怯える街 --怪訝の言の葉-- 3 


「へっへっへ・・・・大人しくするんだなぁ〜。殺されたくなかったら、俺達の言う事聞いて騒がない事だぜ・・」


いきなり侵入してきた二人の男達を前に、ノリコは真っ青になっていた。

(宿のおかみを信用するなってイザークに言われてたけど、本当だった・・・こんなことになるなんて・・・ でも、こ
 こに盗賊が来たって事はまさか、イザークに何かあったんだろうか・・・ 彼に何もなければいいけど・・)


彼等は宿のおかみの手引きで部屋の中に侵入した。

イザークの事が心配でなかなか寝付けなかったノリコは、驚いて飛び起きベッドから降りる。恐怖に身体が一瞬竦んだが、 震えながらもその瞳は気丈に男達を睨みつけている。

「へっ、震えながら俺達を睨んでるぜ?へっへっへ・・」
「・・なかなか見上げた根性じゃないか。恐くねぇのかぁ〜?」

男達の後方、扉の傍には宿のおかみがいた。その手には直径5センチほどの太さの棒が握られている。

「ちょっと、あまり大声出さないでおくれ・・・他の客に解かっちまうじゃないかっ」

声を潜めて話すおかみに、男の一人が舌打ちする。

「へっ!…んなこたあ〜解かってるよ。・・・ババアは少し黙ってろってんだ・・・」
「いいけどね、見つかって困るのはあんた達なんだよ。そうなっても、あたしは知らないからね」

おかみは、せいぜいたっぷりと皮肉を込めて嘯いた。

「けっ、これだから、ババアは・・・」
「まあ、言うな。俺たちは、この女と金さえ手に入れば、それでいいんだからな」

そう言うと、男達はまたノリコに視線を移し、間合いを詰めていく。その手には縄や布が握られていた。

「くっ・・・」

(捕まってたまるもんですかっ!・・)

咄嗟にノリコは、傍にあった枕を掴むと男達に向かって投げつけた。その枕は男の一人に見事に命中する。

「がっ!・・・なんだこのアマ!」

『冗談じゃないわっ!・・・誰があんた達なんかにっ!』

悠長にこの世界の言葉に変換などしてる余裕はなかった。
日本語で叫びながらも、ノリコは鞄を振り回して威嚇したり、とにかく手当たり次第そこらの物を投げつける。

そして最後に投げた玻璃の硬い水差しが当たるが、

「ぐあっ!・・・・くそ・・なにしやがる・・・このっ・・・」

当たったその額からは血が流れ、それを押さえながら男はもの凄い形相で、ノリコを睨みつけた。
中の水を被った為に髪から顔、そして服も濡れている。

「くっそおお!このアマ・・・下手に出りゃ〜いい気になりやがってっ!!」





この部屋は、他の客室からは奥まった所に、離れのように設えてある。だが、流石にさっきからの物音で他の客が気が付いたようだ。

「なんなんだ、この音は。夜中だぞ・・・眠れないじゃないかっ・・」

言いながら近づくその声に、おかみが慌てて弁解しに行く。

「ああ、すみませんねぇ、ちょっと取り込み中なんですよ。・・・いや、もうすぐ済みますがねぇ、ホントにもう相すみ
 ません、お客さん・・・」

おかみの説明に、客はぶつぶつ文句を言いながらも、部屋へと引き下がって行った。

ホッと胸を撫で下ろしたおかみは、またノリコのいる部屋へと戻ると、扉をしっかりと閉める。

「客が気付いてる・・・早くしないと・・・」

男たちに促すように小声で言うと、その視線をノリコに向けた。

(本当に・・・早くしとくれよ・・・このままでは・・・)





