天上より注ぎし至上の光 〜 Love Supreme 〜 6




―――――・・・おかあさまぁ〜・・・

―――――――・・・おかあさまぁ〜・・・


パタパタと廊下を走る少女の足音が、響く・・・ 息を弾ませ、大好きな母の元へと急ぐ・・・


――おかあさまぁ〜・・・


バタンッ―――――!!

「おかあさまっ、ねっ、お人形で遊びましょうっ」

「なぁにウィズ、扉をいきなり開けるなんて・・・」

チラと一瞥しただけで、また向こうに向き直る母。鏡の前に腰掛けている彼女は、出掛ける支度に余念がない。

「ご、ごめんなさい、かあさま。ぁの、かあさまとお人形で遊びたくて・・・」
「ああウィズ、ダメよ。今日はこれからサンバール公爵夫人とお茶会なの。出掛ける支度で忙しいのよ。
 邪魔をしないで頂戴・・」

「・・・おでかけなの? じゃあ、帰っていらしてからなら・・・いい?」
「ウィズリーン・・・夜はパーティがあるの。あなたと遊んでやってる暇などないことよ?」

「・・・ぉ・・かあさま・・」

「ばあやのジラがいるでしょう? ジラに遊んで貰いなさい?」

母の言葉に、彼女は俯いた。

「・・・・・・は・・ぃ」

その言葉には元気がなく・・・



また、パタパタと廊下を走る音が響く・・・少女は帰って来た父の元へ急いでいた――――

「おとうさまっ、お帰りなさい。今日は早いのね」

「ああ、ウィズ。ほら土産だ。おまえが欲しがっていた人形だ」
「・・・ぁ、ありがとう、おとうさま。・・・あのね、今日ウィズね・・」
「ああ、すまないがおまえの話を聞いてやってる暇はないんだ。すぐにまた出なくてはならんでな・・」

「・・・ぇ、また・・お出かけなの?」

「大事な会議があるのだ。人を下に待たせてある、すぐに行かねば・・」

「・・・ウィズ、つまんない・・・・おかあさまもお出かけなのよ?」
「我侭を言うんじゃない、ウィズ。・・ああ、もう行かなくては」

「・・・・・・・」

パタン―――― ・・・そして、扉が閉まる。




いつも、窓から見送っていた・・・ お父様やお母様が出掛けて行くのを・・・




「お嬢様、旦那様から贈り物が届いていらっしゃいますよ」
「・・・・・つまんない」
「とても綺麗なお人形でございますよ」
「・・・・・かあさまは、またお出かけ?」
「はぃ、本日はゲルア伯爵邸にてご夫人方とお茶会、夜は観劇にお出かけでございます」
「・・・・・・・」


いつもいつも、冷たく扉が閉まるのを、私は見つめていた。


茶会。茶会。お母様はいつもそう・・・ そして夜はパーティ・・・
忙しそうに支度をしては、いそいそと出掛けて行った・・・

お父様とお母様・・・ 本当は仲が良くない。お父様は財を増やす事に懸命になっている。
家族の為に仕事をしていると言うけど、その家族との時間は殆ど取った事がない。
お母様は、お父様が構わないのを良い事に、遊び歩いている。

昼は茶会、夜はパーティ、そして・・・時に見知らぬ男の人とも親密そうにしていた。

お父様もお母様もあたしとは遊んでくれた事がない。
私はいつも独りぼっちだ。確かに、ばあやのジラはとても優しい。・・・・・でも・・・ 違う・・・


それでも、いつぞやお父様と街中まで出掛けた事がある。
馬車で表通りを走っていた・・その時・・・

「お父さま、あの人達は何?」
「ん?」

お父様は私の指差した方を見ると、あからさまに嫌な顔をした。

「ああ、あれには絶対に近づいてはならんぞ。どうしようもない連中だからな」
「え・・・?」
「島からの移民の連中だ。職と豊かな暮らしを求め出て来たはいいが、行き詰まる者が多い。結果が物乞いだ。
 我々にもたかろうとする、卑しい連中だ。中には盗賊にまで成り果てる輩もいるがな」

通りの隅に、座り込んでいた彼等。私達の馬車に気がつくとこちらに近付いて来た。
着ている物もみすぼらしく、何日も湯浴みをしていないような、汚らしい風体・・・

「ええぃっ、近寄るなっ! 貴様等などにくれてやる物など何もないわっ!」

馬車の窓から怒鳴ったお父様・・・
そして、馬車は勢いを付けて走り出した。轢かれそうになった者もいる。そして転んだ者も・・・

「全く不愉快だ。あんな奴等が中央にはびこるとは・・・ バラチナの名折れだ」
「お父さま・・」
「移民なんぞ受け入れるのが、どだい無理なんだ。安易に新天地を求めてやってくる奴等が増えているっ。
 嘆かわしい事だ」
「・・・・臭かったわ」
「ふん。何日も風呂にも入れないからだろう。あんな連中は町から一掃されればいいんだ」

あからさまにその嫌悪感を表していたお父様。

・・・でも、そのお父様だって、知らない女の人を何人も連れて・・・



ある時、お父様は私をカンズの町へと連れて行った。
お父様との久々のお出掛け・・・ 嬉しいと思っていたのに、連れて行かれた場所は・・・

「ウィズ、ここはおまえ専用の家だ。おまえは今日からここに住むんだ。家庭教師も用意したぞ。必要な物は全て
 与えよう。欲しい物も何でも言うといい。花の町の別荘も好きなように使っていいからな」

「・・・お父様?」

お父様の話している事が一瞬理解出来なかった・・・
カンズの町に私専用の家を建てたと・・・ そしてそこに住めと言う・・・

「だってお父様・・・ お母様は?」
「あれにも了承済みだ。おまえの世話は使用人に任せてある。ばあやのジラも一緒に来ている」

・・・どうして・・・?

