◆ 君につなぐ想い 15 ◆


閑静な住宅街が広がる。

家の屋根伝いに、おそらくこの国では、誰もやりそうもない事
―――屋根から屋根に身軽に跳び移る事―――をしている青年の姿があった。

なるべく人目につかないように、注意を払いながら・・・・
ただでさえ目立つその風貌、それが疾風の如く地上を走ったり、跳躍する姿を
通行人に見られでもしたら、驚きの的になるであろう・・・
それこそ、新聞記事やテレビのニュースの格好のネタになるに違いない・・・


一軒の屋根の上に、ふわりと降り立つ。
そして青年は、自分が探している愛しい妻の醸し出す、優しい気配を探った。



(何処にいる・・・)



程なくその気配を感じ取る。
しかし端整な眉が寄り、その表情が曇る。



―――・・・・・・逢いたいよ・・・・イザーク・・・・・うぅ・・・―――


ドクン―――



(・・・・・・! 流れてくる・・・おまえの思念が・・・・しかし・・・これは・・・)



青年は妻の悲しげな思念に当惑し、目を閉じて妻に心の中で呼びかける。

・・・・・・・・・。

だが、暫く待っても応答が無い為、やがて目を開ける。

また屋根を跳ぶ。


ドクン―――


気配の奥から滲み出ている悲しい叫びが、青年の心を抉る。
表情が一層険しくなる。



(・・・なんだ・・・・・・酷く弱々しい。・・・奥底から悲鳴のようなものが響く・・・酷く抉られる・・・
 どういう事だ?・・・自分の世界に戻っても・・おまえは癒されてはいないのか?・・・)

(・・・あいつの気配の奥から感じられる、この悲鳴・・・
 家族の元ならば、少なくとも無事でいるのだと思っていたのだが・・・・・・・
 ・・・懐かしい家族の元に戻っても、おまえは苦しんでいるのか?・・・・)



青年は、ある中層のマンションの屋上で立ち止まる。
100Mほど先に見える一軒の瀟洒な家に目を留める。

それは、妻が書いた日記をこちらの世界に送り届ける際、光の世界を通じて
感じ取れる温かな気配・・・・妻のこちらの世界の実家であった。

その家から発せられる愛しい妻の気配を感じ取り、青年の口元が緩む。



(・・・間違いない。見つけたぞ、ノリコ!!―――)









居間では、テレビがついており、午後のニュースが流れている。


  《街中では・・・突風がひったくり犯からバッグをもぎ取るかのように吹き・・・》


そのニュースでは、都心で、突風がひったくり犯人を捕まえる・・・という 不思議な現象の事を伝えていた。


  《風がバッグを持ち主の手元に戻すという・・・摩訶不思議な事が起きた模様で・・・》


その事件の目撃者が皆一様に、不可思議な現象について証言している 画面が映し出されている。


  《「もうビックリして〜・・・狐につままれるっていうのは・・ああいう事を・・・」・・・》


ニュースを見ながら、典子の兄は、呆れたような感心したような声を出す。

「へぇ〜、不思議な事があるもんだなぁ・・・ 突風がひったくりからバッグを奪い返したんだと。
 持ち主に手に戻るなんて、そんな上手い話があるもんかぁ〜?? 」

「・・え?・・・突風?・・・」

典子がやや怪訝な顔をする。

「・・・突風・・・・・風・・・」

ふとある考えが浮かんだが、慌てて頭を振った。

(まさか・・・ううん、そんな事・・・・偶然よね・・・)

「へぇ・・・不思議な事があるもんだね・・」

「まぁなぁ・・・そんな都合よく風が吹いてくれたら、世の中のひったくりは
 皆商売上がったりだよな〜。ははは!」

兄が笑う。

「お兄ちゃんたら、もう、冗談が過ぎるんだから。」

典子もクスクス笑った。




食器を片付けている時だった。典子の頭の中に、突然声が響いた。



―――ノリコ・・・・―――



「うっ・・・?」

弾かれたように、身体がピクッと震える。


「どうしたの?典子?」

母が怪訝な顔で典子を見た。

「・・・今、だれかあたしを呼んだ?・・・」
「なぁに?誰も呼ばないけど・・・・・・どうしたの?」
「・・・あ・・・うん・・・何でもない・・」

(気の所為・・だろうか・・・イザークの事、考えていたから・・・)



