HARMONY 〜風と光の旋律を乗せて〜2




「イザーク、かぜ・・・イザークらしい・・・」
「え・・・・」

その言葉に顔を上げ、ノリコを見る。

「イザーク、はしる・・すごく、はやい・・・とぶ・・・すごく、たかい・・・かぜみたい・・・・・」

そんな風に言われたのは、初めてだった。

「風・・らしい・・・」

呟くその言葉に、ノリコは「うん」と頷いてみせる。そして、

「イザーク、あたし・・・この日!・・えへ・・」
「え・・・・」

―――――! 思わずその目を見開く。笑顔で彼女が指差したそこは・・・

「・・・レスタリウス(光)・・」
「うん。はちばんめ、つき、えっと・・・れ、れ・・・すたりゅす?」

「・・・・・・・」

これはいったい何の偶然か・・・ イザークは暫し、ノリコの顔をじっと見入ってしまう。

「光(レスタリウス)の月なのか?・・・あんた・・・」

思わず口から漏れたその問い。だがノリコは、イザークが何故驚いているのか解からず、きょとんとした顔で
聞き返す。

「ひか・・り・・の・・つき?」
「・・・あ、ああ・・あれだ・・」

言いながら、空を指差した。

「そら?・・・・」
「空ではない。もうすぐ西に沈む・・・あれだ・・」

イザークの指差した方をノリコも同じ方向から見つめると、西の空に傾いて、その眩しさは若干衰えてはいるが、
光溢れ、一際輝きを見せるそれは・・・――――

「あれ、たいよう・・・?」

更に、イザークは地面にもう一度、今度は違う絵を描いてみせる。
丸い太陽を表すもの。そして、そこから注ぐ光の線を描き入れ・・・ イザークはその線を指差した。

「解かるか?・・・これが光(レスタリュース)・・・光だ・・」
「ひか・・り・・・」

(太陽じゃなくて、そこから注ぐ光の事?・・・へぇ〜、光かあ、何だか嬉しい・・・レスタリュース(※)が光・・・)
(※)『光』について:言葉としては『レスタリュース』、暦に使われる場合には『レスタリウス』と分けてるようです。
 他にも暦読みと二通りの読みのある月が幾つか程。中には同じ読みの月もあり。(管理人脳内設定より)


意味を知って、ノリコはまたも笑顔になる。


しかし、そんな彼女を見ながら、イザークは益々複雑な想いをその胸に抱いていた。

彼女がレスタリウスの月の生まれだとは・・・

いや、これは偶然に過ぎん・・・
だからといって、それで何を及ぼすと言うんだ。彼女が【目覚め】である事には変わりないじゃないか・・・


―――光の月に生まれし者は、幾年に渡り幸をもたらさん・・・その全ての業をも覆い尽くさん程に・・・


・・・・! 何を言っている・・・何を・・・


―――光の恵みを受け・・・その身、幾年におけるまで幸多からん事を・・・


昔、占者より聞いた言葉・・・ それが突然、脳裏に・・・


―――そなたが求めているものは・・・ひ・・・


やめろっ――――!!!!

違うっ! 莫迦な事だ・・・これは単なる偶然に過ぎんっ・・・【目覚め】に何が出来ると言うんだっ・・・!

やめてくれっ、幸をもたらすどころか、こいつはっ・・・・!!!!!


