天上より注ぎし至上の光 〜 Love Supreme 〜 5




二頭の馬が連なり森への道を駆けていた。
前方の馬にはニーニャが、そして後方の馬にはイザークとノリコが乗っている。

ガイアスの泉の洞窟がある森までは馬で行ける。但し森の入り口までという条件付だ。その先へは徒歩で行かねばならない。 だが、特別危険のある森ではない。唯、迷い易い。森は存外深く、洞窟までは熟知している人間でなければ到底辿り着くのは無理だろう。 それほどに迷い易いのだ。水先案内人のニーニャでさえ、慣れない内は迷いそうになったという。

前方を駆けるニーニャの馬が速度を落とす。

「さあ着いたわ。ここで馬を降りて、森の中へは歩いて行くの」

後ろの二人にそう告げ、馬の歩を停めるとさっと降りるニーニャ。傍の大木に馬の紐をくくりつける。
イザークも馬を停め、自分はひらりと難なく降り、ノリコに手を貸し降ろした。

「じゃあ、悪いけどイザークはここまでね。この森は昔から男の人を嫌うの」
「ああ。そうらしいな・・・」

ノリコの背に手を添えたままその言葉に頷き、イザークは眼前に広がる深き森へ視線を移す。


――男を嫌う森・・・ 先ほどから森に近づくにつれて感じていた、刺さるような気。
危険のない森だと言うが、中から漂うこの気配は何だ・・・・・・
・・・・いや、この気・・・何処か自分が持つものと似ている。ノリコを護ろうとする時のそれと・・・
悪意のある気配ではない。むしろ、森全体が一つの結界のようになって、泉に抱かれる者を護ろうとするような・・・


「そう。女性にとってはね、何の危険もないのよ。この森は女性を守る森なの。その代わり男性にとっては危険が
 いっぱいよ。まず間違いなく迷うわ。ううん、迷わされると言った方が正しいかも。だから男子禁制なの」

「・・・迷わされる森か」

やや感慨深げな顔になる。相変わらず森から視線は外さない。

「ふふ、不思議な森でしょう? 何故この森がそうなのかは誰も解からない・・・でも昔からそうなのよね」
「なるほど、それで心配無用という訳か」

ふ・・と自嘲する。 ―――やはり過ぎたる心配であったか・・・

「そういう事。じゃ、ノリコいい? 行くわよ」
「はぃニーニャさん。・・・じゃあイザーク、行ってくるね。ここまで有難う」
「ああ・・・ぁ、ノリコ」
「え?」

問うように見上げるノリコの耳元に、すっと唇を近付ける。

「・・・森の中で転ぶなよ?」

そう耳打ちしニヤッと笑うイザークに、ノリコは赤くなった。

「もぉ、そんなにおっちょこちょいじゃないわよ〜」

一応は抗議の形を示すものの、顔はそれほど怒っていない。恥ずかしげに赤くなりながらも苦笑している。
イザークも笑顔を返した。


イザークに手を振り、ノリコはニーニャと共に森の中へと入って行った。二人の姿がその視界から消えるまで見届け、 ノリコが纏う穏やかなその変わらぬ気配を感じつつイザークは再び馬に跨る。そして街へと翻す。

最初はノリコが戻るまで、ここで待っていても構わぬつもりでいた。・・・しかし、

「無駄無駄、時間の無駄よっ」

と、あえなく一蹴される。その分を家作りに充てた方が余程利口だと、ニーニャは笑ったのだ。

今のイザークの人生、その全てはノリコ中心で成り立っている・・・と、明言するならば、恐らく彼をよく知る者全ては間違いなく首を縦に振るだろう。つまり彼にとってはそれが自然な事の運びであり、ノリコが戻るまで待つ事にも何ら苦を感じない。仮にそこで一年中待てと言われたなら、たとえこの世が戦で満ち破滅へ至る事になるとしても、彼は喜んで諾と言い、待ち続けるだろう。その為に他の目に呆れて映ろうが、決して憚る事はない。
ノリコと共に生きる、彼女こそ我が命と定めてからのイザークとはそういう男だ。

そのイザークでさえ二の句が継げなかった。いや、元より反論する気もなかったのだろう。ほんの少しの沈黙の後、なるほどそうか・・・と自嘲しただけだ。・・・・・・結果、イザーク自身がこうもあっさりと負けを認めた相手の中に、また一人、ニーニャという人間も加わった事になる。

確かにニーニャの言う事は尤もだ。実際ここまでノリコを送って来る事で、バラゴとアゴルに作業を任せて来てしまっている。あの二人に送って行ってやれよと、ニヤニヤしながら言われた所為もあるが、何よりもノリコが入るその森をこの目で確かめたいという思惑があったのだ。

その目的の半分は達成された。半分だがそれで充分だ。森はノリコにとって危険ではない。彼女の安全が保証されたならば、森の中まで入れずともそれで充分なのだ。
帰りはノリコはニーニャの馬に同乗し戻ってくる事になっている。そしてニーニャも賢い女性だ。ノリコの身の安全は心得ているだろう。心配の種がなくなれば、バラゴやアゴルの厚意に長く甘えている理由もない。やはり家に戻り、完成を急ぐのが賢明というものだろう。イザークは納得し、自宅への道を急いだ。

