天上より注ぎし至上の光 〜 Love Supreme 〜 4




ジルヴァスの操る馬車が、街を郊外へと向かって走る。

扉には外を窺える小窓が付いている。座席の背もたれにその身を預け腕を組みながら、先ほどからウィズリーンは 外への視線を外さない。だが、その瞳は外の景色を眺めているのではない。彼女はじっと考えていた。バリスの店の ユニカの言葉を思い出しながら・・・




「―――助けた?」

「えぇ。何でも通り掛かったイザーク様が、危ないところを助けてお上げになったとか・・・ 大陸の言葉もご存知な
 かったようで、ご一緒に旅をしながら言葉や習慣を教えて差し上げたそうですよ。きっとその間に、愛も育まれて
 こられたのでしょうねぇ」

「旅を・・・ ザーゴに定住していたという訳ではないの・・・?」
「諸国を旅して回っていたと仰ってましたよ。大変に腕の立つ剣士でいらっしゃるようで、そうした依頼も受けていら
 したようですよ」

「・・・剣士・・・もしかして渡りの戦士とかっていう?・・・ああいう人達って、ならず者が多いと聞いたけど・・」
「私もそう認識しておりましたけれど・・・あの方はとてもそんな風には見えませんねぇ。嗜みも教養もきちんとおあり
 になるようですし、何よりとてもお優しいお方ですよ。ノリコ様への接する時もとても柔らかで、本当に大切に
 なさっているのが、よく解かりますわ」

「・・・そう。・・・・・・珍しい名よね・・・・ノリコ・・・」
「島の方だからではございませんか?・・・私も、あまり島の事は存じませんがね」
「・・・・・・・・」

「ザーゴにもグゼナにもお知り合いがいらっしゃるのだとか。でもこの花の町を大変に気に入られたとかで、ここに定
 住をお決めになったようで・・・ この町の者と致しましては、本当に光栄な事ですわ」

「そのイザークって、どちらの出身なの?」
「・・はぁ、それが・・・ あの方のご出身については、私共も詳しくは存じてないのですよ。ノリコ様もそれについては
 触れてはいらっしゃいませんでしたので・・・」

「この国にはああいった顔立ちの一族はいないわ・・・ 北方や南方でもそんな話は聞かないし・・・いったい何処の
 国の出なのかしら・・・ それに、そんなに教養のあるお方なのならば、家柄だって相当なものでしょうに・・・
 何故旅なんか・・・ しかも渡りの戦士だなんて、卑しい身分に自らを貶めてまで・・・」
「・・・さあ・・・何故でございましょうかねぇ・・ きっと余程の事情がおありになってなのだと推し量るしか、こちらには
 出来ませんが・・・」
「・・・・・・・・」
「でも、あのようにお美しいお顔立ちですから、どちらにいらしても場が映えますわね、ふふふ。剣士というよりは、
 何処か役者の方がお似合いになりそうな・・・とても華やかな感じが致しますもの」

「ノリコ様も、愛らしいお方ですよ。とても物柔らかでお優しい感じのお方で・・・そう、何か本当に透き通るような
 ・・・そんな印象を感じましたわ。お年は二十と伺ってますから、ウィズリーン様と同い年でございますね」

ユニカは、終始ニコニコと微笑みながら、ウィズリーンに話していった。

「・・・私と・・・同い年・・・」


・・・―――――――

―――――



馬車の車輪が道の石畳を捉え、ガタゴトと振動を繰り返す。

ウィズリーンの表情には翳り。

「―――私と・・・同い年・・」


島出身の娘・・・――――

移民として大陸に渡ってきても、定住して職を得るまでにはかなりの苦労が伴うという・・・
中には、諦めて島に逆戻りする者、そして苦労の果てに、どうにもならずに乞食まがいの真似に走る者・・・
このバラチナでだってそう・・・ そんな移民の連中が、中央にまで溢れていた時期があったわ・・・
住む場所にも困り、職も得られず、物乞いや、物盗りに成り果てた者達・・・
着ている物もみすぼらしい、不潔な者達・・・

