あまたの星煌燦く天よ -amatanohosi kiramekusorayo- 3



ピィー――――ィ・・・ チチチ チチ・・・

微かに鳥の声が聞こえる。何処か遠方での囀りであろうか、それでも静かな山間ではよく響き渡る。
そして、清々しい外気が頬を掠めてゆき――――


(なぁ、あれ・・・)
(ああ・・・やっぱり心配なんだろうな・・・)

離れた所から何かが聞こえる・・・ いや音ではない、これは声だ。左大公の息子達のそれか・・・

(ああ、随分と遅くまで火の番もしててくれたんだ、もう少し寝かせといておやりね)

ガーヤの声も交じって聞こえてきた。ゆるり睫が揺らぐ。

「――・・・ん・・ぅ」

朝の少し涼しげな外気の刺激とその声とにより、徐々に呼び戻される意識。
開けてゆく視界の中に、眠るノリコの姿を認め・・・

「・・っ」

ハッと見開く。瞬時に覚醒しすぐに半身を起こしたものの、身に掛けられている夜具に気付き・・・

「・・・・・」

半ば惚けたように額に手を遣った――――

徐々に気が冴えてゆく。まだ早朝だと思っていたが、既に陽は夜明けより二時ばかり過ぎたほどの位置にあり、柔らかな光が一帯に降り注いでいた。 ノリコを除く他の者は皆既に起きているようで、夜具の始末もついている。姿が見えない者は、恐らく洗顔か何かでこの先に湧き出ている地水まで出向いているのだろう。

常であれば、気配ですぐに醒めるのに―――と、そんな思考が掠めてゆく。
昨夜は火の番もあり眠りに就くのが遅かった。それどころか、寝付いたのがいったい何時ほどであったのか・・・それすら定かではない。 だからという訳でもなかろうが・・・いつの間にか、深く寝入ってしまったようだ。

天の底が溢れたかと思えるほど星が煌いていた昨夜・・・
あの後・・・ 眠るノリコの顔を見つめながら、随分と長く物思いに捉われていた。
異形の姿となった自身・・・ そして、ノリコのこと・・・
動揺、戸惑い、僅かに垣間見えたかに感じられた希、それを掴み取っても良いのだろうかと躊躇い・・・
そしてたとえ、それが得られたとしても・・・ それでも尚、否定することの適わぬ・・・己の内に潜む闇――――
考えねばならぬことが多かったとはいえ・・・不覚であったのは否めず、深く息をついた。


「起きたのかぃイザーク、もう少し寝ていても良かったんだよ?」
「ガーヤ・・ ぁ・・いや・・ これは、ガーヤが?」

ノリコを気遣いやや控えめの声で話し掛けてきたガーヤに、イザークは夜具を示した。

「そうだよ。あんた何も掛けないで眠ってたからさ、身体を壊したら元も子もないからね」
「そうか・・・すまない」
「大丈夫かぃ?」
「ああ、少し寝入ってしまったようだ」
「構わないさ。大変なことが続いて、疲れが出たって当然だよ。ザーゴの追手も、まさかあたし等がこんな所に
 いるとは思ってないだろう。休める時に休んどいた方がいいんだよ。ああ食事の支度も、もうすぐ調うからね」

