怯える街 --怪訝の言の葉-- 1 


「え?・・・あんた達、あの峠を通るのかい?」

宿のおかみが、いきなりそんな言葉を挟んできた。




―――――・・・


この町を出たら、次は何処に行くのだろう・・・・・・

そんな風に思っていた。


あの鬱蒼とした深い森でイザークと出会ってから、彼とあたしの旅は既に三桁の日々を刻んで来た。


その間、ずっとあたしはイザークのお世話になっていて、言葉から習慣から・・・
この世界で生きるために必要な術を、教えて貰っていた。

お陰で、この世界の言葉は、だいぶ理解出来るまでにはなれた。
もっともまだ片言であるのは、依然として変わりない・・・

それでも、イザークの言う言葉を理解し、そして自分も同じく言葉で返せる・・・
こんな・・・普通なら当たり前の事が、今までは困難だっただけに・・・
それが出来る今は、凄く嬉しい。

彼は相変わらず無口で、余計な事は喋らない。
でも、出会った最初の頃に比べたら、彼との会話は増えたように思える。

それがまた、あたしを少しだけ有頂天にさせていた・・・

ただ・・・ 時にとてもそっけなく、突き放したような・・・
彼の態度からそんな雰囲気を感じる事もあり・・・もの凄く不安になる時があるのも否めない・・・


そして旅の道中、ずっと疑問に思い、拭えなかった事・・・・

何故、この世界にあたしは来てしまったのだろう
自分の意思とは関係なく・・・ そして何故、《この世界》だったのだろう

考えても、考えても、その答えは出ない

何か役割があって・・・とは思っていたが、
じゃあ、あたしのこの世界での役割って、いったい何・・・?

・・・――――


でも・・・

そうした思いはあるものの・・・見知る人もまったく無いあたしは、やっぱりイザークに頼るしかなく・・・
自分の役割を知るというよりは、ここで生きていく為に、今出来る事・・・必死でこの世界の事を覚える・・・
それに重点を置いて、頑張るしかなかった。

イザークは・・・・・

彼なら、何故あたしがこの世界に来たのか、それを知っているのではないだろうか・・・
あたしがあの日、あの森に現れたことを知っているのは、彼だけだ・・・
きっと何かを知っているのではないだろうか・・・

そう思って、訊ねたら―――――

他の質問にはちゃんと答えてくれる彼なのに・・・ 口を噤んだまま・・・それ以降は黙ってしまった・・・

どうして?・・・・ 彼も知らないのだろうか?

それとも・・・

知っていても、何か、答えられない理由があるから?・・・・


え・・・・

・・・知っていても・・・・ 答えられない・・・ 理由・・・―――――
 
何故、あたしはそんな風に感じたのだろう・・・・


その時の彼の顔、・・・一瞬険しくなった・・・

その表情が、そう感じさせたのだろうか・・・

だけどその後・・・彼の表情が、何処か寂しさをも漂わせているように思えて・・・

なんだか、もうそれ以上は・・・訊けなくなってしまった・・・


そして、・・・この質問はもうしてはいけないのかも・・・ そんな風にさえ思えてしまった・・・


この旅はいつまで続くのだろうか・・・

ずっと・・・ ううん、そんな訳ないよね・・・ でも・・・

いつか、この旅に終わりが来て・・・それが、彼との別れになってしまうかも・・・

考えられない事じゃない・・・

でも、もし、本当にそうなってしまったら・・・


イザークとの旅を続けながら、ふと、そんな思いに駆られる事が多くなり、

その事を考えると・・・ 何故だか・・・胸の奥に、ちりりと痛みまで感じてしまう・・・


どうして・・・ そんな痛みを感じるのだろう・・・――――




そして、旅の途中で立ち寄った・・・ザーゴ国内の、ある一つの町、アグナ・・・

決して大きくはないが、人々は多く、そして、山の物を中心とした市で賑わう町なのだそうだ。旅の者はここを中継地とし、 峠を越え、次の町まで行く為の足掛かりとしているらしい。

その町のある一件の宿に泊まって、次に行く町の事をイザークと話をしながら、食事に出かけようと していた時に、それを耳ざとく聞きつけた宿のおかみから、そんな言葉を掛けられたのだ。


「また一人、やられたらしいぜ・・・」
「そうだってな・・・ まったく嫌な世の中になって来たよ・・・」
「あ〜あ、結局は迂回路行きが決定かぁ・・・?」
「ぼやくなよ、命あっての物種さ。・・・危うい場所には近寄らず。これ以上の教訓はないって事だぜ・・・」