本当に、卑しいったら・・・

その者達と同じ、島からの移民・・・


それはあたかも氷を思わせるような冷たい表情。
彼女の視線は、ただ窓の外へと突き刺すが如く注がれる。

馬車は、郊外の緑深い中にある豪奢な建物の門扉を潜り、敷地内へと吸い込まれるように消えていった。






街に人々の賑わい溢れる中、食堂内にはそれぞれの客による話を交えた楽しげな食事の風景が広がる。


「あぁ〜美味しかった、ご馳走様でした」

細い両手を合わせ、ノリコは満足げに微笑む。

「それでいいのか?・・・相変わらずノリコは食が細いな・・」
「あら、これで充分よ。それにちゃんと食べてるもの、ユニカさんのところでもお茶やお菓子を頂いたし」

肩を竦め少しおどけて話すノリコに、イザークは微笑う。

「そうか、ならばいいが・・・ そろそろ出るぞ」
「うん。買い物があるものね」

そして二人は食堂を後にし、界隈を歩き、街の雑貨屋で買い物をした。こうやって少しずつではあるが、新生活に必要な物を 二人で見立てながら買い揃えていた。

別の店の軒先を通り掛かり、イザークはそこで立ち止まる。店先に置いてある人型に掛けられていた品に触れた。

「いらっしゃい。どうだい? それは結構上等な物だよ。これからの時期は夜にいい」
「ああ。見せて貰ってもいいか?」
「いいとも、よぉ〜く見てやっておくれ」

そう言うと店主の女は、人型からその品を外し、イザークに手渡した。

「・・・ノリコ」

そしてノリコに手招きする。

「イザーク?」

不思議そうな顔で見つめながら、ノリコはイザークの傍に来た。

「着けてみろ」
「え・・・・」

返事をする間もなく、ふわりと掛けられたそれはとても柔らかく、そして温かく・・・

「これ、肩掛け・・・」
「ああ、よく似合うねぇ。花の町は暖かいところだけどさ、これからの時期は夜になると気温も下がる。
 油断してるとね、風邪を引いちまうのさっ。風邪防止にはそれはもってこいだよっ、お客さん」

「思った通りだ。色味もいいし、よく似合っている・・」
「イザーク・・」

イザークの穏やかな笑顔に、ノリコの頬がほんのり染まる。

落ち着いた薄紅色のそれは、ノリコの肌にもよく映えていた。そして今身に着けている薄蒼色の衣服にも、それはとてもよく 馴染んでいた。

「これを貰おう」

言いながら、胸元から財布を取り出す。

「毎度ありっ。お客さん達は恋人同士かい? 仲がいいねぇ〜」

店主の言葉に、ノリコは更に赤くなるが・・・

「ああ、そうだ。・・・そして来月・・俺の妻になる」

肩に手が掛かり、傍に引き寄せられた。

俺の妻になる――――
そんな風にイザークに言われ、充分承知している筈なのに、鼓動が速くなるのを感じてしまう。

「おや、結婚が決まってるのかい、そりゃめでたいねぇ〜。毎日が楽しくてしょうがない時だろう?」
「まぁな・・」
「それじゃあ、何かと物入りでもあるねぇ。よし、少し負けといてやるよっ」
「・・それは有難い」
「いいんですか?」
「ああ、あたしからのお祝いのつもりさ。こんなキレイどころ二人の結婚じゃ町も華やぐだろうて。
 勿論、お披露目の式は挙げるんだろ?」

店主の問いに、ノリコは赤くなりながらも嬉しそうに頷いた。

「ここでは、式は町の者にも披露されるんだな・・」
「そうさ、ここの町長の考えでね、今の町長になってからずっとさ。町の皆でお祝いしてやるんだよ。
 だけど、それを訊くって事は、あんた達は他所の国から来たのかい?」
「はぃ、グゼナから・・・ この町がステキなので、ここで暮らしたいと思って・・・」
「そうかい、そりゃ光栄な事だ。あたしもお披露目には顔を出させて貰おうかねっ」
「はぃ、ありがとうございます。是非来てください・・・」
「ふふふ、じゃあお祝いも兼ねて、これでどうだい?」

そう言うと、店主は指を一本立てる。

「それは物がいいだろう?・・本当は指三本なんだけどね、でも、十ゾルに負けとくよっ」
「気持ちは有難いが・・・いいのか?」
「ああ、あんた達が気に入ったよ。ま、こっちも商売だから、全くの只って訳にはいかないがね」
「いや、充分だ」

