◆ 君につなぐ想い 16 ◆


「典子・・・」

その場にいた他の家族の中で、最初に言語能力を回復したのは、典子の父だった。
窓の傍まで来た父は、典子に声を掛ける。

イザークは表情を変えず、顔を上げた。
そして典子は我に返り、イザークから身体を離すと、恥ずかしげに振り向いた。


「はは、驚いたな、まったく。・・・とにかく、典子、家の中に入ってもらいなさい。
 ・・・そこで立ち話もなんだから・・・」

父は少し照れくさそうに、頭を掻きながら言う。

イザークは、典子に触れていた手をそっと離した。
そして、典子の父をまっすぐに見据えると、すー・・・っとその頭を垂れ、礼の意を表した。
彼の態度は真摯だった。しかもその動作は、優雅でまったく無駄が無い。
その姿を見た父は、イザークがきちんと礼儀を知る者であると判断し、好感を持った。

典子は、頭を上げたイザークを見つめ、家の中へ促した。


「遠い所をようこそ。さあ、どうぞ中へ・・・」

母も笑顔で歓迎の意を示した。

「それから典子・・足・・」

母に言われて初めて、典子は自分が裸足のままで庭に出た事に気が付き、頬が赤くなる。
雑巾を手渡され、それで足を拭いた。

『あ、イザーク、あのね、こっちでは靴を脱いで上がるの。いい?・・・』
『ああ・・・解かった・・・』

イザークはデッキに腰掛け、靴の紐を外して脱いで上がる。
そして典子は、イザークの靴を拾い上げると、それを玄関まで持っていった。



典子の父が、居間でイザークに笑顔で向かう。
典子に「通訳を頼むよ」と言った後、改めてイザークに話し掛けた。

「典子の父親です。遠いところを、本当によく来てくれたね。私達は、君を歓迎するよ。」

そう言って、握手の手を差し伸べた。

典子が通訳しようとイザークの方に向くが、イザークは穏やかな笑顔で彼女を見つめ、
軽く手をかざしそれを制した。典子は怪訝な顔をするが、それには構わず、イザークは
その場で両膝をつく。そして、両の拳を自分の前についた状態で、再びその頭を深々と垂れた。

彼が、典子以外の人物に膝を折るのは、おそらくこれが初めてだろうか・・・

典子も家族もその挙動に驚くが、その後のイザークの発した言葉に更に仰天する。

「・・・イザーク・キア・タージと、いいます、・・・おとうさん・・・おかあさん。けっこんの、ゆるしを、
 もらわないまま・・・ノリコをつまにした・・・どうか、ゆるしてください。」

「!」 家族中が、目を見張る。

「えっ!?・・・イザーク、言葉っ!?」

典子はその場にしゃがみこんで、信じられないという表情でイザークを見た。
顔を上げたイザークは、少し照れくさそうに典子に微笑う。

「すこし、わかる、かんたんな・・・ことば・・・」
「・・・どうして?」

典子は口をあんぐりと開けている。
夫の口から日本語が出て来た事に対し、相当驚いているようだ。

「おしえてくれただろ?・・・まえに。・・・それで、じぶんでも、べんきょうした・・・」

イザークの日本語はややたどたどしく、確かにゆっくり口調ではあったが、
まさか日本語で夫と会話が出来るなどと・・・
典子の思考回路の中では、到底有り得ない事だった。


父親もまた口をあんぐり開けて驚いていたが、自分の頭を押さえつつも、
ようやく何とか言語能力を回復させる。

「いやはや・・・これはまた・・・驚いたな・・・」

他の家族もまた同様に、相当驚いていた。

「本当に驚きの連続だ。・・ああ、どうか、楽に構えておくれ。
 私達は、イザーク君を家族として迎えたいんだよ。・・・君はもう私の息子だ。」
「おとうさん・・・」

イザークは顔を上げて、典子の父を見た。父が笑顔で続ける。

「向こうの世界では、典子が世話になったね。・・・娘を守ってくれてありがとう。
 感謝の気持ちでいっぱいだよ・・・」

父はイザークに握手の手を差し伸べながら、そう言った。
そして、イザークはその言葉を確かめるように呟く・・・

「かんしゃ・・・いや・・・ありがとうをいいたいは、おれ。」

自分の胸を親指で指し示す。更に、

「それに、・・・おとうさんに、あやまるわけがある・・・」

と、言い出すので、父は不思議そうな顔をした。

「謝る?・・・何をだね?」

やや深刻な面持ちで、イザークは訳を話す。

「・・・ノリコに・・・あぶない、きけんなこと・・・たくさん、あわせてしまった・・・
 それに、かなしいおもいも、たくさん・・・ それから・・・ノリコをこっちのせかい、
 かえしてやれなかった・・・・・・すまない・・・」

