HARMONY 〜風と光の旋律を乗せて〜1




『・・・んー・・』

その日だけでいったい何度唸り、そして何度ため息を吐いた事だろうか・・・


椅子に見立てた大きな岩に、ノリコは腰掛けていた。・・・風が心地良く頬を撫でる。
目の前には焚き火がパチパチと音を立て、まるで命あるもののように炎の先を時折薫らせながら燃えている。

書き付けていたノートからを視線を外し、空を見上げた。
晴れてはいるが、今日は雲を全体に薄く伸ばしたような・・・そんな感じの空が拡がる。
既に陽は西に傾いており、薄い雲越しに幾分和らいだ光を纏いつつ、その姿を覗かせていた。


『・・・お日様と・・空と・・雲・・・どっちの世界も、一緒なのよね・・・・』

手元のノートに視線を戻す。そしてやはりまた、ため息が漏れた・・・。

『・・・辞書・・・あったらなぁ〜・・』

思わず漏れた本音・・・ 今までに何度、その事を思っただろうか・・・
それがあれば、もっと楽に言葉を覚えられるだろうに・・・と。
無論、いつもイザークが解かるまで丁寧に教えてくれる。だから、随分といろんな言葉を覚えてこられたが・・・

『異世界語版和訳辞典。そんなのがあったら、間違いなくあたし買ってるわ・・・』

とはいうものの、そんな便利な物など、当然この世界に存在する訳がない。
例えそれが買えたとしても、お金を持たないノリコはイザークに買って貰うしかない。
書誌という物が比較的高価なこの世界で、辞書やら書物やらの類がいったい幾らするものなのか・・・
いずれにせよ、贅沢な事であると容易に想像がつく。

『・・・どっちにしても、やっぱり迷惑掛けちゃう・・か。・・・あ〜あ・・』

言葉を習っている今のノリコにとって、結局はイザークに頼る他、術がない。
愚痴っていても始まらず、たとえ片言でも実地で使いながら覚えていくしか、今のノリコには道がないのだ。

『・・・とにかく、頑張らなくちゃね・・・・』

(日常会話が出来るようになるまで頑張らなくちゃ・・・そしたら、イザークにもきっと恩返し出来るよね。
 いっつも迷惑掛けてばかりなんだもん・・・ うんっ、頑張るのよっ!)

決意新たに、両の拳をぐぐぐっと握り締めた。

(ちゃんと会話したい・・・ あの時みたいな失敗は、もうしたくないもの・・・)




思い出す・・・―――― 以前に立ち寄った町での事・・・

実地訓練と言えば聞こえが良いが、町の中のある店で試みた買い物・・・――――
しかし、結果は惨敗だった・・・。



「・・・こ、これ・・・あの・・」
「へぃ、らっしゃい。それは一つ十ゾルだよ、お客さん。幾つだぃ?」
「え、・・じゅ・・じゅう・・・ゾ・・・ル?・・えと、ひと・・・」

ヒアリングをしつつ、更には単語を確かめながらだったので、ノリコは金額を確認して一個と言おうとしたのだが、
その店の主人はせっかちだったのか・・・、ノリコの言った「じゅう」を「十個」と勘違いしてしまい・・・

「十個だね、全部で百ゾルだよ。はぃ、毎度ありっ!」

そして、ノリコの腕の中にはドンッと積まれた十個の袋が・・・・。一瞬にしてその顔が蒼くなり、
少し離れた所から様子を窺っていたイザークは、案の定、額に手を当てため息を漏らした。

「いえ・・・あの、ちがっ・・・」

慌てて訂正しようとするが、焦りからか言葉が上手く出て来ない。見かねたイザークが近寄り、ノリコの肩に手を遣り彼女を 止める。不安げな顔で見上げると、視線は店に向けたままのその人が「大丈夫だ・・」と短く告げ、店主の前に 歩み出た。

「店主・・・すまないが・・・」

「あ?・・・何だい?あんた・・・」

怪訝な顔をする店主に、イザークは事情を説明し頭を垂れる。勿論ノリコも目いっぱい頭を下げた。
瞳の端に涙が滲む・・・ 情けない思いに駆られる。
言葉を上手く使えないという歯がゆさを、この時ほど思い知らされた事はないかもしれない・・・