微笑いながらイザークは代金を支払った。

「毎度あり。で、式はいつなんだい?」
「十日後だ」
「来月の月初めの頃だね、承知したよ。楽しみにしてるからねっ。はははっ」
「ありがとうございます」

快活に笑う店主にペコリと頭を下げ、ノリコはイザークと共に店を後にした。



「ありがとう・・・イザーク・・」
「いや、風邪を引くといかんからな・・・それにおまえは、熱を出しやすい・・」

笑顔で礼を言うノリコに、微笑いながらその頭をくしゃっと撫でる。

「え?・・う〜ん・・熱といっても数えるほどなのにぃ・・・それに、こう見えてもあたし、結構体力だって付いたのよ」

こんな風にイザークに髪をくしゃりとされるのをノリコは嫌いではない。むしろ好ましく思っている。だが彼の大きな掌を心地良く感じながらも、ノリコは少しだけ愚痴ってみせた。自分の事をあれこれ心配してくれるイザークの気持ちは有難い。有難いのだが、その同じ理由により、イザークは時にこうしてノリコを子ども扱いにする。言わばこれは、彼の立派な過保護振りの披露であり、象徴なのだ。

少し口を尖らせるノリコにイザークはクスッと微笑うが、何かに気づいてすぐに真顔になり、

「・・・そうか・・そうすればいいのか・・・」

と、納得したかのように顎に手を掛けて呟く。

「 ? 」

イザークの物言いに、ノリコはきょとんとした。

「・・・いや。今度から寒い時には、俺が直接温めてやればいいんだな・・と、そう思ってな」

愉快そうに笑い、瞳が悪戯に光る。

「え・・・・ 」
「その方が手っ取り早い」
「・・・・・・・・」

ぎゅっっと抱っこで温め・・・・・・・。

聞く者が聞けば大胆とも取れるイザークの発言に、ノリコの顔は真っ赤になった。
頬に両の手を添える。・・・やはり、火照っていた。









翌日、ノリコはガーヤの家で今日の禊の為の支度の準備を済ませてから、イザークと馬で修繕中の自宅へと
向かった。イザーク達が到着すると、既にバラゴとアゴルが来ており、彼らは作業を始めていた。

「よぉ、イザーク、ノリコ」
「バラゴさん、アゴルさん、おはようございます」
「ああ、おはようノリコ」

「すまないな、二人とも」
「なぁに、おまえ達の式までは遣る事といってもこっちのはたかが知れている。早く二人で住みたいんだろ?」
「そうさ。それに全面的に協力すると言ったのは、俺達の方だからな。気にするなイザーク」
「へっへっへ、礼は酒を一杯で勘弁しといてやるぜ?」

バラゴが軽く一杯引っ掛ける仕草をすると、その場に笑いが生じた。

「お、ノリコ。その籠の中身は差し入れか?」
「ええバラゴさん。皆に家の直しを手伝って貰ってるんだもの。あたしには出来るのはこんな事くらいだし。
 あ、といっても、材料はニーニャさんのところで使わせて貰ったんだけど・・・」
「そうか、楽しみだぜ」
「あたしはお昼前までに街に戻るけど、それまでに準備しときますね」

「そんなに早く戻っちまうのか?・・・・あ、そうか。ノリコは今日からガイアスの泉だったなァ」
「ええ」
「ガイアスの泉か・・・この国には婚礼に関するしきたりが色々あるようだしな・・・」

アゴルも苦笑する。

「まあ、女ってのもいろいろ大変だよなァ。その点男は、踏ん反り返ってればイイときたもんだ」
「いや、男が大変なのはむしろ婚礼の後だ。いきなり現実が待ち構えている。家族を養わねばならん。踏ん反り
 返ってもいられんぞ?」
「はっはっはっ! そいつなら何も問題はないだろう? 今までだってイザークは、ノリコの保護者だったんだからなァ。
 公に届けを出すか出さないか、扶養対象者が増えるか増えないかの違いだぜ」
「はっ、確かに。・・違いない」

確かに、出会った傍からいきなりノリコの食い扶持を心配する羽目となり、今までずっとノリコの面倒を見ていたイザークにとれば、結婚して共住するのは単に紙切れ一枚の違いでしかないのかもしれない。扶養に関してのみを挙げるなら、バラゴの言葉には一理も二理もある。

