◆ 君につなぐ想い 3 ◆


「典子、あなたの好きなココアよ、飲みなさい・・・」

母がトレイに乗せたココアを持ってきて、ソファーの前のテーブルに置いた。
典子は、カーペットの上で座り、俯いている。

他の家族もそれぞれ、ソファーに腰掛けたり、カーペットに腰を下ろしていた。


典子の傍らに母が座り、娘を見つめながらこう切り出した。

「ねぇ典子・・いったい何があったのか・・・話してくれるかな?・・・ 」

典子の身体がピクリとする。

「・・話せないのなら、無理にとは言わないけど・・・典子が現れた時の
 あの閃光といい音といい・・・私達にも、一体何がなんだか・・・」


典子はゆっくりと顔を上げた。
空間に焦点の定まらない視線をやりながら、声もなくただ口を弱々しく動かし、そして噛み締める。

暫くの沈黙の後、ようやく典子は、その時の事を口にし始めた。




―――――・・・事の顛末は、こうだ。


その日イザークは、朝の早くから出かけるところだった。
ザーゴ国の首府まで所用があり、それを済ませに行く為に。

一日家を空けることで、ノリコを一人にしてしまうのを彼は酷く心配していたが、
町で雑貨屋を営むガーヤが、夜に泊まりに来る事になっていた。
それで折り合いをつけたようなものだが、イザークにとって、ノリコを一人残すのは忍びなかった。
行き先はノリコにも既知の場所であるから、出来る事なら一緒に連れて行きたい・・・
それ程にイザークは、妻と長時間離れる事を避けたかったのだ。

『・・・何かあったら、必ず俺を呼ぶんだぞ。いいな?』

妻を気遣う夫のいつもの言葉・・・
それに対し、ノリコも満面の笑みで愛しい夫に応える。

『うん。でも大丈夫だから、心配しないでね。  イザークこそ、気をつけて。・・いってらっしゃい。』

イザークは、優しい眼差しでノリコを見つめて抱き寄せる。
そして愛しい妻の唇に口づけを一つ落とすと、名残惜しみつつ自宅を後にした。


ガーヤは夕方に店仕舞いしてから来る事になっていたので
ノリコはそれまでに少しでも、縫い物の製作を進めておこうと思っていた。
イザークには内緒だけど、彼の上衣を仕立て中なのだ。
そして出来上がったら、彼を驚かせようと思っていた。

どんな服でも見事に着こなしてしまう彼・・・だから、仕立て甲斐がある。
イザーク・・・喜んでくれるかな・・・

自分が仕立てた上衣に袖を通す夫の姿を思い浮かべて、ノリコは一人気分良く
朝の家事をさっさと終わらせて、早速縫い物に取り掛かった。

今日はイザークが戻らないから、その分長い時間取り組める。
そしてガーヤには、この事はイザークには内緒にして貰っている。
布地は、ガーヤの店から調達したもので、丈夫で質の良い素材。
剣士の仕事の依頼も受ける夫の場合、太刀回りなども当然考えられるので、
やはり生地は丈夫な物の方が良いのだ。

昔ほど天上鬼の力を出す事も無くなったので、
以前のように、衣類がビリビリに破けてしまう心配は殆ど無い。
でもノリコは、夫の服を仕立てるのが好きだ。
作っている過程が楽しい。
そして、出来上がった服を見て喜んでくれる夫の顔を見るのは、もっと楽しく嬉しい。

濃い緑色の上衣の生地に、帯は灰掛かった蒼色。
先に完成させていたバンダナも、帯と同じ色。
我ながら上出来だと思うくらいキレイに仕上がった。
針で指をいっぱい刺しながらも、一生懸命ガーヤに裁縫を習った甲斐があったというもの・・・・

上衣の製作は、今日頑張れば三分の二くらいまで進められそうだな・・・と
算段して黙々と進める。

集中すると昼食を取る時間も惜しいけど
食べないでいるとイザークに叱られる・・・・。

それでも適当に昼食を済ませ、午後の家事も、今日はとても良い陽気だったので、
早めに洗濯物を取り込んで、畳んで、・・・と
手際よく済ませてから、また縫い物作業に取り掛かる。

陽も中天を過ぎ、刻限は二の時くらいになっていた。


縫い物をしている途中、ノリコは、急に目の前が霞む感じを覚えた。

『・・・?』

顔を上げると同時に、突然激しい頭痛に襲われる。

『ぅ・・・なに?・・・頭が・・・いた・・・ぃ・・・』


ドクンッ―――――!