ガーヤの言葉に浅く息をついた。

「すまない。・・いや、その前にもう一度森に入ってガレンの実を探してくる。あれば朝の方が見つけやすい・・」
「ノリコにかぃ?」
「ああ」

応えながらイザークは夜具を畳み、それをガーヤに手渡した。

「そうだね、この辺はもう何十年も人の手が掛かってない地だから、山の恵みにもありつけるかもしれないね。
 気を付けて行っておいで」

その言葉に一つ頷き、それからノリコに視線を落とす。額にそっと触れ熱がないのを確認し、安らかな寝息を立てるその姿に目を細めた。

「すまないが・・またノリコを頼む」
「ああ、解かってるよ」

にこりと引き受けたガーヤにイザークもまた微笑を返す。そして昨晩と同じく後方の林の中へと姿を消した。




「なんだぃ、バーナダム」
「ぇ・・な、なんだよガーヤ・・」

バーナダムの面白くなさげな視線などとっくに気付いていたガーヤである。意味ありげなその笑みに詰められ、横目で彼等の遣り取りを窺っていたバーナダムは慌てて取り繕う。

「ノリコを心配してるのは皆一緒だよ」
「そ、そんなこと・・・言われなくたって解かってるさ」

そんな二人の会話にロンタルナとコーリキも加わった。

「俺も心配してるんだぜ」
「俺もな」
「な、なんだよ二人とも。あ、ほらスープが煮えてる。も、もう出来たようだっ」

赤い顔を隠すようにスープ鍋を見に行くバーナダムを、三人とも顔を見合わせてはニヤリとしながら見ていた。


「ったく、イザークも真面目だよなぁ〜」

湧水で洗顔を済ませたのか、バラゴが戻ってきていた。その肩には顔を拭いたであろう布が掛かっている。しかしバラゴのその物言いに、それまで笑っていたガーヤも途端に渋い顔になる。

「そんなこと言うもんじゃないよ。自分と一緒の時に怪我させてしまったという負い目があるんだろう。あの子も
 出来るだけのことをしてやりたいのさ」
「ははは、悪い意味じゃないぜ、それにそんなことは見てりゃ解かるさ」

二人がそんな会話をしていると、苦しそうな呼吸が洩れ聞こえてきた。

「・・・ん? ・・おぃガーヤ、ノリコ苦しそうじゃないか」

バラゴの指摘で、ノリコを見つめたガーヤの表情も芳しくなく曇る。ノリコの額には若干汗が滲み、眉も切なげに寄せられていた。

「悪い夢でも見てるのかねぇ、それとも傷が痛むのか・・・」

額にそっと手を添えると、心持ち熱いようにも思えた。

「熱いね・・」
「熱か?」

傷に因る発熱であるのか、懸念が走る。布を濡らしてくるとバラゴが提案したので、ガーヤは別な布を託した。
バラゴが地水へ向かった後も、ノリコの苦しげな呼吸は続いていた。

「ぅ・・・ぁ・・・ふ・・・」
「ノリコ、大丈夫かぃ?・・・ああ、目が覚めれば薬が飲めるんだけどねぇ・・」
「・・・ぃ・・・ぅ・・」
「ん?」

何だろうか・・・うわ言のようにも聞こえるその声に、ガーヤは顔を寄せた。

「・・・か・・・ぃで・・・・ぁ・・ぁく・・」
「・・・ぅん?」

どうやら魘されているのは夢の所為らしい。消え入りそうなその声に注意深く耳を欹てた。

「か・・・ な・・ぃで・・・ ぃ・・ざ・・ぁく・・」
「・・・」

夢の中身を察したのか、ガーヤは目を瞠る。が、ノリコの目元に滲む涙を認め、すぐに穏やかな表情を浮かべた。心得たかのように幾度か頷くその眼差しは、とても優しげである。 思えばノリコは島からの移民、両親とも親しい者とも別れてしまっているのだ。イザークから聞き及んでいるノリコのそんな事情に思いを馳せ、ガーヤはノリコが本当に自分の娘であるかのように愛しく思えてくるのだった。

「ガーヤ、ノリコは・・」
「ん?・・あんたのところまで聞こえたかぃ? バーナダム」
「いや、聞き取れなかったけど・・・苦しいのかな」

魘されているノリコがやはり心配であるらしい。バーナダムの表情も曇っている。

「ああ、大丈夫さ。ちょっと夢を見てるんだよ、ノリコはね・・」
「夢?」
「ああ、多分切ない夢だねぇ」
「せつ・・な・・?」
「ああっ、怪我人の前でこれ以上話すことじゃないよっ、スープの用意はもう出来たのかぃ?」
「え、ああ、すぐにするよ」

昨夜と同様追い立てられ、怪訝な表情を崩せないまま、それでもバーナダムは火の傍に戻っていった。
その様子をにんまりと見遣るもすぐにノリコに視線を戻し、

「大丈夫、すぐに戻ってくるよイザークは・・」

その額にそっと掌を乗せ、ガーヤは笑顔で呟いた。




一方イザークの方も・・・


やはり来て正解だったな・・・――――


林の中で見つけた薬草の実を採っていた。昨夜暗い中でも幾許か傷に効く薬草を見つけることが出来たが、やはり陽の出ている時の方が見つけやすいのは確かで、更にはこういう朝でなければ採れないものもある。