同じく宿に宿泊している男性客の二人連れが、苦々しい面持ちでそんな風にやり取りしながら、 私達の横を通り過ぎ外へ出て行った。

その人たちを目で追いながら、あたしは次に怪訝な顔で、おかみに視線を向ける。

「今の男たちの話・・・ それから、さっきのおかみの言った事・・・ どういう事だ?」

イザークは表情も変えずに、おかみに質問した。
おかみの顔は渋く、そして暗い。
だが、この町に流れているある噂について、話をし始めた。

「出るのさ。・・・峠に、恐ろしいエルギアスがね・・・」


訪れたそのアグナの町では、ある噂で持ちきりだった。町から出て峠を越える際、その途中で「エルギアス」が出るのだという。

この世界では「エル」とは「鬼」であるとか「化け物」とか「悪魔」とかを意味する。「ギアス」というのは、「〜の類」とか「〜のようなもの」を総称する言葉。 付く言葉によって、その形も変わる。「ギアス」とか、「ギアゴ」とか・・・

最初にそれを教えてもらった時に、頭の中に糸が引くかと思うくらい、混乱を感じた。まるで国語の時間に習った「五段活用」であるとか、 「変格活用」であるとか・・・そんな文法の用法を思い出してしまった。
紛らわしい表現や言葉が多いのは、どうやら日本語だけではなさそうだ。


「鬼の・・ような・・もの?(エル・・ギアス?)・・・」

あたしは、おかみの言う言葉をオウム返しのように繰り返した。顔中が疑問符だらけになりながら・・・
鬼のようなものって、いったい何?・・・・

「解らないのかい?・・・これだよ、これ」

意味が解らないでいるあたしに、半ば呆れるような表情になったおかみは、その「エルギアス」の説明をする。
両手を前に出し、そしてやや持ち上げ気味に・・・ そして掌は何かを掴もうとしているかのような形に・・・
そして更にはその目。上目遣いで、目の下半分は白目を向き、完全にイってしまっているかのような・・・・・・。

おかみのその迷演技に、思わず身震いしてしまった。

つまりは・・・《幽霊》《お化け》・・・だというのだ。

あたしは蒼くなった。自慢じゃないが、その手のものには弱い。
それでなくても、この世界に来てからというもの・・・変なものがぞろぞろ、うぞうぞ出てきて嫌になってるのに・・・
この上、《幽霊》まで??

チラ・・とイザーク見た。でも、彼のその表情には変化一つない。

「・・・見た者がいるのか?」

と、やはりその表情をまったく変えないまま、彼はおかみに訊いた。

「ああ、もう何人もいるのさ。そしてそれは、全てあの峠で起きている・・・ それどころじゃない。そいつに襲われ
 命を落としたのもいるって話さ」
「話・・・?ならば、おかみは実際にそいつを見た訳ではないのだな?」
「う・・・まあ、ね。あたしは、ほら宿の仕事があるし・・・ ただね、そいつで命を落としたヤツ自身がエルギアスと
 なって出るってのもあるらしいよ・・」

おかみは、ややふくよかな顎を突き出し、やれやれというような手の仕草をしながら尚も話す。

「腑に落ちんな・・・何故、実体のないエルギアスで人が死ぬ?」

おかみの物言いに、イザークは少しばかり詰問するような面持ちでおかみを見据えた。

「そう思うだろ?・・・ところが、中には狂い死にした奴もいるんだ。そして、どういう訳かは知らないが、身体中に
 傷を負って息絶えてしまっている奴もいる。だけど、確かに命を落としている者がいるんだよ。気持ち悪くて、
 今じゃ誰もあの峠に近づきたがる者はいない。昼時でさえそうなのに、宵の刻はエルギアスのいわば活動時
 間だよ?・・・そんな刻限にあそこに近寄る奴の気が知れないねぇ・・」

そうおかみは、せいぜい気持ち悪い顔を作って、言い含めるかのように説明した。
何だか、このおかみの真に迫る顔の方が・・・恐いくらい・・・
あたしは不謹慎にも、そんな事を心の中で考えてしまった。

「悪い事は言わないから、あんた達もあそこを通るのは止めた方がいいよ・・・ま、中には忠告を聞かないで、
 峠を通るヤツもいるけどね。そいつがどうなったかは誰にも解からない。巧く通り抜けられたのか、それともエル
 ギアスにとって食われたか・・・ 峠の森から、おぞましい声や悲鳴がねぇ、聞えてくるのさ・・・」

「エルギアス」にとって食われる・・・・!