頭を押さえて、顔を顰める。持っていた縫い物を落としてしまい、
拾おうとヨロヨロと立ち上がったところ、突き抜けるような頭痛が更に襲って来た。

『!・・・ああ!!・・・』

ガタァーーン!! ・・・ドサッ!!

座っていた椅子の背に手を掛けたところ、椅子ごと、後ろに倒れ込んでしまう。
ぶつけた痛みと頭の痛みで、表情を歪める。

『う・・・痛ぃよ・・・何で・・・イザー・・ク・・・』

目を開けると、自分の目の前、周りの空間がぐるぐると廻っているようだった。
まるでノリコのいるそこだけ空間が歪んでいるかのように―――

ノリコは自分の目の前の光景が信じられなかった。顔色が蒼白になる。


ドクンッ―――――!


『・・・あ・・・あ・・・何?・・・いや・・・』

ギューーーンと空間が歪んでノリコを完全に包んでしまった。

『いやぁ!イザー・・・ク・・・助け・・・て・・・・・ああっ!』

歪んだ空間と共に、その場所からノリコの気配が消えて無くなった。


その後、空間は元に戻ったが、床には倒れた椅子と、
遣り残した縫い物だけが残された。









「・・・それから先は覚えていない・・・気が付いたら・・・ここにいた・・・」

典子は苦しげに眉を顰めながら、そう呟いた。

「もうイザーク、帰っているはず。最後に、あの人の名前を呼んだけど
 多分聞こえていなかったと思う・・・きっと心配している・・・探している・・・」

「あたしには、どうする事も出来ない・・・向こうの世界に戻る術も知らない・・
 ・・・あの人の声が聞こえない・・・ううぅ・・・」

両手で顔を覆う。覆っている手の間から、涙が流れて来る。
母が典子の背中をゆっくり優しくさすった。

「よく話してくれたわね。・・・そうかぁ、典子は向こうで立派に主婦をやってたのねぇ・・・偉かったね、典子・・・」
「お母・・・さん・・・」
「そうよねぇ・・・向こうの世界の方が、家事は大変なんだものね・・・
 手間だって掛かりそうだし・・・。凄いよ、典子の事尊敬しちゃうよ、お母さんは。」

膝の上に手を下ろし、俯いたままで典子が呟く。

「・・・でも・・・でも、こんな事になってしまって・・・あたしどうしたら・・・」

涙でしゃくりあげ、苦しそうに深く息を吐いた。


典子の肩をまたぽんぽんと叩きながら、父は言った。

「・・・典子・・・。そうだな、父さん上手くは言えないが・・・、今はゆっくり休むんだよ。
 今は苦しいかもしれない、イザーク君にも会えなくなって寂しい事だろう・・・
 でもジタバタしたって仕方ないんだ。
 突然こちらに飛ばされたのにも、何かの意味があるのかもしれない・・・
 そう考えて、明日に向かおうじゃないか?」
「お父さん・・・」
「いつも前向きなのが、ウチのお嬢さんの良いところではなかったかな?・・・ん?」

ニヤリと笑顔で見る。

「の〜り〜こっ!」

兄もまた声を掛けた。

「俺たちじゃさ、大した力にはなれないかもしれないけどよ・・・
 久し振りにここへ帰って来れたんだからさ、俺達に甘えてくれよ・・・な。
 これでも凄く心配してたんだぜ。」

妹の頭をわしゃわしゃと撫でる。

「お兄ちゃん・・」

祖父もまた、ニコニコしながら、うんうんと頷いている。

「お爺ちゃん・・」

典子は再び俯いた。僅かに震えている。

「・・・ごめんなさい・・・ごめんなさい・・・本当は・・・皆に会えて、嬉しい筈なのに・・・・あたし・・・あたし・・・」
「いいのよ・・・気持ちは凄くよく解かるから。ゆっくり行こうね・・・典子?」
「お・・・母さん・・・」

典子はまたも涙顔になってしまった。

「あらあら・・・典子は泣き虫さんになっちゃったわねぇ。」

労わるように笑顔でそう言うと、母は典子の背中に手を遣り、娘を優しく抱き締めた。




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(06.03.11)
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