あまたの星煌燦く天よ -amatanohosi kiramekusorayo- 2



「おぃ、いたぞっ! イザークだっ!!」
「あっ、ホントだノリコもいるよ! 無事だったんだね!」

人影を見つけたバラゴの言葉にガーヤも続いた。一行はジーナの石の導きにより二人を探していた。
ノリコを腕に抱いたイザークを確認し、皆の間に喜びと安堵が拡がったのは言うまでもない。

「ノリコ・・・ どうしたんだ、気を失っているのか? まさか怪我を・・」
「・・・・」

大切そうに布に包まれ、ノリコはイザークの腕の中で眠っている。蒼白気味の顔色、そしてその姿に尋常でないものを感じ問うバーナダムだったが、イザークは眉を僅かに顰めるだけで応えなかった。

「話は後だよ。陽も落ちてしまったし、急いで野宿出来る場所を見つけないと」

ガーヤの言葉に皆は同意した。

松明を持つバーナダム、そしてロンタルナとコーリキが先頭を行き、その後方をジェイダ、そしてジーナを抱えたアゴル、 その後ろにガーヤとイザーク、最後尾にバラゴが続いた。

「イザーク、ノリコの具合はどうなのさ、怪我は酷いのかぃ?」
「・・・岩の直撃を受けた・・・芳しいとは言えん・・」
「そうかぃ、で・・あの化け物は、倒せたのかぃ?」

その問いに瞬間ピクリと震える。化け物という言葉が先の己の変化と重なり・・・僅かに目を細める。

「・・・・消滅した」

眉を顰めたまま、そう答えるに留まった。





野営を張るのに適した場所もジーナが石で占い、皆を導いた。男達は適当な場所に荷物を置くとすぐに周辺から薪を集め、火を熾しに掛かる。そしてガーヤは荷袋から毛布を取り出し ノリコを休ませる場所を作りに掛かった。

「背を痛めている。すまないが、俺の荷の中からもう一枚出して敷いてくれ」
「ああ、お安い御用だよ」

拵えたその場所にイザークはノリコをそっと下ろした。肩と首に負担を掛けぬよう上着を畳んだものを、枕代わりに頭の下にそっと入れて遣る。

「あたしの夜具を一つ使いなよ、それじゃああんたの使うのがないじゃないか」

ノリコの下には既に二枚夜具を敷いている。夜気で障りがあっては拙いからと、イザークは二枚の掛け布をノリコに掛けた。 そんなイザークの行動をずっと傍で見ていたガーヤが、見兼ねてそう提案した。
湯を沸かすバラゴの横で荷の中から食料を出していたバーナダムも、イザークとガーヤの遣り取りを横目で窺っている。

「いい、それはガーヤが使ってくれ」
「しかし・・・あんただって化け物と戦って疲れてるだろうに・・」
「殆ど回復している、心配は要らん。夜具もなくて構わない」

やれやれ・・・と、呆れたとも諦めたとも取れる表情でガーヤはイザークを見据えた。
これ以上勧めてみてもイザークは首を縦に振らないだろう。しかも会話の間中、 イザークは毛布の中にノリコの手を入れたり、乱れた髪を直して遣ったりとずっと世話を焼いている。受応えは淡々としているにも関わらず、 ノリコに触れる仕草や見つめる表情はもの柔らかで、まるで壊れ物か慈しむ者にでも接するそれだ。
そのギャップに呆れつつも、ノリコを慮るイザークにガーヤは満足げに肯いたのだ。

「・・・ん、まあいいか、使う気になったら声を掛けてよイザーク」
「ああ、すまない」

ノリコから視線を外さず相変わらず淡々と答えるイザークにそう告げることで、控えめに気遣いを示して遣った。





「イザーク、ガーヤ、簡単だが支度が出来た。飯にしようぜっ」
「ああ、すまないねバラゴ。今行くよ。・・ほらイザークも」

促すガーヤの言葉に、イザークは視線だけを上向けた。若干離れた所では焚き火の炎がパチパチと燃え、周辺には男達が既に腰を下ろしていた。ジーナもアゴルの傍にいて、小首を傾げ可愛らしい大きな瞳でこちらに視線を向けている。 そして、バーナダムと視線が合うも別段表情を変えぬままノリコに視線を戻し、彼女が変わりなく眠っているのを確認してから静かに立ち上がる。
何処か名残惜しげに見えるその所作に若干眉を顰めたのは、寧ろバーナダムの方だった。 今度はバーナダムがやおら立ち上がり、視線を伏せていたイザークが気付いた時にはすれ違うバーナダムの足が視界に入った刹那で―――ピクリと反応し静かに振り返った先には、ノリコの傍に膝をつくバーナダムの姿が見とめられた。
彼もまたノリコを案じているが故の、そうした行為・・・なのだが、

