◆ 君につなぐ想い 14 ◆


翌日の昼下がり。都心の街の中―――


たくさんの人々や車が通りを行き交う。
いつもの喧騒が、人の波が、車の流れが都会をあらう。

物が溢れ、お金さえあれば何でも手に入るかのようなこの世界。
便利さに溺れ、それが当たり前のように、毎日が過ぎていく・・・

人々は、互いに関心すら寄せず、関わりすら拒絶するかのごとく
それがある意味、殺伐としたようにも、冷え切っているようにも見える・・・・


殺伐としているのは、何も、かの世界だけに限った話ではない・・・―――――




無数の高層ビルが立ち並ぶ中、ビルの屋上から眼下に広がる街並みの
様子をつぶさに見ている、端整な顔立ちの青年の姿。

その肩には小動物が二匹乗っている。

青年はその場に片膝を着き、無言のまま、人々の様子を伺う。



(・・・それにしても・・・なんという人の多さだ・・・・・・)



自分がいる世界と、妻が育った世界との違いを思い知る。
初めて時空を越えて来たが、やはりその大きな違いには戸惑いを隠せない。

眼下の様子に目を遣りながら、一定の間隔で流れたり
止まったりしている人々の様子をじっと見る。
そして流れの法則を感じ取った。



(・・・色で・・・動く時の決まりが違うのか。・・・なるほど・・、あれが《しんごう》だな・・・
 走っている箱のような物が《くるま》・・か・・・前にあいつが、この世界の事を話してくれた。
 ・・・確かに、馬よりは速いな・・・・)



僅かに、口の端で笑う。


それから、青年は目を閉じて、自分の妻の気配を探す。

とかく雑多な街並み、たくさんの人々、所狭しと建ち並ぶ高層の建物、
そして、張り巡らされた空中の無数の糸のような線。
気配を辿るのに妨げとなるものが多いが、そこは、その青年の類まれな能力が補う。


青年は何かを感じ取ったらしく、目を開ける。
だが、気配の中に何か不自然なものを感じ、その端正な眉を顰める。



(・・・?・・・何だ・・・)



気配を感じる方向に目を遣る。その表情は依然険しい。



(・・・あっちか・・・・しかし・・・これは・・・・もの悲しい思念・・・・・
 酷く弱々しい・・・?・・・これは・・・叫びか?・・・)



肩に乗せている小動物に手を遣る。
その動物はうっとりと目を細め、キュルキュルと鳴く。



(・・・急がねば・・・・)



青年は立ち上がる。



その時。

女性の悲鳴と共に、「泥棒ーーーー!」という叫び声が、下の通りから聞こえて来た。


「あたしのバッグがぁーーー!!だれか捕まえてぇーーー!!」


見下ろすと、一人の男が女性もののバッグの紐を握り締め、
雑踏の中をするすると巧みに逃げていく姿。

数人の男達が追いかけて行くが、なかなか追いつけないようだ。



(・・・≪どろぼう≫?・・・物盗りの事か・・・)



さて、いつもならば盗賊の類など簡単に退治してしまう青年だが、今は腰に剣を携えたままだ。

この世界では、剣の所持は法律に引っかかるらしい・・・
以前に妻からその事を聞いたのを思い出し、下に飛び降りて援護するのは憚られた。



(・・・だが、黙って見過ごす訳にはいかんか・・・)



厄介ごとに首を突っ込むのには、もう慣れたというか、諦めているというか・・・・

青年の口元が、また苦笑で僅かに歪む。



青年は瞳を閉じた。風も無いのに、青年の漆黒の髪がふわりとたなびく。
そして次に目を開けた時、その瞳孔は針のように狭まっていた。

そして右手をスッと掲げる。すると、一陣の風が起こり、眼下に向かう。
それは、犯人を襲うかのように吹き抜けた。


突然の風――――!


