ぁっ!』

「・・・!?」

ザッザッザッザッザッ

(え・・・あっ!?)

「イザ・・・」
「大丈夫か? ノリコ・・・」

顔を上げた時、駆け寄って来たイザークが抱きしめてくれた。・・・でも・・・

「イザーク・・・・ぁ・・・」
「見るなッ」
「え・・・」
「何も・・見るな・・・ 見るな・・・」
「イザーク・・・・・・」

イザーク・・・ イザークが・・・震えている・・・

イザークの髪が・・・ いつもより・・・ 長い・・・
色・・・ 月の光で、輝いて・・・靡いて・・・ 凄くきれい・・・
なのに・・・ いつもの黒じゃない・・・ これは錯覚・・・?

「・・・何も・・・ 見るな・・・」
「・・・・イザーク・・・」


・・・――――

見せたくはない・・・ 彼女には・・・ この惨状は・・・
そして、俺の変化した姿は・・・ 見せたくはない・・・

俺はノリコを抱きしめた・・・

奴等の屍・・・ そして、俺のこの姿・・・ 彼女に見せたくない為に・・・
何も・・・見せたくない為に・・・


「・・・イザーク・・」
「 ! 」

・・・彼女の手が、俺の背を掴む―――――

「だいじょぶ・・・あたし・・だいじょぶ・・・だから、イザーク・・・」
「・・・ノリコ・・・」

彼女の手が、俺の背を掴んでいる・・・
そっと、包むように・・・ そして温かく・・・ ノリコ・・・

トクン、トクン、トクン・・トクン・・・…

身体が元に戻る感覚・・・ 潮が引くように・・・戻る・・・


「・・・恐い思いをさせて・・・ すまなかった・・・」
「イザーク・・・」


・・・―――――

――――満月が照らす・・・ 砂漠の砂・・・ そして、二人を・・・






「大丈夫か? あんた・・・ しかし、更に三体の王蔭虫が潜んでいたとは・・・なんという事じゃ・・・
 おまえさんも、大儀な事だったのう・・・」

「いや・・・」


ノリコの疲れを慮り、俺は元の町へと引き返した。
俺達が戻って来たのを見て、かの老剣士は相当驚いていたが・・・

「砂漠の方が昼間のように明るくなったのを見たでな・・・何かあったのかと訝っていたのじゃ・・・
 ああ、ゆっくり休みなされ・・・」

そう言って、グラドス老人は俺達に茶を振舞ってくれた。

「俺はいい。ノリコを・・・ 彼女を休ませてやってくれ・・・頼む・・」

俺は大丈夫だが、ノリコに恐い思いをさせてしまった・・・ 彼女は、ちゃんと休ませなければ・・・

「別な奴がまた出て来るようでは洒落にならん。この仕事のカタはきっちりつける」
「お、おぃ・・・あんた・・・」
「・・・イザーク・・」



ノリコを屋敷に残し、念の為俺はその晩も砂漠に立った。
神経を研ぎ澄まし、奴の気配がまだ残っているかどうかを見極める為に・・・
仕事のカタはつけねばならん。不確かなままでは、この町を去れない。

だがその晩も、そして翌日も・・・そいつは現れなかった。

その後更に三日間町に留まり、俺は毎日砂漠に立ったが、結局あれ以来同種の化物は姿を見せなかった。
奴と同じ気配、それも全く感じられなかった――――――




砂嵐の数もめっきり減り、空には蒼空が見えている。時折柔らかい風がそよぐ程度だ。

「行きなさるかね・・・」

グラドス老人の言葉に俺は頷いた。

「世話になった」
「いやいや、こちらこそあんたには随分と世話になった。怪物四体も倒すとは、本当に畏れ入った事じゃ。
 三万ゾルでは、少々割に合わんかもな?・・・しかし、あれが限界じゃて、すまん事だがな・・・」

老人が苦笑してみせる。彼も、これで心置きなく余生を過ごせるだろう。

「いや、充分だ」
「砂漠も今度こそ道行きが楽になるじゃろうて・・・これもあんた方のお陰だ。本当に有難う・・・」

そう言うと、彼は俺達に頭を下げた。

「もう、巨大な王蔭虫は出ないとは思うが・・・」
「なに、そんな怪物がまた出るような事になったら、どんな手段を講じてでもあんたを呼ぶよ。
 例え、あんたが世界の果てに行ってようともなっ」