「・・・・・」

妙な感覚、感情が己の内を駆けた――――

無言のまま切なげにノリコを見つめるバーナダム。仲間を案じるが故の当然の行為、何気ないその所作である。
なのにじわりじわりと、侵食するようにそれが湧き上がる。戸惑いと共に説明し難いその感情が己を凌駕し、呪縛に掛かったようにその場から動けない。

「ん?」

ガーヤもまた振り返る。が、ノリコとバーナダムの様子から目が離せずにいるイザークのそのなんとも言えぬ表情を見て何を思ったか、苦笑を洩らした。

「バーナダム、ノリコは眠ってるんだ。そっとしといておやりね。食事にするよ」

その言葉に、イザークもバーナダムもハッとし、ガーヤに視線を向けた。改めてイザークに視線を戻したガーヤは何処か楽しげである。意味ありげなその表情に一瞬詰まり、その後バツが悪そうに目を逸らしたのはイザークの方だ。

「ああ、今行くよ」

バーナダムはそう答えたが、ノリコを見ていて何かに気付いたのか、その眉がまたも曇る。が、何も言わぬまま立ち上がった彼は、イザークの横を無言で通り過ぎ、焚き火の許へと戻り腰を下ろした。 ロンタルナとコーリキは、バーナダムの表情を見て、互いにひそひそと何かを話し合っている。
バーナダムの隣にガーヤは座り、その隣にイザークもゆっくりと腰を下ろした。そのイザークにチラと視線を遣るが、すぐにバーナダムはパンに齧り付く。

「流石に、今日の内に山を下るのは無理だったねぇ〜」
「ああ、しかし魔物と対決して命が助かったのだから、考えてみれば贅沢なことだよ、ガーヤ」
「ホント、命拾いしましたよね」
「うん・・恐い奴だったよな、あいつ・・」

ガーヤ、ジェイダ、そしてロンタルナやコーリキはパンを齧ったり、受け取った香草茶を飲みながらそんな話をしていた。イザークもバラゴから受け取った茶のカップに口を付ける。

「・・・しかし、ノリコは酷い怪我をした」

俯いたままのバーナダムがボソリと溢した。その言葉に他の者は詰まり、イザークも傾けたカップの動きが止まる。

「・・バーナダム」
「ノリコだけが酷い怪我をしたんだ・・・可哀想に」
「ああ、しかしね、こればっかりは言ってもしょうがないよ、バーナダム」

見兼ねてガーヤが声を掛けたが、難しい表情をバーナダムは崩さない。イザークは顰めた視線をパチパチと爆ぜる炎に据えたまま無言だ。心なしか下ろしたカップの手元も震えている。

「ほら、イザークだって黙って見てた訳じゃあるまい、必至にノリコを護ったんだろうからさ」
「・・二人が攫われたのに、俺達には結局何も出来なかったしな・・」
「ああ、居場所を探すのが関の山だったよな・・ 無事なのかどうかって、とにかく気が気じゃなかったし・・」
「それに探すのだって、ジーナの占いがなければ今頃もまだ探して歩いてたさ」
「まあ、あんな化けモン相手じゃなあ、ホント命が助かっただけでも有難いぜ、なあイザーク」
「奴も最後の力を振り絞ってという感じだったからな。それを倒せただけでも大したものだ」
「・・・・・」

バーナダムとイザークだけが黙っていた。そしてイザークも、労う皆の気遣いに肯くことが出来ない。
違う・・・護り切れなかった・・・ だから、ノリコにあんな怪我をさせてしまった――――
心中が煮える。バーナダムの言葉が一番堪えていたのはイザークだ。言われるまでもない、己が最も認識している。

