◆ 君につなぐ想い 34 ◆


「ちょっと・・・待って頂戴・・・」

イザークの存外な申し出に、アキはその掌を頭に当てると、相当困惑したように頭を振りながら
言葉を返す。

「十倍なんて話、聞いた事がないわ。・・・昨日の段階で、充分相場よりは多い金額をあなた方に
 提示したつもりよ?」

だが、アキのそんな言葉にもイザークは表情一つ変えず、その腕と脚を組んだまま、すぐさま
言葉を返した。

「あんたのわけなど、しらん。こっちがたのんで、その《もでる》とやらを、するわけでない。」
「・・・それは・・・そうだけど・・・」
「・・・おれは、おなじことは、にどいわん。」

静かだが感情的になるでもないその物言いは、イザークの側に妥協は一切ないという事を余計に
感じさせた。視線を逸らさずにアキを見据える彼の瞳は、さっきから一度も笑わない。

その雰囲気に、アキは息の詰まりそうな感覚を覚え、ぐっとそれを飲み込むが・・・暫くして、
彼に向けていた視線をふい・・・と横に逸らすと、深く息を吐いた。新鮮な空気を求めるかのように
ゆっくりなされたその息継ぎは、まるでそれまで彼女が、呼吸というものをしていなかったかのような
錯覚すら感じさせるほどだった。それほど、今のアキには緊張感が漂っていた。


「・・・少し・・・時間を戴けるかしら・・・」

暫しの沈黙の後、アキはそう切り出す。

「あなたの言いたい事は、よく解かった・・・ 私はあなたの事を買ってるつもりだけど、とにかく
 一度上司やスポンサーとも・・・話をしなくてはならないし・・・」
「ああ、すきなように・・・」

尚も表情の変わらないイザークに、アキは再びため息を吐きながら、言葉を続ける。

「で、三つ目の条件というのは?」

「・・・あんたは、おれたちのことが、ずいぶんきになるようだが・・・、きかれても、
 あんたがきにいる、こたえは、だせん・・ だから、せんさくするな。」

「・・・気に入る答え・・じゃないって・・・・・・」

アキはイザークの台詞に妙に引っかかりを覚えずにはいられなかった。念を押すほどまでに
聞かれたくない事とは、いったい何なのだろう・・・余計に気になる・・・

典子の方に視線を向け、ひそひそ話をするかのような手の仕草をとり、一つ訊ねる。

「あの・・・失礼だけど、・・・もしかして、犯罪に関係しているって事は・・・無いわよね?・・・」

これには典子の方がビックリしてしまった。
だが、言葉を荒げる事はなく、

「・・・とんでもない。この人は、人一倍正義感が強くて、曲がった事が大嫌いなんです・・・」

そう説明する。

イザークはこの二人のやり取りに、やや呆れ顔でため息を一つ吐いた。
だが少し間を置いてから・・・何を思ったのか、口の端をくっと上げ、アキの顔を見据えた。

「・・・いや・・・、もしそんなに、しりたいなら・・・はなせないことも・・・ない。」

イザークの急なその言葉で、典子は今度は夫の方に、驚きの視線を向けた。

「イザーク・・・?」
「え、本当に?・・・教えてもらってもいいの?」

アキは少しその表情を明るくする。
だが・・・

「ただし・・・あんたが、こっちのいうことを・・・しんじるならば・・・だが?」
「・・・え?」

その物言いに、アキはまじまじとイザークを見つめる。彼の目は悪戯で、たたえる光は怪しげだ。
そんな瞳で、しかも上目遣いにニヤリとして話されると・・・、なにやら背筋にゾクリとしたものが
走るのを感じずにはいられない・・・。
彼の醸し出すその雰囲気に、アキは身震いする。

「・・きのうの、かぜ・・・それから・・・おれの、ちから・・・」
「風?・・・あなたの・・力?・・・」
「・・・せつめい・・・できるか?・・・あんた・・」
「・・・それは・・・」
「あんた、みたんだろ?」
「・・・見た・・・って・・・」

イザークの言う事に耳を傾けながらも、その瞳に吸い込まれそうな感覚をアキは覚えた。
それくらいに今の彼の眼力には迫力が感じられた。
飲み込まれそうになる・・・、そういう言い方が相応しいかもしれない。

「・・・おれが・・・とぶのを・・・」
「・・っ!?」

アキは目を見張る。イザークの今の台詞は、暗に、昨日のあの台風並の風やあの奇蹟が
やはり彼の力で、しかも本当だったのだと、自分で白状している事になるではないかっ!
昨日のアレは、それをやった本人にしか、語れない仕業だからだ・・・・