「・・・・お母様が、いいと仰ったの・・・?」


・・・冷や水を・・・ 浴びせられた・・・ そんな気分だった・・・――――――


しかし、どの道、物心付いた頃から似たようなものだった・・・

結局・・・ 私はあの屋敷にいられなくなり、十五の時よりお父様とお母様とは別に暮らしている。
最近は花の町の方が居心地が良くて、そこが本宅のようになっているけれど・・・

たくさんの使用人に傅かれ、見事な調度品、キレイな服、装飾品、そして豪華なお食事・・・
欲しい物は何でも手に入った。

だけど、一番欲しかった物は、ついに今まで一度も手に入ってはいない。
それを言えば、「我侭」とみなされた。

こんなにたくさんの物を与えてやっているのに、我侭だと・・・―――――


私はその欲しかったものを欲しがるのを諦めた・・・ 決して手に入る事はないのだと身に沁みたから・・・

今ではもう欲しいとは思わない。それどころか、今はそれに嫌悪さえ感じている・・・


「・・・最低な人達・・・」


瞳の中で揺れる・・・澱んだ光――――ーー・・・


「・・・皆、最低よ・・・お父様もお母様も・・」



左の手には、彼女の父親からかつて贈られた人形。
綺麗な巻き毛、ぱっちりとした瞳、そして上等な服が着せられている。

昔のように人形遊びをする事はもうない。だが、今でもたくさんの人形達が彼女の部屋には飾られている。

そして右の手には、短剣・・・――――

手にしたそれで、人形の顔にぐさりと突き立てる。何度も何度も、刺しては抜き・・刺しては・・抜く・・・
表情もなく、感情も伴わず・・・その瞳は、まるでくすんだ玻璃の玉のようだ。

やがて、彼女の腕は力なくだらりと下がり・・・
ボロボロになった人形は、そのまま下にふぁさり・・・ーー――と落ちた。


・・・―――――――

――――







「おばさん、そこの雑巾取って〜」
「あいよ、ノリコっ」

ガーヤの投げてよこした雑巾を、ノリコは両手で上手く受け取った。そして、棚の上を拭いていく。


あれからまた幾日かが過ぎていた。

イザークはバラゴ達と家作りに余念がなかったし、ノリコは家の壁塗りを手伝ったり、家具を手作りするイザークの助手もしていた。 そして、手作りの難しい家具については二人で職人の元に買いに行き、買い物の合間にはガーヤの店の開店準備なども手伝っていた。
相変わらず彼女はよく働く。ジーナを預かったり、近所の子ども達と遊んだり・・・ とにかく一所にじっとしていない。


「そろそろお茶にするよ。手伝ってくれるのは有難いけどさ、少しは休まないとあんたの方がぶっ倒れてしまうよ」
「・・おばさん」

ガーヤの言葉に、振り向いたノリコは微笑う。

「じゃあ、お湯を沸かして来ますね」

と裏の居室にある厨房に行こうとしたので、これにはガーヤの方が慌ててしまった。

「冗談はよしとくれノリコ。お茶の支度はあたしがするから、あんたは少し身体を休めるんだよっ」
「・・・おばさん・・?」

窘めるような口調のガーヤに、ノリコは困ったような顔になる。結局雑巾は取り上げられ、更には強制的に椅子にも座らされ、 茶の支度が出来るまでここで動くなとガーヤに言い含められてしまう。苦笑し肩を竦めてみたが、ガーヤの言葉に従った。

そして・・・ 支度が整い、ガーヤはノリコを裏に呼んだ。厨房の前のテーブルの上には茶器と焼き菓子が置かれていた。 ノリコはお茶を注ごうとポットに手を伸ばしたが・・・、

「めっ !」

・・・と、まるで、おいたをした子を叱るような口調でガーヤに窘められ・・・ 仕方なくまた肩を竦めたのだ。

「今日のおばさん、何だかちょっと恐いわ」

少しおどけた調子で微笑う。

「こうでもしないと、あんたは本当に休んでくれないからねぇ〜。ふふふ」

椅子に腰掛け器を口に運びながら、ガーヤも微笑った。

「でもそんなに心配しなくても大丈夫よ、おばさん。昼間の疲れは夜にぐっすり眠る事でちゃんと取れてるもの。
 それに今とても楽しいの。毎日がワクワクしてて、とてもじっとなんてしていられないわ」

「ふっ・・ でもねぇ、ノリコ? 実はあたしは、イザークに文句を言われるんじゃないかってヒヤヒヤしてるんだよ?」
「ぇ・・どうして、イザークが?」

怪訝な顔でノリコはガーヤを見つめた。

「まあそりゃね、昼間の疲れは夜に寝りゃ取れるだろうさ。あんたは若いからね。だけど、いくらなんでも挙式の
 夜にまでグゥグゥ高いびきという訳にもいかないだろ? 特にあんたは、寝付きがいいようだからねぇ」

やや呆れ気味の色をその顔に浮かべ、ガーヤはノリコの顔を伺った。

「・・・・・ぇ ・・・おばさん・・」

一瞬何の事を言っているのかノリコは訝る。だが相変わらずにんまりと笑って自分をじぃ〜っと見つめる様子で、 ガーヤが何を心配しているのかを悟り、ノリコは恥ずかしげに俯いてしまう。

「も・・おばさんったら・・・・」
「うひゃひゃひゃひゃっ !」

ノリコが赤くなる様が可愛く、ガーヤは笑った。

その後、一旦は治まり掛けたノリコの顔の赤みは、イザークが彼女を迎えに店に姿を見せた時にぶり返し、それどころか 反って悪化してしまう。不自然に取り繕うノリコと、その彼女に怪訝な顔をするイザークの姿が余程可笑しかったようで、 ガーヤの笑いは暫く治まらなかった。何がそんなに可笑しいのか・・とイザークはガーヤにも怪訝な顔を向けたほどだ。

その後の買い物でもノリコは妙に大人しかった。訳を訊いてみても、真っ赤になって首をふるふると横に振るだけで・・・  口に出せない事なのか?・・・と心に呼び掛けてみても答えはなく、更にその首をぶんぶん振る始末である。
ノリコは嘘が下手だ。何でもないとは言うが、そんなノリコの様子で何でもない筈がない。流石にイザークも後で
ガーヤに問い質した。

カラカラと笑うガーヤから事の次第を聞き、

「ぁ・・・あのなぁ・・」

イザークが呆れて絶句したのは言うまでもない・・・。


「ノリコがあまりにもよく手伝ってくれるからねぇ。こっちとしては有難いけど、疲れてしまわないかと心配なんだよ。
 それにあんたに文句を言われたくはないからね。予め釘を刺しておくよっ」
「・・・釘?」
「ノリコのフォローをちゃんとしてやんなって事だよ」
「・・・ガーヤ・・」