幸いにも店主は人の良い親父気質で、こちらの事情を汲んでくれた。それどころかノリコの面倒を見ている
イザークを逆に労った上に、ノリコにも「頑張れよ!」と声を掛けてくれた。


店を離れた後・・・

「イザー・・ク・・・ごめん・・なさい・・・・」

一つだけ購入したその袋を持ち、ノリコはイザークに謝りながらも俯いてしまう。

だが、イザークは振り返ると、ふっと微笑い・・・

「誰にでも失敗はある・・気にするな・・・」

そうノリコに告げた。その口調は穏やかで、彼女を責める素振りなど全く見せなかった。



――――ため息が漏れる。

それだけじゃない。あの時だって・・そう・・・


そして、更に思い出す・・・別な町での事も・・・――――



丁度一週間前に立ち寄った町。そこでノリコは、持っていた鞄をひったくられてしまう。

『きゃっ!・・・なにっ!?』

いきなりぶつかってきた男に驚き、振り返った時には、既に彼女の鞄はその男の手に掴まれていた。

『あっ、あたしの鞄っ!・・・』

ノリコのただならぬ声に、すぐにイザークも気づいて振り返る。彼は雑踏の中かなり前を歩いており、 遅れないようにとノリコも彼の後を着いて行ってたのだが、休日の人だかりが目くらましになった所為か、 近づくその男の存在に気づくのが遅れた。

鞄の中にはノリコのノートとペンの入った筆箱、それにちょっとした身の回りの物を入れている。
慌てて追いかけようとするノリコを、雑踏の中を素早く戻って来たイザークが引き止め、じっとしているように言うと、 通行人の間を縫って地を蹴り高く跳躍する。その跳躍力には通行人の殆どが何事かと驚き、呆気に取られたかの如く その様に釘付けになった。

「くっ!・・退け退けぇっ!退きやがれぇぇーーっ!!」

周りの者達を蹴散らしながら走った為、誰もがその男を遠巻きに避け道を空けた。逃げ易くなったと、 ニヤリとその口元に男は笑いを浮かべる。だが、その目の前にイザークがダンッ!と勢い付けて着地した為、 流石の男も驚いてその場に急に立ち止まった。

「・・・なッ・・・!」

漆黒の髪をふわりと靡かせ、真っ直ぐな視線がその男を捉える。

「生憎だが、その中には金目の物は何もない。盗るだけ無駄だ、返して貰おう・・」
「な・・・なに言ってやがる・・・そんな事誰が信じるかッ!」

鞄を掴んだまま、その後もイザークの言葉に従うつもりなど毛頭ないかの如く、男は罵声を上げた。
そんな男の様子にため息を吐き捨てながら、尚もイザークは言葉を続ける。

「ならば、開けて中を見てみるがいい。その鞄の持ち主は俺の連れだ、そして財布は俺が持っている・・」
「っ!・・・なに?」
「そんなに、女物が欲しいのか?・・・あんた・・」
「!・・・ぅ・・・」

途端にその表情に顕になる、なんとも情けない色合い。さっきまでの勢いは何処に言ったか、もはや反論の
言葉すら上がらなかった。

「鞄を置いて失せろ。それとも・・・役人に引き渡されるのがいいか?」
「や、役人・・・?」
「・・いや・・・事と次第によっては、あんたが痛い目を見るという事も・・・あり得るが・・・?」

低く抑えてはいるが、重く響き渡るその声。そして氷のように冷たく鋭い視線が、怯んだ男を威圧する。
腰に携えた剣、更には彼の纏う雰囲気から、その言葉が冗談ではない事ぐらい男にも容易に理解出来た。
焦りの表情をたたえ男は周りを見渡す。通行人にも囲まれているのを認め、その顔がみるみる赤くなる。

「・・・くっ・・・くそ・・・」

結局男は持っていたノリコの鞄をその場に投げ捨て、

「覚えてやがれッ!」

と、その手合いにありがちな捨て台詞を残し、先程と同じく通行人を蹴散らすように走り逃げていった。
騒ぎの治まった周辺にはホッとする様子が見られ、歓声まで湧き上がる。