「薬なら、私達も幾らか持っている。それを使ってくれ」
「あたしも持っているよ。でも左大公の持っている薬の方が高価だろうから、効き目がありそうだけどねぇ」
「打ち身や創傷にはいい薬だ。鎮痛剤もある。・・まあ高価だから良いという訳でもないが」

ジェイダとガーヤの申し出に、イザークは手にしていたカップを地に置きその場に立ち上がる。

「左大公の厚意には感謝する。俺も薬草を探してこよう」
「なっ・・ちょっとこれからかい? もう真っ暗だよイザーク」
「心配要らん。すまないがノリコを頼む、ガーヤ」
「それは構わないけど、あんた大して食べてないじゃないかっ」
「もう充分だ」

最小限の返答をしただけで、イザークは身を翻すようにその場を後にする。薬草に探すのはノリコの傷に対応出来るようにする為。しかし本音は、それ以上その場に身を置きたくなかったのかもしれない。
後方の木立の中へと消えたイザークを、後に残った者達は半ば呆気に取られた顔で見送った。

「・・なんか、風みたいな奴だよな、イザークって」
「兄さん?」
「そう思わないか? おまけに無愛想だし」
「そりゃ、そう思うけどさ」
「ま、訊きもしない事までやたらと喋ったり、年中へらへらしてるよりはずっとマシだよ。イイ男ってのはね、言葉と
 笑顔の安売りなんてしないのさっ」

にんまりと笑うガーヤに、ロンタルナとコーリキは、確かに、と苦笑を洩らした。

「しかし、『顔は関係ない』って台詞、一度は言ってみたいもんだぜ」
「何だい? そりゃ」
「イザークがな、賞金を持ち出す時にそう言ったんだ。顔に似合わずちゃっかりイイ根性してるから、そう指摘した
 らそんな返事が返ってきた。しかも、あの通りの真顔でだぜ、はははっ」

バラゴが語るナーダ城での顛末にガーヤは噴出しそうになり、他の者も苦笑した。だが、

「しかし、それは別にイイ男だけの台詞じゃないと思うが」
「あ? 何だ、どういう意味だ? アゴル・・」
「あっいや、その、別に深い意味は・・・はははっ」

アゴルの言葉にバラゴが反応し睨みを利かせたので、慌てて訂正するアゴルだった。その傍では案の定、ジーナがため息と共に額を押さえていた。それもまた、皆の笑いを誘った。

「さて、あたしはノリコの様子でも看てるとするかね」

小気味良く膝を一つ叩くとガーヤも食事を終えた。





「ガーヤ」

ノリコを看ていたガーヤに声を掛けてきたのはバーナダムだ。

「なんだいバーナダム。深刻そうな顔しちゃってさ」

ガーヤに指摘された通り、バーナダムは酷く難しげな表情だ。ノリコを挟んでガーヤの反対側に腰を下ろしたバーナダムは、視線はノリコに向けたままで口を開く。

「言いにくいんだけどさ・・その・・・ ノリコさ・・・」
「あ?」

言い淀むその表情は、今度は寧ろ赤い。今が夜だというのは彼にとって幸いだと言えるかもしれない。

「・・・服・・・俺達と一緒の時に着てたのと・・・違うよな・・・」
「ぅん?」

こんな時にいったい何を言い出すのやら。ガーヤは半ば呆れ顔でバーナダムを見据え、そしてノリコに視線を落とし、さほど間を置かず得心が行ったように二三肯きまたバーナダムに視線を戻した。

「やれやれ。眠ってる怪我人の傍でする話じゃないね。ちょっとおいでバーナダム」
「・・・ぁ、・・ああ」





「随分とよく見てるんだね、ノリコのこと」

皆のいる場所から離れた林の入り口付近にガーヤとバーナダムは来ていた。ガーヤの後ろをついて行ったバーナダムは、振り向き様に切り出されたその言葉に案の定詰まる。 ガーヤの口調と態度は、どう控えめに見てもにこやかに話を進めようとするそれではない。