中には、それこそ食われたのではないかと思わせるほどの惨状だったものもあったらしい。 おかみは神妙な表情を見せる。そしてそれを自業自得だとでも言うかのように・・・

「ま、どうなっても、それこそ言わんこっちゃないって事だけどね・・・」

という言葉を吐いた。


「・・・だが、迂回路を通ったのでは・・・」

そうなのだ。・・・確かに迂回路はある。でも、イザークが懸念したように、実に五日間の日数が余計に掛かってしまう。 先を急ぐ者であれば、その峠をどうしても通りたがるのも無理はないだろう・・・

「ま、悪い事は言わないよ。お客さんはどうやら剣士のようだけど、そのエルギアスは、多分誰が相手をしてもダ
 メだろうさ。エルギアス退治の依頼を受けた猛者が何人もやられてる・・・」


イザークとあたしがおかみの忠告に無言のままでいると、別な客が入ってきたようで、おかみは慌てた。

「あら、いけない。じゃ、あたしはこれで。・・・命あっての物種だよ。五日余計に掛かっても、迂回路を通る事を
 勧めるよ、お客さん」

そう念押しの言葉を残し、おかみは客の応対をしに下がって行った。
だが、その時のおかみの表情が、ふふんと笑ったように見えたのは・・・気の所為だったのだろうか?





「ああ、あんただ・・」

その声に、イザークもあたしも声のした方を見た。

その人は宿へと入ってくると、おかみとなにやら少し話をし、そしてこちらをチラと見てから、おかみに何か合図のような仕草をした後、 まっすぐこちらへ、イザークの方へとやってきた。・・・どうやら、宿の新規の客ではないらしい。

「あんた、渡り戦士だね?」

その言葉にイザークは若干眉根を寄せる。

「そうだが・・・あんたは?」
「これはすまん、自己紹介が遅れたな。私はこの町の長をしている、ガストラルという者だ」
「町長?」
「そうだ。折り入ってあんたに頼みがある。いや、勿論報酬はちゃんと払う・・・」
「・・・頼み?」
「いや、ここではなんだ。町の庁舎までご足労願えるか?ここからそう遠くない。そこで依頼の内容を話したいの
 だが・・・」

そう言うと、その町長はイザークの背に触れ、促そうとした。

・・・だけど。


ぐぐぐぅぅぅぅ〜〜〜きゅるるるぅぅぅ〜〜〜〜〜〜〜・・・・・・・・・


(・・・っ!・・・・やだっ・・・!!!)

その音に、イザークも町長もあたしの方を見た。

暫く流れる嫌な沈黙・・・・ まるで周り中の視線を集めているかのようだ・・・・・・。
その音は、あたしのお腹の音だった・・・・・・・ ああ、あたしったら・・・あたしったら・・・・・・・。

イザークの顔を恐る恐る見つめる。その顔が僅かだけど、笑っている。
彼の笑顔は素敵だけど、これは・・・・この場合の笑いは・・・・・・

あたしは恥ずかしくなって、何も言えずにお腹を押さえ、下を向いてしまった。

イザークは、ふっ・・と微笑い、町長に話をする。

「すまないが町長、昼飯がまだなんだ。さっきからずっとお預けを食らってるのでな。話とやらは、それが済んでか
 らでも構わないか?」
「ああ、それならこちらで食事を用意しよう。勿論、そちらのお嬢さんも」
「え・・・あたし・・・あの・・・いい・・・ここにいるです・・・あの・・・話・・・お仕事の・・あたし、邪魔なる・・・だから・・」

町長の申し出にあたしは遠慮した。お仕事の依頼の話は、あたしがいたら邪魔になってしまう。それは、それだけはしたくないから・・・
でも、町長はあたしの話し方に訝ったのか、

「・・・ん?こちらのお嬢さんは、言葉が少し・・・?」

そんな言葉を漏らす。

「ああ、こいつは島からの移民だ・・・こちらの言葉には、まだ疎い・・」

町長の問いに、すぐさまイザークは、そうさらりと言ってのけた。


「島の娘」そして「移民」・・・ あたしのこの世界での素性だ。誰かに訊かれたら、こう答えるようになっている。

「ほう・・・そのお嬢さんの面倒を見てるのかい?大したものだ・・・。言葉にまだ難があるのなら、余計に一人で
 置かれたのでは心細かろう・・・ なに、心配には及ばんよ。邪魔にはならんので、お嬢さんも一緒に」

