◆ 君につなぐ想い 35


帰る道の途中、典子はイザークにさっきの事を訊ねてみた。

『ねぇイザーク、さっきはどうしてあんな事を話したの?・・・こっちの事を話しても構わないって・・・』
『ああ、あれか?・・・』

歩きながら、イザークはクスクス笑う。

『・・・なかなかの見ものだったろ?』
『・・・それは、そうだけど・・・でも、驚いちゃって・・・』
『ああ。・・・あの女がどう出るかだな・・・』

イザークは尚もくくくっ・・・と笑う。余程可笑しかったらしい。

『こっちの都合など、お構いなしだったからな。・・・あの強引なやり方には、正直腹も立っていた。
 だから、あれはその腹いせだ。・・・ふっ・・・あの女の惚けた顔は、なかなか面白かったぞ。』

『イザーク・・・』

イザークの言葉に、典子は半分呆れてしまった。
それでもイザークは笑いながら、言葉を続ける。

『そう易々と、向こうの言いなりにはならん。・・まあ、これからどうなるか、少し楽しみではあるな。』

典子をニヤリと見据えながら、悪戯に言った。

『・・だから、報酬の額も上げたの?』
『報酬か?・・・そうだな、それもあるが・・・、あれは、一つはお父さん達の為だ。』
『え?・・・お父さん達のって・・・どういう事?』

典子にそう訊かれて、イザークは歩を止めた。

そこは、丁度信号のところ、【赤】の為、皆その足を止めていた。
信号待ちをしながら、イザークは典子の問いに答える。

『ノリコ・・・どんなに大金を積まれようと、こっちの金は向こうの世界では何の意味も成さん。』
『・・あ・・・』
『だから、報酬が幾らなんて・・・そんなのは正直どうでもいい事だ。そうだろ?』

イザークの言葉に典子は頷いた。

『この依頼を受けると決めた時にすぐに考えたのが・・・今度のこの報酬を、全てお父さん達に渡す事だ。
 それで、この世界で世話になる事への恩返しになれば・・・と思ってな・・・』
『イザーク・・・』
『どうだ?・・悪くない考えだろ?』

典子はまた黙って頷いた。

『・・もし、俺の素性が知れる事になれば、お父さん達にも迷惑が掛かる事になるかもしれん・・・
 だがな、あの女がたとえ俺たちの話を信じたとしても、他の全ての人間もまた同じく信用するとはとても
 思えない。だから、上手く運んでくれるだろうとは思っている。・・・報酬と、第一におまえの安全が
 保証されるなら、俺は何もいう事はない・・・』
『あ・・・あたしは、でも大丈夫よ?・・・そんなに心配しなくても・・・』

自分の安全・・・などと言われ、典子は少し慌てて取り繕う。
だがイザークの口調は、やはり相変わらずだ。

『ノリコ、撮影におまえを連れて行く以上、何があるか解からん。・・その撮影の連中だって男が多いと聞いた。
 それに、野次馬の中にも男が混じっているとなったら、俺は心配で気が気じゃない・・』
『・・イザーク・・・』

前半は真顔でたしなめられ、そして後半は悪戯な顔で切り返された為、典子は赤くなってしまう・・・

イザークは、こうと決めたらそれを覆す事は滅多にない。反論するだけ無駄だというのは解かる。
それに典子自身、夫の気遣いがとても嬉しいと感じるのも、正直なところだった。

たとえその気遣いが、彼の心配性と独占欲の成せる業だとしてもだ。


信号が青になり、人の流れが動き出す。イザークと典子も、再び歩き出した。

『まあ、これが終われば、暫くは厄介な事もないだろう・・・』
『・・・でも、イザーク・・昨日はあんなに不安げで渋っていたのに、今日のあなたは全然違う人みたい・・・』
『そうだな、・・・そうかもしれん。・・・いや、心配事が全く無い言えば、それも嘘になる。』
『それじゃあ、どうして?』

典子にそう訊かれ、イザークは歩きながら少し考え、そして言葉を続ける。

『・・・お父さんの言葉に刺激されたから・・・かな・・・』
『・・お父さん・・・の?』
『ああ・・・』

イザークは少し悪戯な視線を典子に向けた。

『まあ、穏便に事が進めばそれに越した事はないが、引っ掻き回してみるのも、また一興ではないかと・・な・・』
『イザーク・・・』
『こっちにいつまでいれるか解からんし、まあ、せめてここにいる間は、やれる事はやっておこうと思う。』
『うん・・・・』

典子は、半分は納得したものの、後の半分は、どうにも腑に落ちない感があった。
そうした部分が、不安げな面持ちを隠せない。

『不安か?ノリコ・・・』
『え・・・ うん・・・何となく・・ね。どうなるのかな?・・・って思いはある・・・』
『おまえのお父さんは、・・・いや、お母さんもそうだが、随分と前向きな考えを持っているな・・・』
『え?・・・ええ・・・そうね・・』
『おまえはその血を継いでいるのだろう?・・・』