「・・・イザーク?」

「ぅ・・・・・・」

名を呼ばれて、ハッとする。

「イザーク・・・だいじょぶ?・・・・」
「え・・・・・・」
「つらそう・・・・かお・・・すごく・・・・・だいじょ・・ぶ?・・」

「・・・・ノリコ・・・」

心配そうに自分を伺うその姿。

「・・・すまん・・」

額に滲む汗・・・一瞬よぎる・・・酷い罪悪感。

「え?・・・」

ぎゅっと目を瞑る・・・・

「いや・・・」
「イザーク・・・・からだ、どこ、いたい?」

吐息。そして目を開ける。・・・その眉根が寄る。

「いや、大丈夫だ・・・何でもない・・・」
「ホントに?」
「ああ・・・」


何を言ってるんだ、俺は・・・・

こいつは何も知らない・・・・ 何の責任もないというのに・・・・


だが、そんなイザークの想いなど知る由もないノリコは、彼の言葉に安心すると、また言葉の練習を続けた。









空は夕方の朱に染まり、やや仄暗い様を呈していた。火にくべる木片を増やしながらふと空を見上げ、 イザークは何かを懸念するかのように眉根を寄せた。

「拙いな・・・」

その呟きに、ずっと言葉の練習をしていたノリコは、彼の顔を見つめた。

「イザーク・・?」

イザークの視線の先をノリコも見つめた。空がにわかに曇ってきていて薄暗いのに、遠くの方が妙に明るい様を呈している。 やや薄暗い空模様とその妙に明るい空模様とが、違和感を醸し出していた。
そしてそれは、ノリコにも自分の世界で何度か見覚えのある空模様だった。

(え、嘘・・・これって・・・もしかして・・・)

ノリコが何かを危惧した時、遠くの空でゴゴゴゴゴ・・・・ と音が響く。しかもそれは徐々に近づいて来ていた。

「ノリコ、中に入ってろ。一雨来るかもしれん・・・それにこれは、」

イザークがノリコにそう告げた時、

カッ――――!

音の鳴っている所を核として、空全体が突然光る。

ビクンッ!!!!!

『ひっ!!』
「ノリコ、大丈夫か?中に入れっ」

イザークの言葉が聞こえているのかいないのか、ノリコはその光にビクンと反応し、急に立ち上がる。体は強張っていた。 そしてその途端、凄まじい音が辺りに響く。それはノリコが自分の世界で聞いた音よりも遥かに大きく、

『きゃーーーーー!!!!!!』

耳を塞ぎ、凄い悲鳴を上げながら、ノリコは無我夢中で走り出す。

ドンッ――――!

「!」

『やだぁーー!!! あの音、やなのっ!大っ嫌いなのーー!!!!!!』
「ノ・・・ノリコ・・・」

イザークは面食らう。
異世界の言葉でノリコが捲くし立てるのにも驚いたが、それもさる事ながら・・・

ピカッ――――!

『きゃーーーーーーーー!!!!!!』
「ぅ・・・・・ノリ・・コ・・・」

先程一瞬抱いた緊張感は何処へやら、完全にイザークは毒気を抜かれてしまった。
無理もない。突然の閃光とこの世界の凄まじいそれの音に驚き恐怖したノリコは、無我夢中で走って来て、彼に抱きついたからだ。 後ろには洞窟の岩壁。そして、しっかりとしがみつかれている為、動く事も出来ない。・・・いや、動く事自体は可能なのだろうが、 肝心のノリコがぶるぶる震えている為に、動くに動けないと言った方が正しいかもしれない。

その後も閃光と轟音の度に、ノリコは悲鳴を上げてしがみつく。

イザークにしてみれば、彼女が何を言っているのか異世界の言葉で解からなかったが、その様子から、この現象を恐がっている という事ぐらいは容易に察する事が出来た。
それにしても、今までにも何度かこの現象に出くわしているが、ここまで顕著にこの自然現象を恐がる人間を見るのも、 ましてやその為にこうして抱きつかれるのも、恐らく初めてかもしれない。

・・・いや、抱きつかれる事に関しては、最初に出会った時に、既に経験済みではあるが・・・
二の句が継げないとは、きっとこの事を言うのであろう・・・

そしてイザークが懸念した通り、程なく夕立のように勢いよく雨が降ってきた。
焚き火は洞窟の入り口に突き出た屋根のような岩の下で燃していた為、雨に打たれる心配は無かったが、先程までノリコが 腰掛けていた岩は、雨に濡れている。

彼女の肩に手を添えながら、

「ノリコ・・・恐がるな、単なる自然現象だ・・」

そう説明するが、

「・・へ・・・・しぜ・・ん?・・げん・・・しょ?・・なに?」

ノリコはこわばった顔を上げ、よく解からないのか、聞き直す。・・・が、

ピカッ――――!

一瞬また辺りが真昼のように閃光に包まれる。

ビクンッ!!!!!

