天上より注ぎし至上の光 〜 Love Supreme 〜 8




窓辺―――その硝子に映し出される、夕暮れの光景。
そしてそこに佇み、暮れゆく空を窺う深蒼の双眸。

照明も灯さず、翳るに任せた自室の中で、紅色の薄い唇の端がくっと歪む・・・

「ふ・・嵐が来るわ・・・ 今日の日に相応しいこと・・・ふふふ・・」

微笑う―――

何がそんなに愉快なのか・・・彼女は微笑う。
金の髪は艶やかに流れ、彼女の冷たい美しさを象徴するかのようだ。

「・・・・明日の夜までは・・・ゆっくりお休み・・・ 楽しい夢を見るがいいわ・・・ あなたの夢は、もうお終い・・・
 ふふふ・・ 島の民に相応しい行末を、差し上げるわ・・・ ねぇ、明日が楽しみね・・・・」

誰に話し掛けるでもない。だが、彼女は語り、そしてにこり・・・微笑った。


その微笑い声が、響く・・・ 薄闇に、響く・・・―――――

―――――――

――――









鬱蒼とした深い森を前に、一台の馬車が停まっていた。
街から遠く離れたその場にはおよそ似つかわしくない、豪奢なそれ・・・

今にも泣き出しそうな薄闇の空の下、濡れぬようにと自らも雨具をしっかり着込んだ男が、馬車の客席より布に 包まれた大きな荷を担ぎ出す。傍らにいたもう一人の男が、更にその荷に雨避けの布を素早く被せ、二人は森の中へと入って行った。
男達二人が森に入ったのを見届けた後、馬車は動き出す。その向きを変え、元来た道を引き返して行った。


荷を担いでない方の男は、その手にランプと香の煙る器を持っていた。両方とも雨避けが施されており、灯火と立ち上る香りが絶える事はない。 香の煙は彼等二人を取り巻くように漂いながら、周辺に尚その匂いを漂わせる。夕闇に沈みゆく森は静けさを保っていたが、次第にさわさわと風のような空気の流れが生じ始める。

「・・・ったく、今にも降って来そうな空だぜ・・ さっさとそいつを運んじまって、一杯遣りてぇよな・・」

ランプを持つ男が、木々の間から覗く空を恨めしそうに眺めながら呟いた。

「おぃ、その香の石を落とすなよ。それがないと無事に辿り着けんのだからな・・」
「言われるまでもねぇ。さっきからキィキィーと・・ったく、不気味な音をさせやがる・・・」

彼等が歩く道の周辺からは男が言うように、キュィィィィーーーーゥ、キィィィーーーーーゥ・・・と、なにやら甲高い 奇妙な音がしていた。まるで何かに苦しみ呻くかのような響き。そして暮れ急ぐ闇が、その不気味さに更に輪を掛ける。

「大丈夫かよ、ギス・・・ その荷・・落とすなよ・・」
「心配するなザイン、大して重くはない。さあ余計なお喋りは終いだ。・・行くぞ」
「おぉ・・」


森を抜けた所に、ゴツゴツとした大岩が切り立つ山がある。隣り町との間を隔てるように高くそびえるその山を人はレイズ山と呼ぶ。 多くの獣がそこを棲み処とし、未だに人を見るや襲い掛かるのもいるが故、町の人間がこの山に近付く事は殆どない。
・・・元より、花の町側からはこの山に決して近付けない立派な理由が他に存在するのだ。
だがこの男達の目指している場所は、人が滅多に立ち入らないというそのレイズ山にあった。



山の奥所まで入って行くと一軒の山小屋がある。男達はそこを訪れていた。
錆付いているのか、ギギィィーー・・・と蝶番の音を喧しく立てながら扉を開けたザインは、中の空気に顔を顰めた。

「ぅ・・何だ? ここは・・・ 随分と・・カビ臭ぇ・・」
「・・・何年も使われてなかったからだろう」

荷を担いでいる男・・ギスは、別段表情も変えず淡々と応える。

山小屋には、中に入れば寝泊りにも適した部屋が何室か設けられてあった。
中央の山狩りを好む豪族が、狩りの際の休憩用にとかつて造らせた物で、粗末と言えども庶民から見れば頑丈な佇まいである。 だが、かの元凶による影響はこの山にも例外なく生じ、恐れられたが故に何年も使用されずにいたのだ。 次第に荒れていったそこは、雨風を凌ぐ事は未だ充分に可能なものの、非常に裏寂しく、夜ともなれば更に気味悪く感じられた。 やはり好んで訪れるような場所ではない。