―――ノリコ・・・―――



またビクッとする。

典子の顔色がみるみる変わる。

「・・・あ・・」

耳に手を当てる。

「・・・聞こえる」
「聞こえるって、何が?・・・」
「今・・・確かに・・・・でも、でもまさか・・・」

頬に赤みが増し、心臓の鼓動も早くなって来る。


 
―――ノリコ・・・聞こえるか?・・・・―――



「!・・・」
 
典子の瞳が大きく見開かれた。

「やっぱり聞こえる・・・彼の声・・・彼の声が・・・・イザーク・・」

その目に涙が滲んで来る。

『イザーク・・・イザークなの?・・・』



―――ノリコ・・・俺の声を忘れたのか?・・・―――



呼び掛けてくるその声が微笑う。

優しい・・・耳に心地よい、甘いテノールの囁き。

懐かしい・・・一番聞きたかった声・・・


瞳から涙が溢れて来た。

『・・・ぁ・・・ぁ・・・イザーク・・・何処?・・・何処なの?』



―――すぐにそこに行く・・・おまえのもとに・・・―――



『イザーク!』


典子の様子に家族も驚いていた。


典子は居ても立ってもいられなくなり、再度呼び掛けた。

『イザークっ!何処にっ!?』

イザークの思念が、典子の頭に響く。



―――窓の外を見てみろ・・・―――



『えっ!?・・・』

典子は弾かれた様に、窓の外に視線を向けた。

家族もまた典子に釣られ、窓の外を見る。



そこに見えた光景―――――・・・

窓の外の庭の空気が一瞬渦巻いたようになる。
その乱れが収まると共に、髪を靡かせた一人の美丈夫がそこに現れた。

『イザーク・・・』

その青年の姿は、典子の最愛の人・・・イザークの姿そのものだった。


 

典子の家族も皆、その光景を見ながら・・・ただ、呆気に取られていた・・・

夢の中に典子と共に出てきた青年、典子と共に肖像画に描かれていた青年、
その本人がそこに現れたのだ。


何と壮観な姿だろうか。

黒のハイネックの服、細身の黒のズボン、蒼灰色の上衣を着込んだ姿。
更に、この世界には似つかわしくない、腰に携えた剣。
頭には、暗碧色のバンダナ。漆黒の長い髪、涼しげな黒の双眼・・・・――――

物語さながらのその姿、そしてその出現の仕方に、家族中が息を呑んだ。
あまりの事の展開に、家族の誰もが口をあんぐりと開け、言語能力すら失っていた。


しかし、典子だけは違っていた。涙で既に顔がぐしゃぐしゃだ。

『・・イザーク・・・・イザークぅッ!!』

考えるよりも早く、身体が動いていた。
典子は窓からデッキに出ると、地面に下りずにそのままイザークへと飛び込んだ。
茶色の髪がふわりと舞った。彼の首に両手を回して、ぎゅっと抱きつく。

『・・・ノリコっ!』

イザークも飛び込んできた典子を、しっかりとその腕で抱き留めた。
典子の髪の柔らかな香りが立ち上り、イザークの鼻孔をくすぐる。

『ノリコ・・・やっと、おまえのところまで来れた・・・』
『イザーク・・・イザーク・・・もう逢えないかと思ってた・・・・逢えないかと・・・イザークぅ・・・』
『すまない・・ノリコ・・・待たせてしまったな・・』

イザークは典子を尚も大切に抱き締め、その髪に愛しげに唇を寄せる。
そして抱いていた手を少し緩めると、彼女の顎に手を掛け、顔を自分の方に向けた。

涙に濡れた目で、典子はイザークを見つめる。

『もっとよく、おまえの顔を見せてくれ・・・』
『・・・イザーク・・』
『心配したぞ。ザーゴから戻ったら、おまえがいなくて驚いた・・・』

イザークが穏やかな笑顔で見つめている。
彼女の髪を優しく撫でる。

『ごめんなさい・・・傍にいるって約束したのに、・・・あんな事に・・・』

(・・・涙が・・・、やだ、イザークの顔が涙で霞んじゃって見えない・・・もっとよく見たいのに・・・・
 あなたの顔を見たいのに・・・・涙が邪魔しちゃうよ・・・・イザーク・・・イザーク・・・)

典子は思わず目を閉じた。
涙を拭おうとするが、先にイザークの唇が、その涙を拭うように彼女の目元や頬に触れていく。
そして、もう一度妻の顔を見つめ、柔らかなその唇に自分の唇を重ね、深い口づけを交わす。
両腕で彼女を優しく包み込むように抱き締めた。



『逢いたかった・・・ノリコ・・・ノリコ・・・・・っ!』

唇を離した後も、イザークはそのまま、しっかりと妻を抱き締めた・・・――――




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あぁぁぁ、やっと再会出来た…長いよぉ…
でもまだまだ終われないんです。
色々とこれからもエピソードくっつけて行きます。
え?…典子パパの前でchu!なんて、拙いんじゃないですかって?…
え〜、感極まって…と言いますか…イザークの場合、ほら、
一日家を空けるのも厭う方なのです…はぃ…
そんでもって日本人と違い、愛情を表すのはやぶさかじゃないし
イザークは特にノリコに対しては……なのですよ。
夢霧 拝(06.03.18)
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