鞄を拾い上げ、付いていた土を払い落とすと、イザークはそれを、慌てて駆け寄って来たノリコに手渡す。

「・・・イザー・・ク・・」
「怪我はなかったか?・・・」

そう訊ねた彼の顔には、先程の男に向けていた険しさは既になく・・・
穏やかに気遣うその声に、ノリコはホッとするのと同時に、情けない気持ちにも苛まれた。

「ごめん・・なさい・・あたし・・・」
「ん?」
「もっと・・・まわり・・・き・・つける・・・・・あたし・・・だめで・・・だから・・」

彼に着いて行くことしか頭になかった。言葉がまだ自由にならない為、彼に着いて行く事でその不安を拭っていた。 周りに気を配るゆとりなど全然なく、そんな気持ちが、きっと顔にも表れていたのだろう。
・・・そこにつけこまれたのかもしれない。

ノリコの言葉に、目の前のその人は一瞬目を丸くする。・・・が、すぐに微笑い・・・、

(・・・・え・・・)

大きな掌が、頭をくしゃ・・と撫でた。伝わって来るその掌の温かみ・・・・
慌てて顔を上げれば、彼の顔はやはり穏やかで・・・――――

「怪我がないのなら、それでいい・・」

「・・・イザーク・・・」

目を見開き、彼を見つめた。

「行くぞ・・」

そう言って少し歩き出した彼は、すぐにまた振り返り、何も言わずに促すような視線を向ける。

ピクン――――

一瞬身体全体が、何かで弾かれたような・・・
なんと言ったら良いのか解からない・・・ だけど決して嫌ではない、不思議なその感覚。


ノリコは、待っててくれている彼の元へと急いだ。

「通りは人が多い。俺の腕に掴まってろ・・」
「・・・えっ・・」
「それなら、さっきのようにはならんだろう・・・?」

見上げれば、穏やかなりにもやや悪戯な表情のイザーク。
ノリコは赤くなって頷き、素直に彼の袖に手を添えた。



・・・イザークは全然怒らなかった。それどころか、優しい言葉まで・・・―――――

ふぅーーー・・・

また・・・ため息が漏れた。




燃える炎の斜向かい側で剣の手入れをしながら、イザークはそんなノリコの様子を伺っていた。

関心がないのを装いながらも、いつの間にか視線が彼女の方に向いてしまう――――

そんな風になるのも、ノリコの存在が自分にとって、何処か今までにはない異質なものであるからなのか・・・
そして時に、自分がまったく予想もしないような反応を、彼女が返してくれるからなのか・・・
どちらにしても、彼女の一挙手一投足に、惹きつけられるものを感じていたのは確かだった。

その彼女は、手元の書誌をじっと見ては、自分には解からない異世界の言葉をぶつぶつ言い、更に拳を ぎゅっと握り締めたかと思えば、じっと何かを考えているのか黙って遠くを見つめ、ため息を吐いたりしている。

いったい、彼女は何をやっているのか・・・

そのくるくる変わる百面相のような仕草を眺めていると、口元まで緩む・・・



・・・思えば、不思議なものだと感じる。

樹海に【目覚め】として現れたノリコ・・・ その彼女と、今も共に旅を続けている・・・

【目覚め】がこんな女の子であると、どうして予想し得ただろうか・・・
人との関わりを極力避けて来たというのに、その自分が、因りによって女の子と行動を共に
する事になろうとは・・・ 皮肉としか言いようがない・・・

・・・苦笑が漏れる。


なんて自分は、運がないのだろう・・・ 最初は、そんな風にさえ感じていた。
なんという厄介者を、抱え込んでしまったのだろう・・・と。

だが、今は・・・―― 若干、その気持ちにも変化が生じている。

戸惑いがあるのは今も変わりないが、こいつへ抱いていた反感がいつの間にか薄れてしまっている。
それに、なんだか放って置けない。危なっかしくて見ていられないじゃないか。

更に、どうした訳か、言葉を教える事を楽しいとさえ――――

・・・・・・・・・。

最初はそれを否定した。なんて莫迦な事を・・・と。

言葉をまったく知らん者にそれを一から教えるのが、こんなに大変なものだとは思いも寄らず、
厄介で仕方なかったのに・・・ そう思いながらも、結局は解かるまで何度も教えている俺がいる・・・

単なる莫迦なのか、それとも相当のお人好しなのか・・・ それとも・・・余程、辛抱強いのか・・・・・・

・・・そうだな・・・俺にとっては、究極の辛抱なのかもしれん・・・
【目覚め】と共にいることで、自分がどうなるかも解からない・・・
先の見えない不安を抱えている事には変わりがないというのに・・・

