◆ 君につなぐ想い 4 ◆


二階のかつての自分の部屋。
ベッドの上で壁にもたれ、典子は膝を抱えて座っている。

いつの間にか外は暗くなっていたが、部屋の照明は点けないまま・・・

窓のカーテンは閉めずにいたので、街灯の明かりだけが部屋の中に差し込んでいた。
照らされている部分と影の部分とのコントラストが強調されて、
それが余計に今の典子の心境を、物語っているかのようだった・・・・―――――

その表情は翳っている。
窓の外をじっと見つめるその瞳には、感情の温度が伺えなかった。

どんな労わりの言葉を掛けられても、そうして家族に慰められても、
典子はなかなか元気にはなれなかった。おまけに、食欲すら湧いてこないのだ。
無理にでも食べようとすると、途端に吐き気に襲われてしまう・・・・
辛うじて飲み物だけは若干取れたものの、それ以外は身体が受け付けてくれなかった。
それだけ、彼女が受けた精神的ダメージは大きかったのだ。

やつれたその姿が、ただただ痛々しかった。

(食べないとイザークに叱られちゃうな・・・でも、こればかりは・・・どうしようもなく・・て・・・)

天井を仰いだその瞳の光が、虚ろげに揺れる・・・・・・・

(・・・・イザーク・・・もう遠耳も使えないよ・・・あなたの声が聞こえない・・・
 あたし、どうしたらいい?・・・もうどうする事も出来ないの?・・・)


階下から母の呼ぶ声。

「典子ー、お風呂が沸いたわよー!入りなさーい!」


パタパタと階段を上がって来る音がする。
典子の部屋の扉をノックし、母が入って来た。

「典子ぉ、・・・・あら、灯りも点けないでどうしたの?」

照明のスイッチを押しながら、母が訝しげに訊いた。

典子は俯いて、苦笑する。

「向こうには、電気は無いわ・・・夜はランプの灯りで過ごすから・・・」
「あら、そういう灯りもステキよね、ムードがあって。ほら典子、お風呂に入ってきなさい?
 疲れも取れるし、さっぱりするわよ。お湯も遠慮せずにたっぷり使っていいからね。」
「・・・うん・・・ありがと・・・」


母は努めて明るく接していた。
ともすれば、暗くなりがちな典子の為に・・・・





洗面所で典子は、着ている服に手を掛ける。



向こうの世界の服・・・・
あたしの服は、全てイザークが買ってくれたものだ。
出会った時以来、ずっとそうしてくれている。

首から下げているこの濃い蒼の護り石の首飾りも。
イザークの・・・時に蒼に見える瞳の色を思わせる、この色がとても好きだ。
だけど、『高いから勿体無いよ・・・』と言ったら・・・
『おまえには、これが似合っている・・』と言って買ってくれたのだ。

彼はいつだってそうだった。自分のよりも、あたしの為に・・・。
そして、いつだって、優しくしてくれた・・・――――



帯を解き、畳んでかごに入れる。
上衣を脱ぎ、下のスカートも細い身体からするりと下に滑り落ちる。
スパッツ状のズボンと下着も外した。
そして、脱いだ衣類は畳んでまとめてかごに入れた。

典子の、細くしなやかな身体が露になる。

タオルを取ろうとリネン棚に手を伸ばして、ふとその動きが止まる。
そういった物の収納場所は覚えている。
自分はこの家に住んでいたのだし、家の何処に何があるのかは、まだある程度把握していた。

そんな事をふと思い・・・苦い笑いがこみ上げた。




タオルを手に取り、浴室に入って行く――――









久し振りに使う実家の浴室だった。
懐かしい筈なのに、何故だろう・・・ 馴染めない何かを感じた。

何とも言いようのない、この違和感は何なのか・・・・

髪を洗う石鹸のような物は向こうにもあるが、リンスなんて物はない。
もちろんシャワーなんて論外だ。
こちらの生活は確かに便利ではある。・・・いや便利過ぎる。
なのに、釈然としない。何とも居心地の悪い違和感・・・それしか・・・感じられない。

便利ではあるのに、足りないのだ。
大切なものが、肝心なものが・・・・この世界には無いのだ・・・・


典子の心にぽっかりと空いてしまった穴は、少しも塞がらなかった。





典子は、浴室の鏡に移る自分の裸身を見つめる・・・――――――





髪の毛は、確かに伸びた・・・・・・

向こうの世界の人は、女性も男性も殆ど長髪にしている・・・
丈が短いのは子どもぐらいなものだ。

だからあたしも伸ばしていた。

髪は普段は下ろしたままが多いが、編んだりまとめたり時もある。
イザークと同じように、バンダナを巻く時もある。
外出の際には、帽子を被る事もある。

伸ばすと毛先が痛んだりとか、あちら独特の気候のせいで
髪も荒れやすくなるから、その分、気を遣ったりもした。

でもイザークは、あたしの髪によく触れてくれ、そして撫でてくれたものだ。

髪の手入れに良い方法を他から仕入れたりして
それで上手くいったいきさつを面白可笑しく話すあたしの話を、
黙って聴くイザーク。そして耳を傾けながら・・・

『髪がどうであっても、ノリコはノリコだろうが・・・』

・・・・笑いながら話してくれた。

イザークの気遣いはとても嬉しい。それでも、艶のある髪を保ちたかった。
自分の為にというのもあるが、やはりイザークの為に
いつもキレイにしていたいな・・・・という思いの方が強かった。