町長はそう勧めてくれて、やや身の置き所のないあたしをも引き連れ、イザークを庁舎へと誘った。









「・・・エルギアスの退治?」

町の庁舎の一室で、町長はイザークに話をし始めた。
そしてあたしは、町長が手配した食事を遠慮がちに突っつきながら、その話を聞いていた。

町長の依頼の話に、イザークは訝りながらそう訊いた。

「そうだ。あんたに是非、エルギアスの退治をして貰いたい。報酬は弾む。一万、いや二万ゾル出そう、どうだろ
 うか?」
「しかし、実体のないそいつを、どうやって退治しろと言うのだ?・・・魔の怪物ならとにかく、幾ら何でも実体の
 ないエルギアスが相手じゃ、俺にだって手に負えん・・・」

イザークの言葉を聞いた町長は、慌てて弁明する。

「いやっ・・・勿論何もなければ、それに越した事はない。だが、その妙な噂のお陰で、この町を訪れる者は以
 前よりも随分と減ってしまった・・・ ご覧の通り、この町は市で成り立っている。人が来なければお手上げだ。
 迂回路を通れば良いというが・・・聞いた通り、五日も余計に掛かる。それだって命に代えられる物ではない
 がな・・・」

町長は流れる汗を拭きながら、渋い表情でそう言葉を搾り出した。

「それに・・・ これは、ここだけの話なのだが・・・」

町長は更に、なにやら言い難そうに語る。そして次の言葉に言い淀んでいるようだ。
視線をやや伏せ目にしていたイザークだが、町長のその様子にやや上目になる。

「・・・あそこには、稀だが盗賊も出るのだ。それに、エルギアス以外の、実体を持つ怪物が夜になると徘徊す
 る。以前はそんな事もなかったのだが・・・ 【目覚め】・・・・・」

町長がそこまで言うと、イザークはピクリとした。心なしか、その表情が厳しくなったように感じる・・・

「・・・【目覚め】が樹海に現れたのを、あんたは知っているか?」
「・・・・・ああ・・」

厳しい表情のまま、彼は町長を見据えて返事をした。

「だが、その【目覚め】の行方は知れない。しかもそれ以来、峠にはやたらとそんな生き物だの、得体の知れ
 ない物が現れるようになった・・・ 嘆かわしい事だ・・・ そして盗賊はこの町にも現れる。被害にあった者もい
 る。このまま、この町が寂れていくのを見るのは忍びないのだ・・・ 盗賊退治ならば、あんた達渡り戦士の得
 意分野ではないのか?」


「どうか、依頼を受けてはくれぬか?・・・この通りだ・・」

町長は、イザークに正対して真摯な態度で頭を下げた。この人なりに、町の安全を守るべく一生懸命なのだろう。 その気持ちが伝わってくる。・・・あたしは、イザークの方を見つめた。

彼は腕を組みながら、暫くじっと黙っていたけど、ようやく口を開いて町長に訊ねた。

「依頼を受けるのは構わんが・・・、そいつ等が出没する頻度はどうなんだ?」
「頻度?・・・」
「そうだ。のんびりとここに留まっていられるほど、俺たちも暇ではない。いつ出てくるかも解からないそいつ等の
 為に待たされるのにも、限度がある。」
「そ、それなら大丈夫だ。宿泊費はこちらで持とう。・・・それに心配には及ばん。厄介な事だが、奴等は毎晩
 のように出てくるのだ・・」
「町長は見たのか?・・・そのエルギアスとやらを・・」
「あ・・・ああ、命からがら逃げてきた・・・あんなものは今まで見たことがない・・・恐ろしい様だった・・・だが、とても
 一言では語り尽くせない・・・ 思い出すのさえ、辛い・・・」

町長はそう語った。余程、恐ろしい目に遭ったのだろう。その顔色は真っ青で、身体も震えていた。

しかし・・・


「どうも、腑に落ちん・・・」

イザークがおもむろにそう言い出す。町長もあたしも、えっ?・・・という顔で彼を見た。

「盗賊たちはともかく、何故、エルギアスや怪物どもは、この町にまで出てこないのだ?」

イザークのその言葉で、町長の顔色に一瞬違う色が走ったように見えた。

そういえば、何故、峠だけで出るのだろう・・・ まあ、お化けの類はその土地とかに憑きやすいのは解かるけど、 じゃあ、怪物の類は?・・・ここから峠までは、それほど遠くはない筈なのに・・・