彼等は一番奥の部屋へと移動し、散乱していた木箱を無造作に退け、担いできた荷を床へと降ろす。
その際荷を包んでいた布の一部がはだけ、中から細長いものがさらりと零れるように覗いた。

「しかし、こいつをここに置いてくるだけだってのに、依頼主は随分と報酬を弾んでくれるらしいな」

荷を見据えながら、ザインはくくっと笑う。

「この山には未だ危険な獣が多い・・それに下の森もな・・・ だからだろ・・」

「・・・ま、なんにしてもオイシイ依頼という訳だぜ、へへへ。・・・しかし、改めてじっくり見ると・・なかなかだな」
「・・・ザイン?」

荷の布を捲りながら哂うザインを、怪訝な顔で見る。

「そう思うだろ? こんな上物、近隣の国でもなかなか手に入らねぇぜ。只で置いてくって法はねぇさ・・」

「それでも、置いて来いという命令だ。手は出すな」
「・・・んー?」

乗ってこない相棒に、今度はザインが怪訝な顔を顕にする。

「・・なんだ・・おまえらしくねぇなぁ〜、ギスカズールよぉ・・どうした?」

言いながら哂う。だがそのギスカズールは、やはり無表情のままだ。

「どうもこうもない。ここに置いて来いという命令だ。それで報酬も得られる・・」
「な・・に?」
「それだけだ。さあ、もうここには用はない、行くぞ」
「・・おっ、おいっ!」

立ち上がり出て行こうとしたギスカズールの肩を掴んだ。

「ちょっと待てよっ。随分とイイ子ちゃんじゃねぇか・・・何殊勝な事言ってるんだ? 今までのおまえは何処へ行った?
 黙ってりゃ解かりっこねぇだろうがっ。こんな上物、黙って見過ごすのかぁ? 冗談キツイぜ?・・」

尚も哂うザインを見据える眼差しは何処か冷たい。まるで睨むかのような一瞥の後、言葉を継いだ。

「報酬は全部、おまえにくれてやる」
「・・・はぁ?」
「聞こえなかったのか? 今度の報酬は全部おまえにくれてやる。そう言ったんだ」

予想もしない相棒の返答に、流石のザインも面食らう。唖然と見つめるその表情は、まるで気でも違ったのかと言わんばかりだ。 だが、ギスカズールの表情にはやはり何の変化もない。

「・・・な、何・・言ってんだよ、ギス・・」
「言った通りだ。解かったらさっさとここから立ち去れ。石の出す香煙の所為で、獣達がざわめいている。ここにも
 押し寄せて来るかもしれん。ぐずぐずしてると、楽しむどころではなくなるぞ? それでもいいのか?」
「・・・そ・・そりゃ、そうだが・・」

言葉に詰まる。ギスカズールの言い分には頷ける・・・だが、それでも荷に向けるザインの表情には未練が窺えた。

「更に、おまえの言うそのお楽しみとやらの間に、こいつに気付かれでもしたらどうする? そして逃げられてみろ、
 全てが終いだ。依頼主にも知れるだろう。そうなったら、報酬どころではなくなるぞ?」
「く・・・」
「だからとて掴まえて殺す訳にもいかん。そも殺すなという命令だ。それにこいつの仲間だって莫迦じゃない、
 そろそろ気付く頃だろう。だが、見つけられる訳にはいかんのだ。今回のヤマは単純そうで、実は厄介だ・・」

反論出来ぬまま、ザインは唇を噛んだ。

「悪い事は言わん。報酬が下りたら、おまえは今夜中に隣町を目指せ。街へ戻ろうなどと思わぬことだ」
「ちっ・・・」

「くそっ、仕方ねぇな・・ 解かった、そうするぜ。金が貰えなけりゃ意味がねぇ・・」

渋々承知すると、ザインは小声で毒づきながら部屋の外に出た。

その姿を見送りながら、ギスカズールはさながら苦虫を潰したような表情で、暫しその場に佇んでいた。
彼もまたその髪は長く、やや俯いたその精悍な顔にさらりと髪が掛かる。そして、部屋の奥に視線を移す。
近寄って荷の上部の布を解くと、中から薄茶色の細い髪、更には色白の肌が覗いた。しかし暗い部屋の中、
その肌は蒼白く見える。・・・男は眉を顰めた。