今更だ。そんな事、わざわざ釘を刺されるまでもない・・・ 半ば呆れながらそう思う。

店の戸口の近くでバツが悪そうにして待っていたノリコに、イザークはガーヤの店の手伝い禁止を言い渡した。とは言っても、数日の間だ。 式が滞りなく済むまでは、静かに過ごして欲しい。これがイザークの願いであった。

明日にはバリスの店から婚礼衣装も届く事になっている。そして明日の禊が終われば、後は式までの二日間を親元で過ごすだけだった。
花嫁となる女性は、たとえどんな場合であっても禊終了後は挙式までの二日間を親元で過ごし、そこから当日式場に向かう。とは言うものの、ノリコの親は この世界にはいない。その為ノリコはガーヤを母親代わりとし、彼女の家でその二日間を過ごす事になっている。どうか静かに過ごして欲しい・・・そうイザークは念を押した。

ノリコの寝付きが良過ぎる事など、彼は嫌というほど知っている。大丈夫だと言うノリコに対し、他の事なら惜しみない信頼を贈ってやれるが、 こと寝付きに関してだけを言うのなら・・・と敢えて付け加えても良い。それに対し太鼓判を押してやれるくらい、彼女は墜落睡眠が得意なのだ。
こんな事を得意として、新婚家庭にいったいどれほどの貢献をするだろうか・・・。答えなど言わずと知れた事であろう。 普段の彼なら、安心すると寝てしまう癖のあるノリコを愛おしく包み込んでやれるが、その同じ癖が為に、時に天を仰ぎため息を漏らす事もある。 ・・・さもありなん、だ。

そして彼のこの申し出に、ノリコは少し考え、結局は静かに頷いて承諾した。

ガーヤが手伝わずとも良いと言うのだ。だが、それは口実だ。実のところは疲れて欲しくないのだ。
自分とは違う。無理をすれば壊れてしまいそうな華奢な身体だ。それに、ただでさえイザークはノリコに対し壊れ物を扱うように接している。 少なくとも、今は二人の挙式の準備に全神経を注いで欲しい。これはイザークのたっての願いだと言えるかもしれない。

そしてこの時の 【無理をするな、頑張り過ぎるな】 は、その後二人の結婚以降もタージ家の家訓のようになる。


「ごめんね・・あたしつい嬉しくて・・・なんだか、じっとしてられなくて・・・」
「ノリコ・・・」

歩きながら、ノリコは呟いた。大方の買い物も済ませた。今日の禊も、既に終えている。夜はイザークと外で食事をし 二人で過ごす事になっていた。ガーヤにもはっぱを掛けられたのだ。明日の最後の禊以降、式の当日までは二人で過ごす事も出来なくなる。 だから、今日は二人で過ごすように・・・と。

「まあ、ノリコらしいと言えるがな・・」
「ぇ、そう?」
「・・ああ」

「だが、出来ればもっと大人しくしてて欲しいものだ。昨日みたいな事になるのは、ごめんだからな・・」
「ぇ・・・やっ・・あれは・・・」

イザークの台詞にノリコは更にバツの悪い顔になった。

ここ最近ガーヤの店にやたらと花束が送られて来るので、最初は彼女の店が開店するのを聞きつけた誰かの祝いの印なのかと思っていた。 しかし、実はそうではなかった。昨日その送り主が、両手に抱え切れない花束を持ってガーヤの店に現れたのだ。
訪ねて来た理由は、ガーヤへの祝いなどでは勿論なく・・・

「こちらにノリコさんはいますか?」
「・・・はぃ?」

店の中で品物の仕分けと掃除を手伝っていたノリコは、訪ねて来たその青年に両手いっぱいの花束を手渡され、 途端に困惑してしまった。

「・・・あの・・・これは、いったい・・」

奥から顔を出したガーヤも、この状況には流石に唖然とするしかなかった。

どうやらその青年はノリコに少なからぬ好意を寄せてしまったらしい。そして居処をガーヤの店と判断したのか、ここ最近毎日の ように花を送っていたのだ。しかも誠に気の毒な事に、彼はイザークの存在を知らなかった。
運が良いのか悪いのか、それとも単に間が悪いだけだったのか、イザークと一緒ではない時のノリコしか見ていなかったらしい。 そして勿論、挙式を間近に控えている事も知らず今に至った次第だ。

思い込みとは誠に厄介なものだ。その辺が恋は盲目たる所以なのか、こと恋愛に関しては、ノリコの世界もここも大差はないと いう事なのだろうか・・・

だが・・・困惑気味の彼女達の待つそこへある人物が姿を見せた途端、その場の空気が一変する。

「イザークっ」

ノリコの嬉しそうな声に、花束の君は驚いて後ろを振り返る。その顔は呆気に取られていた。・・・無理もない。
この状況下で暫し皆は言葉を失っていたが、沈黙を破ったのはイザークだった。彼はノリコの様子から瞬時に状況を察し、 その視線は訪ねて来た青年へと向けられた。女達からの熱い視線には全く関心を示さないが、ノリコを捉える男の視線に対しては、 イザークは殊の外目聡い。
アレフが聞いたら、なんという勿体無い事を・・・とぼやくかもしれない。但し、グローシアのいない所でだが・・・。

「折角だが、この花をノリコに受け取らせる訳にはいかん・・・持って帰ってくれ」

彼にしては珍しく丁寧に言葉を発したと言えよう。いつもなら、この手の勘違い男にはもっと感情を込める。

「え・・・あ、あんたは・・・」

そして、これもまた、当然たる質問だと言えよう。少々察しが悪いと言えなくもなかったが・・・
言葉は静かに、しかしながら無造作に花束を返され、青年もまた困惑する。だが、青年を見据えるイザークの瞳は少しも笑っていない。 さりげない視線であったが、鋭い威嚇の意が込められていた。

「ノリコの許婚だ」

表情も変えずに問いに答える。それ以上の答えなどない。その一言に全てを込めている。
そしてかの青年も、その一言で引導を渡されたと言っても過言ではないだろう。

「ノリコ、行くぞ」

即座にノリコに促す。茶番に付き合う義理はない。そしてこれ以上この場にノリコを置いておきたくもなかった。

「あ、はい。・・じゃあおばさんごめんなさい、ちょっと行ってきます」
「あ、あぁ。楽しんでおいで」

ニコニコ顔でひらひらと手を振るガーヤに、これまたノリコもひらひらと手を振り、そしてその青年にはやや遠慮がちにぺこりと頭を下げ・・・  イザークに再度呼ばれ、慌てて彼の後に随った。後には呆然と佇むその青年と、苦笑気味のガーヤだけが残された。