だがそこへ―――

「っ・・!?」

不意に流れてきた思念に一瞬ピクリと震える。とても弱々しいが、それは紛うことなく自分を呼ぶ声で。

「ノリコ・・?」

ノリコのことはガーヤに頼んできたが、何かあったのだろうか。思念で呼び掛けてみるが応答はなく、眉を顰めた。 生じる懸念に心が騒ぐ。薬草を取るのもそこそこ、イザークは皆のいる場所へ戻っていった。





――――
――――――――・・・

開けていく視界の中にぼんやりとガーヤの顔が見えた。穏やかな表情で自分を見ている。

「おはようノリコ・・大丈夫かぃ?」
「・・・ぉば・・さん?」
「傷は痛むかぃ?」
「ぁ・・・」

ガーヤの問いに、一呼吸置く。まだ半分夢うつつであるかもしれない。幾度かゆるりと瞼が上下する。

「ぃぃぇ・・・だぃ・・じょ・・ぶ、・・・ぁかる・・ぃ・・」
「ああ、朝になったんだよ」
「・・ぁ・・ぉはよ・・ございます・・・ これは・・・おばさん・・が?」

額の布によろよろと触れようとするが、また痛みが走り、うっ・・と表情が歪む。

「あ、無理するんじゃないよ。布はバラゴが湧き水で濡らしてきてくれたのさ。少し額が熱いようだったからね」
「ぁりがとう・・ ご免・・なさい、迷惑・・掛け・・て・・」
「何言ってるんだい。お互い様なんだから、気にしなくてもいいんだよノリコ」
「はぃ・・・ ぁ・・の・・」

ノリコはゆるりと周りに視線を移した。昨夜傍にいてくれたその人の姿が見当たらない。一瞬夢で見たあの光景が掠め、不安が痛む身と相まって押し寄せる。 しかし、心細げなノリコの表情や仕草に、察しの良いガーヤは尚も笑顔で安心させるように告げた。

「イザークを探しているのかぃ? 大丈夫すぐに戻ってくるよ。今ガレンの実を採りに行っているんだ」
「ガレン・・」
「体力の回復にはあれは重宝するからね。まあ滅多に見つからない薬草ではあるけどね」
「はぃ・・前に、教えて貰ったこと・・あります・・ じゃあ・・イザークいるですね・・・良かった・・」
「ふふふ、置いていかれるかと思ったのかぃ?・・まあ、前例があるから不安になるのも無理ないか。でもこんな状
 態のあんたを置いて行ってしまうような薄情な子じゃないよイザークは。だから安心おし」

笑顔で告げるガーヤに、ノリコの表情も和ぎ小さく頷いた。

「あの・・」
「ん?」
「イザークは・・・身体、大丈夫・・ですか?」
「イザークかぃ? ああ、昨夜遅かったから皆よりは遅く起きたけど、大丈夫だって言ってたよ。そんなに心配かぃ?」
「ぁ・・あたしの為に・・イザーク、大変だった・・・だから・・」

ガーヤの言葉でノリコはホッとした表情を浮かべるも、やはり頬を染めた。そんなノリコをガーヤも微笑ましく見ていた。

「ノリコ大丈夫かぃ?」
「・・ぁ・・バーナダム・・」

ひょっこり顔を見せたバーナダムにも、ノリコは笑顔を浮かべて見せた。

「有難う・・バーナダム」
「なんの。早く好くなるといいな。あんまり無理はするなよ。皆が助けてくれるんだから、甘えてくれていいんだから」
「うん・・有難う・・」

ノリコの変わらぬ笑顔に、バーナダムも嬉しくなって笑顔を返した。
が、ノリコの瞳が不意に大きく見開いたのに、バーナダムは何事かとノリコを見つめた。
そこへ――――

「ガーヤ」

離れた所からガーヤを呼ぶ声がし、バーナダムもそちらへ振り向いた。その声で、既にイザークの気配を察していたノリコの顔が更に明るくなる。

「おや、噂をすればだね。お帰りイザーク、ノリコが目を覚ましたよ」
「ああ。・・・っ、熱が出たのか?」

ガーヤに応えながらもノリコの額に乗せられている布の存在が目に留まり、イザークは眉を顰めた。傍にいるバーナダムには全く構わず――まるで最初からそこにバーナダムなど存在してないかのような所作だ――向かい側に屈み、具合を看た。