・・・そして、・・・案の定と言うべきか、戻って来たイザークにバラゴはすかさずこう言うのを憚らなかった。

「意外に早かったんだな。てっきり俺は、おまえもノリコと一緒に森の中へ入って行ったもんだと思ってたぜ?」

これにはイザークも苦笑が漏れた。アゴルもまた同じように笑いを漏らした。
バラゴの台詞には、すかさず薄い笑いと若干の冷ややかな視線を込めて返す。

「そうしたかったが森に殺される」
「ああ?」

だが、イザークが何の事を言っているのかバラゴにはやはり理解出来なかったようだ。無理もない。

森が自分の敵に回る―――!? 思えば白霧の森での一件以来だ。もっともあの時は魔物が介入していたが。
・・・いずれにしても、男にとっては背筋も凍る話・・・なのかもしれない。

「おぃ、何の話なんだ?」

と、そんな疑問符を外せないバラゴを他所に、微笑いながらイザークは己が根城作りに勤しんだ。






「結構奥まで進んで行くんですね・・」

半時ほど森を進んだだろうか。陽の光が木々の緑に注ぎ、気持ちはとても爽やかだった。

「ええ。でももうすぐよ、そろそろ見えてくるわ」

疲れた?、いいえ・・・と互いに声を掛けながら、そこは女性らしく微笑いも交え、まるでピクニック感覚のように歩く。
更に進んで行くと一際鬱蒼とした部分があり、その先に洞窟の入り口らしきものが見えた。
外から伺った限りでは、洞窟の中は暗くてよく解からない。何やら恐そうな感じさえした。

「この奥に泉があるのよ」

言いながらニーニャはスタスタと洞窟内に進んでいく。ノリコも後に随った。中に入ってみると、先ほど外から伺った時に感じた恐い印象は、実は誤りであった事がすぐに解かった。通路のようなところを進むと、行き着いた最奥はとても広い空間となっており、しかも・・・

「・・・蒼い・・・どうして?」

疑問と感嘆とが入り混じったような声が、その口から漏れた。

ノリコが驚くのも無理はない。中は本当に蒼く輝く不思議な空間となっていたのだ。天井の穴から射し込む幾筋もの光を受け煌き揺れる水面の様が壁に映り、その壁までが蒼く揺らめいて見える。洞窟の壁には苔がたくさん生えておりしかもその苔は蒼く、それが洞窟内を蒼く見せる要因ともなっていた。その眺めは、知らず背に震えが走るほどに荘厳なるものを感じさせた。

ニーニャは微笑って天面を指差す。

「上を見て、ノリコ。この洞窟は天井があんな風にぽっかりと開いていて、あの大きな穴と他の小さな穴から陽の
 光が射し込んで来るの。それが泉の水に当たって、この不思議な蒼い色を作り出しているのよ。ほら見て、
 水面の波紋が壁全体に映って、模様のように見えているでしょう?」

「本当・・・キレイ・・・」

言われるままに壁に近寄ってみた。確かに蒼の苔が壁に生えている。

「蒼の・・苔・・・」

樹海の金の寝床を思い出す・・・ あそこにある金色の苔といい、ここの蒼色の苔といい、なんとこの世界は不思議な物で満ち溢れているのだろうか。そしてその思いは、泉に近付いてみると更に顕著になった。水の色が蒼く見え、深い底まで見通せるほど透明度が高い。ここでも吸い込まれるように見入ってしまう。

「綺麗でしょう? ここはいつも清水が湧き出ていて泉の水自体が綺麗なの。でも不思議と冷たくないのよ。
 だからこんな時期でも、それほど辛くはない筈よ」

「・・・・・・・・」

水の中に手を入れてみた。こんなに綺麗な水なのに、確かに冷たくはない。かといって、温泉のように温かい訳でもなかった。ノリコの世界で言えば、温水プールのそれよりも若干温めというところだろうか・・・ 暫くその水を眺めていた。


「じゃあ、着ているものを外してくれる? そろそろ陽が一番高くなる刻限だわ」
「・・・あ、はぃ」

ニーニャに促され、ノリコは着ている物を外していった。それをきちんと畳み、傍の岩の上に置く。
その身に一糸纏わぬ姿になると、洞窟内を流れる空気が流石に少しだけ涼しいだろうか・・・
胸と秘所を手で覆い、ゆっくりと立ち上がる。ノリコの長く伸びた髪は背の腰近くまでを覆っていたが、それ以外に覗く肌が蒼の空間に白くそして美しく映えた。

「綺麗よ、ノリコ」

ニーニャの言葉に、ノリコはほんのり頬を赤らめ微笑う。外での裸は露天風呂に入る時ぐらいなものだ。女同士だとはいえ、そこはやはり若干の羞恥に駆られてしまう。

「ゆっくりでいいから、入って行って・・・ 中央に向けて深くなってるの。あなたの背の二倍以上は深さがあるから
 気を付けてね。頭まで身を沈めて、そして己の全てを開放するような気持ちでね」
「・・・全てを・・開放?」
「そ。身を沈めてみれば、すぐに解かるわ」

言われた言葉に頷き、蒼く輝く泉に足からゆっくりと入って行く。

パシャン―――― ゆるい水音が響く。

「泉の水に浸かるとね、反って身体が綺麗になること請け合いよ。ふふふ」

微笑みを返しつつ腰まで浸かる。自分が入った事で水面に波紋が広がる。冷たさは感じなかった。 それに何やらトロリと身体に纏わるようで、腕で水を掻き掌で掬うと、ツーっと流れる水が肌にとても心地良い。水に触れた後の肌が、言われた通りしっとり滑らかな肌触りとなっていた。