「まぁ、あんたも・・・知らなかったんで気の毒だとは思うけどね。あの二人は週末には婚礼のお披露目をするんだ。
 諦めるのが利口ってもんだよ」

せめてお茶でも飲んで行くかぃと勧めたガーヤの言葉にも上の空で、まるで魂の抜け殻のようにがっくりと肩を落としその青年は帰って行った。 さて、この大量の花をどうしようか・・・と真面目に考えてしまった。・・・と、後からガーヤの店に戻った際にその話を聞き、イザークとノリコは顔を見合わせたものだ。

しかしながら油断も隙もあったもんじゃない。今回の事でイザークは大いに不愉快になり、ノリコは肩身が狭くなった。

「冗談じゃないぞ・・」

深いため息と共にイザークはガーヤを呆れて睨んだものだ。安全である筈のガーヤの所が実はそうではなかったなどと、これではザーゴの時の二の舞ではないか。 確かにあの時と今では事情はまるで異なる。が、結局は同じ事だ。自分の留守中にノリコに何かあったのでは堪ったものではない。

「ノリコの背中にあんたの所有物だって、署名入りの書紙でも貼り付けておこうか?」

ニヤリと笑ったガーヤのその台詞も冗談とは取れず・・・ 思わず諾と言いそうになったほどだ。




街は夕刻の喧騒で賑わっていた。その中を二人並んで歩く。

「全くだ・・ 冗談では済まされんぞ?」
「ぅ・・ぅん・・あんな事になるなんて、思いも寄らなくて・・・」

「まぁ、仕方がないが。しかしこれではまだ旅をしていた時の方が、マシだったな・・」

ため息混じりで苦笑する。

「イザーク・・?」
「少なくとも二人だけの旅でなら、おまえから離れる必要もないからな・・」
「・・・・・・」
「ガーヤの話じゃないが、冗談抜きで、おまえに印を付けておこうかと思ったほどだ」
「ぁ・・・・」


――― 『ノリコは俺のだ。お前らは手を出すな。Byイザーク』 ―――


一瞬そんな張り紙かゼッケンでも掛けられている自分を想像し、頬が染まる・・・。
・・・でもそれって悪くないかも・・・という気もしないでもない。


「お店のお手伝いは、もうしないよ。言われた通りに静かに過ごす・・・ 心配掛けて、ごめんね」
「ノリコ・・」
「その書紙、胸と背中に貼り付けてもいいよ、イザーク」
「え・・」
「その方があたしも安心出来るかも・・・ふふ。他の人に特別な感情で見られても困るもの・・」

ノリコは、イザークの腕に顔を摺り寄せるように自分の腕を組んだ。

「あたしを想ってくれる人がイザークだから、嬉しいんだもの。・・・ああ〜・・早く式の日にならないかなぁ〜、
 待ち遠しい・・・ 明日衣装が届くのも楽しみなのよ」

少しだけ照れて見上げるその表情は、やはり柔らかな笑顔で溢れていて・・・ イザークもまた笑顔で見つめ返す。

「・・・そういえば、おまえの衣装にも俺はお預けを食らってたんだよな・・」
「うん。イザークにも見てもらうのが楽しみよ。ふふふ、どんな衣装だと思う? イザークびっくりしちゃうかも」
「・・・そんなに突拍子もない形なのか? おまえの世界の衣装は・・」
「え? ううん、変なんじゃないの。でも、きっとびっくりしちゃうよ。凄くステキな衣装なんだもの」
「そうか・・」


――衣装もそうだが、それを身に纏ったノリコも・・・ 綺麗なんだろうな・・・

そんな風に思わずにはいられなかった。イザークもまたその日を楽しみにしているのだから・・・


そして二人は通りから少し奥まった場所にある洒落た食堂へと入って行った。陽も落ちてやや夕闇掛かった外の気配に 温かな雰囲気を分け与えるべく、店からは仄かに灯る光が漏れ出ていた。









そして翌日―――――

ノリコは朝早くから修繕中の家に来て掃除をしていた。来週半ばにはこの家にも住めるようになるだろう。

外壁はもう塗りを終えた。後は中の方が残っており、塗りを終えゆっくり乾燥させれば、家具を入れる事も出来る。 ノリコの世界の建材とは違い、塗料も塗った後は乾燥させるのに時間が掛かる。だがそれが済めば、床に絨毯を敷いたり ベッドにも寝具を設える事が出来る。テーブルにクロスを掛けたり、カーテンも・・・
そうした布類を設えれば、ぐっとまた家らしくなる・・・ そんな事を考えながら、ノリコは楽しそうに掃除に勤しむ。
これ以降は、式が終わるまでここにも来られなくなるので、今の内に少しでも手伝いをしたかったのだ。

ちょうど今日からディーラスの月に入っていた。そして、今日も良い天気だ。
この時期、さしずめ秋の色濃い装いというところだろうが、そこは温暖なこのバラチナ国らしく、爽やかな陽射しが暖かく心地良かった。 庭の木々には午前の陽が降り注ぎ、枝も葉も、その擦れ合う音がまるで嬉しそうな歌声に聴こえてくる。

世界中が、自分を祝福してくれているような・・・そんな気にさえなってくる。婚礼を目前とした花嫁は、きっと皆、同じような気持ちになる事だろう。

家に住めるようになったら、いろんな事をしたかった。料理や、裁縫などもそうだが、庭に花やちょっとした作物の畑も作りたい。 薬草も育てられるのがあると言う。イザークの為にそんな一角も作りたい。この家での生活を思い浮かべ、夢は益々拡がるばかりだった。

「んーっ・・・」

ノリコは一つ大きく伸びをする。


「ノリコ・・」

イザークの呼ぶ声に、ノリコは振り返る。イザークは微笑っている。

「掃除も程ほどにしろよ。そろそろだろ?」
「あ、もうそんな?」
「ああ、・・・残念ながらな・・」

ため息混じりのイザークに、ノリコも思わず微笑う。これから七度目、最後の禊へとノリコは出向いて行く。


そう。残念ながらな・・・とイザークは言う・・・―――――
禊で身を清める事に対してではない。これには理由がある。





最初の禊の時と同じように、イザークはノリコを森の入り口まで送って行った。そして同じく、ノリコに手を貸し馬から降ろす。

イザークに言葉はなかった。いつもなら二、三・・・声を掛けてやったりもするのだが、家から一旦街へ戻りそこからニーニャとここへ 来るまでの間、彼は一度も口を開いてない。ノリコの方もそんなイザークを気にするでもなく、馬上で自分の背を護ってくれる彼に全幅の 信頼を置き、その身を任せていた。