そして気丈に振舞っていたノリコも流石に投げる物が無くなり、竦んだ表情をその顔に浮かべた。

後ずさりするが、程なく窓の感触を背に感じた。振り返って外を見るが、ここは二階。・・・飛び降りることすら、ままならない。

咄嗟にノリコは覚悟を決め、すぐ傍の男にぶつかるようにして不意をつき、扉まで走った。

「なっ!逃げやがるぞ!?このっ!おい!」
「おおっ!」

しかし、もう一人の男に行く手を阻まれ、その腕を掴まれる。

『あっ!・・・』

そして更に、追いかけて来た男に頬を殴られた。

『っ!・・・・』

その場にうずくまり、痛む頬を押さえる。

「バカヤロー・・・顔は殴るな。顔に傷を付けたら、お頭に何をされるかっ」
「すまねぇ・・・だが、こいつ、しぶとくてよっ」

そう弁解しながらも、男はノリコの腕を乱暴に掴んで引き寄せた。

『!・・・・やっ!・・やめてっ!』
「何訳解かんねぇこと喋ってやがるっ、大人しくしやがれっ・・・」

そして、手に持っていた布を素早くノリコの鼻と口に当てようとする。 だが、その布から漂うツンとした匂いに薬か何かだと咄嗟に判断したノリコは、その男の手に思い切り噛み付いた。

「うあっ!・・・こんのっ、アマ!」

噛まれた男はその余りの痛みにノリコの髪を掴むと、ぐいっと後ろに思い切り引っ張る。

『ああっ!』

その拍子に噛み付いてたのが外れてしまう。男の手にはくっきりと付いた歯型。血まで滲んでいる。

「・・くしょうっ!殺してやるっ、こいつ!」
「よせ、殺すなという命令なんだ、やめろっ」
「・・・・くっそおお・・・この、大人しくしやがれぇ〜〜!」

男は歯噛みしながら、布をノリコの鼻と口にぐぃぐぃ当てがった。

『!・・・んんーーっ!んん!んんんーーーーっ!!!』

(イザークっ!・・イザークっ!・・・ダメよ、イザークだって大変な時なのに・・・このまま・・・いやっ!)

後ろ手に掴まれ、押さえつけられた状態ではあったが、ノリコは頭を振って懸命に抵抗する。・・・・だがその抵抗も虚しく、程なくして身体から力が抜けたようになる。

(・・・・・イザー・・・ク・・・)

そしてその瞳が・・ふっ・・と力なく・・・ゆっくり閉じられた。


その間おかみはずっと戸口のところで見張っていた。厳しい表情のまま、男達の様子と部屋の外を伺っている。


「けっ・・・散々手間掛けさせやがって・・・このアマが・・・」

水差しが当たって血が出ていた額を布で押さえながら、男がぼやく。

「そう言うな・・・、お頭が楽しんだ後は、俺たちにもお鉢が回ってくるからよ・・・そしたらたっぷり可愛がってやれば
 いいのさ・・・へへへ」
「そうだな・・・へっ・・・よく見れば、結構可愛い顔してやがるぜ・・」

「あんた達・・・時間がないよ・・・急いどくれ」

男たちの会話を遮るように、渋い表情でおかみは促した。

そして男達は、一人が意識の無くなったノリコの身体を肩に担ぎ、もう一人が報酬の入った袋を担ぐと、 手招きするおかみの指示通りに部屋を出て階下へと降りていった。




夜の宿は静まり返り、人気もない。一階は灯りもついてなく暗闇だったが、男たちは窓から入る月明かりを頼りに、 戸口へ行こうとする。が、外に待たせてある馬達が、いやに騒がしい。落ち着きなく足をドスドス踏み込み、そして嘶き始めている。