――これは・・・ 凄い・・不思議な水・・


見上げると射し込む陽の光にノリコは眩しげに目を細める。
天面に伸びている緑の葉と光とが融合し、それはとても美しく見えた。

瞳を閉じ、その光を全身で受けるかのように佇む。――――自然、深い呼吸となる。
そして再び目を開けると、更に泉の中心に向かい、足元に気を付けながら進んでいった。
段々と底が深くなってゆく。

ポチャン――――

水を撥ねる音が空間に響き渡る以外には、余計な音は殆どしない。
森に鳥の鳴き声がしそうなものだが、時折吹く風に木々の葉の擦れ合う音が僅かに聞こえて来るだけだ。

そして深く息を吸い、ノリコは水に潜るように身を投じる。一際大きな水音が洞窟内に響く。

コポコポ・・・ コポコポ・・・―――― 耳に感じる、水の揺らめく音・・・

目を閉じなくても痛みは感じない。むしろ水の中の更に綺麗な光景に魅了される。
揺らめき光る水・・・ そして神秘的な眺めがそこには広がり・・・
その恵み全てを受けるかのようにノリコは身体の力を抜き、抗うことなく身を任せた。

長い髪が揺らめき、ゆっくりと身体が沈む・・・

その間にも天上から注ぐ光が、ノリコの元まで届く。それがとても心地良い・・・


――・・・落ち着く・・・ 何でこんなに安心出来るんだろう・・・
  そう・・・まるで、母親の胎内にいるみたい・・・ 覚えている筈はないのに・・・何となくそう感じる・・・

  ・・・この感じ、ああ・・似ている・・・ なんだか、イザークの腕の中にいる時と一緒・・・
  凄く安心出来るの・・・ とても心地良くて・・・ ああ・・・ イザー・・・ク…

  不思議・・・ 何故だろう・・・こんなに長い間、呼吸を止めてるのに・・・ 苦しくない・・・…


コポコポ・・・ コポコポ・・・


淡い光の輪のような球体がノリコを包んでゆく・・・―――――
水が一段とその輝きを増した――――




ニーニャはずっと水面に視線を向けていた。だが泉から発せられた一際蒼い煌きに、一瞬驚きの表情を見せる。

「ぇ・・・・ノリコっ・・」


ザバァァーー――――ッ!!! 大きな水音と共に水面にノリコが姿を現す。

「はぁ〜・・・―――― はぁ、はぁ・・・」

水が額から顔、そして首へと伝う。
何度も大きく呼吸をしながら、ノリコは再度天面の陽の光を仰ぎ見た。

頬を伝うものは、泉の水だけではない・・・
瞳の端に生まれ流れる温かい雫――― それもまた光を受けて煌いた。
瞳を閉じ、ゆっくりと息を吐く。身体中を駆け巡る痺れるような感覚。

感動に、唇が震えた・・・


「大丈夫? ノリコ、上がって来ていいわよっ」

ニーニャの呼び掛けにノリコはふっと気付く。僅かに振り返り頷いてから、岸近くまで泳いで来る。
ゆっくりと水から上がったノリコの裸体を、水が伝い滴り落ちる。
それがまた陽の光を受けキラキラと輝き、さながら絵のように美しい。

ニーニャから大きな布を受け取り、ノリコはそれを顔に当てた。ふぅーっと、一つ大きく息が吐かれる。
濡れた髪からも水は絶えず滴り落ち、足元の岩を濡らしている。

「・・・・・」

暫しノリコの姿に心を奪われる・・・ 何故だろう・・・
ニーニャは水から上がって来たノリコを美しいと感じずにはいられなかった。

だが、それを敢えて口にする事はないが・・・

「お疲れ様。どう? 泉の水を体験した感想は」

呼吸を調えつつノリコはニーニャに視線を向け、頷いた。

「素晴らしい体験でした。凄く心が落ち着く感じがして・・・」
「心と身体を開放って意味、すぐに解かったでしょ?」
「ええ。それに水がとても柔らかくて、肌に纏わる感じがして・・・とても気持ちが良くて・・・」
「そうなの。とにかく不思議な水なのよね。・・・ここで七度の禊を終えて、身も心も綺麗になって女性は嫁ぐのよ」

滴る水分を布で拭き取りながら、ノリコは頷いた。

本当に不思議な水だと感じる。母親の胎内にいるかのようなあの感覚・・・ そして心地良い水の感触・・・
身を清めるという意味も、理解に難くなかった。

「それにね、この水は良い子を授かるのにもいいのよ。そしてお産も幾分軽くなるんですってっ」
「え・・・ ぁ、赤ちゃん・・?」

子が授かり易いと聞いて、ノリコは頬を赤らめる。別におかしな意味ではないのに、やけに鼓動が早鐘を打った。
だが、確かにここの水は心穏やかにさせる。精神的にもきっと良い作用をもたらすのだろう。そういうメンタル面での話は、ノリコの世界であれば幾らでも説明がつく。だがこの世界ではそういうのは、やはり人知を超えた不思議な現象なのであろう。・・・実際ここの水は本当に不思議で、解明しろと言われても難しい話だ。