「ふふふ、でも女の人だってそんなに大変でもないみたいよ。泉の水に身体を沈めるだけだって聞いたもの」
「しかしなァ、・・あぁ、そうか。ノリコはそうでもないか。逆に気が気じゃないのはイザークの方かもな」

ニヤニヤしながらバラゴがイザークに振る。これにはイザークも怪訝な顔になる。

「・・・どういう意味だ?」
「だってよ、禊ってのは素っ裸でなんだろ?・・おまえ、心配じゃないのか?」
「・・・・・・バラゴ・・」
「バラゴさんっ・・・でも大丈夫よっ。泉のある洞窟には、男の人は誰も近づけない事になってるからっ・・
 だから、あのイザークも、心配しなくても大丈夫だからねっ」
「そうだよな。いくらノリコの事が心配でも、今度ばかりはイザークが一緒についてって監視って訳にもいかんよなァ。
 何せ、おまえも男だ。泉には近づけない」

「か、監視・・・・・・?」

バラゴの物言いにはノリコまで赤くなる。

「だが建前はそうでも、近づく男がいないとは限らないぜ? 世の中には大莫迦の一人や二人は必ずいる」
「ぇ・・・そんな・・・」

勿論男子禁制であるが故、男の人は立ち入れない。だが仮に罷り間違って誰かが迷い込んだり、あるいは悪意のある者が侵入したりした時の為に、イザークが傍にいてくれるのは心強い。だが裏を返せばそれは、彼が泉の傍あるいは極近くにいるという事にもなり・・・

それはそれで・・・・・・やはり・・・恥ずかしい。

「それに森の中には獣がいるからなァ。たとえ相手が獣でも、ノリコの身体を見る奴は只じゃおかないだろ?」
「ふっ、その大莫迦とその獣が憐れだな。イザークに知れたらあの世往きだ」
「もう、バラゴさんったら考え過ぎよっ、それにアゴルさんまでぇ・・」

「はっはっはっ! 冗談だ、冗談っ」

しかし、本当に男は一人も入って来られないのか・・・ 小さな獣の類ならまだしも・・・
不埒な輩が一人や二人・・・考えられなくもない・・・そんな中でノリコは大丈夫なのだろうか・・・

バラゴとアゴルの話を冗談として受け流したはいいが、そんな一抹の不安がチラリとよぎり、考え込んで
しまうイザークだった。

「・・・イザーク・・・どうしたの?」
「え・・・・ぁ、いや・・」

顎に手を当てて難しい表情のイザークを見て、間を置かずノリコの質問が飛ぶ。

「・・・何でも・・ない」
「 ? 」

きょとんとするノリコの前で、イザークは顔の下半分に手を遣り、そう繕わざるを得なかった。

泉の傍とは言わないまでも、せめて洞窟の入り口辺りで見張りを・・・と、そんな事が浮かんだとは、とてもノリコには話せない。控えめに考えたってこれでは過保護の上塗りだ。それどころか、下手をすればその不埒な大莫迦者と一緒くたにされかねない・・・・・。

だが、これまでの付き合いでその性格を知り尽くしているバラゴとアゴルにとっては、イザークの考えそうな事など容易に想像出来た。彼のノリコに対する過剰なまでの過保護振りにしても、呆れるほどに把握している。
もっとも、彼の生い立ちや今までの辛い過去、その心情を慮るに、気持ちは充分に理解出来るが為、その過保護振りに対し冷やかしはすれど、反対するつもりなど毛頭無いのだが・・・・。

この場合、やはりご多分に漏れず、すかさずニヤリと笑いが漏れたのは言うまでもなかった。

妙に顔の赤い・・・だがそれ以上は何も言えないイザークと、ニヤニヤ笑うバラゴとアゴルを前にし、ノリコはその顔に貼り付けた疑問符を暫く外せずにいた。




イザーク達が家の外周りの補強や修繕作業をしている間、ノリコは廃材や木屑などの不要物を集めるという作業を主にやっていた。

いわゆる『掃除』というやつだ。

大きな重い荷の持ち運びは、彼女には到底出来ないし、元より危険な作業は一切させては貰えない。
ノリコは結構やる気満々で大工の真似事が出来ると思っていたのだが、イザークが首を縦に振らなかった。