「なにやってるんだっ!気づかれちまうっ!」

金の袋を抱えた方の男が声を潜めて言い、表に出て様子を伺う。
確かに、二頭の馬は騒がしく嘶いている。

「こらっ、静かにしないかっ・・・どうどう・・・・・いったいどうしたんだ?・・落ち着けっ・・・」

しかし、馬達の興奮は収まらない。町のはずれの方向から何かが来るようだ。馬達はそれを敏感に察知していた。 遠くから、微かに馬の嘶く声が聞こえてくる。

「・・いったいどうしたって・・・・・・ん?」

ノリコを担いでいる方の男も、遠くから聞こえたその声を聞きつけ、そちらに注目した。

「やばい、誰か来るぞっ」
「仲間じゃないのか?」

男たちの台詞に、おかみの緊張も高まる。

微かな馬の声は、やがてその疾走する蹄の音と一緒になって聞こえてきた。駿馬のようなその駆ける音、そしてその嘶き。 更には、その姿が程なくはっきり見えてくる。


「!・・・あれは・・・・っ!」

男たちは驚愕する。彼等が見たのは、仲間がとっくに始末している筈のイザークだったからだ。

「まさか・・・・戻ってくるとは・・・っ!」
「仲間はどうしたんだ・・・まさか、やられちまったのか?・・おぃ・・」
「そんな・・・莫迦な話があるかっ!総出で繰り出してんだぞ?・・・逃げて来たんじゃないのか?」

男達が揉めている間にイザークがすぐ目の前にまで迫っていた。

「ひえっ!・・・野郎ッ!もう来やがったっ!」
「うわッ!」


「どうやら、間に合ったかっ!」

駆けて来たイザークの馬は、男達の前で前足を高く上げて嘶き、その場に停まる。馬には町長もまだ気を失ったままでくくりつけられている。


「・・あの・・町長まで・・・・・じゃあ・・・」

もはや、男達の顔も蒼白だった。もっとも夜の闇に溶け込んで、その蒼さが見える筈もないが・・・


イザークは素早く馬から飛び降り、男達に向かって歩いてくる。

「おまえ達の仲間はもう暫くは立てん。観念してその彼女を放せっ!」

「・・まさか・・・そんな・・・・、皆やられちまったってぇのか・・・?・・・あんたたった一人相手に・・・?」

男達に隙が出来た。イザークは、宿のおかみの姿も捉えるが、まずはノリコの救出が先と、 ノリコを抱えた男に向かう。

だが、・・・・その時。


ゴンッ―――――!!!

「ぐあッ!・・・あ・・・が・・・」


鈍器のような物で殴る鈍い音。そして・・・悲鳴と呻き。


「!?」


更に・・・


どさっ―――――!!!


殴られたと思しき者の崩れ落ちる音。


「・・・・なにッ?」


「ほれ、こっち一人は片付いた!・・あんたっ!そっち頼むよっ!」


「!?」


・・・・ノリコを担いでいる男も、そしてイザークも驚いて目を見張った。

崩れ落ちたのは、報酬の袋を担いでいる方の男だったからだ。


「なっ!・・・ババア・・・てんめぇ〜〜・・・」

ノリコを担いでいる男はおかみに鋭い視線を向けるが、


「あんたの相手は俺だ・・・」


と、すかさずイザークに胸ぐらをぐっと掴まれ、引き寄せられる。


「っ!?・・・・いっ!!」


男の驚き――――!

そしてイザークのより鋭い氷のような視線を浴び、その男の顔が恐怖に引き攣った瞬間、


ドカッッ―――――!!!