「イザーク、有難うね。じゃあ、ノリコ行きましょうか」

ニーニャの促す言葉に、ノリコは頷く。

「イザーク、有難う・・・ 行ってきます・・・」

彼を見上げ、いつもの彼女の笑顔で礼を言う。そして無言で頷くイザークだったが、その口が僅かに何かを言いたげに開き・・・

「ぁ・・・」
「ぇ・・・?」

僅かに発した言葉に、ノリコも問うように再度見つめる。

「・・・ノリ・・コ・・・その・・」
「イザーク?・・」

ニーニャもまたチラと二人を伺い、そのやり取りにふっと微笑う。

「ノリコ、向こうの三つ又の道の所で待ってるわね」
「え・・・ニーニャさん・・」

微笑いながら軽く片目を瞑り、察しの良いニーニャは、先に森の中へと入って行った。
それに対し、少しだけバツの悪い表情になるイザーク。ニーニャが森へ入っていくのを見届けてから、ノリコは再び
イザークに向き直る。

「イザーク・・・」
「・・すまん・・」
「ううん・・いいのよ。ごめんね・・」
「・・・おまえが謝る事じゃない」
「うん・・だから、イザークも謝らなくていいよ」
「ノリコ・・・」

ノリコの肩にそっと両手を掛ける。ふっと、苦笑を漏らした。

「ダメだな、・・・なにやら、妙な不安に駆られる・・」
「イザーク?」
「・・・おまえが、俺の前から・・・その・・・消えて・・しまうのではないか・・と・・」
「ぇ・・・」

自嘲めいた微笑いが漏れる・・・ だが、気持ちは偽れない・・・

「今までなら、会おうと思えばそれが出来た・・ だが・・・」

イザークの言う事にノリコは黙って耳を傾けた。

「式までの二日間・・・会ってもならないというのは・・・いささか俺にはキツイようだ・・」
「・・・イ・・ザーク・・」
「考えなくてもいいような事まで、浮かんでくる・・・ 情けない事だがな・・」

やや俯いたまま、ため息を吐きながら呟く。

ノリコはイザークを見つめ、柔らかくゆっくり首を左右に振った。
目を閉じ、感慨深げに息を吐く・・

そして、彼の胸へと凭れるように身を預けた。

「ノリコ・・」
「イザーク・・」

「・・・愛して・・います・・・ あなた・・・」
「え・・・」

埋めていた顔を、ノリコは上げる。その頬は恥ずかしげに染まっているが、瞳は優しく、そして真摯だ。

「あなたに、あたし、たくさんの愛を貰ったよ・・たくさんの優しさと一緒に・・・」
「ノリコ・・・」
「有難う・・・いつも、あたしを心配してくれて・・・」

「消えないよ・・・あたしは消えない・・・ だって約束したもの・・ ずっとあなたの傍にいるって・・・」

無言のままイザークはノリコをじっと見つめる。

「あたしも、ずっとあなたの傍にいたい・・・ だから・・あたしは消えない・・・ だから・・・」

また、ノリコはその胸に顔を埋める。

「イザーク・・・ 抱きしめて・・・?」
「ノリコ・・」

「・・・抱きしめて・・・ください・・・」

無言のまま、ノリコを抱きしめた。

「あなたの腕の中・・・やっぱり、一番安心する・・・」
「ノリコ」

「・・・ずっと、・・・ずっと傍に・・ あなたの・・一番傍に・・・ いさせて・・・ください・・・」
「ノリコっ」

一層力を込め、抱きしめる。彼女の言葉が身に沁みた・・・

「イザークが好き・・・ あなたが・・・ 大好き・・・」

ノリコの言葉は、どうしてこんなに耳に心地良いのだろう・・・ イザークは思う。
会えなくなるのがもどかしい。このまま時が止まってしまえば良いのに・・・ そう思えて仕方がない。

現実には無理な事だ。だったら、時が早く過ぎてしまえばいい。
そうすれば式の日も来る、もう彼女と離れなくても済む・・・


「あなたと会えないの、あたしも寂しい・・・」
「ノリコ・・」

「でも、楽しみに待ってる・・式の日になるのを、あなたに言われた通り、静かに過ごしながら待ってる・・」
「ああ・・」

「式が終わったら・・・ もう・・離れないよ、イザーク・・」
「ああ・・ 俺も・・ おまえを離さない・・」


抱きしめていた腕を緩め、ノリコの顔を窺う。そしてノリコも顔を上げ、二人は見つめ合った。
穏やかな笑顔・・・ 彼の唇が下りて来て、互いの唇が重なり合う・・・

唇を通し、暫しの間互いの温もりを、確かめ合った・・・


風が、木々の間を流れてゆく・・・―――――



最後の禊の後は、花嫁となる女性は挙式の当日までを親元で静かに過ごす。
準備を全て整え、後は心穏やかにその日が来るのを待つ。
そして、その二日間は婚礼の相手と言えども、会う事は許されていない。

それが三つ目の・・・ 最後のしきたりだった。






イザークとノリコの自宅敷地内―――――

鼻唄を歌いながら、バラゴは前庭の土入れをしていた。彼はそのいかつい外見に因らず花を愛でるのが好きで、
こういう庭弄りにも実は精通している。彼は自宅にも庭を設え、花の苗を買って植えたりして、庭を優美に仕上げているところなのだ。
しかしこの外見で、しかも楽しそうに花の世話をしている彼の姿は・・・ ある意味、他を圧倒するだろう。

イザーク達の家作りを手伝いながらそうした事が出来るのは、町長の紹介してくれた家をほぼそのままの状態で
使っているからだ。所々に若干の手入れの必要はあったが、イザーク達ほど急ぎの用でもない。暮らしながらでも充分に間に合う仕事だった。だから、合間仕事でも充分花の世話が出来たのだ。

バラゴは、イザーク達への結婚祝いとして、自分の好きな事を生かし、こうして庭に花を植えてやろうと思っていた。 勿論イザークやノリコも庭や畑作りをしようとしているのは知っている。そうした夫婦の楽しみとなるであろう作業の妨げにはなるつもりはない。あくまでも前庭だけだ。元から植わっている花を上手に植え替え、バラゴは念の入った仕事振りを披露していた。