通行人は軒並み驚き、叫び声を挙げる者、衣服や荷物を押さえる者・・・・


その風は、まるで意思を持つ者のように、犯人の手から、奪われたバッグを攫い取る。
驚く犯人の男、風に攫われたそのバッグの方へと目を遣る。
バッグは風と共にビューと空中高く舞い上がる。そして、漂いながら、後ろから息も絶え絶えに
追いかけてきた元の持ち主の手に、なんとすっぽりと収まってしまった。


誰もがその顛末を、その光景を、信じられないという表情で見ていた。
いったい何が起こったのか、訳が解らない様子なのも無理からぬ事だった。

既に風は収まり、程なくして追いかけてきた男達に、犯人は取り押さえられた。
そして駆けつけた警察官に現行犯逮捕されてしまう。

犯人も呆けたように立ったまま、手錠を掛けられる。

・・・まるで狐にでもつままれたかのようだ。




屋上の青年の姿は、既に元に戻っていた。
成り行きを確かめ、口の端で微かにニッと笑うと、
その場から掻き消されるように瞬時に消えた。


僅かにその場の空気が渦巻いたように見えた。


もし、これを誰かに見られたならば、
これはこれでまた、不可解な現象であろう――――









兄と映画を観に行って帰宅した典子は、着替えを済ませて、居間に下りていた。

「お兄ちゃんありがと・・・。映画なんて本当に久しぶりだった・・・」
「良かったわね、気分転換になったでしょ、典子。」
「はは、また連れてってやるよ。」


母も兄も、優しい気遣い・・・



母は午後のお茶のおやつ用にアップルパイを焼いていてくれた。
美味しそうな匂いが家中に拡がる。


「・・・向こうの家でも、お菓子やパンをよく作っていたよ。」
「へぇ〜、じゃあ、今度パンでも作ってもらおうかしら?・・・ふふふ。」

母は笑顔で言う。

「いいよ。でも向こうのは酵母を使ってないから、平たいパンだけど・・・」
「あら、でも美味しそうじゃない。インドのナンみたいな感じ?」
「うーん・・・ちょっと似てるかな。でも大きさは違うなぁ。でね、とってもおいしいの。
 手作りのジャムやバターをつけたり、食事の時にもとっても合うし。味が素朴だから、なんにでも合うし。
 よく、摘んだ木苺やスグリの実でジャムを作ったなぁ・・・
 麦もね、美味しいパンが出来るようにと、原種から品種改良を重ねてきたものなんだって・・・」
「へぇ〜・・・」

典子の話に、興味深げに母が耳を傾ける。

紅茶のポットとティーカップを乗せたトレイを運ぶ。
テーブルにセッティングしながら、父に声をかけた。


「・・お父さん、今度の作品のテーマの取材はいつから?」


父は小説のテーマの絞込みや取材に、結構あちこち出かけたりする。
それは国内であったり、あるいは海外であったり。
かつてサラリーマンだった父は、小説コンクールで入賞して以来、小説家に転向した。
そして、あたしの異世界での日記も、父が小説にして書いて、出してくれた・・・・


「・・・そうだな。典子も少しは元気になって来たようだし、そろそろ考えてはいるんだがなぁ・・・」

父がこちらを向いて、含み笑いをする。

「どうだ?典子も付き合ってみるか?」

驚いて、父を見た。

「え?・・・あたしが?・・・・お父さんと旅行?」
「うん。まぁ、気晴らしと言ってはなんだがな。外の空気を思いっきり吸うのもいいぞ。
 ・・・過去を忘れろとは言わん。だが、前に進むのも大事だからな・・・」


父の言葉に、ピクリと反応する。

過去を忘れるなんて、そんな事は考えてない。
第一、向こうの暮らしを忘れるなんて・・・
そんな事、出来ないし、したくもない。

だから、父の言葉には敢えて返事をせず、別な話題で言葉を濁す。

「取材旅行か・・・・ あたしも色んなところを旅してたよ。」
「そうだったな・・イザークや仲間の皆との旅だったか・・・」

そう・・・イザークとの旅がほとんどだった・・・・・

最初の出会いからの二人旅・・・

そして、ガーヤおばさんの家に置いていかれたあの日。

それから再会出来て・・・
その後のガーヤおばさんやジェイダさん、
バラゴさん達、皆との旅。

そして・・・
イザークとあたしの正体を知ってしまった時からの・・・彼との二人旅・・・


辛い事もあったけど、でもイザークとの旅はすごく楽しかった。

言葉も、習慣も、馬の乗り方も、その間に覚えた。


人生の内のたったの数年の出来事の筈なのに
自分の生き方も、価値観も・・・・
全てが変わってしまうくらい、とても濃く充実したものだった。

あたしが向こうで生きていられたのは、全てイザークのお陰だ・・・・


「そうか、馬の乗り方もバッチリ覚えたか」
「うん。でも最初の内は何度も落ちそうになってね。
 イザークに助けて貰ってばっかりで・・・あの人のため息を何度も聞いたわ。
 ため息が癖になりそうだった・・・って、後から言われちゃって・・・」