「この泉の水はバラチナのあちこちに湧き水として出ていてね、多分地下深くを流れてて繋がっているんだわ。
 この花の町の泉が一番大きくて、だから全身を浸す禊はここでしか出来ないけれど、頭から水を垂らす形式的
 な禊なら国内の何処でも可能なの」
「そうなんですか・・」
「ええ。でもねぇ、やっぱり全身で水を体験出来るここの泉は貴重よ。それを体験した者にしか解からない、
 素晴らしい喜びだわ」

やや大げさに身振りを交えながら笑顔で語るニーニャ。さながら演説しているかのようだ。
ノリコもまた笑顔で、そして感心しながら頷いた。

「だけど悲しいかな、人生の内でたったの七日間だけしか、ここの水に浸かる事が出来ないのよ。うーん、残念。
 許されるのなら何度でも浸かりたい気分よ。だって、ここの水は肌にとってもいいんですもの。花の町で挙式した
 女性は、み〜んなキレイでしょ?」

自分自身をも指差しながらおどけて語るニーニャに、今度は思わず噴出してしまう。

「但し例外はあって、それは子を授かった時。・・・もっとも泉に浸かれるんじゃなくて、泉の水を使うんだけどね。
 身体を清めたり、産湯に使ったり・・・ 女にとってお産は一大事だから、特に落ち着くのが大切なんだーって
 ウチの母がよく言ってるのよ」

とニーニャも説明しながら微笑う。


帯をきゅっと巻き終え、ノリコは着替えを終えた。

「じゃ、戻りましょうか? ノリコ」
「はぃ、ニーニャさん」

にこりと微笑うニーニャに、ノリコもまた笑顔で応えた。






その晩ノリコは、今日のこの禊の話をイザークに嬉々として語った。
余程嬉しい体験だったのだろう・・・それがよく解かる。
瞳を輝かせ身振りも交えて話してくれるノリコを見つめ、イザークはそう感じた。

「途中、おまえの思念を感じたよ」
「ぇ・・・ やだ、あたしまた、あなたを呼んじゃった?」

その言葉に、イザークはふっと微笑う。

「いや。確かに俺を呼ぶ声は聞こえたが、危険でないのはすぐに判った。とても穏やかな思念だったからな・・」
「イザーク・・・ぁ・・」

水の中を漂っている時だ・・・ 咄嗟にそう感じた。
イザークの腕の中にいるような安心感・・・ それを感じた時に・・・彼の事を想い・・・
そして、とても心地良い気分になって・・・
それが、彼に思念として伝わってしまったんだ・・・

「素晴らしい体験だったんだな」
「・・・う・・ん・・」

「凄くキレイだった。本当に神秘的で、いつまでも眺めていたいくらい素敵で・・・」
「そうか」

「あんなに素敵なのに男の人は見れないなんて、何だか申し訳ないわ・・・イザークにも見て欲しかったな・・・」

視線を宙に泳がせ洞窟の光景を思い出しながらそう呟くノリコに、一瞬目を丸くする。

「・・・え・・」

当然の成り行きで聞き返してしまった。・・・顔までが若干赤くなる。
一方ノリコはノリコで、イザークが真顔で自分を凝視している事で、ようやく自分が誤解を受けるような発言をしていたのだと気付いた。こっちの方はみるみる顔が赤くなる。

「あ、あのねっ、えとえと・・違うのっ。景色がね、凄くキレイで、素晴らしくて・・・あの、あの・・・だからぁ、その・・・」

慌てて両手を振り弁解するも、しどろもどろで・・・と、そんな姿が酷く滑稽で、尚且つ非常に愛らしく・・・

「くっ・・くくくく・・・・・はっ !」

笑ってしまった。

彼女は一生懸命だ。それは弁解に於いても然り。考えてみれば別段誤解するような事でもないのだが、こうも説明するのに懸命なノリコを見ていると、可愛くて可笑しくて・・・ つい、笑えてしまう。
一生懸命な彼女が好きだ。こればかりは隠せない感情で、どうしようもない。
ノリコと出会うまでは、持ち得なかった感情だ。・・・しかし、今は己の感情も素直に表す事が出来る。
そんな自分の内面を引き出させてくれたノリコの存在を愛おしいと想う気持ちもまた、留まるところを知らなくて・・・

だが、案の定・・・

「イザーク、あーまた笑ったぁー ! もぉ〜っ」

笑われた方は大いに膨れた。感動が一変、茶番となる。更には、笑われてひたすらバツが悪い。
だがそれ以上言葉が続かずに、上目遣いでやや恨みがましく自分を見つめ頬を膨らませているその可愛い存在を、イザークは微笑いながら手元に引き寄せ、腕の中に包み込む。

「すまん、笑って悪かった」

こうして謝るのも、彼にとっては自然な事だ。喧嘩になるよりは自分が折れた方が得策だと思える。その点で男というのは懐が寛大な生き物なのだろう。元より喧嘩をしようとも思わぬが、ノリコを長いこと不快な気分にさせている事の方が彼には不本意なのだ。

腕の中でノリコは赤くなりながらじっと黙っている。怒らせてしまったのか? と、若干の危惧が生じる。
おおよそ愛想などとは無縁の人生を送って来たのだ。上手く治める事など下手以下だ。
そして、焦れば焦るほど上手く行かないのも世の常だ。拙かったかと心持ち心配しつつ、その顔を覗き込んだ。

「・・・怒ったのか?」

ピクリ・・・ という反応が返って来た。肩が一瞬震えたのだ。その後ノリコはふるふると首を横に振った。
その仕草にイザークはホッとする。ノリコは少しだけ身体を離し、それでも顔は上げられず、尚その顔は赤く・・・