挙式を控えている大事な花嫁だ。その身体にもしほんの少しでも、怪我をさせようものなら―――――
そんな事など、例え話であっても考えたくない事だ。

イザークにしてみれば、どんな場合であっても彼女を危険から護る自信はある。だがそれは止む終えない場合だ。
唯でさえ家の修繕を優先し急いているこの時期に、必要もないのに敢えて危険な種を蒔き、余計な心配事を増やす訳 にはいかない。
結局イザークの、「駄目だ」という鶴の一声で、ノリコは補助的な役割に甘んじている。だが彼の気持ちはノリコにもよく解かる。それにノリコも早くこの家で暮らせるようになりたいとの思いは同じだったので、足手纏いにはなりたくない。彼の言葉には素直に従う事にしたのだ。
それでもノリコは満足だった。何か少しでも手伝える事で、一緒に家作りに携わっている気分に浸れるからだ。



不要物を一箇所に集め、ノリコはふーっと息を吐く。イザークとの新居となるその佇まいを見上げた。
この家に決める事になったきっかけ・・・ それがつい昨日の事のように思い出される―――――


事前に町長が見繕ってくれていた何件かの物件を、花の町に到着した翌日に早速、カイザックやニーニャと共に見に行った。
最初、街中にある二軒を見せて貰ったのだが、その時はいまいち踏ん切りがつかなかった。街中の喧騒よりは、静かな郊外の方をノリコは望んでおり、これには、ささやかながら彼女にも一つの夢があったのだ。

街中の二件の物件は、確かに良い家ではあった。街にあれば、生活するには何かと便利だろう。町長宅にも程遠くない。だが、何かが足りないと思えて仕方がなかった。街中に店を構える事になったガーヤや彼女の家の程近くにその住まいを決めたアゴルからは、そこに決めたらどうかと勧められたのだが、気持ちは有難く感じはしたが、ノリコは首を縦に振れなかった。

「まあ他にも候補はあるんだから、そっちも見てから比べてみればいいわ。自分たちの住む家なんだもの、悔いの
 残らないようにねっ」

ニーニャの言葉に甘え、郊外にある二件の家と土地を見せて貰うことになった。既存の家に満足出来なければ、後は新築しろという事になる。その為に、町長はまっさらな土地も用意しててくれたのだ。
郊外に行くには馬車を使った。御者台にはカイザックとイザークが、そして後ろの荷台にはニーニャとノリコが乗る。

街中からかなり離れ、周りの景観が長閑なそれへと変わりつつある時、街道から見掛けた一軒の家にノリコは興味を持った。

「あの家には、どんな方が住んでいるのですか?」

ノリコに訊かれ、ニーニャは彼女が指差した方向にある家を見、あぁ〜という表情を見せた。

「・・・あの家はねノリコ、・・・空家なのよ」
「え・・・・空家?」

頷くニーニャに、ノリコは改めてその家をじっと見つめてしまった。

町長が紹介してくれたリストには載っていない家だった。何か問題のある家なのだろうか。イザークもその家の方に視線を向ける。家の前の道で、カイザックは馬車を停めた。

「去年まで、あの家にはティラ・アバスという・・・とても上品な年配の女性が住んでいたの」
「年配の・・・独りで?」
「そう。旦那さんと二人暮しだったんだけどね、病で亡くされてからはずっと独りで・・・、でもその彼女も、去年
 亡くなったのよ・・・」
「ぁ・・・・そうだったんですか・・・」

話を聞いて、ノリコは少し寂しげな面持ちで再度その家を窺う。

「あの家をとても大切に使ってくれてたみたい。佇まいは少し古いけど、造りはとてもしっかりしているわ」
「・・・だが・・・やはり人が亡くなった家だから・・、あんた達の家の候補には入れてなかったのさ」

ニーニャの言葉に、カイザックも補うように続ける。
ノリコは変わらず家を見続けていた。

「見てみる?」
「え、・・・いいんですか?」

思わぬ言葉に、ノリコは驚いて振り返る。

「だって、あの家を見つめるあなたの目、街の物件を見た時と全然違うわよ? 興味あるんでしょ?」
「はっはっは。見てみるといい。・・・実はあの家は、俺も結構好きでなァ・・」