「!・・・ぐっ・・ぅぅ・・・・」


男は目を大きく見開く。その鳩尾に、イザークの強烈な一発が鮮やかにめり込んだ。


「おお、お見事っ!」


そして男は、その場に脆くも崩れ落ちた。

無論、その前にノリコの身体をしっかりとイザークが抱き留め、保護したのは言うまでもない。


気を失ったままのノリコの手足の縄を解くと、イザークはおかみを見据える。

そのおかみは、月明かりの中で器用に男達を縛り上げている。とても単なる宿のおかみとは思えないほどの、その手際の良さ。

「いったい、どういう事だ?・・・おかみ・・・」

その目はまだおかみを警戒している。が、イザークのそんな視線をモノともせず、事も無げにおかみは言う。

「はあ〜・・・やれやれ。あんたが間に合ってくれて良かったよ。もう、ホントにあいつ等にやられちまったのかと思っ
 て、ヒヤヒヤしちまったよ〜」
「なんだと?」
「大方あんた・・・最初っから、あたしを疑って掛かってたんだろ?」
「・・・おかみ・・・あんた・・・」
「あたしは端っから町長に協力するつもりなんて無かったのさ。そして機会を伺っていた・・・」
「機会?・・・」
「ああ。どうもこの町の財政状態がおかしいと、誰もが怪しんでてね。だけど、町長はなかなか尻尾を掴ませ
 ない。挙句の果てには盗賊だ、エルギアスだ、怪物だと、まあ、言いたい放題だ。お陰でこの町の危機とも言
 うべき事態になった。だから、町の有志を集めて何とかこの状況を打開してやろうと計画したのさ・・・」
「あんた、最初からそれを・・・?」
「そうさ。でも悪かったね。その子にも随分と恐い思いをさせちまった。赦しておくれよ。ああでもしなければ、あっ
 ちにも信用してもらえなくてねぇ・・・。でも、その子が連れて行かれないように、これでも一応はちゃんと考えて
 はいたんだよ?こんな可愛い子をあいつ等の餌食にして堪るかってんだっ!あんただってそう思ったからすっ飛
 んで帰って来たんだろ?」
「・・・・・敵を騙すには、まず味方から・・・と、そういう事か?」
「そんなところさ。しかし、あんたも大したモンだねぇ。あいつ等を皆やっつけちまうなんてさ。で、あいつ等は?」

おかみは小気味良いというような笑顔で話す。

「・・・奴等を護送するよう手配の者を廻してくれ・・・今も動けずにいる筈だ」
「ああ、解かったよ。しかしまあ、本当にたった一人でやっつけちまったのかぃ?ビックリだよ、感心しちまうね!」
「・・いや・・・しかし、あんたこそ随分と命知らずだな。男二人相手に、一歩間違えば自分の命だって危な
 い・・・」

イザークのそんな言葉にも、おかみはふふんと悪戯に笑う。

「女だと思って莫迦にしちゃいけないよ?こう見えてもねぇ、あたしはその昔、無頼漢相手に戦った事もあるん
 だよ?剣の腕も少しはあるのさ!」

にんまりと人懐っこい笑顔でそう話すおかみに、イザークは毒気を抜かれた表情になり、そしてふっと苦笑する。
昔なじみでお人好しの、ある顔見知りの姿がその脳裏に浮かんだ。

「しかし、出来れば犠牲者は出したくはなかったねぇ。なるべくあの峠を通らないようにと、迂回路を勧めたりも
 してみたけど、どっちを選ぶかは結局はその客次第さ。・・・最後まで強く言えなかったのが悔やまれてならな
 いよ。可哀相なことだ・・・」

おかみの言うことに、イザークは黙って耳を傾けていた。

「あんたも心配だったろう?その子を休ませないとね。キナジスって薬を嗅がされて気を失ってるんだ・・」

その言葉にイザークの表情が変わる。

「キナジス・・・だと?」

尋常ではないその表情。

「知ってるのかい?」
「勿論だ・・・睡眠導入剤に使われるが、キナジス自体の目的は、麻痺を起こさせる事の方にある。身体の自
 由を奪い、使う量によっては死に至る・・・・厄介な薬だ・・」

そう言うと、気を失ってる彼女の顔を見つめた。すると、ノリコの頬が少し青く腫れているのに気が付き、表情が再度変わる。 さっきは暗闇でよく解からなかったのだ。

「これは・・・殴られた跡か?・・・・」

その頬に手を添えながら、イザークはおかみに訊ねる。

「ああ、その子がね・・・抵抗したんだよ、気丈にもね・・・」

「ノリコが・・・?」

「そうさ、震えながらも、男達をキッと睨みつけてたよ。そして部屋の物をあれこれ投げ付けたり、男の手に噛み
 付いたりしてね。それで、奴等の一人が逆上しちまってね・・・・可哀相な事だよ・・・」
「・・・なんて事だ・・・女性相手に・・・」
「はっ、・・そんな理屈が通用するような相手じゃない。掴まえて手篭めにしようと企んでたんだから、たとえ殴ら
 なかったとしてもその後は同じさ。厄介な連中だよ、まったく・・。それにキナジスだけど、あいつ等少し長いこと
 薬の染みた布を当てがってたから、大して影響が無ければいいけど・・・」