「イザー・・ク・・」
「具合はどうだ、苦しいか?」

ノリコの声に頷きながらも、その瞳はまっすぐに彼女に向けられている。心配してくれる温かい眼差し。そして額に感じるイザークの掌の温もりにホッとしたようにノリコは目を細め、ゆっくりと頭を振った。

「だいじょぶ・・」
「しかし、少し顔が赤いようだが・・」
「ホントだ、ノリコ顔が赤いよ。熱が上がったんじゃないか?」

ノリコを案じるイザークに負けじと口を挟んだバーナダムだが、その声で初めてイザークは向かいにバーナダムがいたのだと気付いたように顔を上げた。・・・しかし、

「ん? そりゃ熱の所為じゃないだろう、イザーク」
「え?」
「え?」

その指摘に虚を突かれ、二人同時に怪訝な表情でガーヤを見る。だが、そんな素っ頓狂な表情の二人に呆れたのか、すかさずまたガーヤは鋭い突っ込みを入れた。

「解からないのかぃ? あんたも意外に鈍いんだねぇイザーク」
「え?」
「え?」

その指摘は二人を更に素っ頓狂な顔にした。しかも話題の中心がイザークに特定されている。そんなガーヤの物言いに、尚も不審に感じたバーナダムがどういう意味だと謂わんばかりにイザークを凝視した為、不躾なその視線に気付いたイザークと二人暫し顔が見合ったほどだ。
二人とも、何故そんな指摘をされるのか、ガーヤの発言の真意すら掴みかねており・・・
更にノリコも、そんな表情の二人に若干困ったようにまた顔を赤く染めた。

「おっ、イザーク戻ったのか。・・・なんだ、何バーナダムと見合ってるんだイザーク? 男同士で見つめ合うなんざ、
 気持ち悪ぃ〜だけだろ。朝飯にするぜ」

「・・・・・」
「・・・・・」

確かに、そんな状況で男二人が見合う図ほど間が抜けてるものはないかもしれない・・・。
バラゴにまで指摘され、無言のまま見合っていた二人は我に返り、若干気拙そうにそれぞれが立ち上がった。
しょうがないねぇ〜・・・と謂わんばかりの顔でガーヤは二人に苦笑し、ノリコにも微笑んで見せた。



その後・・・ 実はささやかだが当人達にとっては重大なる一悶着が更に起こる。
ノリコに食事をさせようとスープを持っていったガーヤに、逸早く食事を済ませてしまったバーナダムが自分が食事をさせると申し出た為、

「ぅん?」
「ぇ・・」

ガーヤもノリコもまるで豆鉄砲を食らった鳩のような顔になった。

「俺もう済ませたからさ。ノリコには俺がゆっくり食べさせて遣るよ。ほら、昨夜ノリコは食事出来なかっただろ?
 傷を治すには、まずはちゃんと食べないとなっ」

尤もらしい台詞である・・・。
しかも少々照れ臭そうな笑顔で、バーナダムはガーヤからスープのカップをちゃっかり取り上げた。
バーナダム―――ガーヤと同様灰鳥一族出身のこの青年は、呆れるほど純粋でまっすぐで信念に基き憚らずしかも勢いがある。要するに熱血直進型だ。その勢いに圧されたのか、それともバーナダムの想いもまた理解に苦しくないと感じた為か、その間ガーヤは言葉も出せずただ呆気にとられるばかりだった。
そんなガーヤにはお構いなしにいそいそとノリコの傍らに腰を下ろしたバーナダムは、やはり嬉しそうに見える。

だが、無論それだけで事が済んだ訳ではない。
バーナダムのその台詞を聞いた途端イザークの眉間に深く皺が刻まれ、しかもそれを他の面々が見逃さなかった。バラゴとアゴルに怪訝な顔で指摘され、詰まったイザークが平静を装おうとしたのは言うまでもない。そしてそれを見たロンタルナとコーリキは昨夜同様ひそひそと話をし合い、挙句父親のジェイダに窘められる始末だ。
そんな中、ノリコに匙でスープを食べさせるバーナダムの姿はもう誰が見ても幸福そうで、バーナダムってそんなに世話好きだったかねぇ・・・? と、ガーヤに首を捻らせるほど、彼はノリコの世話に執心した。そしてノリコも、笑顔ではあるもののそこは若干複雑な色合いを浮かべ、食事をさせて貰った始第だ。