上着の胸元から別の香の石を取り出し、それを器の上に置き、火を灯す。
石は香りを漂わせつつ、静かに燃える・・・


「何してるんだギスっ、マジに雨が降りそうだ、先に行くぞっ」

ピクリ・・・ ザインの声に一瞬身体が震え、チラと扉の方を向き、

「あぁ・・」

短く答え、立ち上がる。床に置いた荷を見下ろし、苦悩に歪む表情を窺わせたまま、息を一つ吐く。
そして目を瞑り・・・


「・・・すまなかった・・」

小声で一言そう呟いた――――


そしてすぐさま、彼はその部屋を後にした。部屋の扉、更には小屋の入り口の扉に鍵を掛け、男達は下山した。


遠くの空では、時折白い光が瞬間の煌きを見せるようになっていた。
男達の下山後、暫くして雨がぽつぽつと降り始める。次第に雨音は強くなり、更に白い煌きには音も交じり、 それは徐々に近付きつつあった。獣達の遠吠えも、微かに聞こえている。

香の石はその香りの紫煙を燻らせる。そして荷の周りを静かに取り巻いてゆく・・・









「いったい何がどうなっている・・・ 何故・・ノリコが出掛けて行く事になったんだ・・」

厳しくも戸惑いの混じる表情で、イザークはガーヤに問い質す。


彼等はその場所を酒場から町長の家へと移していた。

事が事だけに、外部の人間も混じる酒場での話し合いは出来ない。そしてノリコと直前まで一緒にいたジーナは、先にガーヤによって ニーニャの下に預けられていた。ノリコを探すのにジーナまで引き回す訳にはいかない。それにジーナ自身、ノリコが戻らない事で 相当動揺しており、ノリコの行方をすぐに占う事が出来ずにいた。その為、ニーニャがずっと傍について彼女を慰めていたのだ。今はアゴルがジーナをその腕に抱いている。

外は今も雨が降り頻る。その為ニーニャは、濡れてしまった皆に拭き上げ用にと厚手の布を渡していた。 ガーヤの表情は、先ほどから苦渋のそれだ。そして、皆の間に漂う空気も重苦しい。

「すまないイザーク・・・ あたしが姉さん達の宿を訪ねていた間になんだよ・・・ まさか、こんな事になるとは・・・」


手掛かりの端すら掴めない。もどかしさが募る・・・
ここへ来るまでも、イザークはずっとノリコに呼び掛けていた。しかしその全ては徒労に終わっている。

まず遠耳が通じない事がおかしい。通じないとは即ち今彼女の意識がないという事だ。
ならば寝ているのか?・・・しかし刻限から言っても就寝にはまだ早い。しかも明日の挙式を控えているのに、出先で眠るなどというのも考えにくい。
何かの事件に巻き込まれてしまったのか・・・ そも・・ノリコを連れて行ったというその男とは何者なのだ・・・?

イザークは焦っていた。眠っているだけならば、何度か呼び掛ければ気が付き返事をしてくれる。だが、こんなに呼び掛けているのに、 未だ何の応答もない。彼女の安否を確かめるどころか、その居処の手掛かりさえ全く掴めないのだ。 それがイザークを余計に焦らせていた。


「誰もこんな事になるなんて想像もしない事よ。ガーヤの所為じゃないわ」

ニーニャが気遣うようにガーヤの肩に手を添えながら告げる。

「とにかくノリコの居場所を突き止めるのが先だぜ。ノリコを連れて行ったというその男とは、いったい何者なんだ?」

「リスムが言うには、黒髪で長さは背の中ほど・・・そう、あなたに背格好がとてもよく似ていたそうよ、イザーク」

バラゴの問いに、ニーニャはリスムから聞いた男の特徴を告げた。リスムもまた部外者である為、立ち入った話を聞かれる訳には いかなかった。その為、ノリコは皆で必ず探し出す旨を伝え、自宅に戻らせたのだ。