ちょっぴり苦笑が漏れた。

「でもね、馬と呼んでいた動物だけど、顔も蹄もこっちの馬とは全然違うの。
 くりくりとした大きな目が可愛くて・・・・」
「あとはね、翼竜に乗って空を飛んだ事もあるのよ。あれは凄かったなぁ〜・・・
 空高く飛んで、まるで空と一体になったかのようだった。」
「他は・・・結構歩きが多かったな。お陰で足腰は強くなったかも・・・」

視線を上に向け、吐息を漏らす。

「なるほど・・・、車や電車、飛行機でという訳にはいかないもんな・・・」


それに、イザークは脚は長いし歩幅もあるから、
最初の頃は、彼のスピードに着いて行くのが大変だった。

必死で彼に着いて行ったっけ・・・
あたしはいつも、肩で息をしていたような・・・・
やっと彼に追い着いた時には、ひーふー呼吸も乱れていた。

そんなあたしを見て、イザークはあたしのスピードに合わせて、歩いてくれるようになった。
そして、よく躓いて転ぶあたしの為に、段差では手を差し伸べてくれてた。

誰かに合わせて歩くって事、以前の彼には無かった事。
独り旅では、そんな事必要ないしね・・・。
だから、あたしはかなり足手纏いだったろうなぁ。

それでも、イザークはあたしを気遣ってくれ、手を差し伸べてくれ・・・・
だから、あたしは彼を信頼して着いて行けた。

「歩いていると、色んな発見があるわ。
 道端のお花や、珍しい薬草とか、それに綺麗な景色、おいしい空気、
 素晴らしい虹、生き生きと活動する動物たち・・・
 季節も極端じゃないから、とても過ごしやすいし・・・」


長閑な方が、見つけるものが多いって解かって、結構感動だった・・・
だから、歩くのは好き・・・・・・

時間が掛かっても、彼と歩くのが好きだった・・・


「なるほどなぁ・・・確かに早ければ良いというものじゃないよなぁ・・・
 昔の日本にも、そんな長閑な部分があったのになぁ・・・」
「でもね、お父さん・・・良い事づくめでもないのよ。」

クスクス笑いながら言う。


悪霊や、怪物、それに盗賊・・・

異形の生き物などはほとんど見かけなくなったけど・・・
それでも悪い人は全ていなくなる訳じゃない・・・。


悪に心を奪われる人は、決して無くならない。 悲しい事だけど。
だからイザークにも、盗賊退治や、警護、懲りない面々を制圧するなど・・・
そうした依頼が尽きる事はない。

彼を送り出す時は、やはり心配だった。
彼が負ける筈ないとは解かっていても・・・
怪我だけはしないでね・・・と祈らずにはいられなかった。

どうか無事で帰ってきてくれますように・・・・と。

「でもよ、そんなのが出てきても、イザークが全部返り討ちにするんじゃないか? 」

お兄ちゃんも話しに加わった。

「うん。そうだね、イザークは強いから。そういえば、彼より強い人って見たことないかも・・・」
「なんたって、花虫からおまえを助けたぐらいだからなぁ〜」




・・うん・・そうだね。

あたしを助けてくれた・・・
いつだって、護ってくれた・・・


アノ人ノ腕ノ中ガ・・・一番安心デキタ・・・


還リタイヨ・・・アノ人ノ腕ノ中ニ・・・――――




「アップルパイ、お食べなさい。典子?・・・」

ハッとする。・・・顔を上げると、お母さんの笑顔。

「う・・ん・・・・・・」

光を失ったかのような瞳、寂しい笑顔。

一口分をゆっくりと口に運んだ。
それを、ゆっくりと噛み締める。口の中にじんわり拡がる・・・・甘み・・・・・・



逢いたい・・・・逢いたいよ・・・イザーク・・・イザーク・・・

う・・・・うぅぅ・・・・・・・

・・・・心ノ中ノアタシ ガ 悲鳴ヲ 上ゲテイル・・・・





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イザーク、都心に立つ… やっぱり戸惑っているようです…
さて、彼は都心の何処にいるのでしょう?
残念ながら、北国人の管理人は東京に詳しくないので
そこまでは書けません… あしからずご了承ください。
何処かを想像して楽しんでみるのも良いかも…です♪
夢霧 拝(06.03.18)
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