笑みを交えてそう言う老人の言葉に、思わず苦笑が漏れた。

「お世話に、なりました。ありがとございます・・」
「うむ・・元気でな。今度こそ、無事な道行きを・・・」

そして、俺達は老人に別れを告げ、町を発った。

だが・・・

「・・・あんな怪物を四体も倒してしまうとは・・・ 彼はいったい何処でそんな力を身につけたのか・・・
 剣の鍛錬だけでは、化物を退治するまでにはとても至らんだろうて・・・ イザーク・・本当に不思議な青年だ・・・
 そして、一緒にいるあの若い娘・・・片言の言葉じゃったが・・・ただの移民の娘だとも思えぬが・・・・・
 なんとも不思議な、二人連れよ・・・」

・・・老人がそんな風に俺とノリコを見ていたなどと、無論俺達に解かる筈もなかった。




すっかり晴れ渡った空は、砂漠の向こう側までよく見渡す事が出来た。

「凄い、イザーク・・・空、蒼い。キレイ・・・」
「ああ・・」

空を見上げてはしゃぐノリコに、俺は目を細めた。

ずっと砂曇の空だったからな・・・
・・・あの時の恐怖は、少しは和らいだだろうか・・・

ノリコは砂を手に取り、手から流れ落ちる様を見ている。
楽しいのだろうか・・・ その顔には笑顔が窺えた。

「そろそろ行くぞ、早い内に砂漠を越えておきたいからな・・・」
「あ、うん。ごめんなさい・・」

俺を見て、笑顔を返してくれる・・・
その手を取り、立ち上がらせた。彼女が砂をほろう。
大きな布を肩から彼女に掛けてやる。

「これを羽織っておけ、時折風で砂が舞う」
「うん・・ありがと・・」

彼女の歩に合わせて、また歩き出す。砂嵐が起きない分、道行きは楽だ。

「イザーク・・・あの・・」
「ん、なんだ?」
「あのね・・・ありがと。・・あの時、イザーク、助けてくれた・・」
「・・・ノリコ?」

「イザーク・・いて・・・あたし、助かった・・・イザーク、いない・・かったら・・・あたし、死んだ・・・だから・・」
「ノリコ・・・」
「だから・・・嬉しい。恐い人いっぱい、・・・それから・・・大きい虫・・・これも、いっぱい・・・」

「イザーク、強い。すごく、強い。・・・いつも・・・いつも・・・」

ノリコの言葉を、俺は唯、惚けたように聞入った。
覚えた言葉を駆使し、穏やかな笑顔で俺を見つめ、一生懸命に想いを伝え・・・

「いつも・・・イザーク・・・かっこいい、すごく・・・えへへ」

頬まで赤らめて・・・

「イザーク、だいじょぶ?」
「え・・・?」

「震えてた・・・ あの時・・・すごく、つらそう・・・イザーク・・・」

あの時・・・ あの月の暮れ時・・・
おまえには見られたくはなくて・・・ 俺は・・・

「イザーク・・・いつも、あたし、守る・・・ 守って・・・くれ・・る・・・」
「ノリコ」
「ありがと・・・いつも、ありがと・・・イザークが、おかげ・・・ありがと・・・」

笑顔・・・ 彼女が笑顔で俺を見る・・・
あの姿を見たのではなかったのか?・・・ 恐いと思ったのではなかったのか?・・・
だが、やはりおまえは、変わらぬ笑顔で俺に礼を言う・・・

苦笑が漏れた・・・ おまえという奴は・・・

「・・してやれる事をしている。ただそれだけだ・・・ 礼には及ばん・・・」

言いながら、彼女の頭をくしゃりと撫でてやる。
くすぐったそうに小首をかしげ、それでも笑顔は変わらない・・・

「ぁ、・・・ね、イザーク? 」
「なんだ? 」
「・・・・・・・ぁ、・・ううん・・何でもない・・」
「 ? ・・・おかしな奴だな・・」
「えへ・・・えへへ・・・ごめん・・」

ノリコが照れ臭そうに微笑いながら、俺を見上げる。

「さ、行くぞ」
「う・・ん・・」

再び歩き出す。


(イザーク・・・)

・・・イザークは・・・ どうして、あたしを連れて歩いているの―――――?