微笑むニーニャ、そして笑いながら話すカイザックの言葉に甘え、イザークとノリコはその家を見せて貰うことにした。


その家は敷地が若干高くなっており、石造りの階段が数段設えてあった。そして敷地内には通路、左手に前庭、右手奥には物置小屋と厩があり、母屋は前庭の後方に建っている。玄関の戸口はやや奥まった位置にあるのか、表側からは見えない。
流石にこちらは街中の家よりも、その敷地が格段に広い。家の前でもこれだけの広い敷地があるのに、家の後方には更に裏庭がある。裏といっても日当たりは好く、前庭よりも更に広い。

手入れをする者もいないというのに、庭の花壇には花が綺麗に咲いていた。恐らく毎年咲く種類の花であろう。
ノリコは前庭を暫し眺めてから、通路を通り裏の方へと行ってみた。庭の脇には大木が幾つも植わっていて、緑の葉が未だその衰えを見せず生い茂る。その奥は林になっていた。木陰もまた、暑い日には心地良さの回復に役立つことだろう。
一本の大木に近づき、その幹に触れた。立派な幹だ。さやさやと流れ吹く風に枝葉も揺れる。目を瞑り、その音を聴く。

不意に、聞こえてきた静かな水音にノリコは目を開けた。庭を囲むようにして生えている木々の裏の方を覗くと、そこには小川が流れていた。清水を湛えており、川べりを覗けばそこには野性の木苺だろうか、食べられそうな実をつけた植物が見えた。
屈んでそれを見ていたノリコだったが、イザークの気配に、振り返りながら立ち上がる。

「・・・あまり身を乗り出すと、川に落ちるぞ?」

クスリと微笑いながら近づく。それには恥ずかしげに微笑を浮かべ応えた。

「川まであるとは思わなかったから・・・ 実の成っている植物も見つけたのよ」
「そうか・・」

「気持ちのいい庭だな。・・・後ろに林が続いているとは・・ いい風が吹く・・」
「ホントだね・・・ 凄く気持ちがいい・・」

二人は暫し風を受け、川のせせらぎ、そして、揺れ擦れる枝葉の音を聴いた。


「ノリコぉー」

呼ばれてノリコもイザークも振り返る。家の玄関の戸口からニーニャが顔を覗かせていた。

「外もいいけど、家の中も見てみない?」
「あ、はぁーい」

片目を瞑りにこやかに話すニーニャに、ノリコは微笑いながら応えた。

中に入ると、とても感じの良い出窓がすぐに目についた。それは外からの採光を充分に確保出来るもので、居間の雰囲気を格段に良く仕立てていた。そしてやはり女性が暮らしていた佇まいらしく、部屋の中にも雰囲気の良い色合いが伺える。小洒落たテーブルはあるが、窓の際に置いていそうな長椅子がない。
正確には、そこに長椅子が置いてあった家具の足跡が名残りとして残っている。

「長椅子がここにあったのだけど、あまりに古い物で痛みも酷くて・・・処分させたのよ」
「そうですか・・・」

「まあ、家具の類なら幾らでも新調出来る。何なら手伝うぜ?」

カイザックの言葉にニーニャもノリコも微笑う。まるでもうこの家に決めてしまうと踏んでいるかのようだ。
だがノリコの気持ちは、この時点で既に八割方決まっているようなものだった。

続く食堂に入る。テーブルは置いてあるが、これも直しあるいは新調が必要に思えた。こちら側にも居間よりは幾分小さめだが窓があり、朝の光を望めそうだ。窓からは庭の大木が見える。さっきは庭や木々に気を取られ気づかずにいたが、母屋から少し離れた位置に小屋が立っている。物置小屋とは違う。

「あの小屋はなんですか?」
「お風呂よ。厨房横の勝手口から出て行けるわ」

ノリコの問いにニーニャはすかさず答える。
そして厨房も覗いてみた。使い込まれているのは解かったが、綺麗に掃除が行き届いている。つくづく前の使い手の丁寧な仕事振りが窺えた。

厨房には勝手口があり、裏の庭にも容易に出られ、そしてニーニャが言うように風呂場までもすぐに行けるようになっていた。しかし一旦外に出なくてはならず、涼しい夜には湯冷めする。イザークは母屋と風呂場との間を何度も見、なにやら距離を測っているようだった。そして、