おかみの言葉にイザークは眉根をぐっと寄せる。

キナジスの副作用は厄介だ。違う世界から来たノリコの身体にどの程度の影響が出るか・・・・
イザークはそれを懸念した。


「おかみ、すまないが頼みがある。用意して欲しいものがあるのだが・・・」

イザークはノリコをそっと抱き上げると、おかみにそう告げる。

「ああ、出来る事なら何でもするよ。こっちもせめてもの罪滅ぼしだからね・・・医者の手配はどうする?・・あん
 た、薬には詳しいようだけど・・・」

「ああ、頼む。それから、俺は早朝少し出てくる。その間こいつを頼みたいのだが・・・」
「出てくるって・・・何処へ行くってのさ?・・その子を放っぽって」

「・・だから・・こいつの為に山に入るんだ。副作用に対応出来る薬草を探す・・」

おかみのややキツイ表情に、イザークは表情を変えず、きっぱりそう答える。
イザークのその対応の早さに、おかみは驚きの表情を隠せなかった。

ただの、強いというだけの渡り戦士ではない・・・

その纏う雰囲気に、おかみは圧倒される。

「解かったよ。薬草はあんたに任せた。あたし等もその子の為に、出来るだけの事をさせて貰うからね」



「しかし・・・男ってのは・・・ホントに・・・」

そうおかみはこぼす。
不意をつくようなおかみのその言葉に、イザークは怪訝な顔で耳を傾ける。

「・・身体を麻痺させる薬を嗅がせて、動けないのをいいことに女に乱暴しようってんだから、ホントに男っていう
 のは、どうしようもない生き物だよ・・・」

「・・・・・・・・・・・。」

遠慮のないその物言いに、同じく男であるイザークは困ったような顔をせざるを得ない。

「だけど、ま、どうやらあんたは例外のようだがね?」

ニヤリと笑いを漏らし、おかみはフォローの言葉を忘れない。
無論、イザークがそういった野蛮な男達の部類に入らない事は、確かだ。

イザークはまたも苦笑を漏らした。

そして改めて、ノリコの顔を見つめる。もう少しで彼女は、奴等に連れて行かれるところだったのだ。 イザークのその表情には彼女を労わるかのような、どこか優しげな色が伺えた。

「ベッドで休ませてやるといい。・・・あんたも疲れたろ?・・休まないとさ」
「ああ・・・」


「う・・・・」

その時、馬の上の町長が呻き、気がついた。

イザークとおかみはそれに気がついて振り向くが、おかみはイザークに手を翳して“自分が”と合図すると、町長の傍まで行った。

「う・・・・うぅ・・・なんだ、これは・・・私は・・・」

目が覚めたのは良いが、縛られている為思うように身体が動かせず、町長には状況が飲み込めてない。
だが、目の前には宿のおかみ。呆れた顔で町長を見ている。

「・・・おまえは・・・おかみ・・・?」
「まったく、呆れてモノも言えないね。あんたの悪事は全てお見通しだよ!面倒だっ、もっと寝てるんだねっ!」

そう言うと、おかみは持っていた棒で、町長の頭をガツンと殴った。

「ぐっ!・・・」

殴られた町長は、またその場で気を失った。おかみは、ふんっ・・と鼻を鳴らす。
それを見ていたイザークは、おかみのその手際にやはり毒気を抜かれた。

イザと言う時、女とはなかなか恐いものだ・・・・と彼が思ったかどうかは、定かではない。









頭が痛い・・・

なんだろう・・・・この感覚・・・ それに、身体もふわふわする・・・・

ここは、何処?・・・・ あたしは・・・・



――――――・・・・・・・・…



「ノリコ・・・」

「・・・・ん・・・」

くらくらする頭に半ば混乱しながら、ノリコは、うっすらと目を覚ます。
だが、感覚が変だ。その瞼も、半分程度しか開けられない。妙に視界も狭いような・・・


「目が覚めたか?・・・ノリコ」
「?・・・い・・・あ・・・?」

上手く喋れない。いったい何がどうなったのか?・・・ノリコはにわかにパニックを起こす。
だが、やはり身体も起こせない。頭を押さえようとしても、その手も上手く動かせなかった。