「何・・だと?」

ニーニャの言葉にイザークは目を見張る。

「だから、もし道で見掛けられたとしても、多分イザークと歩いていると思われたかもしれないわ・・」
「それは・・有り得るな・・・」

アレフが呟く。

「しかも、この街ではその男を知る者はいないんだ・・」

街の人間の事なら大抵の事は知るカイザックにも、男の素性は不明だった。町長の娘であるニーニャも然り・・・
カイザックの言葉に頷くだけだ。

「ごめんなさい・・・」
「・・・ジーナ?」

アゴルの腕の中でジーナが弱々しく詫びる。その顔は今にも泣きそうだ。

「あたしあの時、石を持ってなくて・・・」
「あぁ、おまえの所為ではないよ、ジーナ・・」
「・・あたしノリコと、近所の子ども達にお菓子を届ける為に歩いていたの・・・そしたら、声を掛けられて・・・」

父アゴルに宥められ、ジーナは少しずつ話し始める。

「ノリコに婚礼の祝いを言いたいからって・・・ノリコは優しいから、身体が弱くて出て来れないご主人の為にって、
 あの男の人について行ったの・・・ 用が済んだらちゃんと送り届けるからって、必ず送り届けるからって、あの人は
 そう言ってたのに・・・ それなのに・・・・・」
「ジーナ・・・」

アゴルはジーナの背をポンポンと優しく叩いた。


「イザーク・・ノリコの気配はどうなんだ?」
「・・・微弱で掴みにくい・・・ せめてあいつと遠耳が交わせれば・・・」

横にいるバラゴに問われ、イザークは応える。ノリコの気配だって、当に探っている。だがそれさえ微弱にしか感じられないのが更に もどかしかった。まるで霞が掛かっているようにぼやけている・・・ 何かに阻まれているかのような・・・そう形容しても良いくらいだ。今までこんな事などなかったというのに・・・

「くっそう〜、なんだってノリコがこんな目に遭うんだよっ!? イザーク、おまえ本当に心当りないのかっ!? ノリコに悪心を
 向ける奴のっ!」

業を煮やしたバーナダムがイザークに掴み掛かった。

「止さないかっ、バーナダム・・・」
「しかしっ!・・アゴルっ」
「おまえの気持ちは解かる。この場にいる誰もが同じなんだ。だが、控えてくれ・・・ジーナが怯える・・」
「・・・ぁ・・」

アゴルに静かに窘められ、バーナダムの顔が赤くなる。ジーナは震え、目には涙も見えていた。

「すまん、ジーナ・・・つい・・俺・・」

アレフがバーナダムの肩をぽんぽんと叩く。


「お父さん・・・あたし、もう一度占ってみる・・」
「ジーナ・・大丈夫か?」
「・・・だって、あの時石を持っていれば、あの人の事も見えたかもしれないのに・・・持ってなかった所為で・・・
 ノリコの為だもの、早くノリコに帰って来て欲しい・・・だから・・・」
「そうか・・今はおまえの占いに頼るしか、術がないようだ・・」
「うん・・」


ジーナの言葉で、アゴルは傍の椅子にジーナを腰掛けさせた。皆の見守る中、ジーナは瞼を閉じ首から掛けた占石をそっと握り、祈るように願う。


―――お願い、石さん・・・ ノリコを探す手掛かりになるものを、何か見せて・・・お願い・・・教えて・・・―――


【目覚め】であるノリコの姿は見えない。だが、何か人のような姿がその脳裏に浮かんだ。それは複数に及ぶ・・・

「ぁ・・・人が見える・・・何人かいるよ・・・」
「ジーナ、それは、どんな格好の人物だ?」

慎重に訊ねるアゴルにジーナは頷き、言葉を続ける。

「男の人・・・黒髪で・・背の中ほどまである・・・背が高くて・・・それから・・・目がきつい・・ 頬はふっくらしてない・・
 お父さんみたいな・・鍛えられた感じの・・・」

「黒髪?・・きっと、そいつがノリコを連れて行った奴だろうな」

バラゴの呟きに、イザークも唇を噛む。

「それから・・・背が低い男の人・・・背中が丸くなってる・・・髪は、赤茶で癖がある・・・頬はごつごつがいっぱい・・・」
「せむしでごつごつ? 痘痕顔か?・・・」
「えっとね、馬車が見えるの・・・黒くて大きくて、凄く立派な馬車・・馬車の御者台に乗ってる・・・」