バーナダムの言動に昨夜感じたのと全く同じ感情が湧き上がってくるのを感じ、しかもそれが治まらない為イザークはいつにも増して無言だった。だが意外と、昨夜感じたような戸惑いはない。その感情の正体が何であるかをイザークなりに悟ったからだ。今までの自身には恐らく全く縁のなかった感情であろう。そして何故そんなものが湧き上がってくるのかも彼なりに解したのだ。
だからといって、おいそれと承服出来るものでもない。寧ろ原因が判明した分、昨夜よりもその症状は酷い。
・・・と、言えるだろう。

「イザーク、おまえどうしたんだ?」

と、バラゴをして謂わしめるほどイザークの表情は氷のように冷たく尖っていた。無論、バラゴの問いにイザークが否と応えたのは言うまでもないが、端整な顔による無言の睥睨が相当の迫力を有しているのは確かで、片膝を抱えじっと何かを考えているその様は近寄り難いオーラさえ漂わせていた。多分に本人は無表情に努めているつもりなのだろうが、同情を寄せてしまいたくなるほど殆ど意味を成していない。
そんな "らしからぬ状況"――少なくともバラゴの知る限り、イザークはもっと冷静に事を運ぶ筈――であるのに、イザークのそうした否定を鵜呑みにするほどバラゴは阿呆ではない。 戻ってきたガーヤに耳打ちし共になにやら妙な笑顔になったところを見ると、何かを察したということだろう。

ガーヤと同様、このバラゴという男もなかなか察しの良い男である。但し、気配りに長けているガーヤのそれとは少し意味合いが違う。そしてバラゴのこの性格は、今後もイザークを多分に困惑させることとなる。無論、この時はまだそれは明らかになってはいないのだが。




「さて、ノリコの加減も幾分良さそうな感じだし、そろそろ出発出来そうな頃合かね」
「そうだな、明るい内に何とか里近くまででも辿り着けたら、有難いものだ」

食事の後皆は旅支度を整え、出発の用意を全て終えていた。ガーヤの声に皆同意しそれぞれ荷を背負う。
イザークは、ノリコに薬とガレンの実を与えているところだった。

「ノリコ、俺が背負って行こうか?」
「ぇ・・」

バーナダムの言葉に、ノリコは若干の戸惑いの表情を浮かべた。そして無論イザークも、その言葉にピクリと反応する。

「あんたが?」
「ああ、ノリコ歩けないだろ?」

イザークの問いにも全く臆することなくさらりと応えた。そんなバーナダムに、先の感情が蘇ってくるのを感じたが、

「それは駄目だな」

と、無表情のままこちらもさらりと返す。

「駄目?・・なんでだよ」

怪訝な顔で食い下がるバーナダムをやはり無表情で見据えつつ、一つ息を吐き捨てた。

「グゼナの人里までまだかなりの距離がある。その間ノリコに一切の負担を与えず、あんたはずっと背負い続ける
 ことが出来るのか?」

逆に低い声で質す。ノリコを背負うつもりで意気揚々だったバーナダムも、これには詰まってしまった。どうやら、そこまで深くは考えていなかったようだ。
しかし、些少でも負担を強いることになるならそも背負う意味などない。途中彼女が眠ってしまうことも考慮に入れ、そんな彼女を降ろす発想など微塵もない・・・と、こんな意味合いがイザークの発言には込められていた。
実際グゼナ側に入ってはいるものの、ここはまだザーゴ国境近くかなり高い丘の上だ。セレナグゼナの街どころか人里までも程遠い。通常は馬を使う道行きであり、徒歩だといったいどれくらいの時間を要するのか。 だからといって身体を痛めているノリコを、休憩の為とはいえそうしょっちゅう降ろす訳にもいかない。仮に途中で馬なり馬車なりを調達出来たとしても、それまで彼女を運ぶのにそれ相当の気構えと体力を要することなど、今更言及するまでもないだろう。
傷付いた戦場の兵士をずっと背負ったまま安全な場所へ逃れることを考えてみるといい。大の男、しかも屈強な男を背負うのは並大抵ではない。ノリコは目方は確かに軽いだろうが、全く負担を与えないことを慮るなら屈強な男を背負うのと負う側の負担はそう大して変わらない。