「え・・ぃゃ、それは・・・ でも、ガーヤだって気付いていたんだろ?」

俯き加減で弁解するバーナダムにガーヤは苦笑する。

「とっくにね。だけどバーナダム、さっきの事といい、あんたいったい何が言いたいのさ?」
「ぇ・・・」

尚も言葉に詰まるバーナダムに、ガーヤは一つ息をつく。

「ノリコが怪我をした状況をあたし達は見てないんだ。二人がどんな目に遭ったのかは想像するしかないよ」
「・・・ぅ・・ん」
「魔物に憑かれた大岩鳥に鷲掴みで攫われたんだ。もしかしたら上から落とされたのかもしれない、岩に叩きつ
 けられたのかもしれない・・・」
「・・・ぁ」
「まあ寸でのところでそれが回避出来たとしてもだ、イザークだってその前はどうも本調子ではなかったようだし、
 そんな状況で遣れる事など限られている。精一杯ノリコを護っての結果がこれなら、仕方のないことだよ。
 ましてや怪我はイザークの所為じゃないんだ。責めるのは筋違いだと思うがね」
「・・・いや、別にイザークを責めてる訳じゃないよ。・・・そうじゃ・・ない・・・」
「ふーん。じゃあ手当ての事かぃ、それとも服を着替えさせたってことかぃ?」
「ぅ・・」
「・・・どうやら、気になるのはそっちらしいね」
「・・・・・」

黙ったまま赤くなったバーナダムに、ガーヤはまた一つ大きな息をついた。

「バーナダム。あんたなら、どうしてた?」
「っ・・」

ハッとして顔を上げたバーナダムの顔は、しかしすぐに困った感じのそれになった。

「やれやれ。男がそんな体たらくでどうするんだぃ、情けない。ぐずぐずしてたらノリコを死なせてしまうよ?」
「ぁ・・・」
「状況に因っては一刻を争うことだってある。ノリコの場合はまさにそれだったんだろう。ましてや日暮れも迫って
 そんな状況で傍にいたのがあんただったらどうしてたか。逆にあたしはそれが訊きたいね、バーナダム?」
「ガーヤ・・」
「この場合ノリコが最優先。それ以外にはないとあたしは思うけどね、違うかぃ?」
「・・・ぃゃ・・」
「あんたが何を思っているのかは知らないよ。だけど少し頭を冷やして考えな。イザークはあの魔物は消滅したと
 言った。あいつが自分から消滅するなんて考えられない。だとしたら、ノリコを庇いながら魔物と戦ってそれを倒
 したってことだろう。それを遣ってのけたのはあんたでもあたしでもない、イザークなんだよ。しのごの言ってる暇な
 どなかったんだと、あたしなら察して遣るけどね。いや・・・ノリコの怪我以前に、もし居合わせてたのが自分だっ
 たら、そもそも自分自身が無事でいられたかさえ、確かなことなんて言えないんだ。そうだろ? 二人して死んじ
 まうことだって、可能性として充分考えられるさ。あの魔物の恐ろしさは、あんただって体験してるんだから・・」
「・・・・・」

「さあ、これ以上はあたしから話すことは何もないよ。後はあんたが自分で考えな。あたしはノリコを看なきゃなら
 ないからね。さ、行った行ったっ」


少々追い立てられるような格好になってしまったバーナダムは、了解したのかしきれてないのか・・・そんな若干複雑な表情を浮かべ、火の傍に戻っていった。

二人は、この話を若干声を落としながらしていた。だから他の面々には、話の中身までは聞かれてはいない。
力なく腰を下ろし大きくため息をついたバーナダムを、ジェイダ親子もバラゴやアゴルも不思議そうな表情で見つめ、そして互いに顔を見合わせるが・・・原因を推し量ろうにも、いささか消沈気味のバーナダムに声を掛けるのは憚られたようで、結局皆当たり障りのない会話をするに留まった。











「イザーク、まだ休まないのかぃ?」
「ガーヤ・・」

輝石を散りばめたような星空だった。月は中天へと差し掛かり・・・辺りには虫の鳴き声が微かに聞こえ、遠方では小動物の咆哮と思しき声も時折聞こえていた。

薬草を探しに行っていたイザークも既に戻ってきており、ノリコの寝床から少し離れた所で薬を調合していた。 他の者は火を囲むように周囲にそれぞれ寝床を作り、既に寝静まっている。ガーヤも一旦は休んだものの、ふと目を覚ましイザークがまだ起きているのを見つけ、声を掛けてきたのだ。