危険な時、いつも、いつも・・・守ってくれて・・・ 決して、見捨てる事もなく・・・

・・・どうして―――――?

訊いてみたい・・・ でも、訊けなかった・・・





―――――・・・

ノリコの言葉の所為か、幾分心が軽くなったような・・・ そんな気がする・・・
見られてしまったかもしれないと、そして彼女が恐がるのではないかと、危惧していたが・・・
どうやら、杞憂だったようだ・・・

あれから心の声は聞こえてはこない・・・
俺のもう一つの声、そして俺の・・・もう一つの姿・・・

力を制御していかなければ、これからも彼女を護る度に、再び危惧する事になるだろう。
そして、心の声の言う通り、このままではいられない。
彼女との旅も、いつか終わらせなければならないだろう。
宿命から解放される事など、決して望めないだろうから・・・
ならば、それから逃げるしか、俺には道がない・・・
抱える秘密も、それに伴う苦痛も、生きている限り続く。

俺の旅は、まだ終わらない・・・



ふと、空を見上げた。

陽の光がとても・・・ 眩しかった―――――




(了)


戦闘シーン(対化物)炸裂ですが、宜しければ押してください(^^)コメントも記入出来ます→ web拍手
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++ あとがき ++

まずは、長いお話お読みくださり、大変にお疲れ様でした<(_ _)>そして、どうも有難うございました。
前章の倍(倍じゃきかん…)の長さになってしまいました。エピソードが集中しちゃって、削れなかったんです(^^;
イザークの苦悩を前面に出してみた今回のお話です。
書きたかったテーマは、単行本5125P (文庫361P)の、ノリコのモノローグ。
「イザークの瞳の形が…口に牙が。時々変だと思ったことあるけど、この明るさで真近に見たのは初めてだ」です。
時々、あったんですか!?そんなに、そんな機会があったんですか!?とまず感じました。
う〜ん、だったらこれは別離前だろな…と妄想し、たまたま他の御方のリクで、それとなく浮き出て来た
話題に乗っかりそう…と思い、具体的に温めて参りました次第です。

書きたかったのが、砂漠のシーンなのです。
月夜で、光を受けて輝く蒼銀の髪…実際に見たらキレイだろうなぁ〜(妄想中…)
砂漠の化物を捏造しまして、その近くに存在するこれも架空の町アーガスをでっち上げ、お話を繋げてみました。

明るいところで真近に見たのが初めてとなると、後は陽の落ちた暗い時しかないですよね?…ね?、ね?(笑)

戦闘シーンもちょっと詳しく書いてみましたが、対人間とは違い対怪物ですと、「斬る、倒す」に関して
どうも麻痺した感覚になってしまいがちです。悪い(?)のはやっつけろ…というような勧善懲悪タイプな
感じにどうもなってしまうんですが…人にしても化物にしても、元からの悪は居ないんですよねぇ。
とそう考えますと…斬られたならず者も、巨大王蔭虫も、なんだか哀れなり…と感じてしまうんです。

そうした中でのイザークの苦悩と葛藤…
ノリコと想いが通じ合うまでこの葛藤が続いたんですから、これまた切ないです。
別離前のエピソードなので、葛藤という形で表しましたが、やはり出来るなら…
出来るなら…通じ合った二人を書きたいぞ(笑)ぉぃぉぃ。。

「ハーモニー」の後日版として考え書きました。
漢で、暗くて、切ないモード炸裂で、突っ込みどころもあるかと思いますが…
どうぞ脳みそにお納めくださいませ。
(尚、これはリクエスト小説とは別でございます、念の為に。)

エピソードを集中させた所為か、最初の思惑よりも執筆に時間が掛かってしまいました。
お赦しくださいませ<(_ _)>

夢霧 拝(06.09.29)


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