カッコイイ夫を持つ妻にしか解からない苦労・・・よくニーニャさんとこんな話をしながら笑った。

でも、別にそれを苦労と感じていた訳ではないけれど・・・・
ただあたしって、どうしても童顔に見られがちだったし・・・

その為のちょっとした背伸びだったのかな・・・



人通りの多い所への買い物にイザークと出かけたりすると、
必ずと言って良い程・・・周りの注目を浴びた。
いや、注目を浴びているのはイザークの方で、特に女の子達が、
キャアキャア言いながら、彼に熱い視線を向けている。

反対に、隣を歩くあたしを見るその彼女達の視線・・・・
妙にチクチク・・・敵対心(敵対してどうするの?)のようなものを感じてしまう。
中には優越感に浸ったような(優越感に浸って・・・それで?)表情も感じる・・・

敏感に感じ取る・・・そうした視線・・・

苦笑が漏れる。


一方でイザークは、そうした彼女達の視線を全く気に留めない。
いつだってあたしを周りから護るように、さりげなくエスコートしてくれる。
いつだって優しい笑顔で・・・

あたしが心配げに彼を見つめると、彼もあたしを優しい眼差しで見てくれ、
『どうした?』・・・と不思議そうな顔をする。
まるで何も起こらなかったかのように、何でもない顔をしている。

これはこれでまた凄い事なんだよな・・・・と・・・思う。


いつだったかな・・・・旅の途中の町で出会った凄いキレイな女の人・・・・
イザークに話し掛けて来たのだけど・・・・

その人に対して彼の取った態度・・・
そしてその顛末に、あたしもビックリしてしまった事があった。


あの時の彼女・・・
言葉や態度に、自信あり気なのが見てとれた。
彼女から発せられるオーラ・・・とでも言おうか・・・。
確かにキレイな人には違いないんだけど、何か冷たい雰囲気が感じられる人だった。

イザークの隣にあたしが居るのに、まるでそこにあたしなど
存在しないかのように振る舞い、彼に馴れ馴れしく話しかけ(初対面なのに・・・)、
おまけに強引にお茶に誘おうとしていたんだっけ・・・(重ねて言うが、初対面なのに・・・だ・・)

・・・これって、逆・・ナンパ・・・?


彼が一人でいたのなら解からないでもないが・・・
そういう行為・・・――― 連れがいるのに無視する事 ―――って、
とても失礼な事なのではないかと思う。

でも余程の自信からなのか、美人は何をしても許されるような・・・
そんな雰囲気が暗黙の内に漂っているかのようで・・・・

そういえば、取り巻きのような人たちもいたっけ・・・


何とも言えないその場の空気を感じ取り、あたしは、黙ってその成り行きを見ていた・・・。


確かに彼女は、誰もが振り向くような美人だった。
でも、イザークは彼女の誘いには乗らず、不機嫌そうにため息一つついて・・・
『・・・生憎だが・・』と、それだけ彼女に言うと、『行くぞ。』と、
あたしの肩を強く引き寄せて促し、その場から離れた。

気になって振り返る。

・・・・唖然としていた・・・あの女の人と、取り巻きの人たち。

そしてあたしを睨む彼女達の瞳。
面子を潰されたからであろうか・・・

・・・あたしにどうしろと言うのだろう。

ため息が出た。


考えてみれば、これってとても凄いことだ・・・
イザークのようなカッコイイ人が、
たとえ凄い美人であろうと、他の人に全く靡かない・・・

・・・そりゃ、あたしはイザークと共に、いろんな苦難を乗り越えて来たから・・・
あたしの性格やら何やら、色々と、充分過ぎる程に理解してくれているというのは、解かるけど・・・

彼の女性を見る基準って・・・・何なのだろう・・・
・・・そういえば、訊いた事って無かったなぁ。



宿に戻ってからイザークに、あの人の話をしてみた。
『・・・とてもキレイな人だけど、何か迫力あったねぇ〜』と、振ったら・・・

凄く意外な顔をされてしまった。

『ああいう棘ばかりの女を、美人だとは思わないな・・・
 それにあいつらはおまえを睨んでいた。・・・気にいらん。』

と、呆れ顔でため息を吐いた。

あ、イザークはちゃんと気がついてたんだ・・・・

『・・・タザシーナを少し若くしたような感じだったな・・』と彼が苦笑しながら言うので、
あたしは、彼女の顔を思い出し、なるほど・・・と感心した。

イザークはその後、あたしの髪をくしゃっと撫でた。

『なんだ・・・俺が誘いに乗ると思ってたのか?』 少し悪戯な表情で笑う。

あたしは慌てて、首を横にぶんぶん振った。
そんな事は思ってなかったけど・・・けど・・けど・・

『俺はおまえがいてくれたら、それでいい・・・』

優しい笑顔だった。


普通なら気障に思えるそんな台詞を、さらりと言えてしまうのが、
彼の凄いところだ。・・・しかも全然厭味がない。

あたしは嬉しくて・・・でも赤面しちゃって・・・イザークの胸に、そっと額をつけた。
彼の気持ちが嬉しかった。
イザークは、そんなあたしを抱き締めてくれた。


彼の為に自分を磨いていたかった・・・綺麗でいたかった・・・

そう思うのは、やっぱり女心からなんだ・・・





宜しければご感想をお聞かせ下さい→Mailform

切ない女心のノリコちゃんです。
しばらく切ない彼女が続きます。
夢霧 拝(06.03.11)
Back  Side2 top  Next