アキの額に、嫌な汗が滲んできた・・・

「まさか・・・本当に・・・あれを?・・」

「あんたが、それをしんじ、・・・ほかのにんげんに、それを、せつめい・・できるなら・・・
 はなさないでも・・・ない。」

言いながら、イザークは、くくくっ・・・と悪戯に笑う。

『イザーク・・・』

典子が心配げな面持ちで、イザークを見つめたので、イザークも典子に視線を向ける。
その表情もやはり悪戯なままだ。

『・・・どうやら、事と次第によっては、面白い展開になるかもしれないぞ?ノリコ・・・』

そして、再度彼は、くくっ・・と笑った。

『・・・だけど・・』

そう言いながら、典子はアキの方を見つめた。
アキもまた、半分惚けた顔で典子を見つめる。

イザークだけが、面白そうにその様子を眺めている。

「・・・でも、説明と言ったって・・・誰をも納得させられるような説明なんて・・・無理だわ・・・」
「・・・アキさん・・」
「同じ事をもしメディアを使ってやって見せたとしても、ヤラセだと思われてしまうのが関の山・・・
 信じて貰える保証なんて何処にも無いわ・・・自分の目で見ていたって・・・信じ難いのに・・・」

そう言うと、アキは握った手の親指を口元に持っていく・・・
その様子には、歯がゆい思いが滲み出ているのが見て取れた。

「アキさんは・・・信じてくれるのですか?・・・昨日のあれを・・・」
「え?」

典子の言葉に、アキは顔を上げた。今度は典子の顔が少しも笑ってはいない。
むしろ真剣にアキを捉えている。

アキはまたため息を漏らした。

「・・・信じ難いけど・・・、あたしは見たのよね・・・確かに・・・」

その眉間に皺が寄る。なにやらどっと疲れが出たかのような色合いが、彼女の表情には見て取れた。

「でも・・・もしあたし達のことを詳しく話したとしても・・・多分アキさんも、他の誰も
 信じる事はないでしょう・・・」

典子がやや瞳を伏せがちにそう話すので、アキは、ふと思いついた事を訊いた。

「典子さん・・・そういえばあなたは日本人なのよね?そのあなたが、あんな奇蹟を起こす彼を
 どうやって信じる事が出来たの?」
「え・・・・」

不意な質問に、典子は一瞬だが面食らう。・・・ただ、その顔に動揺は一切見られなかった。

「・・・それは、簡単なことです。イザークは、あたしの命の恩人ですから・・・」

そう、むしろにっこり微笑いながら、典子はアキの質問に応えた。

「・・・恩・・人?・・」

典子のこの笑顔にもまた、アキは吸い込まれてしまう感覚を覚えてしまった。
このイザークと典子という二人は・・・なんという雰囲気をたたえているのだろうか・・・
後から後から、また違った疑問が湧いてくるのを、アキは感じていた。

「ええ、・・・彼がいなかったら、今頃あたしは生きてはいません。いつでも彼は、その身を呈して
 あたしを護ってくれてました。昨日だって、そうです・・・」
「護る・・・」
「ええ、あたし、何度も死にそうな目に遭ってるんですよ。ふふふ。」

アキは訝りながらも、尚も典子の言葉に注目する。

「死にそうな目って・・・」
「・・・ここだけの話ですけどね?・・・実はあたし、生贄にされそうになった事もあるんです。」

典子はひそひそと耳打ちするかのように、小声で話した。
これには、アキが仰天してしまう。

「っ!・・いけにっ・・・ぇ・・・?」

アキの声に、典子は、しぃ〜〜・・・と人差し指を口に当てる仕草をした。

もし、他人が今のアキの顔を見たら滑稽としか言いようのない表情で、アキは典子とイザークを見た。
まるでこの世のものを見るのとは違う・・・恐らく今の日本の常識では考えられないような典子の話に、
アキは惚けたまま、口をあんぐりと開ける事しか出来ない。

昔話の人柱だの宗教儀式のそれじゃあるまいし、今の日本で到底そんな言葉が、しかも若い女性の
口から出てくるとはとても思えない。・・・―生贄―という、おおよそ今の時代には似つかわしくないその言葉に、
アキの思考回路は、そのネジが何本か飛んでしまいそうだった。


『ごめんなさいイザーク、ちょっとばらしちゃった・・・』

典子はイザークを見つめ、ぺろっと舌を出して詫びた。
イザークは微笑う。

『いや・・まあいい。後はこの女次第だからな・・・』

そう言いながら、尚も悪戯に笑う。

「あの・・・そんな、生贄なんてする国が・・まだあるの?・・・今の・・この時代に?」
「いえ、別に国がどうのこうのという訳ではないけれど、・・・でもそうですね、今は、平和になって
 きたかな・・・世界も落ち着きを取り戻しているし・・・」
「・・・世界?・・・」

アキには飲み込めない。完全に思考が混乱している。

・・・世界が落ち着いている―――――?