その光にノリコの目は大きく見開かれ、そして、続く大きな音に、

『きゃーーーーーー!!!!! 嫌あああーーーーーー!!!!!!』

またも悲鳴と共に、更に顔を胸に埋めてしがみついた。


「ぅ・・・・・・・」

身体の力が抜ける・・・・・・。

・・・完全に調子を狂わされた。・・・そう感じずにはいられない。

ため息が漏れる・・・・・・。


・・・・・・・・・だが・・・

確かに不快な音ではあるが、女の子とはこんなにも、この自然現象を恐がるものなのか・・・
思い掛けない彼女の反応に、そんな疑問も湧いてくる。そして、手を添えた彼女の肩が、あまりにも華奢で・・・

本当に、普通の女の子じゃないか・・・

【目覚め】という名で呼ばれている者でなければ、なんら普通の少女と変わりない・・・この弱々しい姿。

細い腕で必死になって自分にしがみついている姿を見ていると、なにやら別の感情も湧いてきて、それに気づいたイザークを 更にうろたえさせる。

何でそんな感情が湧いてくるのか・・・

仕留めようとしていた【目覚め】が、余りにも弱き存在であることに・・・
いつの間にか、その存在をずっと今まで守ってきている事に・・・
そして多分共にいる間は、【目覚め】を狙う者達からずっと守り続けていくであろうという事に・・・


周りから恐怖され疎まれるだけだった幼少期から今までの自分の人生には・・・決してなかった・・・
ここまで自分を必要とし、頼ってくれる存在・・・

戸惑いと共に初めて感じた、感情だった。





その自然現象--雷--の鳴っている間、イザークは、そのままの状態でじっと立っていた。

いつの間にか夕立は止んでおり、雷も小さな音が僅かに聞こえるだけとなった。


ノリコはまだしがみつき、震えている。

「ノリコ、雷は治まった・・・ もう大丈夫だ・・」

その肩を掴みながら言う。その言葉に、ふっとノリコの身体の力が抜ける。

「・・・ぇ・・かにゃり・・?・・・おさまった・・・・?」

見上げると、やはり目と目が合った。途端にハッと我に返る。今の今まで無我夢中で気がつかなかったが、ようやく自分が イザークにしがみついていたのだと気づき、なんと大胆な事をしてしまったのかとノリコは急に恥ずかしくなった。 その顔がみるみる内に真っ赤になる。

「ごっ、ごめんなさいっ!」

急いでその身を離したものの、急な事でバランスを崩し、後ろに倒れそうになって、更にノリコは慌てた。

『ひゃあっ!』
「っ!」

華奢な身体がイザークに抱き留められる。危うく難は逃れたが、さっきまで自分がしがみついていたのとは違い、 今度は抱きしめられる格好になった。

「大丈夫か?・・・慌てるな・・」

イザークの腕の中で、その身体を竦ませた状態で、ノリコはようやく頷いた。だがやはり、その顔は赤い。

「ごめんなさい・・・ぁ・・ぁりが・・とう・・・」
「いや・・怪我がなくて良かったが・・・・・ん?・・怪我・・・」

そこまで口にして、イザークはある事に気づく。

「そういえばノリコ・・・走ったりして、足は大丈夫なのか?」
「へ?・・・あし?・・・あし・・・」

またもハッとする・・・ これもまた・・・無我夢中ですっかり忘れていた。
思い出した途端に蘇る痛み。しかも、夢中で走った為に、悪化したのか更に痛みが加わり・・・

「あっっ!・・・痛ぅぅ・・・」

痛みに表情を歪め、その場にしゃがみこんでしまう。足先がズキズキする。

「大丈夫か、ノリコ?・・・足を見せてみろ」

「イザークぅ・・・ごめんなさい・・・」
「謝らなくてもいい・・・」

足の具合を診ながら、荷袋から薬を取り出す。

「化膿しているな・・・急に足に力を入れたり走ったりして悪化させてしまったか・・・ 膿を出す。解かるか?
 少し痛むかもしれんが、我慢出来るか?」

顔をじっと見据えながらそう訊ねるイザークに、ノリコは若干恐々ながらも頷いた。

イザークは立ち上がり、腰に据えた短剣を抜くと、その先を火で焙る―――――




随分と早い刻限よりイザークが野営を張っていた理由。実はノリコの怪我に因る―――――

昨日休憩に立ち寄った池のほとりでのこと・・・
やや高めの気温に、ノリコは暑さを和らげる為に裸足で水に入った。つけたのは足だけだったが、ひんやりしていて 暑さ凌ぎにはもってこいだった。しかし運悪く、尖った石で足の指を傷つけてしまっていたのだ。 痛みが走ったが、その時は大した事はないと思い、イザークにも言わないでいたのが、結果として仇となる。