「黒くて立派な馬車・・・」

繰り返すようにイザークは呟く。ふとその脳裏にある事が思い出された。

「心当りがあるのか?」
「・・・確か・・・あれは、十日ほど前だ・・黒い大きな馬車に、危うくノリコが轢かれそうになった」

イザークの言葉に皆が注目する。

「なんだと〜? そんな事があったのかよ、イザーク・・」

イザークは頷く。

「それでノリコを庇い、道端に跳んで避けた。その時の御者の男に風体が似ている・・」

「ジーナ、他には何か見えてくるか?」
「ん・・・ちょっと待って、・・・ぁ、別な男の人・・・えっと、髪は銀・・・凄くきつい目・・・ギラギラしてて・・・・・恐い・・」
「大丈夫か・・ジーナ」

ジーナは肩で息をしていた。

「疲れたのか? 少し休んだ方が・・」
「ううん、ノリコの為だもん。あたし頑張るっ・・」


―――お願い、もっと手掛かりになるものを見せて・・・石さん・・・お願い・・・―――


ジーナは一生懸命に願った。そして、その脳裏に見えてきた映像は、今度は女性のものだった。

「女の人・・・」
「女?」

「凄く綺麗な人・・・髪は金色で長い・・・腰よりも長い・・・凄く綺麗なキラキラな服を着ている・・・キラキラ光る
 飾り物もいっぱい着けてる・・・ でも、冷たい・・・凄く冷たい感じ・・」

そこまで見えた後、映像は消えた。

「もう見えない・・」
「ジーナ・・よく頑張ったな。休め・・」
「うん・・ お父さん、それとね、ノリコを連れて行った人が、この町のアーヴィスって言ってたの・・」
「アーヴィス?」

アゴルの問いにジーナは頷いた。

「カイザック、そいつはこの町の人間か?」

しかし、その問いにもカイザックは腕を組んで難しい顔だ。

「黒い馬車の持ち主は、この町の人間じゃない。そして、アーヴィスという姓の者も、この町にはいない」
「何だって? どういう事だよ、振り出しに戻っちまったじゃねぇか」

バラゴの台詞をイザークが遮る。

「いや・・確かに、あの馬車の持ち主はこの町の人間じゃないと聞いた・・」
「イザークはその人物に会ったのか?」
「ああ、黒髪と銀髪の男は解からんが、御者の男と金髪の女には覚えがある・・」

カイザックの問いに、イザークはその思い出した事を告げた。

「ふむ・・・アーヴィスか・・」
「勿体ぶるなよカイザック、何か解かってるんだろ?」

じれったい表情で詰め寄るバラゴに、カイザックは再度顔を上げる。

「いや、アーヴィスという姓の者は、本当にこの町には存在しないんだ。但し、その金髪の女の家の姓を、ルド・ア
 ルヴィスタと言う。父親がこの国でも名の知れた豪商で、ザキライ・・母親はネイス。二人とも王都に住んでいる。
 そして娘の名はウィズリーン。ウィズリーン・ルド・アルヴィスタ・・・この町の外れの樺の茂る林の中に別荘を構え、
 今も娘が滞在している・・」

「随分詳しいんだな・・」
「ああ、その父親に関して・・実は、あまりいい噂を聞かんのでなァ・・」

アゴルの問いに苦笑を交えつつも、カイザックは淡々と答える。

「なるほど・・ルド・アルヴィスタ・・・ 少し違うが・・・まるっきり似てないとも言えないね・・」

アレフが呟き、皆も頷いた。

「だが不可解だ。イザーク達との接点も大してないし、それに動機が見えん。御者の男は彼女の従者だ、勝手な
 判断で動き回れる人間じゃない。彼女がノリコに悪心を向ける動機が、まるで見えてこない・・」

カイザックは尚も渋い顔を見せる。

「んなもん、踏み込んでみれば一目両全じゃねぇかっ、とっ捕まえてちょっと縛り上げりゃ、吐くぜ?」

「おぃおぃ、バラゴ・・・事態はそう単純ではないよ?」
「なんだよ、アレフ・・?」
「決定的な証拠がない以上、むやみに捕まえる訳にもいかないんだ・・」
「その通りだ。動機が解からん・・証拠もない・・」
「しかしだな、こうしている間にもノリコの身に何か・・」