「それは・・・ でも気を付けるさ・・」
「いい。ノリコは、俺が連れて行く」
「イザーク・・」
「あんたはジェイダ親子の警護をすればいい」
「え・・」
「それがあんたの仕事だろ」
「それはそうだが・・しかし・・」
「ノリコは、俺が連れて行く」

元より返答など期待してはいない。バーナダムに応える猶予を与えぬまま、イザークはそっとノリコを抱き起こした。痛めている所に負担を与えぬよう細心の注意を払っているのは、流石だと言えるだろう。反対に所在なげに二人を見つめているのはバーナダムだ。

「ほら、バーナダムはさっきノリコに食事させてくれたんだしさ。連れて行くのは今度はイザークに任せたらいいさ。
 ノリコが何処を痛めているのかもちゃんと把握してるんだし、大丈夫だよ」
「・・・ぅ、う・・ん・・・」

まだ何某か言いたげな面持ちではあったが、それでもガーヤの言葉に渋々バーナダムは承知した。ノリコに食事をさせることには成功したバーナダムだが、少々早計だったか・・・と後に彼はこれを悔いた。

「バーナダム、有難う。ご免ね」
「ぇ、いや・・いいんだ。それにノリコが謝ることじゃないさ。ま、今度、俺が背負ってやるよ・・はは」
「ぁ・・うん」

バーナダムには笑顔でそう応えたが、髪に触れる手の温もりを感じ、ゆっくりと視線を戻すと・・・イザークと目が合い・・・

「ぁ・・イザー・・ク・・」
「痛むところはないか?」

穏やかな眼差しでの問いに、トクン・・と鼓動が速まるのを意識する。

、大丈夫・・」
「無理はするな、少しでも辛くなったら言うんだ」
「う・・」

ドキドキして、また頬が染まる。こんなに顔が赤くて、皆に変に思われないかとも思ったが、気付いたら目の前にはもうイザークの背中があり・・・  促されるままに、広い背に身体を預けた。
・・・程なく伝わってくる温もり・・・そして、彼の匂い――――

「力を入れるなノリコ、乗っているだけでいい・・」

自分を気遣ってくれる優しい言葉。ふわりと拡がっていく安堵の気持ち。

・・」

さっきまで抱いていた心配事など、どうでも良くなってしまった。
ほうっと息をつく。


―――― ありがと・・イザーク・・ ――――


こてんと頭をもたげ、満たされた気持ちのまま瞳を閉じ・・・心で呟いた。
伝わってくるノリコの温もり・・・ それに、イザークもまた穏やかな気持ちで満たされていくのを感じ・・・


―――― ああ・・ ――――


同じく心で応える。これまで彼女へ向けたどの言葉よりも、それは温かく穏やかだった。



歩きがてらバーナダムの肩をバラゴがポンと叩いていく。励ますつもりでそうしたようだが、バラゴのそんな仕草でようやくバーナダムにも笑顔が戻る。 ロンタルナとコーリキも相変わらず二人で何かをひそひそ話し合って憚らなかったが、それぞれ笑顔でバーナダムの肩や背をポンと叩いて遣った。


「先はまだ長い。無理をするなよイザーク」

ジーナを腕に抱えたアゴルが微笑いながら声を掛け、横目で見遣りながらイザークも頷いて応えた。

この時、とても穏やかな何かを感じ取り、ジーナは、ぁ・・と呟いた。それはとても小さな呟きだった為、父親のアゴルには聞かれてはいない。
無論、ジーナにはノリコの像は占れない。だが、渦巻く像の中でも何かとても温かな光のイメージで彩られるのを感じ、蒼い占石を握りながらノリコのいる "方向"へとその大きな瞳を向けていた。
当のノリコは、イザークの背で安心しきって瞼を下ろしている。既に眠っているのかもしれないが、その姿がとても柔らかくて温かいものに包まれているのが占えた。