そんな風に言われ、典子は夫の顔を見つめる。イザークは微笑う。

『俺も、少しは見習おうと思ってな・・・』
『イザーク?』
『何とかなるだろう・・・多分な。そう、一か八か・・・俺がこの世界に飛んだのも、一か八かの賭けだった。』
『・・・・・・』
『そういう事さ・・・』

そしてイザークは、ふっと微笑い、典子の肩に手を添える。

『うん・・・そうだね。きっと・・・上手く行くよね・・』

イザークの言葉に、典子もようやく納得したように微笑んだ。




『ところで、さっきあの女に言ってた《どうがん》って、何の事だ?・・・』
『え、ああ、あれ?・・・顔が幼く見えるって事よ。』

イザークの不意な問いに、典子はさっきの事を思い出し、クスクス微笑いながら応えた。
だが典子の返事にイザークは、《意外》という言葉を、顔全体に貼り付けたかのような表情だ。

『幼いだと?・・・樹海の時のノリコならともかく、今のおまえの何処が幼いと言うんだ?』
『ふふふ、ありがと。でも、イザークはずっとあたしを見てきてるから、そう思うのよ。
 あたしって、どちらかといえば幼く見られがちなの。こっちでは《どうがん》っていうのよ。』

しかし、典子が幼いと言われるのは、イザークには酷く心外な話だった。

『あの女が、おまえに幼いと言ったのか?』
『んー・・・っていうかね、あたしが若く見えるから、あなたと夫婦だとは思わなかったって・・・
 そう言ってたわ。』

そう言いながら、典子はまたクスクス笑う。

『でも別にね、アキさんだけじゃないの、あたし前から友達にも言われてたの。「ノリコはネンネよねぇ〜」
 とか、「そんなんじゃ、まだノリコには恋人は早いわよねぇ〜」とか・・・』

あまりの言い様に、イザークは眉根を寄せて自分の妻を見つめた。

『・・・おまえの友達というのは・・・ロクでもないヤツ等ばかりなのか?・・・それとも、言いたい事を
 遠慮もなく言うヤツ等なのか?』
『そうねぇ、どちらかと言えば、後の方かな・・・?でも、みんな根はイイ人達ばかりなのよ。ふふふ。』
『・・・俺には、とてもそうは思えないがな・・・』


『ね。実際、あなたから見た感じ、あたしってどう?』
『ん?』
『幼く見える?それとも歳相応に見える?』

にっこり顔で訊かれ、イザークは再び歩を止めて、妻の顔をじっと見た。

『ノリコは今、歳は二十だったな・・・』
『ええ、そしてもうすぐ二十一よ?』
『・・・・そうだな・・・可憐で可愛らしいと思う事はあるが、少なくとも幼いというのとは違うな・・』
『んー?それって、同じことじゃないの?』

そう訊き返しながら、典子は微笑う。

『あのなぁ、樹海の時のおまえならともかく・・・あれから四年近くにもなるんだぞ?』
『ふふ。そうね、あの時のあたしは、きっと酷く情けない顔をしていたでしょうからね・・・
 ねぇ?ちなみに、その時はあたし幾つに見えた?』
『ノリコ・・・』
『ね、教えて?』

典子は悪戯な顔で、夫の顔を覗き込む。

『そうだな。・・・生憎だが、十七にはとても見えなかった。これは正直な気持ちだ。』
『うんうん、それで?』
『十二か、三か・・・せいぜい行っても、十四程度だろうと・・・ だから、十七だと聞かされた時には驚いたな。』
『あ、やっぱり?』

典子は、視線を下に向けると、腕を組んで、『そうか・・・そうよね、やっぱり・・・』・・とぶつぶつ言う。

『せめて歳相応には見られたいのよね・・・ やっぱりもっと磨きを掛けないとダメかしら・・・』

今度は空を仰ぎながらそうごちたので、それを見たイザークはぷっ・・と噴出してしまう。

『イザーク?』

典子はきょとんとしながら夫の顔を伺う

『いや・・・すまん。・・だが、くくっ・・・』

イザークは可笑しそうに笑っている。それを見ながら、典子も苦笑してしまう。

『そんなに可笑しい?』
『いや、すまない・・・ だがな・・・ノリコはそのままでいいと思うぞ?・・』
『え?・・・どうして?・・』
『・・・それ以上綺麗になって貰っては、俺が困る。』