納得がいかぬ様子のバラゴとアレフの会話の最中、イザークは部屋を出て行こうと踵を返す。

「待てっ、何処へ行く、イザーク・・」

カイザックが呼び止める。その声に背を向けたまま、答える。

「探す。その男達を・・・そしてノリコを・・」


「ちょっと待て。この雨の中、そいつ等が街にいるかどうかも解からんのだぞ? それに、ノリコについては
 あんたは今は・・」

ピクリ・・・ カイザックのその言葉に反応し、イザークは僅かに振り向く。

「・・・今は、何だ」

その視線は厳しい。そして、カイザックの視線もまた厳しい。

「探しに行くなと、そう言いたいのか?・・・放っておけと・・?」

皆の視線がイザークに注目する。

「そうは言わん、探しには行くさ。・・・だがそれはあんたじゃない。他の皆が・・」

カイザックの言葉が終わらない内に、イザークはこちらに身体を向けた。その視線は依然厳しく、拳もぐっと握られている。

「何の冗談だ、カイザック・・」
「・・イザーク・・」
「何故俺が探しに行ってはならんのだ?」
「・・・・・」
「・・・しきたりだからと・・・そう言いたいのか?・・」
「・・・残念ながらな・・」

その肯定の回答に、イザークは歯を噛み締める。固く握り締められた拳は若干震えていた。

「くっ・・・しきたりだとっ・・・!」

目の前のテーブルに拳を叩きつけた。その視線はカイザックを鋭く睨んだままだ。
彼に対して憎しみはない。だが、その台詞が許せない。イザークの表情にはその感情がありありと窺えた。
全身からぴりぴりとしたものが漂っており、それは周りを威嚇するに充分だった。

「・・・そんなものが何になるっ・・」
「・・ィ・・イザーク・・・」

敏感に空気を感じ取りバラゴも声を掛ける、が、それ以上の言葉が見つからない。その心情を痛いほどに理解しているからだ。

「では訊くが・・・そのしきたりとやらは、ノリコを護ったのか?・・カイザック・・」

睨みつけたままイザークは問う。カイザックは黙ったままだ。

「あいつだってしきたりを守っていたっ! ではそのしきたりの方は、ノリコを護ってくれたのかっ!!」

イザークの叫びは、部屋中に響き渡る。

「しきたりが人を幸福にするのか? 守らねば不幸になると言うのか?・・・そんなもの、クソ食らえだっ!!」
「・・・・・」
「そんなくだらんものを守らねばならんが為に・・・今の俺は、既に不幸のどん底だっ!!」
「イザーク・・・」
「しきたりがノリコを護ってくれたのかっ!! 答えろっ!!」
「・・・・・」


「俺が莫迦だった・・・何故今更・・こんな思いをしなければならん・・・ノリコの行方もその安否も知れず、身動き
 すら取れん。こんな・・歯がゆい思いに苛まれてまで・・・・・・」

「それでも・・探しに行くなと言うのかっ!!」


「イザーク・・・」

思い余ってバラゴが歩み寄る。

「カイザックだって、悪意で言ってる訳じゃない・・とにかく落ち着け・・闇雲に探したって、埒が明かないだろが?」

ぴりつく空気の中、バラゴは懸命に執り成した。
イザークは相変わらず、カイザックを睨むように見据えている。

「雨の中だって構わん。街にいようがいまいが関係ない。たとえ地の果てだろうが、探しに行って見つけ出す。
 そしてノリコも取り戻す。あんたの指図は一切受けん」

「イザーク・・」
「イザーク・・・」
「お、おぃ・・・」

仲間達が声を掛ける中、イザークは再び扉に向かおうと踵を返す。


「・・・待ってっ!」

その瞬間、ジーナが叫ぶ。皆の視線が、今度はジーナに集まった。イザークもまた立ち止まり、チラと振り向く。

「ジーナ・・どうした?」

アゴルが訊ねた。

「また見えたの・・・さっきの黒髪の男の人・・」
「何だって?」
「いる・・いるよ・・この街の中に・・・だからイザーク待って!」

「ジーナ・・」

その言葉にイザークはジーナを見据えた。

「街の外れの、小さな店・・・そこに姿が見えるの・・さっき見えた男の人と同じ・・・ それから、もう一人・・」
「まだ・・見えるのか?」
「赤茶の髪の・・・」
「御者の男か?」
「うん、お父さん・・・街の中ほどの・・・アル・・ベ・・ザ・・・」
「アルベザガルナの店だぜっ」