そこへ・・・ 馬の蹄の音が聞こえて来る。

「んー?」

戻って来たのはイザークだ。

「おぅイザーク、戻って来たのか。ノリコは無事に森に入って行ったか?」
「・・・ああ」

笑顔のバラゴの問いには、短くしか答えない。その表情も難しげだ。
厩に馬を繋いだ後、彼の前を通り過ぎ、イザークは家の中に入る。

「お、おぃ・・」

バラゴが家に入ると、作業途中だったテーブル用の木にイザークは鑢をかけていた。後から入ってきたバラゴにもまるで反応しない。 そしてやはり無言だ。何かに憑かれたかのように、黙々と作業を続けている。

「おぃイザーク。どうしたんだ? 難しい顔なんてしてよぉ・・」
「・・・・・」
「ノリコに何かあったのか?」
「・・・いや」
「だったら何でそんなに難しい顔してるんだ?」
「・・・・・」

バラゴの問いに、イザークは一度手を止め不機嫌そうに顔を向けた。だが、無言でまた作業の続きに掛かる。 今日のイザークは朝から様子が違っていたのをバラゴは知っていた。答えないイザークに、バラゴは考えられる原因を推し量る。

「・・・そうか、おまえノリコと明後日まで会えないから、それで機嫌が悪いんだな?」

ピタ・・・とその手が止まる。・・・・・・返せる言葉がない。

「図星か。しょうがねぇなぁ〜、会えないっつってもよ、たったの二日じゃねぇか」
「・・・・・」

一度だけ不機嫌そうに眉根が寄るが、また作業を続ける。

「おぃ、・・イザークよ・・」

「・・・何でもいい・・」
「あ?」

「・・・・・・無理にでも、何かに没頭してないと・・・気が狂いそうだ」

「お・・・」

イザークの答えにバラゴは一瞬面食らう。だが、すぐに指で額をポリポリ掻き、んー・・と唸る。

「あのなぁ・・・ おまえがそれを言うと、冗談に聞こえて来ないぜ? イザーク・・」

苦笑しながらぼやく。だが勿論イザークには笑える事ではない。

「まぁ、気持ちは解からんでもないがなぁ〜・・」

そう言うと、床に直に座りながら作業しているイザークの隣りに、バラゴもどっかり座る。

「この家ももうすぐ完成だな・・」
「・・・・・」
「なぁ、イザーク、今夜俺んちで呑まないか?」

バラゴの言葉に、イザークは動きを止めた。

「おまえの?」
「こっち来てから、ずっと忙しかっただろ? おまえも纏まって休めてねぇだろうしよ」
「・・・・・」
「おまえもよ、独り身暮らしとももうじきめでたくオサラバだよ。まぁ、いつもノリコと一緒だから全くの独りって訳じゃ
 なかっただろうがな・・」
「・・・・・」
「だが式を挙げちまえばよ、誰に憚る事もねぇ、ノリコはもうおまえの独り占めだ。おまえには何よりもめでたい事だろ
 うが? 俺も嬉しいんだぜ? おまえは絶対幸せ掴まなきゃならねぇ、その権利があるんだって思ってたからよ・・」
「・・・・・」
「どうだ前祝いだ。な? パァ〜っとやろうぜ? どうせ、夜もやるこたぁ〜ないんだ。おまえの事だから、大人しくグゥグゥ
 寝るとは思えないしよっ」

「・・・・・・バラゴ・・」

バラゴのその言葉に少し困ったような顔を見せる。

「どうせおまえ・・ノリコの事ばっかり気にして一晩中眠れねぇんだろうからなぁ。いかんぞ〜、眠れねぇ〜からって
 悶々と考え事なんてよ。憂さを晴らしたいって時は、景気良くパァ〜っと呑むのが一番だぜっ」
「・・・・・」
「全くおまえときたら、呆れるほどクソ真面目だからな。ま、そこがおまえらしいとも言えるが。だがな、そんなに
 悩むと、俺みたいに禿るぜ?」

またも、イザークの動きがピタと止まる。『怪訝』と『意外』とを足して二で割ったような表情で、バラゴを見据えた。

「・・・悩んで・・なのか?・・・おまえのその、頭・・・」
「・・・あほう。冗談に決まってるだろが」

惚けた顔のイザークを真顔で見据える。だが、すぐにバラゴはニヤリと笑って見せた。






そして、宵の頃合い・・・―――― イザークはバラゴの家を訪ねた。

正直なところ、あまり気乗りはしなかったが、バラゴの気遣いを無碍には出来ないという思いもあった。顔も身体もいかつい男だが、 中身は大らかで優しい、そしてイザークとノリコの事にも何かと気に掛けてくれている。 ザーゴで知り合い、それ以降殆ど共に戦ってきた言わば戦友だ。そして、腐れ縁のようにその後もずっと付き合いは続いており、 同じ町へと落ち着く事が解かった時には、出し抜かれたことで少々の恨み節も出たが、友人として大切にしたい男であった。

が、馬から降り、バラゴの家の前まで行くと、中からなにやらバラゴ以外にも人の声が・・・

扉を叩くと、中から出てきたバラゴは既に上機嫌だった。

「おぅ、イザーク来たか、待ってたぜ。入れよ」

そして、

「よぉ、イザーク遅かったなァ」
「先に始めてたぞ?」

テーブルについていたのは、カイザックとアゴルだった・・・。

「アゴル・・・カイザック・・・ 皆、一緒なのか・・」
「ああ。・・なんだぁ? イザーク、バラゴと二人きりの方が良かったのか?」
「はははっ、後でノリコに言いつけるぞ?」

既に酒が入っている為か、二人とも言葉に遠慮というモノがない・・・。
イザークは苦笑しながら、持ってきた酒をバラゴに渡す。

「おっ、こんなイイ酒持って来てくれたのか? すまねぇなァ、イザーク」
「・・・折角のおまえの誘いだからな」

昼間とは違い、イザークも心なしか笑みを浮かべている。

「よぉ〜し、今夜はとことん呑むぞぉ! 俺は独り身っ、イザークは独り身とオサラバするのももうすぐっ、カイザックは
 女房持ちっ、アゴルは男やもめだあ。丁度面子も揃ってるじゃないかっ、ははははっ!」
「どういう理屈だ・・」