「それからもう一つ。あの時、俺にまっすぐ向かって来たのは何故だ?」
「?・・・それは・・・どういう・・・」

町長にはイザークの言っている事の意味が、よく解かっていないようだった。

「要するにこうだ。・・・剣を携えているのを見て、剣士であると判断したのは解かる・・・ だが、腕試しもしてい
 ない内から、俺に多額の報酬を払おうとするその了見が、理解出来ん・・」
「・・そ・・・それは・・・」

「・・・いったい、どういう訳だ?」

イザークはその厳しい視線を崩さぬまま、町長に対して言う。


・・・そういえば、少し変かも。あたしも、不思議に感じた。

イザークは、依頼を受ける前によく腕試しをされる。理由は、彼の見てくれの所為だ。あたしは彼の強さを嫌というほど 知っているからそんな風には思わないけど、人から見ると、おおよそ彼は剣士には見えないのだそうだ・・・
随分と人を莫迦にしてるようにも聞えるけれど、彼の線の細さ、そしてその顔立ち。剣士というよりも どちらかといえば、その見てくれを売り物にした方が良いのではないかというくらい、彼はいわば『イケメン』の部類に入る。

あたしだって、初めて彼の顔を見た時は・・・ その整った顔立ちに、頬が赤くなってしまったくらいだもの・・・・

イザークの質問に、町長は少し慌てているようだった。でも、暫く考え込む素振りを見せたその町長は、何かを 取り繕うかのように、少しずつまた語り出す。

「・・・・・長年の・・・勘・・・と言えば良いだろうか・・・」
「勘・・・だと?・・」
「そう・・・。こうした事態になってからというもの・・・これまでこの町を訪れた渡り戦士に、私は同じように依頼を
 してきた。その彼等がまず要求してきたのは、報酬だ。相手は得たいの知れないモノなのだから、報酬もそれ
 に見合うだけの額でなくては引き受けられないと要求してきた。しかも前金が条件だと言う。腕っ節には自
 信のある奴等ばかりで、確かにその見てくれは、豪傑やら猛者に見える頑丈そうな者達だった。だが・・・」

町長はそこまで言うと、渋い表情に一層磨きが掛かったかのように、その眉間に皺を寄せた。

「だが、その一人として、依頼を成し遂げられた者はいないっ!奴等にやられてしまったものもいる。そして中に
 は、あろう事か前金だけを持って逃げてしまった者までいるっ!・・・大方、怖気付いたか何かだろうが、情け
 ないことだっ!」

ドンッ――――!!

町長はいきり立って、テーブルを両の拳で叩いた。そのあまりの形相に、あたしはビックリしてしまう。
あたしが随分と驚いた事で町長は我に返り、やや頭を掻きながら謝ってきた。

「・・ああ、これはすまん。・・・お嬢さんを驚かすつもりでは無かったんだ。赦してくれ・・・」

そう言った町長の顔は、憔悴しきっているようだった。万策尽きて、失望感で溢れているかのような・・・・ そんな重苦しい雰囲気が部屋全体に漂っていて・・・、あたしは、なんだか息が詰まりそうな気がしてきた。

「・・・しかし、あんたの持つ雰囲気には、なにやら違うものを感じた。今までの渡り戦士達には無い何か・・・
 それが何かというのは、巧く言葉には出来ないが・・・」

そこまで言うと、町長は大きく息をついた。まるで随分と老け込んだような印象さえ、その表情からは伺えた。

「それが理由では、納得いかんかね?・・・」

町長の目は真剣なものだった。
イザークは表情を変えずに、ずっと町長を見据えていたが、やや視線を落として小さく息を吐くと、

「いいだろう・・・その依頼受けよう・・・」

そう町長に向けて告げる。

「本当かね!・・・本当に、依頼を引き受けてくれるのかね?」

町長の顔は先ほどとは比べようもないほど、明るいものになった。

「・・・ああ。但し、一度でカタがつくものとも思えん。掛かってくるものから一つずつ片付ける事になるが・・・・」

「ああ、それで構わんよ。・・・だが、場合によっては命の危険も辞さない覚悟はあるかね?今まで何人もの犠
 牲者が出ているのだ。あんたもそうならないとは限らないが・・・大丈夫かね?」

町長のその言葉に、イザークは眉を寄せた。あたしは少し心配になったけど、でもイザークは・・・彼は強い。 最初の時のあの気持ち悪い化け物だって、何体も斬り倒した。盗賊をやっつけた事だって、一度や二度じゃない。

だから、今度だって・・・・きっと・・・きっと・・・・

でも、イザークは視線を落とすと苦笑気味にやや笑い・・・こう言った。


「・・・惜しい命ではない。・・・それに、俺が死んで悲しむ者も・・・誰一人・・いない・・・」


え・・・・―――――!