「先に休んでくれてていい」
「しかしイザーク、明日は早いよ? まあノリコの按配次第だけどさ・・・ 少しは、あんたも休んどかないと」
「有難うガーヤ。だが、心配要らん。それにどの道、火の番が要るだろう」
「・・・あんた、身体はもう大丈夫なのかぃ?」

調合していた手が、ひた・・と止まる。

「・・・ああ、普段通りだ」

問いに答えたのは、若干の間を置いた後だった。

「そうかぃ、ならいいけど・・・ じゃあ、何か変わった事があったら、起こしとくれ?」
「ああ」

そうしてガーヤも自分の寝床に戻り、夜具の間に身を入れ、程なく眠りに就いた。





今晩、熱を出さねばいいのだが・・・

ふと息をつく・・・―――ノリコの様子を窺いながら、薬を器に移しつつイザークは考えていた。
熱覚ましの木の実、他にも必要に足る薬草は幾つか見つけ採ってきた。
だがまだ懸念はある・・・ 多分明日の移動自体、ノリコにはかなりキツイものとなるだろう・・・
もしかしたら、いや、怪我の具合を考えれば熱が出ることだって充分考えられる。
グゼナの街の近くまで・・・せめて人里まで何とか行けるなら、何処か長期で休めるような場所を探して・・・


「・・・ふ・・・ぅ・・・っ・・・」


注意してなければ聞き逃してしまいそうな・・・そんな、か細い声と息遣い。

不意に聞こえてきたその声に、イザークはピクリと反応した。ノリコの声だ。傍に寄って彼女の顔色をまず看た。
起きてはいない・・・だが、時折苦しげに眉を顰めている。呼吸も少し浅く、それも苦しそうに見えた。
痛むのか・・・ それとも、夢に魘されて・・・
いや・・ 痛くない筈がない。あの悪夢だって、忘れられる訳がないのだ。
その身に掛かる負担は相当なものだろう。

おまえの痛み、全て俺が引き受けられたらどんなにいいか・・・――――

胸が締め付けられるような痛みを感じ、ぐっと眉を顰める。酷く切ない・・・それが留まることなく湧き上がってくる。 ノリコと別れた時に感じたあの痛みにも似ているような、いや、別な何かを加え更に酷くしたような。
同時に、酷く情けなくも感じた。傍にいながら、これ以上して遣れることは何もないのか、と・・・
苦しみを背負うのは、己だけでいいのだ。
痛みに慣れた・・・己だけで・・・




仲間達は皆寝入り、勿論起きてくる気配もない。
虫達の鳴き声に混じり、焚き火の炎の爆ぜる音が聞こえるだけで。

隣の場所に静かに身を横たえ、じっとその顔を見つめた。
頬の涙の跡が、まだ残っているような気がして・・・そっと己の手を翳す。
だが触れる寸前、それは頬の前でひた・・と止まった。

躊躇いが掠める。彼女のあの言葉は、鮮明に蘇って来ているというのに・・・
酷くもどかしく感じるその仕草・・・ 自身にそんな権利などないと最初から解かっているかのように・・・
そして、それが更にまた己を臆病にさせる・・・

とても近いように思えるそれは・・・ 実は絶望を思わせるほど、遠いのだ・・・・・




浅い息遣いはまだ続いている。
そして時折、眉が切なげに顰められる。苦しそうに見えて仕方がない・・・
せめて眠りぐらいは、安らかなそれであって欲しいのに・・・


「・・ぃ・・・ざ・・く・・・ぅ・・」


「っ・・」

魘されるように紡がれたその言葉に反応する。何を求めているのか、さらに注意深く耳を澄ませる。

「・・・か・・ぇ・・・って・・・き・・・・ぃ・・か・・な・・・で・・・」
「・・・」

見開いて見つめた。小さく開いた口から紡がれた言葉・・・ ノリコが見ている夢は・・・――――

ふと彼女の手がよろよろと上がる。何か誰かを求めて伸ばされた手であるのか、力なく、彷徨うように・・・




醒めなければ出られない迷宮――夢の中にノリコはいた・・・
誰もいない荒野を彷徨い、必至にその人の姿を探した。
だが見つからない。
誰もいない大地。そこに生き物の姿さえなく・・・いるのは自分一人だけ・・・
その人のいない場所は、水のない砂漠、乾ききった大地そのもの・・・
とても寂しい・・・ そしてとても、苦しい・・・