アキの想像する、この現代社会の『世界』と典子が言う『世界』とは、言葉は同じでも
全然違う意味なのだが、勿論そんな概念はアキにはない。

「ええ。そして、彼は危険を冒して助けに来てくれました。最初の時だって、そうやって彼は
 あたしを助けてくれたし、だからあたしは彼を信頼してました。それは今だって変わりないです。
 彼がどんな力を持っていても、何者でも・・・彼が彼であることには、変わりありませんから・・・」

典子の言葉に、アキは訝る。

「・・・何者でも・・・って、何だかまるで、人間とは違うような言いっぷりだけど・・・?」

アキのそんな問いに、典子は微笑みながらアキを見据えた。

「れっきとした人間ですよ。・・・何に見えますか?」

典子にあっさりとそう返された為、アキはややバツの悪い感情を覚えた。

「・・・ぁ・・いえ・・・ごめんなさい。失言だったわ。・・・今の話は、真実なの?それともジョーク?」

改めてなされたアキのこの問いには、イザークが答える。

「しんじたくないなら、それでいい・・・ だが、こっちは、ほんとのことしか、いわん・・」
「・・・・・・・」


出されたお茶は、既に冷めてしまっていた。
暫くの沈黙が続き、アキは、また一つ深いため息を吐く・・・・

「何だか、頭の中を整理しないと、ちょっと着いていけない話だわ・・・この話はまた後日・・・と
 いう事でもいいかしら・・・?・・・」
「ああ、かまわん・・・」

「四つ目と五つ目の条件も、とんでもないものが出てくるのかしら?」


「・・・よっつめは・・・こいつのかぞくだ。」
「・・・典子さんの家族?」

「そうだ。こんどのことで、どんなめいわくも、かけたくない。・・・こいつのかぞくのところに、
 へんなやつが、こないよう、してもらいたい。それから、あんたたちも。こいつのかぞくの
 ところには、くるな・・・」

「そして、いつつ。・・・こいつのあんぜんを、やくそくしろ。」

「え?典子さんの・・・安全?・・・どういう事?」

アキには、イザークが何を言っているのか、にわかには理解出来なかった。
だが、イザークはその事がさも重要で、至極当然の如く言葉を続ける。

「おれには、こいつのあんぜんが、いちばんだいじだ。だが、さつえいのあいだ、こいつをまもれない。
 へんなやつらが、ちかよらないよう、きをつけてくれ。」

「・・・変な・・・奴ら?・・・」
『・・・イザーク・・』

アキはぽかんとした顔になる。そして典子は、イザークの言葉にやや頬を赤くした。

『イザーク?・・・あの、そんなに心配しなくても、大丈夫だと思うけど・・・』

典子の言葉に、イザークはその表情を崩さずに言葉を付け加える。

『ノリコ・・・何がおまえに近づいてくるか解からん。昨日みたいな例もある。野次馬の中に男が
 いないとも限らんし、もしそうなら尚の事タチが悪い。・・・だから言っている。』
『う・・・うん・・・』

「どう言う事?、典子さん・・・」
「あ、あの・・・昨日みたいな、チンピラさん達の例もあるし・・・その・・男の人には警戒しろ・・・と・・・」

アキの問いに典子は、少しもじもじしたような面持ちで応えた。
典子のその言葉にも、アキはやはりぽかんとした顔のままだった。

暫くの沈黙の後、アキは言語能力を取り戻したように、また言葉を続ける。

「あ・・・・つまり、何?・・・怪我が無いようにというのは当たり前だけど、典子さんに変な虫が
 つかないようにとか、・・・そういう事?」
「そう、おもっていい。それとも≪さつえい≫とやらを、ぶちこわしにして・・・いいのか?」
「ぶち壊し・・・?」
「いったはずだ。・・・おれにとって、こいつのあんぜんが、いちばんだいじだと・・・」

その言葉に、アキは暫し考えるような仕草を取る・・・

「つまり・・・撮影中でも、そんな事があれば・・・典子さんを助けると・・・そういう事なのね?」
「そうだ。」

また暫し考えるような仕草を取ってから、アキはおもむろに典子の方を向いた。

「・・・何だか、昨日の事といい・・・典子さんにとってこの彼は、本当にナイトね。」

呆れたとも感心したともつかない微妙な表情で、そう言った。
それに対し、典子はやや苦笑するが、

「ええ、一番頼りになる主人ですから。」

と、すぐに目を細めて微笑みながら、そうきっぱり返答した。

「そっか・・・ご夫婦なんですものね。びっくりしたわ、そんな風には見えなかったから・・・」
「そうですか?」
「いえ・・随分とお若い感じに見えたから、典子さん。・・・ごめんなさいね。」
「あ、いいんです。・・・昔からあたし、童顔だとかネンネだとかって言われますから。」

典子の言葉で、アキは久々に相好を崩した。
両の掌で、膝をパンと小気味よく叩き、

「とにかく、あなたの側の条件は解かった。検討させて頂戴ね。それから改めて返事をするわ。」

そう二人に話をしたところで、今日の打ち合わせはお開きとなった。
イザークの提示した条件を解決しない事には、これ以上は何を言っても無駄のように思われたからだ。


三日以内には返答をするとアキに言われ、イザークと典子はそれを承諾し、そこを後にした。





宜しければご感想をお聞かせ下さい→Mailform

三つ目以降の条件って何よ?…と期待された方、期待ハズレで申し訳ないです。
ちょいと、書き手にとっても予想してなかった展開になって来てしまいました。
あぅ、どうしましょ…orz。どんどん最初の構想と変わっていく…(汗)
でも、アキさんの惚けた顔は、やはり少々小気味良い?
管理人的には、イザークさんのニヤリとした顔は好きです(笑)
夢霧 拝(06.04.27)
Back  Side2 top  Next