ズキン・・・

イザークのその言葉に、あたしは、言いようのない胸の痛みを感じた。

・・・・イザークが死んだら・・・・? ・・・・そんな事、そんな事・・・・

ツキン、ツキン、ツキン・・・・・・・・・・

やだ・・・やだよ・・・そんなの・・・イザーク、そんな事言わないで?・・・・



心の中で、あたしはそんな風に感じていた。その時のあたしは、かなり動揺していたと思う。

何故こんなに悲しくなるの?・・・酷く・・胸が痛む・・・ 切り刻まれたかのよう・・・ 苦しい・・・苦しいよ・・・


「そうか・・・・それだけの覚悟が出来ているのなら、こちらも心置きなく依頼出来るというものだ」

あたしが何も言えないでいると、町長はそうイザークに言った。
そしてイザークも席を立ち、町長と握手を交わす。

「よろしく頼むよ?」
「ああ・・・」

そして町長は、ずっしりと重そうな布袋を取り出し、それをテーブルの上に乗せた。

「これは前金だ。五千ゾルある。無事完遂出来たら、残りの一万五千ゾルを払おう。それでも構わぬか?」
「構わん・・それでいい・・」
「夕の刻限の鐘が鳴る時、宿に迎えに行こう・・」
「なに?・・・」
「道案内しよう。その場所までな・・」
「そんなものは要らん。下手をすればあんたが命を落とすぞ?」
「・・・いや、確実にな、あんたには仕留めて貰いたいのだ。だから、奴等が最も出没する場所まで案内する」

町長の道案内の申し出に、イザークは訝しんでいた。当然だ。何故わざわざ危険な場所に近寄ろうとする?

「町長、あんたがいたのでは、反って足手纏いになる。俺一人で充分だ、案内など要らん」

案の定イザークは道案内を断った。これも考えれば当然だろう。そんな危ない橋を渡ろうなんて、正気の沙汰じゃない・・・・

「いや、足手纏いにはならんよ。そして私の心配も無用だ・・・巧く逃げ込める洞穴を知っているのでな・・・」
「・・・洞穴?」

町長は、初めてニヤリとした表情を見せた。その表情に、あたしは身構えた。
これがさっきまで憔悴しきっていた同じ人の表情なのだろうか・・・・・

「命からがら逃げてきたと言っただろう?これでも自分を守るための術は確保してあるよ・・・」

町長が言うには、人一人ぐらいが丁度逃げ込める穴が、峠のどこかにあるらしい。
そこに逃げ込んだお陰で、町長は命が助かったのだと言うが・・・・
でも、怪物や盗賊、そしてその「エルギアス」が、そんなもので防げるのだろうか・・・・

あたしも、そして多分イザークも同様の疑問を町長に抱いていたんだと思う。
イザークは、暫く黙っていたが、

「解かった、好きにするがいい。但し、何があってもあんたを確実に守れるという保証までは出来ん。その怪物
 達とやらが出てきたら、せいぜい巧く逃げ遂せる事だな・・・」

そう告げて、言葉を締めくくる。



「・・・せいぜい、巧く逃げる事にするよ・・・」


部屋を出て行くあたし達に、町長は低い声で、ゆっくりとそう言った。

何故だろう・・・ 町長のその言い方に、あたしは何か引っ掛かるものを感じた。
その引っ掛かりは、その時はまだ小さなものだったが・・・・それでも、頭の片隅に、確実に生じていた。

イザークとあたしは庁舎を出たが、そのすぐ後、町長が馬を出して何処かに出かけようとしているのを、あたしは見た。 通りに出た町長は、随分と馬を急がせて、町のはずれの方に向かって行ったようだ。そんなに急いで・・・何処に行くのだろうか・・・・

と思っても、それが解かる筈はないのだけど・・・


イザークとあたしは、宿への道を歩いていた。・・・彼は黙ったまま・・・何も話さない。そしてあたしも、 さっきの彼の言葉がずっと自分に圧し掛かっていて・・・ 酷く・・・ 心が、重かった・・・・

そして、その重苦しさの所為で、さっき町長に対して感じ始めた違和感は・・・

すっかり影を顰めてしまっていた・・・・・






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