すぅー・・・っと一筋涙が流れる。求めてもその人はいなくて・・・
呼んでも応えてはくれなくて・・・
それがこんなにも辛い・・・ 傍にいられないことが悲しい・・・
自分が見てしまったからなのか。
どんな姿でも変わりはないのに。好きなのに。ただ傍にいたいのに。
こんなにもその人が好きであることに気付いてしまった。
傍にいたい。帰って来て欲しい。

しかし、声を限りに叫んでも、吹き荒ぶ風に消され・・・
必至で伸ばした手も、空を掻くだけで、決して届くことはないのだ・・・

その人はいないのだと・・・絶望にも似た思いに支配される・・・



・・・ぁ・・・ 温か・・ぃ・・・――――



伸ばした手にふと感じた、包まれるような温もり。すぅーっと満たされていく・・・
不安に駆られていたそれまでもが優しく包み込まれていくようで・・・安堵の気持ちに、瞼がゆっくりと開く。

ぼんやりと徐々にではあったが、開けてきた視界の中にその人はいて。自分を見つめてくれていた。
現実であるのか、それとも夢の続きなのか・・・辺りは暗くとても静かで・・・
でもその人の姿だけははっきりとそこに見えて・・・
目を離したくない・・・ 瞬きすら忘れたかのように、ただぽっかり開けた眼でじっと見つめた。
そこにその人がいるのが嬉しくて・・・ 幻ではないことを確かめたくて・・・

「イ・・・ザーク」

名を、呼んだ・・・

応えるように見つめてくれるその眼差しは、とても優しくて。
だが、掴んでくれていた手が離れるのに、今しがた見た夢の中での光景が重なり――――

「だめっ」

咄嗟に留めようと腕を動かし、走った痛みに思わず顔を顰めた。

「痛ぃ・・」
「あまり動くな、あんたは怪我をしているんだ」




切ない思いがまた込み上げた・・・ 彼女の顔が痛みに歪む。
手を離そうとしたからか、それを止めるように袖口をぎゅっと掴んで・・・
不安げなその顔。心細いのだろうか・・・視線を外さないその瞳が行くなと訴えている。
いつも俺の後を、必至にノリコはついて来ていた。
姿が見えないと不安だったのだろうか。置いていかれたのではないかと探していたのだろうか。
俺の姿を見つけては、よくホッとしたような顔をして・・・
最初の頃のそんな彼女の姿が、ふと・・思い出され・・・
何処にも行かないからという意味で、隣にいるから・・・と、彼女の耳元で告げた。
安心したのだろうか・・・ 逸らすことなく俺を見つめるその顔に、少し朱の色が差した。

痛むだろう、なのにノリコは自分のことより俺の心配をする。
あの時、無意識におまえから離れようとした俺のことを。
ああ・・・ つい先刻のようにそれが思い出される。
あんな醜い姿になってしまったのに、その俺に、痛む身体で必至に追い縋った・・・



ゆっくりと夢の中でのことを言葉に紡ぎ、俺が傍にいるのを嬉しいと言う。
澄んだその瞳で見つめながら・・・



「・・・本当に・・・イザークのこと好きなんだって解かったの・・・ ずっと傍にいてね・・」



考えてもみなかった・・・ そんなことを告げられようとは・・・



「もう絶対・・・置いてったりしないでね・・・」



俺を信じて疑わない、まっすぐな眼・・・
透き通るような声、そしてふわりと包むような笑顔で・・・

そしてまた彼女の瞼はゆっくりと閉じられ、微かな寝息を立て始めた。
安心したのだろうか、先ほどまでの苦しげな息遣いは、今はもう感じられない。







言葉が、出てこなかった・・・

日暮れ時に聞いたあの言葉、そして今・・・改めて告げられた言葉・・・
ノリコの言葉が、心の中に重く響き渡る。




考えてもみなかった・・・
こんな風に自分を受け入れてくれる人がいるとは・・・・
しかも、あんな醜い姿を晒したのに、それでも尚恐れることのない澄んだ瞳で見つめて、
ひたむきにその想いを打ち明けてくれた彼女。

自分が想像もしない言葉を彼女はくれる。それは・・・奇蹟にも等しい、大切な、重い言葉・・・
こんなにも、自分を温かい気持ちにさせてくれる・・・
愛おしさが込み上げる。・・・彼女に魅かれていた自分、それを否定することは最早不可能だろう。
そして、彼女の気持ちが嬉しい。嬉しくて堪らない。