イザークの台詞に、典子は目がテンになる。

『え・・・』
『おまえの魅力を解かっている男は、俺だけで充分だ・・・』

ニヤリとしながら、そう応える。

『イザーク・・・』
『見てみろ、周りを・・・』
『え?・・・』

言われて、典子は周りを見渡す。ざっと見て、二人の周りにいる少なくとも男達は、典子の方を遠巻きに
チラチラと見ている。典子と目が合い視線を逸らす輩、隣にイザークがいるにも関らず笑顔を送ってくる輩・・・

---他にもたくさん女は歩いているだろうに・・・ 俺の妻をそんなにジロジロ見るなッ!!---

もし今の気持ちを声にして表すなら、多分彼はこう叫ぶであろう・・・・。
イザークのそうした心情を顕にしたような鋭い視線を浴び、慌てて小走りで去る者までいた。


『え・・ぁ・・あの・・・』

顔が赤くなる・・・。隣から夫のため息が聞こえてきた。

『・・・解かっただろ? あの女は、おまえの事を解からないだけだ。そして、おまえ自身もな・・・』
『・・え?・・』
『自分の事を少しも解かってない・・・まったくおまえは、いつも俺をヤキモキさせる・・・』

そう言いながら、イザークは苦笑する。
典子は目を見開き、赤くなったままイザークを見つめるが・・・言葉が出ない・・・。

『それにノリコ・・・ 俺は幼い子どもを妻にした覚えもなければ、毎晩共に寝ているつもりもないんだがな・・・』

妻の髪をわしゃわしゃっと撫でる。その表情は悪戯だ。

『イザーク・・・ぁ・・ぁの・・』
『そうだろ?・・・だから、それ以上磨かなくてもいい。俺の苦労が増える。』
『イザーク・・・・・』

そして、イザークは再びため息一つ吐くと、典子の肩に手を掛け、ぐぃっと自分に抱き寄せる。

『え?・・・』
『これ以上、おまえをヤツ等の野蛮な視線に晒す訳にはいかん。帰るぞ。』
『えっ、えっ?・・・イザーク?』
『本当なら、おまえを抱いて疾走するか、あいつ等を遠当てで蹴散らしたいくらいだ。だが、俺の力を
 あまり見せるわけにはいかん。・・・これでも我慢してるんだ、行くぞ。』

夫イザークの強引さに、かなり圧されつつも、

『う、うん・・・』

そこはやはり素直に従ってしまう、典子だった。
肩を抱かれ、密着している為、服を通して夫の匂いが伝わってくる・・・
周りの視線も相まって、典子はドキドキしてしまう。


『それから、その《根はいい友達》とやらにも言っておけ・・・ 自分はネンネじゃないとな。』
『・・それは・・・その・・』

まだイザークと再会出来る前に、お風呂場で考えた事を典子は思い出して、冷や汗が出た。
が・・・・、

『あっ・・・』

と、いきなり声を挙げて立ち止まる。
イザークも訝りながらも、つられて止まった。

『どうした?・・』


『忘れてた・・・ その友達に、最近会ったのよね・・・ あなたが来てくれた事、皆に言い忘れてた・・・
 なんだか、バタバタしてたから・・・すっかり・・・ 彼女達、心配してくれてたのに・・・』

バツが悪そうにそう言いながら、典子は悪友三人の顔を思い浮かべる。


彼女達にイザークの事を話せば、どういう展開が待っているのか・・・・
少し楽しみな気もしたが、先が思いやられるかも・・という一抹の不安も、やはり拭えなかった。





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また出ましたイザークさんの腹いせ。…ちょっと少年ぽいところ。
本来なら彼はもっと子どもらしい悪戯心とか、何気ない楽しさとかを経験しながら
育っていけたら良かったのでしょうが、そういう普通(?)の感覚を、
ノリコちゃんと共に過ごしてきた事で、取り戻せているかなと…
そんな場面を思い描いて書きました。少々やんちゃな彼です(笑)。
でも、イザークさん、余程…アキさんに対する印象が悪いと見える…

ノリコちゃんはどの程度『童顔』なのか…
この「君につなぐ想い」の中の彼女は二十歳(もうすぐ二十一歳)なので、
勿論本編にあるような、まったくの可愛らしい感じとは、
少し印象も違っていると思います。
まぁ、たった二〜三年でそれ程大きく変わる事は…ないとは思いますが…
それでも、多少は大人の雰囲気も、備わってきたのではないかなぁ…と思いますね(^^*
ノリコちゃんは、少女らしい可愛らしさと、イザークさんの妻という大人の女性らしさと
両方の雰囲気を見事に持っている女性なのではないでしょうか。

女性としては理想の姿…
で、男としても、多分間違いなく理想のお相手(笑)
イザークさんがヤキモキする筈だ…

繋ぎ的場面にて、面白くないかもしれないです。ご勘弁を…
夢霧 拝(06.05.02)
背景変更(06.05.30)(06.09.14)
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