「・・・なんとかなりそうだ」

ノリコに微笑みながら、そう呟いた。その他にも彼は家の中の壁や柱などあちこちに触れ、造りと強度を確かめていた。

二階には寝室に使えそうなやや大きめの部屋と、若干小ぶりの部屋があった。そして一階の居間横には客間に使えそうな部屋が一間あり、これらを合わせると、二人で暮らすには充分だと思えた。
二階の寝室の窓からノリコは外を眺める。寝室の窓は三箇所にあり、こちらも日当たり良好となりそうだ。そして先ほどの大きな木が見えた。小川の流れもここからだとはっきり見える。

心が和んだ。子どもの時に読んだ童話に出てくる家の様子と、ここはよく似ている。
そんな事をノリコは思い出していた。不思議なものだと感じる。あの時に憧れ、大人になったらこんな家に住みたいなと、そう思わせた家・・・

前の住人がとても大切に使っていた為、家の中は本当に綺麗だった。


「・・・どうする? ノリコ」

後ろからイザークが近づき、肩に手を掛ける。

「イザーク・・・うん、凄くいいなと思ってる・・・」
「そうか、ノリコが気に入ったのなら、決めるか?」
「・・・・うん・・・」

肯定の返事をしたにも関わらず、彼女は何かを考えている様子だった。

「どうした、何か気になるのか?」

イザークの問いに、ノリコはふと顔を上げ、彼を見つめる。そしてまた視線を落とし、窓に向く。

「・・・うん・・あのね・・・、前にここの住人だった、ティラさん・・・」
「・・・ああ・・」
「・・・幸せだったのかな・・・って・・・」
「ノリコ・・・?」

「旦那さんを亡くされて、独りで・・・・・そして去年亡くなられて・・・ ティラさんは最期を幸せな気持ちで全う出来
 たのかな・・・って、そう思って・・・」
「そうか・・・」
「この家には幸せがいっぱい詰まっている。そんな気がする。大切に使われた家、綺麗に咲いている花々、緑豊
 かな木、そして小川のせせらぎ・・・」
「ああ・・・」
「家には住む人の念が残ると聞いた事があるの。もし辛い気持ちで最期を迎えたのなら、この家は悲し過ぎる。
 でも、もし幸せな気持ちで旅立てたのなら・・・、」
「きっと・・・ティラさんの幸せな思いが、この家にも残っているんじゃないかな・・・」
「そうかもしれんな・・」

「昔読んだ絵本にね、出てくる家と・・・ここはとてもよく似ているの。庭の花々、緑、大きな木、それから小川。
 ・・・違うのは、絵本の家は木造だって事だけかな・・・ふふふ」
「・・・ああ、ここは母屋には漆喰を固めたような建築物や、石造りが多いからな・・」
「うん。そしてね、あたしその家に凄く憧れてたの。大きくなったら、こんな家に住みたいなって・・・夢を見てたわ」

自分を見上げ笑顔で話すノリコに、イザークも微笑みかける。

「痛んでいる箇所を直して、補強をしっかりすれば、充分に暮らしていけるな」
「・・・イザーク・・?」
「ここに決めるか?」
「いいの?」
「勿論だ。おまえが気に入ったところならば、俺にとってもな・・」
「イザーク、・・・有難う」

肩を抱き寄せる。そしてノリコも彼の胸に嬉しそうに凭れた。そして暫くの間、窓から望める景観を堪能した。



「とてもね、安らかな笑顔だったのよ、彼女・・・。最期を看取った人から聞いた話だけどね、『こんな幸せな事はな
 い。やっとあの人の許に行ける』って・・・『胸を張ってあの人の許に行けるんだ』って・・・穏やかな笑顔だったそう
 よ・・」

ニーニャからその話を聞き、暫し言葉も出せず、ノリコは、はぁーー・・・っと長く息を吐いた。
そして程なく彼女の目に涙が滲み、流れ落ちたその雫はイザークとカイザックをギョッとさせた。
半ばおろおろしながら「どうした?」と訊くイザークに、ノリコは涙を手で拭い、笑顔でこう言った。