バラゴが叫ぶ。

「街の外れの方の小さい店は、タナン・ルダの店だ。間違いないだろう・・」

カイザックも答える。

「よくやったぞ、ジーナ」

アゴルはジーナを抱きしめた。

「お父さん・・でも銀の髪の人は見えないの・・・多分街にはいない・・」
「いや、それでもきっと、ノリコの手掛かりが見つかるさ・・」

「おぅさ、少なくとも黒髪がノリコを連れて行ったのは確かなんだからなっ! そいつ等がトンズラしない内に
 行くぜぇ〜!」
「くそぉ〜、必ず捕まえてやるっ!」

バラゴ、そしてバーナダムもやる気満々だ。

「黒髪の方には俺が行く・・」
「イザーク・・」
「反対しても無駄だ・・」

カイザックは、まじまじとイザークを見る。

「・・しないさ。だが、引き止めて良かっただろ? おかげでジーナが占えた」
「・・・・・カイザック」

さっきとは違ってニヤリと返され、イザークは一瞬詰まり、困ったような表情をその顔に浮かべた。

「じゃあ、俺達はもう一人の痘痕男を捕まえてくるぜ。へへへ、たっぷり吐かせてやるぜぇ〜」

指をボキボキ鳴らせながら、バラゴはニヤついた。

「違うでしょ?バラゴ・・ 『にこやかに穏やかに、たっぷりと事情をお伺いする』 でしょ?」
「へっ、同じことじゃねぇか。それにアレフの『穏やかな事情伺い』とやらの方が、余程ねちっこそうだぜ?」

笑うアレフの皮肉めいた台詞にも、バラゴはニヤリと返した。


「ジーナ・・」

イザークはジーナの前に歩み寄り、屈む。

「有難う、ジーナ・・・・すまない・・怒鳴り声を上げてしまった・・・」

礼と詫びとを告げる。ジーナを見つめるイザークの瞳は先ほどまでとは違い、優しげな光を纏っている。
手探りでジーナはイザークの手を包むように取った。
ノリコよりも小さなその手・・・しかし彼女もまた優しさに溢れ、その手は温かかった。盲いた瞳でにっこり微笑む。

「・・・ジーナ」
「必ず、ノリコを見つけて・・?」
「ああ、必ず」



そして雨の中、バラゴ、アゴル、バーナダムの三人はアルベザガルナの店へ向かい、イザークは、カイザック、アレフと共にタナン・ルダの店に向かった。

尚、不測の事態で怪我などされては困るからとアレフにきつく言い渡され、ロンタルナとコーリキについてはこの場に残された。 父親である左大公からくれぐれも頼むと、アレフとバーナダムは仰せつかっている。
いい加減子どもではないのだから・・・との声も聞こえてきそうだが、やはり左大公のご子息である事には変わりなく、 滅多やたらな事があってはならないのだ。それにグローシアに知れても、きっと只では済まされないだろう。

アレフの言葉にロンタルナとコーリキの二人が不満を顕にしたのは、言うまでもない。
遊びではないのは重々承知している、が、そこは男たるもの、しっかりと捕り物には参加したいのだ。
それでも捕まえた男達を後でたっぷり事情聴取出来ると聞き、渋々承知した。ロンタルナとコーリキは、その事情聴取に対し実はやる気満々でいるのだ。

ニーニャとガーヤはジーナを見守りつつ、とりあえず再びずぶ濡れで戻るであろう男達の為に、大量の拭き上げ布と温かな飲み物の用意に取り掛かる。 土砂降りの中、雨具など大して役に立ちそうもないだろうから。

誰もが、来たるべきその修羅場に備えた・・・――――









窓の外では相変わらず雨が降り続く。そして時折煌きと共に雷鳴も聞こえる。
こんな日に外に出る者など、恐らく相当の物好きである。
雨は気温を一層下げた。そんな時に身体を温めるのには、酒はもってこいかもしれない。
だがそれは、何もわざわざ酒場に出掛けてまで・・・という訳ではない。


「しかし、お客さんも物好きだねぇ、こんな日に出掛けて来ようなんてさ・・」

唯一人の客に店主は声を掛ける。店主にまで物好きだと言われる始末だ・・・
やはりこんな日に出掛けて来る客は珍しく、相当の物好きだと思われても仕方がないだろう。

「こちとら、こんな日は商売上がったりでさ、もう閉めようと思ってたところさね・・」
「そうか・・すまんな・・・」

店主の言葉に、客の男は控えめにそう告げた。

「いや・・・しかし、お客さん、町のモンじゃないな? この辺じゃ見掛けない顔のようだ・・」
「ああ・・野暮用でな・・しかし、もう町を出る・・」
「そうかい。だがこの雷雨でしかも夜だ。下手に動かない方が利口だよ。なんなら泊まってくかい? 部屋はあるよ」
「・・・宿の世話もしてるのか・・?」
「普段は殆ど宿の方はしてないよ。ま、ご覧の通りの酒場だがね、食事の心配なら無用さ」