そしてノリコに感じたイメージもさることながら、イザークのそれに対してもこの時のジーナは不思議な感覚に捉われていた。思い起こせば、初対面のイザークに感じたそれは恐怖だ。しかし不思議なことに、あの時感じた震えるほどの恐怖のイメージが今のイザークには全く感じられないのだ。

―――― どうしてかなぁ・・・ ――――

そう、ジーナは小首を捻る。物凄く恐かったイザークのイメージである・・・しかし、森を移動中もずっと彼はノリコを護っており、更に今はノリコの温かい何かで包まれて、とても優しい穏やかなものへと変わっている―――
そんな不思議な、しかも心地良い "変化"を、この幼い占者のジーナは感じ取っていた。





無理じゃない――――

たとえこの身が引き千切れようと・・・ そんな思いが内を占める。



あの時―――美しい黄昏の空だった。美しいと感じるそんな余裕などその時にはなかったが・・・



――――どんな姿でもいい、何者でもいい、イザークが好き・・・



ノリコが掛けてくれたあの言葉は、確かに俺を救ってくれ・・・相まった感情に暮れゆく空が尚美しく思えた。
あの空をきっと自分は忘れないだろう。

そしてその宵の星空も・・・
輝石を散りばめた美しい綺羅の空が何処までも広がり・・・そして、温かく沁み込んできた彼女の想い。



――――嬉しい・・・ イザークが傍にいる・・・・・
    ずっと探してたの・・・ 本当にイザークのことが好きなんだって・・解かったの・・・
    ずっと・・傍にいてね・・・ もう絶対・・置いてったりしないでね・・・



俺にとって、それは奇蹟にも等しい・・・
彼女の言葉が幸福な気持ちで満たしてくれたのは、間違いではない・・・
たとえ、それが新たな苦悩を生む言葉であるのだとしても・・・

目覚め・・・ 俺にとって目覚めとは何であるのか・・・
何故、彼女が目覚めとして俺の前に現れたのだろう・・・
その答えは、今も出てはこない。そして不安もまた、解消された訳ではない。
彼女は目覚め・・・それは、どうあっても否定出来ない事実だ・・・
この先もこの不安は続いてゆくだろう。

・・しかし・・・―――背に感ずるノリコの温もり・・・この温もりもまた偽りではない。
俺を信頼し身を預けてくれている、それが有難い。
せめてその身が快方に向かい、彼女が元気になってくれるまでは・・・
出来るだけのことを彼女にして遣りたい・・・
望まない宿命を背負わされたのは、ノリコもまた同じ・・・
そしてそんな宿命に更に深く引き摺り込んでしまったのは・・俺の所為だ・・・

だから今は・・・



――――ノリコ、俺が背負って行こうか?



「・・・」

身勝手でも何でもいい・・・
今は・・・誰にも触れて欲しくない・・・ 触れさせはしない・・・

ゆっくりと身体を休められる場所に着くまでは、
この背から降ろさない。



――――――

――――






その後、一行は国境を隔てていた山を下り、グゼナの人里まで無事に逃れた。
関所や街道その他に厳重なる警戒網を敷いていたケミル側の目論見は見事覆され、ザーゴ国内を隈なく捜索してもジェイダ達一行の影すら掴めなかったのだ。

そして、これは余談であるが――――
目覚めたナーダがケミルや側近達のあまりに不自然な挙動を不審に思い詰問した為、側近達も隠し切れず、とうとう例の悪戯書きが露見。その染料の威力は予想以上で、ナーダはそれが消えるまで城中に甘んじるのが不満でならず、考えた末に煌びやかな布で顔に覆いをし、

「ほほ・・これが高貴なる者のお洒落なのだ」

と、全く臆することなく出歩きしかも自慢げに振舞った為、突飛奇抜を趣向とすることで知られるこのナーダ皇子は、裸の王様宜しく・・・下々の者の目を見事誤魔化すことが出来たらしい。しかし内情を知る者達が、実は裏で密かに笑った――悪戯書きを遺憾に感じたのは勿論だが――というのは・・・無論ナーダの知るところではない。
そんな事もあって、ナーダ城を頂くかの街中には似たような覆いを顔に施す輩の姿が一時見られたとか見られなかったとか・・・。流行なのか、それとも何かの信心に因る所作であるのか・・・不思議な格好をする者達だ、と街を訪れる旅人には怪訝に感ずる者も少なからず在ったようだ。