だが・・・・・

片言ではあるが会話も通じるようになり、以前よりはこいつの言いたい事も解かってきて・・・
いつの間にか・・・こいつとの会話が楽しいとさえ思えている・・・

まったく・・・滑稽な話だ・・・



手入れを終えた剣を静かに鞘に収め、傍らに置いた。
そして、立てた片膝に寄り掛かるように腕を乗せる。

自然と漏れる、自嘲めいた笑い――――




ふと顔を上げると、ノリコが不思議そうな表情で、じっとこちらを見つめていた。

目と目が合う・・・。不意を突かれたような格好に、まるで、今考えていた事を全て見透かされて
いたかのような、そんな錯覚に陥る。

「ど・・・どうした?」

思わず口元に手を遣った。取り繕うかのような問い。・・・それこそ、滑稽かもしれない。



「ぁ・・・、あの、・・・おしえて、ほしい・・・ことば・・・」

だが、そんなイザークの気など知らないノリコは、彼の様子に少し訝りながらも、遠慮がちに頼んできた。

「ノリコ・・」

「・・・いい?」

邪気のないその瞳。

「・・・ああ、何を知りたい?」

『えっと・・・風は・・・』
「え・・・と、ね、これ・・・なんていう?」
「ん?・・・」
「えと・・・ひゅーひゅー・・・ながれる・・・くうき・・・」

風の音を真似て言い、そして更には手で風の吹く様子を見せた。

「ひゅーひゅー・・・流れる空気?」

やや訝るが、ノリコの手の様子で、ようやく悟ったようだ。

「・・ああ、ターナディアス・・・風だな・・・」
「たな・・でいす?」
「ターナディアスだ。・・・但し、暦に使う名前と二通りあるが・・・」
「?・・・・こよに?・・・にゃまえ?・・・ふた・・とり・・・・・ん??」

上手く発音出来ないのか、ノリコはきょとんとしながら首を傾げた。

「たーな・・であす・・・こよに・・・にゃ・・まえ・・ふた・・・」

頭に手を遣り、もごもご言うが、どうにもよく解からないようだ・・・
そんなノリコの様子に、ついクスッと微笑いが漏れる。彼女の疑問には、地面に木片を使って数字を書いていく。

「十二ヶ月、それぞれの月には名前がある・・」

書きながら、一番目の月から名前を読み上げていった。そして、

「ターナディアスを表すのは六番目の月・・・」
「じゅうにゃかげちゅ・・・ろくばん・・め・・・?」

書かれる数字と図をノリコはじっと見続け、『あ・・』と声を上げる。

(これって・・・カレンダーの事だ・・・)

イザークが書いていたそれが、自分の世界のカレンダーと同じものであると理解した。
そして、イザークは六番目の月の図を指し、「ターナ、風の月だ・・」と説明する。
ノリコの表情が明るくなった。

(そうか・・・カレンダーで、六番目の月が風の月なんだぁ〜・・・あれ?・・でも・・)

「イザーク・・・ターナ・・だけ?」

六番目のその月を、イザークは《ターナ》としか言わなかった。

「ああ、言葉としては《ターナディアス》を風として言うが、暦の名に使われるのは、《ターナ》それだけだ・・」
「ターナディアス・・・こっちが・・・ターナ?」
「そうだ・・」

「ターナ(風)の、つき・・・そうか・・・ありがとう、イザーク・・」

イザークの説明にノリコは図を指して確かめてから、満足げに笑顔を見せた。

「いや・・・」

彼女の屈託のない笑顔には、いささか苦笑が漏れた。・・・だが、笑顔を見るのはまんざらでもなかった。


(そうか。一月がイシュート、イシュータスが《最初》。二月がクレイル、クレイリアで《辛抱》。三月がユ・・・あれ?
 ユ・・なんだっけ・・・も一度訊いたら、悪いかな・・・)

「・・・あの、イザーク?・・・」
「なんだ?」
「あの・・・もいちど、おしえて?・・・ごめんなさい、あの・・・えっと、かく・・・かい・・て・・・おぼえる・・・」
「・・ああ、構わん・・・これは、」