「イザーク君・・・」

「くん、いらない。イザークでいい・・・おとうさん。」

そう言うとイザークは、典子以外にはめったに見せない人懐っこい笑顔を見せる。
そして典子の父の手を取り、しっかりとした握手で握り返す。
その手をぎゅっと握りながら、父は言葉を続ける。

「そうか・・・わかった。では、イザークと呼ばせてもらうよ。だが、謝る必要はないな。
 君がいたから、典子はニーナボアのエサにならずに済んだんだ。
 ・・・それに、向こうに残る事を選んだのは、典子だろう?・・・君の所為ではないさ。」

そうして、父はニヤリと笑った。

「さぁさ、ソファーに座ってくださいな。すぐお茶を入れますからね。」
「・・・ありがとう。」

イザークは典子の母にも笑顔を返す。

母はイザークの笑顔に、娘ならずともクラッと来るものを感じて、すっかりご機嫌になった。

「じゃあ、典子手伝ってくれる?それからお夕飯の支度もね。」
「はぃ、お母さん。」

典子は笑顔で応えた。

「・・・やっと、本当の意味で笑えるようになったわね、典子?」

そう言われた典子は、恥ずかしげに・・・だが、嬉しそうに微笑んだ。











「ノリコは、おれを、たすけてくれた・・・」

イザークは、典子との事を感謝の気持ちで家族に伝えた。

「じぶんと、むきあって・・・はじめて、デラキエルでない、ほんとのじぶん・・・しった。
 ノリコは、いのちがけで・・・それを、おしえてくれた。ぜんぶ、ノリコのおかげ・・・・
 そして、ずっと、そばにいて・・・ほしかった。・・・だから・・・ノリコを、はなしたくなかった・・・」


台所では典子が、真っ赤になりながら家事を手伝っている。
自分の事を褒められるのは、それこそくすぐったい感じがしてならない。

日本人なら、妻をここまで褒めたりはしないだろう・・・などという事まで浮かんで来る。

だが、イザークの場合、典子を褒め讃える事に関してはやぶさかではない。
クラッと来ちゃうような上等の殺し文句でも、赤面するような気障な褒め言葉でも
特別意識しなくても真顔で語る。

横では典子の母が、そんな娘を横目で見ながら、微笑ましく笑っている。


慌てて典子が弁解する。

「あ、あのね、あたしの方こそ、イザークに本当にいろいろお世話になったの。
 その・・最初の時から、もうお世話になりっぱなしだったし・・・
 ってか、面倒ばっかり掛けて、あたしったら、足引っ張ってばっかりだったのよ。
 ・・・それなのに、イザークはあたしが迷惑掛けても、全然怒ったりしないし、
 あたしが言葉を早く覚えられたのも、イザークが根気良く練習に付き合ってくれたからで
 ・・・だからぁ・・あのね・・・イザークの方がすっごく、すっごくエライの!」

典子が一気にまくし立てたので、一同は典子に注目してしまう。
注目を浴びたら浴びたで、これはまた恥ずかしいのである。

「あの、だから、その・・・あたしには力も何も無いし、大した事だって、出来てないし・・ね・・・」

恥ずかしくて、典子は頭を掻きながら照れ笑いしてしまう。
父は微笑いながら、イザークに言った。

「確かに、最初の頃の典子の面倒を見るのは、大変だったろうなぁ〜、イザーク?」

イザークは苦笑する。

「・・・いや・・・そんなこと、ないが・・・ノリコがいうことば、わからなくて・・・すこし・・・」

そう言って、親指と人差し指で何か摘まむような仕草で、《少し》の形を表す。

「でも・・・ノリコ、いつも、がんばっていた・・・あんな、なれないせかいで・・・
 だから、たいへんとは、おもってない・・・」
「そうか、そう言ってくれると嬉しいな、典子?」
「え・・・、う、うん・・・」