しかしそれもさる事ながら、あの日多額の賞金が闘技会場から忽然と消えていたこと、そしてまんまと逃亡に成功したジェイダ一行への怒りは言うに及ばず、特に、ナーダ曰く『小癪な黒髪の渡り戦士イザーク』への怒りは、その後もなかなか治まらなかったという。



「そうか。残念だな、奴の阿呆面を拝んで遣りたかったものだ」

とは、後に風の噂でそのことを耳にしたイザークの言葉である。
元よりそんなものに感心を示すことなど皆無のイザークだ。だからこれは最大級の皮肉である。
温厚なジェイダを除く他の面々が堪らず噴出したのも・・・無理からぬことかもしれない。







(了)

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++ あとがき ++

お読みくださり有難うございました。
今回のリクエスト。mixi(ミクシィ)のうさきち様宅の末広がり8888番を私が踏み踏み致しまして…
メデタイ番号じゃ、末広がりじゃ〜♪と喜び、逆リクをお受け致した始第です(^^;
はぃスミマセン。今回は逆パターン、御礼リクみたいな感じですね。
サイトを立ち上げて間もない頃にネタ探しにと原作を読んでいて…ああ、書いてみたいなぁ〜と思った場面でした。
漠然とした妄想をなかなかスマートに文章化出来ず放置(苦笑)…それが折りしもリクエストという形で執筆することとなり、
感慨もひとしお〜。 しかしリクエストの順番上取り掛かるのも遅くなり、これもかなりの亀ペースに…
すっかりお待たせしてしまい、申し訳ありませんでした。

今回のリクエストのテーマは、
『さて、逆リクエストですが・・・
ノリコが重症を負ったエピソードの辺りの時期
胸キュンでお願いします(^^)
そうです。テーマは「胸が、きゅ〜〜ん」です。
細かいところは、もう全てお任せいたします。
どうか、うさきちの心臓を「きゅん」っとさせて下さいまし(^^;)』

という内容でございました。
胸がきゅんきゅん、して頂けましたでしょうか?(^^* どきどき。。

最初の予定ではグゼナ人里の古家の一コマも入れるつもりでいたんですが、
終われないな…と予定変更、テーマを絞り込みまして最初の二ページで胸きゅ〜んな感じを、
夜が明けてから出発までのエピソードは…まあほのぼの半分茶番半分といった感じでしょうか(笑)。
前作の「転想転界」をシリアス茶番な感じに仕上げたので、その勢いでというのか…
あまり時間軸の離れてない場面のエピソードなもんで、書いている内にそんな茶番色も入り込んでしまった模様。。
いえ、当のキャラさん達にとっては至って真面目なんですけどね(^^;
イザークさんのノリコへの想いの変化とか…でも悩みが深まっていく…
疑問も相まって益々謎な部分が出てきてしまったなー。
書いてる本人も、途中何度も疑問で詰まり。。あまりに詰まって筆まで止まった。。orz
こりゃ何かの形で考察しっかりさせた方が良いかな…と愚考した始第。

しかし今回のリク、去年書き上げていたらきっと全く違ったものに仕上がっていたと思います。
大筋ではそう大差はないとは思うのですが、心理面での変化に関しては随分違ったものになったなと感じます。
去年の戯れ書きノートに走り書きした部分、今でも残してあるんですが…イザークさんの心理面の推移がまるで違う。
語彙の少なさとか、表現力の拙さとか、感じ方の変化とか、いろいろ要因はあると思う。
だからといって今がベストであるとも思えないですが…でも時が経つと色んなエッセンスも加わって、
それが良いのか悪いのかはまた別ですが、自分としては去年よりはちょっとは深いんじゃないかな〜…と思う点では、
まずまず良かったかな…と単純に感ずる訳です。

来年書いたらまた違うのが出来るでしょうか…?(笑)
それもまた楽しいかもしれません。

うさきち様、末広がり番を踏ませて頂くというステキな偶然♪有難うございました。
そしてリクエストをどうも有難うございました<(_ _)> 拙い作品ですが、お納めくださいませ。
夢霧 拝(07.07.24)



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