「・・・でもね・・・イザークにも、見て欲しかったよ・・」
「ノリコ・・・」
「・・・だって、本当に素敵な場所だもの・・・水も蒼くて澄んでて、とても・・キレイで・・・」
「そうか」

「・・・一緒・・・に」
「ん?」

「・・・二人で、一緒に・・・水浴び出来たら・・・いいのになって・・・思ったの・・・」

「・・・・・・え?」

今度こそノリコの言葉に驚いた。顔を覗き込む。だが、彼女の表情は先ほどまでの慌てていたそれとは違う。

「勿論、あの泉では無理だけど・・・ でも、それくらい安心出来たの、水の中で・・・ まるで、今みたいに・・・」
「ぇ、今・・?」
「・・・うん・・、イザークの腕の中って、一番安心出来るんだもの・・・ 泉の中の感じが似てたの・・・とても心地良い
 気分になれたの・・・ だから、一緒だったら・・・ きっと、もっと・・・素敵だろうな・・って・・・」
「・・・ノリコ」

「えっとね、真面目な気持ち・・・ ホントに綺麗な所だけど、一人でだと・・・やっぱり詰まんないかなって・・・
 ・・・もし綺麗な泉があったら・・・ 一緒に・・・ 水浴びしたいな・・・って・・」

俯き気味のその顔は相変わらず赤いが、微かに笑みも浮かべていて・・・

「・・・ノリコっ」

返事を返すよりも、その身体を抱きしめていた。彼女の髪から立ち上る良い香りが鼻孔をくすぐり、 それが眩暈にも似た感覚を引き起こし、心臓までがまるでそれに合わせるかのように早鐘を打つ。

「・・・イザー・・ク・・」

腕の中のノリコが、小さく呟く・・・

たった一度禊で泉に入っただけだというのに、ノリコは眩しいほどに綺麗だ・・・
彼女の事を愛おしく想っているのだから、余計にそう感じるのかもしれない。
だがそれを割り引いたとしても、やはりノリコは綺麗になった・・・

もうすぐこの彼女が、自分だけのものになる・・・
未だにそれが信じ難く、そして、こんなに近くにいるのに、切なくなるほどにもどかしく・・・

ノリコを誰にも見せたくない・・・ ずっと自分の腕の中に大切に仕舞っておきたい・・・
そんな感情が後から後から留まることなく湧いて来て、我ながら呆れ返るほどだった・・・


二人で一緒に水浴びするのがどういう事なのか、ちゃんと解かっているのだろうか・・・
いや、禊を経験したのだから、きっと解かってはいるのだろう。それでも・・・・

ややもって複雑な思いも混じる。勿論ノリコと一緒に水浴び出来るなら嬉しい・・・
だが、男子禁制の場所なんてそうそうあるものでもない。ならば当然男だって現れるかもしれない・・・
人に知れている場所では、とてもそんな事などさせられない。

誰か他の男に彼女の肌を見られる―――― そんな恐ろしい考えが一瞬脳裏に浮かび、眉を顰めた。
当然ながら、そんな考えなどすぐに意識の中より消し去った。
ノリコはこの種の科白を決してふざけて言う事はない・・・ これは彼女の素直な気持ちに違いないのだろう。


「・・・そうだな・・・もっと気候のいい時にでも・・・一緒に出来たらいいな・・・」

何とか頭の中を整理して、やっと言葉にした。
腕の中の存在を慈しむように、その抱きしめる手に力が篭る。

「だが、昼間はダメだ。何処に男の目があるか解からん。そういう心配のない場所でなら・・・」

その言葉に顔を上げたノリコは、イザークをじっと見つめ笑顔で頷いた。
・・・その笑顔が、愛らしくて・・・心臓がまた跳ねる。だが、努めて平静さを装った。

「本当に・・綺麗になったな・・ おまえは・・」
「え・・?」

少しだけ驚いて自分を見つめる彼女に、目を細めた。


愛らしいその唇に、そっと自分の唇を重ねる・・・ ノリコの肩がピクリと震えた・・・―――――


七度の禊を終えたら、ノリコは何処まで綺麗になっているのだろう・・・
それが自分との婚礼の為というのが、この上なく嬉しい・・・
だが、これ以上綺麗になってくれるな・・・とそんな思いも同時に湧いて来て、また自分に呆れる。

呆れるが・・・ それでもやはり思う、離したくないと・・・ 決して、誰にも奪われたくないと・・・


名残り惜しみつつ、唇を離す・・・

恥ずかしげに頬を染めたまま、ノリコはイザークの胸に顔を埋める。
心臓の鼓動の音が、トクン、トクン・・・と聞こえてくる。

ノリコにとって、イザークと一緒にいられるのなら、それで一番安心出来るのだ。
たとえその場所が何処であろうと、それは変わらない・・・

彼から伝わって来る鼓動・・・ それが、とても心地良かった。





そして、今日の話をニーニャもまたカイザックに話していた。

「驚いちゃったわ、カイザック」
「んー、何がだ?」
「今まで婚礼直前の女性を何人もあの泉へと案内したけど、今回みたいに水の輝きが増したのは初めてよ」
「陽の光の所為じゃないのか? あそこは陽が射し込むんだろ? そう話していたじゃないか・・」
「んー・・・でもその所為だけではなさそうなのよね。天井から射し込む光の量は変わらなかったし、だってノリコが
 水に入ってからよ? こんな体験あたしも初めてだわ・・・」