もう一度イザークは一つ一つの言葉をゆっくり教えていった。そして聞きながらノリコは確認し、ノートにメモしつつ 何度も復唱する。その後もぶつぶつと繰り返しては、ずっと言葉の練習をしていた。


『・・・ぁ・・そうだ・・あれは何て言うんだろう・・・それから、イザークの・・』

不意に何かを思いついたのか、その顔を上げる。

「イザーク・・・えっと・・・イザークの・・・日・・は・・・どれ?」
「ん?・・・俺の・・・日?」

ノリコの指差す先には、さっきイザークが書いた、カレンダーの図がある。
月を順番に指しながら、ノリコは更に訊ねた。

「イザークの・・日・・これ?・・これ?・・・こっち?」

それでも、彼が不思議そうな顔をしているので、ノリコは少し考え、それから・・・・

「えっと・・・いざーく・・おぎゃー!」
「・・・!?」
「おぎゃー!おぎゃー!・・・おぎゃー・・・おぎゃ・・ぁ・・・・」
「・・・・・・・・・」

多分それは、何かの泣き真似を意味しているのだろう・・・・
そうは思いつつも、イザークはノリコの台詞に怪訝な表情のまま、固まるしかなかった。

・・・・更に、その場に流れる暫しの沈黙。

「ぁ・・・・・」

流石にノリコ自身、今のは突拍子もない事だったと後悔したのか・・・その顔が赤い。

(やだ・・・拙かったかな・・・でも、この世界で、赤ちゃんの泣き真似って・・・そんなに違うのかな・・・ええっと、
 誕生日を知りたかったんだけど・・・なんて訊いたら・・・)

「あの・・・ごめんなさい・・・えと・・・イザーク・・・ちいさい・・・これくらい・・・・んー・・・うまれる・・」

言葉を必死に選びながら、手でも赤ん坊の大きさを形作って、抱っこする仕草をして見せた。
そして、カレンダーの図をまた指差し、次にイザークの方を指差す。

(あ〜ん・・・これで解かって貰えないかな・・・ダメかな・・・でも他になんて言えば・・・)

相変わらず固まったままのイザークを前に、ノリコは途方に暮れた。

(はぁ〜・・仕方ない・・・諦めようか・・・)

「あ、あの・・・イザーク、ごめんなさい・・・も、いいよ、・・・へんなこと、きいた・・・ほんとに、ごめん・・・」


イザークはずっと黙っていたが・・・・ふと・・

「小さい、生まれる・・・抱いてあやす格好・・・赤ん坊のことか?・・・・それに暦・・」
「え?・・・」

「・・・俺の・・日・・・・・・・そうか・・・」

彼女の言った事を順番に思い起こし、更に地面に書いた暦を見て、ようやくその言いたかった事に気がついた。

「誕生日の事を言いたかったのか?・・ノリコ・・」
「たん・・じょ・・・び?」

自分を指差し、次にイザークはカレンダーを指し示す。

「俺の、生まれた日・・・誕生日。それを訊きたかったのか?」
「うまれた・・日・・たんじょ・・び・・・・・・うんうん!」

通じたのが嬉しいのか、ノリコの表情が途端に明るくなった。そしてまた、もごもごと「誕生日」を復唱し、 嬉しそうにノートに書き付けた。

だが、イザークはそんなノリコに、苦笑一つ漏らす・・・・
暫く黙っていたが、ノリコが不思議そうな顔で自分を見つめた為に、またも苦笑を漏らしながら 暦の中のある月を指差す。イザークが指差したそこは、

「ターナの・・月・・・?」

「そうだ・・」

(そうか、イザークは風の月の生まれなんだ・・あ、でも何日だろう?・・)

「日・・・・いつ?・・・どれ?」

ノリコの問いに、また図のある点を指し示す。

『・・・最初の日・・・・あっ・・・そうなんだ・・』

「ありがとう、イザーク・・」
「・・・いや・・」


ノリコに教えた自分の誕生日・・・ だがそれは・・・誕生日であって誕生日ではなく・・・

自分でも、正確なその日は解からない・・・
だから教えたその日は、単に年を一つ重ねる目安として己が決めている日に過ぎない・・・

だが、そんな事を彼女に説明したところで、仕方のない事だった・・・
それに、話したとしても・・・恐らく彼女は理解出来ないだろう・・・・


若干の複雑な想いが、心を掠めた。






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