「・・・どうして、こんなになるまで我慢する?・・・」

今日の、陽がまだかなり高かった刻限のことだ・・・――――

「が・・・がま・・ん・・・する?・・」

泣きそうな顔で、ノリコは言葉を繰り返した。それを見て、イザークは一つため息を漏らす。

「こんなになる前に、痛くなったら、言うんだ。・・・解かるか?」

今度は少しゆっくり目に、足を指差しながら告げた。

「・・・・い・・たい・・・ごめんなさい・・・」

俯いて、小さな声で謝る。その華奢な肩が竦んで、益々小さく見える。
ばい菌が入った所為か、ノリコの右足の親指は腫れてしまった。当然ながら歩けば痛みも走る。

「謝る事じゃない・・・ごめんなさいは余計だ」
「ごめんなさい・・・よけ・・い?」
「ああ・・」

言いながらも、袋から薬を取り出し手当てをしていく。そして周りを見回しながら、

「今日はこの辺で野宿だな。これ以上歩くのは止した方がいい・・」
「のじゅ・・く・・・?」
「そうだ、野宿・・・、ちょっとここで待ってろ・・」
「え・・・?」
「野営出来そうな場所を探してくる。ここで、待ってるんだ。・・・解かるか?」
「・・・・う・・ん」

そうして、ノリコをその場に残し、イザークは林の向こうに姿を消した。

そして見つけた場所が、ここだった。小高い山の更に高い場所で遠くまで見通す事が出来た。奥行きはそれほどでもないが 洞窟もあり、雨風を凌ぐのにも都合良く、しかも周りには動物の嫌う香りを出す植物も自生しており、夜中に動物に襲われる 心配もなかった。
ノリコの足の腫れが治まるまでは、この場所に足止めになるが、背に腹は換えられなかった。空いた時間は彼女の言葉の練習に 充てる事にし、確かに覚えるのには役立ったのだが・・・自然現象のおまけ付きという思わぬアクシデントに、 再度泣かされる羽目となった訳だ――――



火で焙った剣先を使い、膿んでいる場所を切り開く。

「っ!・・・・」

やはり傷むのか、ノリコは目をぎゅっと瞑り、歯を食いしばって痛みに耐えた。

消毒し終えた傷口にイザークは薬を塗り、布を巻き直す。

「少し荒療治だが、この方が治りは早い・・・痛むか?」
「・・・ん・・・すこし・・・でも、だいじょぶ・・・ありがとう・・」

やや血の気の引いたような蒼い顔で、ノリコは答えた。

「痛む時は我慢するな。いいな?」
「う・・ん・・・」





それから―――

先ほどの夕立が嘘のように、今は雲一つ見えない。暗くなった夜空には、星が煌いていた。
カップに入った夕食のスープを飲みつつ、ノリコは言葉の練習をしていた。それこそ暇さえあれば、 言葉を一つでも覚える事に費やした。


『風・・・ターナディアス・・・空・・・タータ・・・』

空を見上げる。吸い込まれそうなほどの星空・・・・―――――

『星・・・星は・・・何て言うのかな・・・』

ノリコはイザークに視線を移す。その彼は、火にくべる木片を増やしていた。
だが、ノリコの視線を感じ、顔を上げる。

「どうした?・・・」
「あの・・イザーク・・・空の・・・えっと・・・火・・みたい、ちいさい・・・あかるい・・・あれ、なんていう?」
ノリコは空を指差しながら訊いた。