腕を組みながら、ニーニャは感慨深げにそう話す。

「ノリコだからか・・・?」

ニヤリとするカイザック、ニーニャと視線が交じり合う。

「そうなのかなァ・・ んー、そうね、そうかもしれない。ノリコが一番長く水に浸かっていたもの。
 よく息が続くもんだって、心配したくらいよ・・」
「ほぉ〜・・・ で、あと六度残っているのか・・・」
「ええ」
「森はノリコを拒絶しなかったんだろ?」
「え?・・えぇ、勿論・・」

「・・・なるほどな」
「カイザック?」
「・・・あ、いや・・」

身を預けていた長椅子に、改めて座り直す。

「【目覚め】だからかな・・・」

おもむろに呟いた。その表情は何かを考えているような感じだ。

「【目覚め】・・・」

ニーニャの表情にもまた感慨深げな色が表れていた。荘厳なる光景を垣間見たような・・・そんな気さえ起きる。

「そう・・・ それにね・・・綺麗だったのよ、彼女・・・凄く」
「・・・・え?」

ニーニャのポツリと漏らした言葉に、カイザックは耳を傾ける。

「婚礼前の女性は皆何処かしら輝いているけど、ノリコには他の人とは違う、何か特別なものを感じたわ・・・
 水から上がった彼女・・・ 女のあたしでさえ見とれてしまったほどよ、とても綺麗だったわ・・・」
「ほぉ〜・・・」

「やはり【目覚め】か・・・ひょっとしたら、森は【目覚め】を解かっているのかもしれないぜ?」
「・・・う・・ん、そうね、そうなのかも・・・ それにしても、やっぱりあそこは男子禁制で正解ね・・」
「ん?」
「だって、結婚相手の男性が傍にいて御覧なさい? 絶対に只じゃ済まされないわ」

腰に手を当て、その顔に呆れた色を浮かべながらごちる。これにはカイザックも大受けだった。

「はははっ! 確かにそうだろうなァ。・・・で、我がカミさんの時は、当然綺麗だったんだろ?」
「えっ・・・・・・もぉ、バカっ」

ニヤリと笑ったカイザックにそう振られ、彼の妻であるニーニャは赤くなる。

「ニーニャ・・」

そしてそんなニーニャにカイザックは手を伸ばし、愛しげに自分の元に引き寄せた。

「おまえだってな、俺にとってはいつだって綺麗で可愛いのさ・・」
「・・・カイザック・・」

ニーニャの頬が赤く染まる・・・

カイザックとニーニャ・・・ この二人にとっても、新婚時代を思い出す良い機会となったかもしれない。
いや、今も尚、新婚時代と変わらないかもしれない・・・――――――

――――――・・・

――――









「近所の者達の評判は、どうやらとても宜しいようです。それとなく周りの者達にも話題を振ってみたところ、どの
 者達も好感を持って見ている模様・・・」

「・・・そう」


床に片膝をつく男―――

そしてその前には、上品なテーブルの椅子に腰掛け、その手に茶の器を持つウィズリーン・・・

その男は彼女の家に雇われている者で、イザークとノリコの事を密かに調べていた。
情報だけではない、あらゆる裏の仕事を引き受ける。そんな男だ。


「町長やその娘夫婦とも親しい関係にあるようです。お尋ねの娘も行き来している様子・・」
「町長と、娘夫婦・・・ そんな短い期間で友人になったと言うの?」
「いえ、彼らはこの町は初めてではないようで。数年前にも町を訪ねており、知り合う機会があった由・・」
「へぇ・・」

話を聴きながらウィズリーンは茶の器を口に運ぶ。一口含みテーブルに器を戻すと、無表情だったその目が冷笑で若干歪む。

「便利よね・・・町長の娘に取り入れば・・・ そう思わないこと?」
「御意・・」



さて、この男が言うように、実際、町の者達からのノリコへの評判は大層良かった。

ガーヤの家に彼女はよく顔を出していたのだが、店の開店準備の他、近所の者達の手伝いも買って出ていた。
しかも労を惜しまず、頼まれ事にも決して嫌な顔ひとつしない。そしてよく気が利き、終始笑顔と挨拶を忘れない。 更には小さな子の面倒も忙しい合間を縫って見ており、いったいいつ休んでいるのか?・・・と周りが心配してしまうほど、彼女はよく身体を動かしていた。

花の町に来てからそれほど日数も経ていないのに、ノリコはすっかり溶け込んでいる。この界隈の子ども達にも 彼女は人気者となり、道で会えば、その名を呼び駆け寄ってくる子どものなんと多いことか。
それはイザークと共にいる時でも変わりない。イザークと買い物に出ている時も、気さくに彼女に声を掛ける者が増え――それは 男女関係がない――、そしてノリコも誰とでも笑顔で接する為、時にイザークが苦笑を漏らすほどだ。 その表情には何やら複雑そうな色合いも混じって見え、目ざといガーヤがこれを見逃す筈がなかった。