「あ・・・なん・・・え・・・?」

ようやくはっきり見えてきた目で、ノリコはイザークを見つめる。

「薬の後遺症だ。まだ暫くは動けないだろう、無理はするな・・・」

彼女の額に掌を乗せながら、イザークは動けない訳を説明する。
昨夜連れて行かれる際に嗅がされたキナジスの薬効が、まだ抜けていないのだ。
その薬は、二日間程度身体の自由を奪う。

麻痺がまだ続いている為、ろれつも思うように回らない。

そして昨夜の事を思い出して、身体がぎゅっと竦むのを感じたが、夜は既に明けているのと、目の前にイザークが いるという事で、ノリコは少し安堵する。だが、何よりも、イザークが無事で戻って来ているのが嬉しかった。

「恐かったな・・・だが、奴等はもう押し掛けては来ない・・・大丈夫だ・・」

イザークの言葉に頷きたいのだが、やはり思うようには動かせないようだ。辛うじて動かせる目を少し細めてノリコは返事の 代わりにする。

「・・・よ・・・か・・・た・・・」

そして、伝えたくて、懸命に言葉を出す。

「ノリコ・・・無理するな・・・まだ上手く喋れない筈だ・・」

だが、そんな言葉にもノリコは目を細める。そして、繰り返し言葉を発する。

「・・よ・・・かっ・・・た・・・・・いざ・・く・・・・・ぶ・・じ・・・・・・よ・・・かっ・・た・・」

「・・・ノリコ・・・」

「い・・・ざぁ・・・・く、ぶ・・じ・・・・・う・・れ・・・し・・ぃ・・」


イザークは、掛ける言葉を失った。

自分はあいつ等にやられる気はしてなかった。だが、彼女は自分の身を案じてくれていた。
彼女の方が余程恐怖を感じていた筈であろう、そして、今も薬の後遺症で身体が辛い筈なのに・・・・
なのに、彼女は自分の無事の方を喜んでくれている・・・


・・・・・・…

何だろう・・・・この感覚は・・・

以前にも、何度か感じた・・・ 彼女がくれるこの感覚・・・

今まで味わった事のない・・・


心に湧き上がる・・・ それは、清水のように・・・

決して、嫌なものではない・・・ いや、むしろ心地良いくらいの・・・ その感覚・・・


ノリコ・・・・――――



知らず、その表情が穏やかなものになる。

「・・・俺の事より、あんたの方が大変だったんだ。身体もまだ戻ってない。自分の事を心配しろ?」

だがノリコは、目を細めたまま、ゆっくりと首を横に振る。

「あ・・た・・・し・・・へい・・き・・・」

そう言って、瞳を閉じる。呼吸がやや荒い・・・薬が残っている所為か、やはり喋るのは負担が掛かるようだ。
イザークは彼女の事が心配になってくる。やや身を乗り出して、彼女の顔を覗き込む。

「ノリコ、もういい、喋り過ぎだ・・・少し休め・・」

その掌をやはり彼女の額に乗せたままで、そう告げる。
イザークの言葉に、ノリコは再び目を開けた。

「ん・・・」

短く返事をして、また彼女は目を閉じる。

「・・・・あり・・が・・と・・・・い・・ざぁ・・・く・・・・」

そして、彼女は眠りに入っていった。


(・・・自分が助かったのを、俺のお陰だと言う・・・・)