「空の小さい・・火?」

イザークも空を見上げる。

「星(ラスタ(※))のことか?」
「ほし(ラスタ)?」
「そう・・星(ラスタ)だ・・」
「ほし・・・わかった・・・ありがと、イザーク・・」

笑顔で礼を言うノリコに、イザークも笑みを返す。

そしてまたノリコは、星、星・・と呟きながら、ノートにそれを書き付けていった。
(※)一部、原作と被ってます。が、成り行きという事で(汗)。『星』の異世界語は管理人の脳内妄想の産物に付き…。



――――


夜は全てが静まり返り、ノリコの世界のような喧騒も、チカチカした電気の灯りも一切ない。
星空の下、虫の鳴き声がささやかに響き、焚き火の中で燃えはぜる木片のパチパチという音が辺りに響いた。
そんな中、ノリコの瞼が何度か重そうに開いたり閉じたりしている。

ずうっとぶつぶつと言葉の練習をしていたのが、いつの間にか静かになり、イザークはふとノリコに視線を向けた。

彼女の目が閉じられている・・・ 頭がやや前に揺れ、うつらうつらしているようだ。
それでも、書き付けの書誌は手離さずに、しっかりと抱えている。

そんなノリコにイザークは苦笑一つ漏らすと、立ち上がって彼女の傍まで来る。そして、起こさぬようにそっと 抱き上げると、さっき調えたばかりの寝床に、静かに横たえた。
抱き上げた際に落ちた書誌を拾い上げる。ふと、捲れている面に目が行った。しかしながら何が書いてあるのかは解からない。 一生懸命覚えた言葉であるのは確かだろうが、見慣れぬ異国の言葉、やはり何の事を書いているのかは解かる筈もなく・・・

イザークはふっと微笑い、開いている面を閉じ、それをノリコの枕元に置いた。


それにしても・・・

無防備な奴だなと思ってしまう。
安心して眠るその姿。俺に対して全く警戒心というものがない。
俺を信頼してくれているのだろうが・・・

男の俺が傍にいるというのに、不思議な奴だ。
そりゃ、最初からこいつをそういう対象として捉えた事はなかったが・・・・

それとも、ノリコの世界ではこれが当たり前なのか・・・?

・・・訊いてみた事はなかったが・・・・


そのあどけない寝顔に、ふ・・と笑みが漏れる。



――――掠める記憶・・・つい先ほどの事だ・・・


「楽しそうだな・・・」
「え?・・・」

ノートに書き付けながら言葉の練習をしている彼女にそう振ると、ノリコはきょとんとした顔で俺の顔を見つめた。
そしてすぐに、にこりと微笑って・・・

「うん、たのしい!すごく!」

彼女が笑顔で話す時・・・ まるで本当に吸い込まれるかのような、そんな感覚が拭えない・・・

「えっと・・・おぼえる・・・いっぱい・・・ふえる・・・イザークの、おかげ・・」
「ノリコ・・・・」
「えっとね・・・はじめ・・・ことば・・・わからない。イザーク・・・・あたし・・・はなし・・・だめ・・・
 でも、いま・・・ことば、すこし・・・わかる。イザーク・・あたし・・はなし・・する・・・だいじょぶ!」

身振りも交えながら、ノリコは一生懸命自分の気持ちを話してきた。

「きのう・・これくらい・・・きょう・・・こんな、たくさん・・・ことば・・・おぼえる・・・・うれしい・・・」


「・・・・・・でも・・・」

笑顔で話していたのに、急に言葉を濁し、少しだけ表情を雲らせて・・・
なにやら元気がなさそうで・・・

「?・・・どうした?」
「あっ・・・ううん、なんでも、ない・・」

慌てて両手を振って、取り繕うかのように・・・・ また彼女は笑顔に戻った。

本当は何を言いたかったのだろう・・・

「ノリコ・・・?」
「ありがとう・・・いつも、いつも・・・ぜんぶ・・・イザークが・・おかげ・・・ありがとう」

「・・・・ノリコ」

その時のノリコは、穏やかに微笑っていた―――――




「・・・・・・・・・・」

穏やかな寝顔・・・――――

・・・やはり、惹きつけられる・・・ 知らず、じっと見入ってしまう。
どうして、こいつの笑顔にこんなに惹きつけられるのか・・・

当ても解からず、ただ俺にくっついて来るしかない旅だというのに・・・ どうして、こんなに笑顔になれるのか・・・

いや・・・不安は多分、今でも抱えていることだろう。
それでもこいつは、自分に出来る事を頑張ろうとしているんだ・・・
今の自分に出来る事を・・・

泣き言も言わずに・・・・




―――きゃあああーーーー!!!!!