「なんだか、嬉しくて・・・やっぱりこの家には幸せが詰まってる・・・ この家の幸せを引き継いで行けるんだって
 思ったら・・・ 嬉しくて・・・――――」

言いながらまた目から雫が流れる。

「ノリコ・・・」


カイザックはニーニャの肩に手をポンと置き、

「じゃあ、俺達は馬のところで待ってるからな。・・・戻ってからまた忙しくなるぜ?・・覚悟しとけよ」

ニヤリとそう言うと、二人で外に出て行った。


彼らを目で見送り、イザークはノリコの肩に手を添え、抱き寄せる。彼女の身体は腕の中にすっぽり包まれた。

「この家でおまえと、幸せな時を刻んでいけたらいいな・・・」
「・・・イザーク・・ うん・・嬉しい・・・」


幸せな時を、二人の新たな時を、この世界で、この家で・・・・――――――


・・・――――――



そうして決めたのが、この家である。

・・・目を閉じる。ふぅーーっとまた、息をついた。


「どうしたノリコ、ため息なんかついて。しかも顔が赤いぞ?」

その声にハッとして、いきなりノリコは現実に引き戻される。

「バラゴさん・・・?」
「考え事か?・・・しかも、顔が赤くなるようなっ」
「えっ、えっ・・・」

慌ててノリコは顔に手を当てる。バラゴに指摘されてるように赤いから熱いのか、それともそう指摘されたから赤くなって熱いのか、とにかく顔が火照った。

「もおっバラゴさんったら、からかってばっかりーー!! も、そんなんじゃないのにぃーーー!!!」

真っ赤になって恥ずかしがるノリコの抗議の声と、バラゴの笑い声が響き渡る。


「も、バラゴさんに差し入れ上げないからっ。イザークとアゴルさんとで食べて貰いますっ!!」

ビシっと人差し指を突き出して、ノリコは更に抗議した。これには流石のバラゴも慌て、

「あっいや、すまんっ。悪気はないんだぜ、ノリコ。頼む。すまん、この通りだっ」

両手を合わせ、謝る仕草を見せる。それでも、さながら仁王立ちのノリコはぷんと膨れて口も利かない。


「ノリコは怒らせると実は恐い。バラゴも用心するんだな」

いつの間にそこにいたのか、バラゴの背後に立ちしれっとしてそう彼に告げた後、イザークはくっと笑う。
この世を破壊し尽せる力を持つほどの彼が、ノリコに敵わない筈では勿論ない。精神論を言っているのだ。
イザークはノリコに全面的忠誠 --但し、ノリコの危機に際しては例外あり-- を誓っているのであり、つまりは彼女に弱い。怒った彼女にも、泣いた彼女にも然りだ。
もっとも、ノリコがイザークに怒りを顕にするという事は皆無に等しいが・・・・

「ああ、全くだぜ。危うく俺の昼飯が空気に代わるところだ・・・ノリコ赦してくれ。すまん、この通りだっ、なっ」

知らない人間などがこの光景を見たら、こんな屈強そうな男が女性の前で手を擦り合わせる図など、なんとも情けなく映ることだろう。ノリコは散々謝り赦しを請うバラゴを見かね、長いため息を吐いた後、ようやく首を縦に振り彼を赦すに至った。

バラゴが後にありつけた昼飯でノリコに感謝したのは、言うまでもない。





宜しければ足跡代わりに…→ web拍手
ご感想・ご意見などにご利用ください♪→Mailform


禊まで書けなかった…orz
ノリコの禊のシーンは次回でお願いします。

二人の家をいろいろ妄想し、どんな感じで決めていったのかなぁ〜と
これまたあれこれ考えました。「君につなぐ想い」を書き溜めていた時に
なんとなく頭の中で思い浮かんでいたものを今回具体的に描写。
ありきたりなエピソードかもしれませんが、女の子の夢って結構こんな感じ?
・・・と、まあ自分の若かりし頃の夢も多分に含まれてますが
そこは何卒、脳内妄想という事で…宜しくお願いします。

で、毎回大体このくらいのテキスト量になりそうです。
少なめにして引き伸ばすか、一気に書き上げてアップしてしまうか…
後者の方が良いかと思いまして…
一回のテキスト量が多くて、疲れてしまうかもしれないですが
懲りずにどうかお付き合いくださると嬉しいです。

夢霧 拝(06.09.06)
--素材提供『空色地図』様--

Back  Side1 top  Next