酒の器を手の中で軽く傾け、男は薄く笑った。揺れる液体を見つめるその顔は、何処か寂しげだ。

「・・・ご好意は有難いが・・・どうやら、雨に打たれて帰るぐらいが丁度いいようだ・・」
「・・・訳ありかい?」
「まぁ・・な・・」

男の器に店主は酒を注いだ。怪訝な顔で男は店主を見る。

「一杯ご馳走するよ。何があったかは知らないがね。人生にはイイ事もあるってさ・・・」
「ああ、すまん・・・」
「なんの。元凶が消えただけでも、世の中にはイイって事だよ。人は平和に、のんびりと暮らせるさ。そうそう、
 明日には街で婚礼のお披露目があるんだ」

ピクリ・・・ 店主の言葉に、男の手が止まる。

「婚礼・・・店主の縁の者か?」
「いや違うよ。この町に移ってきたという若い二人でね。これがまた滅法イイ男と、そして気立てのイイ可愛らし
 い娘さんでさ。睦まじげに歩いているのを見掛けたよ。そういえば、お客さんに少し感じが似ているかなぁ・・
 顔とかじゃなく、髪の色と雰囲気がね・・それに体つきも似てるようだ・・ ふ、お客さんも結構イイ男だしなぁ」

「・・・・・」

男の表情が翳る。

「この雨も、明日には上がるだろうからなぁ〜。晴れれば素晴らしいお披露目になるだろうさ。この町が好きだと
 言ってくれた娘さんだ、有難いねぇ〜。それに笑顔もまた、とびっきり可愛らしくてねぇ〜」
「・・・そうか・・」

にこにこ顔で話す店主に、男はそれしか答えられなかった。


器の酒を飲み干すと、男は懐から小袋を取り出した。中から路銀を一枚取り出し、器の横に置く。

「いい酒だった・・有難う・・」
「行くのかい?」
「ああ・・」

短い返事と共に、男は傍に置いてあった雨具を着込む。

「気を付けてな・・」
「ああ・・ご馳走さん」
「なんの・・」

「しかし、酷い降りだなぁ・・・こりゃ〜雨具も役に立たんよ、帰るまでにずぶ濡れだ・・」

窓の外を眺めながらの店主のぼやきに、ふっと笑いながらも目で挨拶すると、男は店の扉を開けた。



・・・・・・・・・だが・・・、


「ひゃ〜、ずぶ濡れだよ・・・しっかし、こんなんでホントに明日は晴れるのかぃ〜?」
「・・ああ、その筈なんだがなァ・・」

ずぶ濡れをぼやくアレフ、そして同じく濡れながらも、それにニヤリと答えるカイザック。

更に・・・、

「あれ、カイザックさんじゃないか・・・それに・・あんた・・・確か、明日の・・」

店の奥から気付いた店主が声を掛けた。
店を出ようとしていた男の表情も、にわかに変わる。

「・・・・おまえは・・・」

思わず言葉が洩れた。


走って来たにも関わらず大してその呼吸を乱すことなく、男の目の前にイザークは立っていた。
鋭い眼差しが男を捉える。

「・・・あんたに、訊きたい事がある。・・・一緒に、来て貰おう」






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佳境その一。頑張れ、イザーク。

またオリキャラ。すみません。でも彼はこの回にしか出て来ないです。
ザインさん…金と女に目がない、手段を選ばん殺し屋さんです。
しかし、ギスカズールさんの話術には敵わないようです。
そして手段は選ばんけれど、命が惜しい…そんな奴です。
でも一応殺し屋さん…(こわこわ…)

んー…ギスカズールさんは何を考えているのでしょうね。
それが解かるのは、多分次回という事で…

時間掛かってすみません。予定が狂いっぱなしです orz..
次回イイとこまで進みたい。…ああしかし、天啓…下らんのぉ。。
心落ち着け、落ち着け…頑張れ管理人。…はぃ。

夢霧 拝(06.12.11)
--素材提供『W:END』様--



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