これも酒故の戯れ言か・・・ だが、言っている内容は確かに正しい・・・。
アゴルもカイザックも笑っている。

「座れ、イザーク。ノリコがいたら出来ない話も、今日はするぞーっ」
「・・・? カイザック」

怪訝な顔をするイザークの肩を押さえ、バラゴは席に座らせる。

「まずは呑め呑めっ、話は、それからだっ。カイザックやアゴルから女房の操縦法をしっかり伝授してもらえよっ」
「操縦法?」
「ま、ノリコの場合は、黙っててもおまえに尽くしてくれそうだけどなっ、ははははっ!」

それから、戯れ言も交じえ、男達の酒の量は進んでいった。それこそ、女性達が傍にいては出来ないような話も ポンポン出たのは、酒の所為もあろうか。バラゴもアゴルもカイザックも、ノリコと会えずにいるイザークの気持ちはよく解かっていた。だからこそ、気晴らしにと協力を惜しまない。

カイザックはバラゴから昼間この話をされた時に、二つ返事で快諾した。ニーニャに夜出掛ける話をしたところ・・・ 男同士でいったい何の話を繰り広げるのか・・・と半ば呆れられたが、ニーニャもまたイザークの心情は理解出来るのでせいぜい心を尽くして来なさいよ・・・と笑顔で手をヒラヒラ振りながら言ったものだ。

「という訳だ。ニーニャの了解はとってある。俺に任せておけっ」
「・・・カイザック、おまえ、ホントは惚気に来たのか?」
「・・・何を任せればいいんだか・・・」

バラゴの突っ込みに合わせ、イザークも片手頬杖をつきながら苦笑した。

そして、その後も男達の酒と話は進む・・・。
イザークの翼竜並の稀少さの話題が出て来た時には、流石にカイザックもどよめいた。しかしそれだけノリコを大事に想っているからだというのも知り、反って感心したくらいだ。アゴルは、カイザックとニーニャの馴れ初めも聴いてみたいもんだなと突っ込んだ為、酒の所為で赤いのか、それとも照れの所為で赤いのか、カイザックは言葉を濁す。

「ま・・俺の話は、また・・いずれな・・・」

ちびりちびり酒を呑みながら誤魔化す。その後のカイザックの酒が更に進んだのは言うまでもない・・・。

だがその後・・・ 話の中のある事柄に関して、皆の最後に呟いたイザークの言葉により、

「なにぃぃぃぃぃーーーーーー!!!」

という、男達の一際大きなどよめきが部屋から聞こえて来る事になる。
ここが郊外でなければ、いい近所迷惑といったところだろう。

「イザーク・・・それは勿論冗談なんだろ?」

バラゴもアゴルもカイザックも皆一様に驚きの顔でイザークを見据えた。

「冗談ではない。それに冗談でこんな事は言わん」

イザークはイザークで、照れも笑いもしない真顔だ。彼も結構酒の量は進んでいる筈なのに、その顔には酔っている気配が一向に感じられない。

「しかし、なんでだ? おまえ・・」

「言わなければダメか?」
「・・・いや、言いたくなければ、別にいいけどよ・・」

暫しの沈黙が流れる・・・ 男達はイザークの挙動に注目する。ゴクリ・・という生唾を飲み込む音が聞こえたように思えるのは、果たして気の所為か否か・・・


「・・・破壊の・・化物と・・・」

イザークのその呟きに、他の三人は一瞬ギクリとする。

「そうなると言われて・・育った・・・ だから・・・ 恐かった・・・」
「・・イ・・ザーク・・おまえ・・」
「だから、とても・・そんな気になど・・・そんな無責任な事など、出来なかった・・ いや、正直に言えば、今でも・・・
 恐いと思っている・・」
「え・・おまえ・・この期に及んで・・・ だってよ、ノリコと、一緒になるんだろうが・・・」
「・・・ああ」

そう短く返事をすると、イザークは苦笑を漏らす。そして、三人はすっかり酔いが吹っ飛んでしまった。だが、当然ながら茶化す者などいない。真剣にイザークの話に耳を傾けた。

「一緒になれば、やがて子も出来るだろう・・・ その時生まれる子が、果たして・・・まともなのかどうなのか・・・」
「・・・イザーク・・」
「そういう不安は、今でもある・・ 俺の・・この力、そしてその血が・・子にも継がれるのではないかと・・・」
「ノリコは、どう思ってるんだ? おまえの不安は知っているのか?」
「・・・ああ ・・・知っている」

「何もかも、承知した上で・・・ ノリコは、俺を、受け入れてくれた・・・ 人とは違う姿を・・その前で晒してしまった
 時でさえ・・・ ノリコは俺を恐れなかった・・・ 逃げたりはしなかった・・・」

人とは違う姿―――― イザークはグゼナ国境での事を話していた。そしてカイザックは知らないが、バラゴとアゴルにはセレナグゼナでその覚えがある。一度だけ、イザークが変身した姿を彼等は見た事があるのだ。その時の光景を今更ながらに思い出した。
勿論その時のイザークは、ノリコを救出する為に自身が変化するに任せたのだ。イザークの正体を、そしてその心を知り、その後の彼等の間に揺ぎない信頼と友情が確立されたと言っても過言ではない。

イザークは自嘲する。いや、自嘲気味に見えても、彼の言葉は真剣そのものだ。

「ノリコは俺とは違う。生きていた世界が違うというだけで、普通の人間と変わらない・・・ だが、構わぬと・・
 俺の背負っているものも、共に背負いたいと・・・」
「ノリコ・・らしいよな・・・それだけ、おまえの事を想ってるんだな・・」
「全くだな・・・」
「ノリコだからだろう・・・おまえの悩みも苦しみも、全てを理解してやれるのは・・・ 彼女もこの世界にたった独りの
 存在なんだからな・・」

最初は【天上鬼】を目覚めさせる存在であると、この世界では忌むべきものとされてきた【目覚め】・・・ だが、彼女は特別の力など持たない普通の娘。しかしその娘の存在が、イザークの心を救った。だからこそ彼にとっては、最も必要で、最も得難く、決して手離してはならぬ存在となった。
バラゴ、アゴル、そしてカイザック・・・ 皆それをよく知っている男達だ。それぞれが神妙な面持ちで、しみじみと頷いた。