「それにな・・・典子は、自分は大した事してないと言うが、お父さんから言わせて貰うなら、
 典子はやはり、凄い事をやってくれたと思うよ。・・・【アジール】の大役を果たし、
 闇の力の凝集と言われた【デラキエル】を光へと誘った。これは誰にでも出来る事じゃない。
 我が家のお嬢さんは、前向きにがんばり、運命に負けず幸せを掴み取った。
 これも誰にでも出来る事じゃない。・・・そして、更に・・・」

イザークの肩に手を遣り、ニヤリと口の端で笑う。

「我が家にこんな素晴らしい息子を一人増やしてくれた・・・」

典子にまた視線を遣り、ニヤリとする。

「これもまた、誰にでも出来る事じゃない・・・」

「お父さん・・・そんな・・・あたし・・・」

「私はね、典子を尊敬しているんだよ。君の日記でしか垣間見れなかった向こうの世界だ。
 どんな苦労を掻い潜って来たかなんて、そこにいた当人にしか解らない事だろう。
 ・・・だが、夢の中でしか見る事の出来なかったイザークが、今こうしてすぐ隣にいる。
 これは紛れもない真実だ。お父さんは、こうして彼に会えるとは思っていなかった。
 そしてな・・・・・・」

父はイザークに視線を移す。

「・・・そして、イザークは典子をここまで迎えに来てくれた。」

イザークも典子の父を見る。

「異世界への時空を越えるなんて、何が起こるか解かったもんじゃない。命の危険もあるかもしれん。
 でも、そんな危険を冒してまで、イザークは典子を探して、この世界まで来てくれた。」

また典子の方に視線を向ける。

「な?・・・誰にでも出来る事じゃないだろ?・・・もっと自分に自信を持ちなさい、典子。」

「・・・お父さん・・・」


「・・・・・と、私は思っているのだがね。まぁ、親バカに聞こえるかもしれないが、
 うちの娘は中々なもんだろう?・・・私の見立てに間違いはあるだろうか、イザーク?・・・」

と今度は、イザークに振った。


「・・・いや・・・まちがってない。」

イザークは、膝の上で組んでいた指を解くと、身体を起こして腕を組んだ。
そして、ソファの背もたれに身体を預けながら、その長い脚を組み、ニヤリと笑って更に言う。

「・・・ノリコは、おとこにすかれやすい・・・ほんにんは、ぜんぜん、きがついてないが・・・」

それを聞いて典子はギョッ!とする。

「えっっ?何それ?イザーク・・・あたしそんな事、ないない!」

典子は慌てて、両手をぶんぶん振って否定した。
それを聞いて、イザークは苦笑する。

「・・・ほら。だから、きがついてないんだ・・・おまえ・・・」
「え・・・?」

典子は不思議そうな顔をしてイザークを見つめた。

「おまえは、ひとのなかの、わるいきをはらい、こころをいやす。
 まちのおとこたち・・・おまえをすきなやつは、たくさんいる・・・」
「・・・え・・・・・・」

頬が赤くなる。

「だからおれは・・・あまりおとこを、ちかづけたくない。こんなきもちに
 なったのは、おまえだけだ・・・」

イザークは口元の片方をくぃっと上げ、悪戯な笑みで上目遣いに典子を見た。


これ以上の殺し文句があるだろうか。
こういう言葉を、何ら恥ずかしげもなく語るとは・・・・・・。


父はイザークに振った手前、苦笑していたが、他の家族は、
イザークの存在感や、その影響力にすっかり当てられてしまっていた。

それ程に、彼は他を圧倒していた。

夢で見るよりも、肖像画で見るよりも、実物の彼は凄い。
カッコイイし、男なのにこんなにキレイだし。
こんなにイイ男の条件が揃っている人物は、そうザラにはいないだろう・・・。