―――・・・だが・・・
嬉しい筈であるのに、それを自分は、喜ぶことが出来ない。
奇蹟の言葉であるのに、心の中に同時に流れる血の涙。
彼女の想いに応えて遣れる権利は、自分にはない。
どんなに彼女が想いを寄せてくれようとも、
どんなに信頼してくれようとも、
彼女の気持ちに応えては遣れないのだと。

それが解かっているのに、何故こんなにも苦しい・・・
何故こんなにも切ない・・・
解かっていた筈だ。早く離れていれば、こんな思いに苛まれなくても済んだのだと。
人との関わりを持てば、どうなってしまうのかと。


――――だから、得ることすら拒んできたものを・・・


・・・拒んできた―――本当にそうか・・・?
本当に俺はそれを拒んできたのだろうか・・・
それを避けてきたのだろうか・・・
本当は、求め続けていたのではないか・・・今も変わらず・・・
だが、恐れていた。
求めても、そんなものは得られないのだと解かっていたから・・・
仮にそんな日が訪れることがあったとしても、
あの異形の姿を目の当たりにすれば、俺を恐れ去っていくだろう。
幼き頃の俺を、それでも人の姿であった俺を皆が恐れ避けたように・・・
もうあんな思いはしたくはない。
だから、恐れたんだ・・・



ノリコは、異形の俺でさえ受け入れようとした。・・・しかし、それだけでいい筈がない。
人としての当たり前のことが、自分には許されてはいない。
おまえは化け物になるんだという母の言葉が、心に深く楔を打つ。

あの時・・・ 身体が変わってしまうのと同時に、俺自身の心が失くなり掛けていくのを感じた。
あんな風に俺は・・・自身を失くしていってしまうのか?
その時、それは彼女を覚えていられるのか。
それはいったい何をするのか・・・
いつか化け物になったそれが、俺自身の心を失くしたそれが、
彼女を手に掛けてしまうかもしれない。

身体を襲う言い知れぬ不安感。あの時のその感覚・・・忘れられない・・・
消えることなく、尚積まれていく。

この運命。避けることは出来ないのか。
逃れることは出来ないのか。
逃れたい。
真の化け物になるそんな運命から
逃れたい。


目覚めとはいったい何なのか・・・
彼女と出会ってから、ずっとそれが疑問として残っている。

彼女が自分を化け物にするのか。
破壊の化身と恐れられるそんなものをこの世に生み出すのか。
この華奢な身しか持たぬ彼女が。
特別な力など何も持たぬ彼女が。

なのに・・・その目覚めであるのに・・・
何故こんなにも彼女は優しい?
何故こんなにも彼女は温かい?
そしてこの俺を慕ってくれている。あんな姿を晒した俺を・・・
その彼女が俺を破壊の化け物に変えるというのか?

何故彼女が目覚めなのか。
目覚めとは・・・何であるのか・・・


そして・・・ これもまた感じた。
過酷な運命に彼女をも引き摺り込んでしまったと。
そうなってしまったのは、俺の所為なんだ。
共にいなければ、こんな俺を慕うことなどなかったろう。
彼女だけでも、忌まわしい宿命から解放して遣れる術だってあったかもしれない。
なのに、俺が迷っていた所為で・・・

そして、醜い姿に変貌してしまったあの時・・・
無意識に彼女から離れようとしたのは、この為であったのかもしれない。
これ以上俺に関われば、彼女にとっては苦難の生しか待ってはいない。
なのに、それが解かっていながら・・・
俺は彼女から離れられずに、今もこうしている。
これまでとは明らかに違うノリコへの想い。
こんな想いを抱く前に離れていれば・・・彼女を苦しめなくても済んだものを・・・
望まない宿命に、彼女もまた引き摺り込んでしまった・・・


俺は・・・俺は・・・ どうしたらいい・・・

―――――

―――





明るい笑顔が光に溶ける。それと共に、その言葉が駆け巡る。
幸福な言葉。同時に、苦悩を呼ぶ言葉として。



イザークが好き・・・そばに、いてね・・・――――
そばに・・いてね・・・――――

いてね・・・―――







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