「だから・・俺は・・・ ノリコだから、欲しいと・・・初めて、感じた・・・ノリコとなら、共に歩んでいけると・・・だから・・・」

「今までも、そうだが・・・ これからも・・・ノリコ以外には、誰も・・・ 欲しいとは思わない・・・」

イザークの背負って来た宿命の重さ。ただ真面目だけではない、その責任感の強さ。己を制御し続けるだけの精神力の強さ。求められて来たものは大きい。いや、大き過ぎる。それをたった独りで・・・

改めて鑑みるに、やはり、とてつもないものを感じずにはいられない。そして勿論、己の宿命を知った後のノリコが、逃げずにずっと今までイザークを支えて来た・・・その功績にも・・・ だからこそ、彼がノリコにだけはその心を許せるのも理解に容易い。大いに頷ける。

たった二日間であっても、会えない事で気が狂いそうになるというその台詞にも改めて重みを感じた。
・・・と、これは彼の先の台詞を聞いたバラゴの場合だ。

畏怖だ。畏怖の念だ。普通、人間がここまでやれるだろうか。まず間違いなく逃げたくなる、そしてまともな精神ではいられなくなる。自分の宿命を呪うだろう、そして周りを恨むだろう。まともでなど、とてもいられたものではない。
だからこそ、この男には畏怖と尊敬の念を禁じえないのだ。


「よく話してくれたな、惚れ直したぜ、イザーク」
「・・・え?」

男が男に惚れ込む、正にそんな心境であろう。

「勘違いするなよ。惚れたと言っても、色恋沙汰じゃねぇぞ。おまえの事は前から凄い奴だと尊敬してたけどな・・
 改めて思うぜ。いや、とても一言では語り尽くせねぇ、俺のこの胸の内はよ・・」

そうして胸に手を当て、しみじみ語る。バラゴは心底、イザークという男に惚れ込んでいるのだろう。

「バラゴ・・」

「俺も同感だ、イザーク」
「ああ、俺もな」

アゴルとカイザック、この二人もニヤリと微笑う。バラゴと気持ちは一緒だ。

「アゴル、カイザック・・」

「よぉーし、任せとけイザーク。俺等三人、だてに経験がある訳じゃないぜっ」
「・・・は?」

テーブルをバンッと叩き、なにやら宣言するカイザックにイザークは面食らう。

「そうだぜイザーク。物事はな、最初が肝心なんだ。おまえ、ノリコの事が大切なんだろ?」
「・・それは、勿論そうだが」

またもニヤリとするアゴルの台詞にも、イザークはやや押され気味だ。


そう・・・ バラゴ、アゴル、カイザック―――― この三人もまた、正義感の強い男達だった・・・。


イザークを労う為の酒の場は、その後真面目な学問所へと姿を変える。しかしながら、やはり女性達がいなくて幸いだったと言えるだろう。男達の曰く【真面目な学問】は結局空が白み始めるまで続いた。

皆、イザークの幸せを願っている気持ちに変わりないのだ・・・
いや、こいつにこそ幸せになって欲しい。そう力強く思うのだ・・・


・・・・・・・だが、その後は、さもありなん・・・。

結局、その【真面目な学問】が終わった後は、呑み直しと相成る・・・。そして、日が高くなってから二日酔い状態で戻って来たカイザックにニーニャが呆れて笑ったのは言うまでもなく、アゴルは預けていたジーナをガーヤの家まで引き取りに行って、散々ガーヤに皮肉を言われ、これまた見事に笑われた。

「お父さんったら・・・」

十歳になるジーナは、未だに父のこんな姿に、こんな言葉を漏らしている。だがその帰る途中で、

「いや、これもな・・・ 全てはイザークの幸せの為なのさ・・」

と上機嫌でアゴルは呟き、しかしながらそれ以上彼は口を開かなかったので、

「 ? 」

父親が酔っ払うのとイザークの幸せと、いったい何の関係があるのか・・・ ジーナにはさっぱり的を射ない父アゴルの物言いだった。

そして・・・

独り身のバラゴと、今日が独身最後となるイザークは、呆れる者も皮肉る者も今のところなく、そのままバラゴの家で一眠りしたという事だ。

無論、雑魚寝・・・だ。

もし今のこのイザークの姿をノリコが見たら・・・ 彼女は呆れるだろうか・・・・・・・・・

平和な一コマとはいえ・・・ その辺は非常に・・・ 興味深い・・・。





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お読みくださり有難うございます。
ウィズリーン嬢の心の闇の中身について、ちょっと触れてみました。
彼女の気持ちも痛々しいです。だからといって、…ではありますがね。
憎しみで得られるものは何もない。それに彼女が気付いてくれたら良いですが…

そして、しきたりの三つ目。禊後は当日まで会えませ〜ん。イザークごめんよ(汗)。。
文中に出てくる森の入り口でのノリコの台詞…、何処かで見覚えあるなぁ〜と思われたお方は
ああ、私の駄文をよくお読みくださってるなぁ〜、有難いなぁ〜、感心感心♪(笑)どうも有難うございます<(_ _)>
解かんねぇ〜ってお方は、似たような台詞が既に何処かで出て来てます。
あの時のあの言葉は、これの事だったんだぁ〜とご理解頂けましたら…幸いなり。
イザークの心に印象深く残っているであろう、ノリコの言葉です。

で、男達のヨイヨイは……なんだ? (^_^; おぉ〜い……なんなんだぁ〜?
えぇと全てを詳しくは描写してません。してませんが、この話題については以前に
「グゼナの憂鬱。。」の中でもイザークの台詞で言わせてますんで、それと今回の話の内容にて、
どうかニュアンス掴んでくださいませ〜♪ 下世話な話ですみません(滝汗)
でも、男達の友情は美しいのです。特に「彼方世界」の男達は、純粋で友想いで、誠にイイ男達ですよ。
みんな大好きだよぉ〜♪
管理人がイザークに抱くイメージ、こんな感じで捉えておりまする。
今どきこんな男はいないさ…とは思うでしょうが、天上鬼の重みに対する私のイメージでもあり。
一つの形として、こんなんもあるさ〜、でご覧になって頂けますれば…これまた幸いなり。

そろそろ終盤に向けていく…予定。。の予定。

幸いなれ、幸いなれ…
全ての者達に溢れんばかりの幸あらん事を…

夢霧 拝(06.10.20)
--素材提供『空色地図』様--


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