「・・・あらあら・・・本当に典子ってば幸せねぇ〜・・・」

母は赤面してにっこり顔で典子を見た。

典子は、真っ赤のまま黙って母を見返す。
既に、頭は半分以上くらくらしている・・・。
倒れそうになるのを、グッと脚に力を込めて踏ん張り、堪えているという感じだ。



「・・・ところで・・・ノリコ?」

典子を見るイザークの表情は、真剣なものになる。
瞳の色が、漆黒から深みのある蒼へと揺らぐ。

「え?・・・な、何?・・・イザーク・・・」
「・・・おまえ、ちゃんと、たべてないな?」

その視線は詰問するかのように典子を捉えていた。口も一文字に引き結ばれている。
秀麗な美貌で眼光鋭く凄まれると、余計に迫力を感じさせる。

「ぅ・・・」

典子は絶句し、蛇に睨まれたカエルのように竦んでしまった。

「さっき、おまえ、だきしめてわかった・・・・まえより、やせている。」
「あ、あの・・・それは・・・だから・・・」

どんどん心臓の鼓動が早くなってくる。

「・・・ご・・・ごめんなさい・・・・・」

(ああ・・・やっぱりイザーク怒ってるよ・・・どうしよう・・)


典子の母が更にそれに畳み掛けた。

「そうなの、イザークさん。もうね、聞くも涙語るも涙だったのよ、典子は。
 食べようとしても、身体が受け付けないし、それなら飲み物だけでも
 ・・・と思っても、少しぐらいを飲むのがやっとでねぇ・・・」

「!・・・お母さんっ!」

典子は慌てて母の口を押さえて制止しようとする。

「・・・このままだと、どんどん弱ってしまうんじゃないかと心配で心配で・・ねぇ、典子?」

娘の制止をものともせず、母は語り続けた。
典子は顔を赤くして、弁解の言葉を口にする。

「あ、あの、だから、ね、大丈夫だから!・・・これからちゃんと
 食べられると思うから。・・・あたし・・・あの・・・もう、あの、大丈夫・・・だから・・・・・・」

(・・・イザークに・・・逢えたから・・・あたし・・・あたし・・・・・)

俯き加減で、声も最後の方は、トーンがだんだん小さくなっていく。
母はそんな典子を見て、微笑ましくてしょうがない。

「ふふふ・・・イザークさん、典子がちゃんと食べるように、しっかり見張ってやってくださいね。」

「・・・お母さん」

(・・・もうお母さんったら、楽しんでるし・・・)

典子は何ともバツが悪そうだった。

「・・・わかった、そうしよう・・・いいな?ノリコ。」

イザークの口元がニヤリとする。

「はぃ・・・」

典子は素直に従う。こういう時の夫に逆らえないのは、充分承知していた・・・。


「なるほどぉ、典子はイザークの前だとこんな風になるのか?弱み発見だな!」

兄が笑って典子をからかう。

「もう、お兄ちゃん!・・・からかわないでよ〜!・・・」



「さぁさ、食事の用意が出来ましたよ〜!典子も運ぶの手伝ってね。
 イザークさんお腹空いたでしょ?日本のお袋の味よ。たくさん食べてね!」

「おふくろ、の・・・あじ?」
「小さい頃から慣れ親しんだ《おかあさんの手料理の味》ってことさ、イザーク。」
「・・・おかあさんの、てりょうり・・・」
「そうだ。うちの奥さんの手料理は旨いぞ。何たって、典子の母親だからな。」
「あら、ありがとう、あなた。典子の手料理はもう食べてるでしょうけど、
 イザークさんには、家庭の味をいっぱい味わって欲しいのよ。ね!」

そう言うと、母はイザークの前にドンッ!と料理の皿を置いた。

「は・・はぁ・・・」

・・・母の勢いに、イザークはたじろいだ。





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それにしても、たどたどしい日本語って意外と難しい…
しかも、イザークに言わせる《たどたどしい日本語》っつうのが尚の事難しいです。
文中に出てきた【デラキエル】&【アジール】ですが、原作をお読みの方は、ご承知でしょうけど、
知らない方の為に、【デラキエル】=【天上鬼】つまりイザーク、
【アジール】=【目覚め】つまりノリコ(典子)です。
でもって、どちらも異世界語です。

で、すみません、随分と中途半端な区切りで終わってますね…(汗)
キリの良い区切りってなかなか…
こっちを立てれば、あっちが立たないという状況です…あぅあぅ。
夢霧 拝(06.03.20)
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