「イザーク、思わぬ好敵手がまた増えそうだねぇ〜」

とはガーヤの談である。余りにもニヤニヤしながら言うので、これにはイザークも二の句が継げなかった。

――ノリコと早く式を挙げ、対外的にも彼女が自分のものである事を世間に知らしめたい。

イザークが内心そう思ったとしても頷ける。案外こんなところにも、二人が早く挙式する理由があるのかもしれない。
実はノリコに対し、密かに好意を寄せる男――しかもこの短期間で !?――はこの町にもおり、彼女の笑顔や柔らかい雰囲気に惹かれ、見とれたり憧れの気持ちを抱く男達も珍しくはなくなっていた。
元々が愛らしい彼女である。それに加え、イザークとの婚礼が決まっている事で彼女の内面から溢れる美しさはより増しており、それが皮肉にも町の独身男達の目を惹く結果となっているのだ。

イザークが気が気じゃなくなるのも、無理からぬ事だった。しかも厄介な事に、ノリコ本人には自分が男達の注目を集めている自覚がまるでなく、相手が余程の勘違い野郎でもない限り、警戒心すら持たない。だから尚の事、イザークをヤキモキさせている始末だ。

ならば、反対にイザークの方はどうであるのか―――― これについては、ノリコ以上に言うに及ばずだった。

端整な顔立ち。長身で、しかも鍛えられ均整のとれたその体躯。何処か異国を思わせる、情熱的な艶のある黒髪。しかも剣の腕も立つと言えば、町の女達がこれに惹かれない筈がない。

一時は表情も変えず、一見して近寄り難いような印象にさえ見られていた。しかし、そこはノリコの力だろうか、彼女といる時のイザークはまるで別人のように優しい表情になる。たとえその蕩けそうな笑顔が自分達に向けられているのではないと解かっていても、町の女達が夢中にならない筈がなかったのだ。

しかもこれまた厄介な事だが、イザーク本人にもそんな自覚はまるでない。これまで自分の顔の造りにむしろ迷惑を被る事の方が多かった彼にとっては仕方のない事なのかもしれないが、外見だけに惹かれる女達の熱い視線にも決して答える事はない。
イザークが愛情と慈しみを持って見つめる女性は、いつでもノリコ唯一人だけだ。

互いに他の異性からどう思われているかなど全く自覚のない者同士で、彼らを知る傍から見れば何ともオメデタイというか、呆れ果てるというか・・・

そしてこれも案の定と言うべきか、やっかみも生じた。もっとも、何か意地悪をされるというのではない。女達はその視線で相手を射竦める。ノリコに対しても、あからさまな嫉妬と蔑みの視線を送る事もある。だが、イザークの見えない結界に守られているノリコにとっては、時にそんな刺さる視線を感じる事があったとしても、彼女達に対する思い煩いで時間を割かれる事などは有り得なかった。
彼女にしてみれば、イザークの事を考える時間の方が多く、ましてや今は婚礼の準備で忙しい。元より思い煩っている暇など皆無なのだ。

だが、こうした嫉妬する同性の輩よりも親切な町の住人の方が遥かに多く、これはノリコにとって大変に幸いであったと、実は後々まで謂わしめる事となる―――――



「イザークという青年も、町の多くの女達からの好感を集めている様子・・・」

その言葉に、ウィズリーンは持っていた茶器をやや乱暴にテーブルに置いた。器のぶつかり合う音が響く。

「・・・・ふん。放っておきなさい。どうせ町の女達など、大した事ないわ」
「は・・」

「・・・ギスカズール」
「は・・」

「・・・相応しい場所ってあるわよね?」
「は?」
「・・・相応しい者に相応しい場所を・・・ふふふ・・・分を超えた振る舞いは世の中の為にならないのよ、解かる?」
「御意」

「式は、九日後と言っていたわね・・・?」
「はぃ、ディーラス《【ディーラ】-天上の意》の第三日目に、街の祝福の庭にて」

ふふふ・・・と、ウィズリーンは尚も微笑う。

「分を超えた振る舞いは天がお許しにならないわ。式の月がディーラスとは、よく出来ているじゃないこと?」
「は・・」

「頼んだ事、お願いね?」
「は。・・・しかし、何故そこまで、あの娘に固執なさるので?」
「固執・・・?」
「回りくどい事などなされずとも、一思いに亡き者にする事も、可能かと・・・」

「ギスカズール」
「は・・」
「物騒な事を言わないで頂戴。私はね、乱暴は嫌いなのよ」
「は・・・申し訳ありません」
「それにね、死なせてしまっては詰まらないわ」
「・・は?・・それはどういう・・?」

「たかが移民の娘・・・くくく・・・自分がどれほど身の程知らずであるか、あの娘はよく知る必要があるわ。
 その為には、死んで貰っては困るの。少なくとも、式の当日まではね」
「御意」
「その後でなら、どうなってもいいわ。ふっ、あの娘が失意に沈むのが目に浮かぶわ。でも、思い知る事になるのよ。
 島に帰るのでもいい・・・仮に絶望が故に自らの命を絶とうとするのなら、その時はお手伝いして差し上げるのも
 いいわね。反って感謝されるかもしれないわ、ふふふ・・」

「は・・ それから、彼等は町の郊外に家を建てている模様。これは如何なさるか?」
「家?・・・ふぅん、自分達の根城という訳ね・・・ふふふ」
「差押さえる事も、可能であるかと・・・」