・・・・・・・・!


―――いやあああ!!! 近寄らないで、イザーク!!!


・・・・・・・・かあ・・さん・・・


―――恐ろしい・・・こんな子を・・・こんな子を・・・ああー!! いやあああーーー!!!!


くっっ――――!!!

俺を恐れ・・・ そして拒絶した・・・ かつての家族・・・
そして、俺を遠ざけた・・・ 周りの人間達・・・


ぎゅっと目を瞑り、否定するかのように首を左右に振った。



『・・・・ん・・・いざぁ・・・く・・』
「・・・・・っ!」

自分を呼ぶノリコの声に、弾かれたかのように我に返る。・・・再びその顔を見入る。だが、彼女の言葉はない。
それが寝言なのだと解かり、吐息混じりの苦笑を漏らす。


昔の記憶・・・ 笑顔で俺に接する事など・・・決してなかった、家族・・・
なのに、赤の他人のこいつが、俺に笑顔で接してくれている・・・ 皮肉なものだな・・・

もっとも、こいつは俺の事を知らないのだから・・・当然かもしれん・・・
・・・・・・もし、こいつが俺の事を知ったら・・・ こいつは俺から離れていくのだろうか・・・
かつての家族のように、俺を恐れて・・・


また吐息。そして自嘲・・・

ノリコにそっと毛布を掛けてやり、イザークは立ち上がろうとする。

『・・・ぁ・・り・・が・・と・・・ いざ・・・く・・・・』
「え・・・・・」

彼女の寝言にハッとする。その言葉は勿論異国の言葉。だが、今までにも何度か聞き覚えのある言葉だった。
以前彼女がたどたどしくも、教えてくれたその言葉・・・・―――――


―――― ありがとう ――――


感謝の意味を伝える言葉だと・・・・・ 一生懸命単語を並べ、そして身振りも交えて・・・・・・

「《ありがとう》・・・か・・・」

ふ・・と、また笑みが漏れる。そしてすぐ、こんな事で自然と笑顔になる自分にも驚いた。
以前の自分には、決してなかった事だから・・・・


何故、こんな感情が湧くのだろう。
自分の中の小さな変化に驚かずにはいられなかった。

確かに嫌な感情ではない。・・・だが、それに身を委ねる訳にはいかないという思いもあった。


洞窟の外に出た。誘われるかのように、ふと空を見上げる。


星は輝きを増す・・・――――  何もなかったかのように・・・――――

自分の抱える悩み・・・ そんなものなど全て、最初からなかったのだと思わせるほど・・・

心の中まで、洗いざらい流してくれているのだろうか・・・


一人の時には、こんな自然の変化に気に留める事などなかったのに・・・
本当に不思議なものだと感じる。



・・・ノリコにとって、この世界で生きる事は辛い事ばかりかもしれん。

今まで何も知らせないまま、彼女を連れ回していたが・・・
彼女にとって何処か安心出来る場所を設けてやらねばならないのかもしれん・・・


深く息をつく・・・


一番いいのは、元の世界に戻してやることなのだろうが・・・ 方法が解からん以上、どうしようもない。

俺は彼女を長く連れ回す訳にはいかない・・・
彼女が日常会話にも困らなくなるまでに、何とかこの世界での安住出来る場所を・・・


そこまで考え、・・・ふと、そんな事を考える自分にもまた苦笑を漏らした。


いつの間にか・・・彼女の行く末まで案ずるようになっている・・・・

この俺が・・・ なんてことだ・・・



再び、空を見上げる。
あの凄まじい雷雨が嘘のように煌く、満天の星達。

「タータ・・・トエ・・・ニーケ・・・・」

柔らかな夜風が、彼の漆黒の髪をくすぐるように吹き、そして樹や草の間を抜けていった。






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