こんな風に感謝の気持ちを表されるのには、正直まだ慣れていない・・・・
イザークは戸惑いながらも、暫し彼女の顔を見入ってしまった。


彼女の額に置いた手が髪にも触れる・・・

ハッとするが、少ししてその手で、彼女の柔らかい髪を梳いた。

その手に残る、心地良い感触。

そして、髪は指からするりと離れ、落ちる。


安心すると眠くなるのは、彼女のいつもの事だ。
だが・・・・その顔を窺いながらも、イザークにはある懸念が取り除けない。

多少荒かった呼吸が、眠りに入った事で緩やかにはなった。・・・なったのだが・・・・

キナジスの副作用は、麻痺だけではない。もっと厄介なのが残っている・・・・


山に入り、対応出来る薬草は探してきた。そして、彼女を診察した医者の見立ても同様のものだった。

その副作用が出るとすれば、まもなくだ・・・・――――


不意に扉をノックする音がし、イザークはハッとする。扉を開けると、そこにはおかみが立っていた。

「どうだい?あの子は」
「あ、・・ああ、さっき一度目覚めたが、また眠った・・・」
「キナジスはしつこいよ?上手く抜けてってくれるといいけど・・・医者はなんて?」

「これからが、ヤマだと・・・」

イザークの言葉に、おかみは小さくため息を吐く。

「厄介な副作用がまだ一つあるかぁ・・頑張ってくれるといいがねぇ・・・ 毛布はもっと持ってくるかい?身体を温
 めるのに、お湯を入れたものを用意したよ。湯たんぽがわりさ、布を巻いて足元に入れてやるといい・・」

「すまない。・・・それから、俺が採ってきた薬草を入れて、スープを用意して欲しいのだが・・」
「・・解かってる。任せといておくれ」
「それと・・彼女が快復するまで、滞在を伸ばすがいいか?」
「構わないよ・・ここなら奥まってるし、詮索させる心配もないだろうしね。それに宿代も心配なしだ。せめても
 のお詫びに、負けとくからさ」
「・・すまない」
「なに、それくらいさせて貰っても、まだ足りないさ。さあ、あの子についててやりな。あんた、顔が真っ青だよ?」

意味ありげな面持ちで、おかみはそう語る。急にそんな風に振られ、イザークはやや驚いた。

「え・・・?」
「大事な彼女なんだろ?昨夜血相変えて戻って来たから、すぐに解かったよ。余程心配だったんだろ?顔に
 出てるよ。労わってやんな」
「おかみっ・・・」

おかみの遠慮のない台詞に、イザークは慌てる。・・・その顔がやや赤い・・・。

「そんなんじゃない、彼女とは・・・」

慌てて弁明の言葉を口にするが、

「ああ、何も言わなくていいよ。食事、あんたと彼女の分だよ。ここに置いておくからねっ」

おかみはイザークに弁解の余地も与えず、持ってきた食事の盆をベッド脇の棚の上に置くと、眠るノリコの顔を窺う。

「幸せそうな顔で眠ってるねぇ・・・これから出る副作用に苦しむかもしれないってのに・・・きっとあんたの顔見たら
 安心したんだろう・・・あんたが昨夜出かけてからも、寂しそうにしてたからねぇ・・・」

「・・・・・だから、・・・こいつとはそんなんじゃない。・・・・ただ・・・」

おかみに説明しながらも、イザークのその表情が、次第に、どこか寂しげな・・・そして苦しげなものに変わる。

「・・・ただ・・・こいつの命を預かっている・・・それだけだ・・・」
「ん?」

イザークのその言葉に、おかみはややきょとんとなるが、

「まあ、あんたの事情はよくは知らないが、とにかく大事にしてやりなよ?」

そう言いたい事だけ言って、部屋を出て行った。


おかみの言葉が頭について、暫く動けなかった。

(ノリコは・・・・ 命を預かっている・・・ただそれだけだ・・・・・ 彼女とは、一緒にはいられない。そういう関係にな
 れる筈がないんだ・・・)


心の中に、何か、隙間のようなものが生じ、そこに冷たい風が吹き抜けるような・・・
そんな、なんとも言い知れぬ苦い思いが心を占め、イザークは眉を顰めた。


そして、先ほどのイザークの懸念を象徴するかのように、やがて外では雨が降り始める・・・―――――






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