立ち上がり、窓のところまで歩いて行く。
夜空に輝く月はそれはそれは美しく、妖しいまでに蒼白い輝きを放っている・・・

「綺麗な月夜だこと・・・」
「・・・」

「放っておきなさい。暫しの楽しみを奪っては可哀相だわ・・ふふふ。どうせその家には住めなくなるのだから、
 今の内にせいぜい楽しんでおくといい・・」
「は・・」

「もういいわ、下がりなさい。・・・くれぐれも乱暴はダメよ? 卑しい移民のように成り下がりたくはないでしょう?」
「ふ・・これはきつい・・」
「ふふふ。・・・時に野蛮な者に成り果てる・・・男とは本当に厄介な生き物ね。そうでしょ?」
「誠にきつい仰りようだ。だが、期待を裏切る事だけはしませぬ故、ご安心を・・・」
「ふ、頼もしいこと・・・ さっき言った事、くれぐれも失敗のないようにね」
「これは。・・・随分と見縊られたものだ。我等がしくじった事などありましょうか・・?」

男の口元がニヤリと歪む。それを受けて、ウィズリーンは高らかに笑った。

「そうね、おまえはいつだってよくやってくれるわ、ギスカズール・・・ 頼むわね」
「御意」

ギスカズールと呼ばれた男は一礼すると、彼女の部屋を出て行った。


「楽しみだこと。あなたには相応しい場所を提供して差し上げるわ。ふふ・・地を這い蹲るのがお似合いよ。
 よくその身の程を知るといいんだわ・・ふふふ・・」

外に視線を遣りつつ、暫く彼女は笑った。それから、手にしていた呼び鈴を数回鳴らす。
暫し後、使用人らしき格好をした少女が姿を現した。

「お呼びでございますか? ウィズリーン様」

「・・・眠れないの、アムル」

窓の外を眺めながら、表情を変えずにそう呟く。

「は?・・・お体の具合でもお悪いのですか?」
「そう・・・眠れないのよ」

使用人の問いにゆっくりとこちらを向く。その口元がくっと上がる。

「では、いつものお薬をお持ちいたします」
「いいえ」

「いつものではダメね、アムル。私はゆっくりと眠りたいの。そうね、たっぷりと一日半は眠れるような薬をお医者様に
 調合して貰って頂戴」
「は?・・・一日半・・でございますか?」
「そう。・・それから、香(こう)の粉もお願いね。良い香りのする花を使ってたっぷりとね・・・」
「かしこまりました。ではこれからすぐに、町医者まで参ります」
「ふふふ、頼むわね」

そして、使用人の少女もまた一礼し、部屋を後にする。



その後屋敷から先の使用人の少女が現れ、荷台付きの馬車を繰り出掛けて行く姿が見られた。灯りを灯したその馬車は街の中心へと向かう。 馬車が出て行く様子をウィズリーンは部屋の窓から眺めていた・・・

「・・・ふふふ。・・・眠れないのよ。不愉快な事が多過ぎてね。忘れる為にはやはり眠るのが一番・・・
 よく眠ったら、いずれキレイに忘れられるわ・・・ねぇ?・・・ふふふふ」

一人そう呟き、愉快そうに微笑う。見るもの全てを見下すかのような、その視線・・・
整った顔が冷酷な笑みに満ちるのは、やはり気味の悪さを感じさせる。

だが、一頻り笑った後、急にその顔が無表情に変わる。

「・・・皆に好かれている・・・ですって?」

ゆるり振り返る――― 視線の先にあるのは、テーブルの上に据えてある花器。綺麗な花が生けてある。
無言のまま彼女はテーブルへ歩み寄り、見事な細工のその花器を掴むと、床に思い切り叩き付けた。

―――――ッッ !!!

部屋中に耳障りな音を響かせ、無残にも砕け散る。

見つめるその表情は、さながら氷のようだ・・・


全てのものを憎悪する。そして見下す。
自分には無いものを持つその者へは、特にそれが顕著に表れる。
許せない・・・ 唯、許せない・・・
自分が得られないものを持つ者が許せない・・・

逆恨みだ。完全なる逆恨みだ。・・・もしも誰かがそんな事を進言しても・・・
既に解かり切った事だ。それでも尚許せない。
そう・・・彼女は耳を貸すことはない。

許せないのだ。卑しい者の癖に幸せそうにしているのが、許せないのだっ!!

瞳に浮かぶ明らかなる憎悪の色・・・ 眉が、口元が、歪む・・・


零れた水は床に染みを作り・・・

散らばった花器の破片と花だけが、哀れな姿を晒し続けていた―――――





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カイザック&ニーニャ夫妻も仲良しです(〃^)(*^-^*)ゞ
平和な感じと、恐ろしげな感じと、両方の展開となってます。
最後のお嬢さんのくだりは、次回に回そうかなとも思ってましたが、結局今回に載せました。
最初はこのお嬢さんって、こんなに介入する筈じゃなかったんですよね、実は。
書いてる途中で、いろいろ変わって参りました。妄想が広がったのか何なのか…
漠然としていたモノが具体的に形になって来たということでしょうかね…

長いので、展開解かりますでしょうか? ざっと纏めますと…
森の入り口へ→禊→イザークとのらぶぅ→カイザック&ニーニャも良い感じ♪→ラストが恐いお嬢さん…
となってます。え、纏めすぎ? え、悪乗りし過ぎ?
またエピソード一つ振っちゃったよぉ。でもこれで、一つまたお話が書けるかな…とも思っております♪

で、次回少ぉ〜し、はしょるかも… あ、いや、次回から展開が変わります、多分。
お付き合いくださりますならば、大変嬉しゅうございます<(_ _)>

夢霧 拝(06.10.13)
--素材提供『空色地図』様--


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