怯える街 --怪訝の言の葉-- 4


町の財源を使い込んでいる事が判明した町長とそれに加担していた盗賊達は、自警団に捕らえられザーゴの国軍に引き渡された。 今は囚人城に収監され、その沙汰を待っている。
だが、盗賊達は、その一味が峠の道で倒れて動けないでいるところを一網打尽にされたのだが、いったいどんな技を使ったら、 こんなに見事に奴等を倒す事が出来るのか・・・と、自警団の連中も国軍も首をひねっていた。相当な怪我であったにも関らず、 誰もその命に別状無く済んでいたからだ。

それでも、人々を恐怖に陥れていたものの正体が露見した事で、町の住人の間にもとりあえずは安堵の色が戻ってきた。

だがそんな中、イザークとノリコは、未だその町から旅立つ事が出来ないでいる。 イザークが懸念していた通り、キナジスの別の副作用がノリコの身体を襲ったからだ。



あの後ノリコは再び目を覚ましたのだが、身体に感じ始めた変調で、その表情が苦痛に歪んだ。

現代医学的に表現すれば、麻痺による自律神経機能の低下、そして体温調節機能の低下と表すべきだろうか。 ・・・・つまり、ノリコの身体を襲ったのは≪低体温≫の症状。手足は言うに及ばず、身体中の体温が奪われ、その顔は真っ青になった。

華奢な身体が、そのあまりの悪寒にぶるぶると震える・・・

≪震え≫は、下がってしまった体温を上げるべく細胞を震わせる為に起こる、いわば自然治癒作用によるものなので、意思とは 関係なく生じるものだ。 だが、麻痺の為に身体そのものは殆ど言う事を聞いてはくれず、ノリコにはどうする事も出来ない。ただ翻弄されるに任せるだけだった。
そして冷たい雨が降り続き、この時期あまり寒くない筈なのにその気温は下がり、それが余計にノリコの身体に追い討ちを掛けた。 イザークがおかみに余分に用意させた毛布、そして湯たんぽで身体を温めても、更には体力の温存と体温の上昇を図る為におかみに作って 貰ったスープを飲ませても、なかなか身体機能そのものの回復までには至らない。



――――そして、今は夜。

外では、冷たい雨が、今もなお降り続く。



あれから、イザークはずっとノリコの傍に付いていた。

考えられるあらゆる手段を尽くしたが、それでも彼女の快復が思わしくないのは、やはりその身体に、キナジスの薬効が強過ぎたからだろう。
震えるのは、いわば身体を回復させる為の正常作用とも言える。冷えた身体の細胞を活性化させ熱を出させる為に、震えを起こす事でそれを促す。 だが、熱による悪寒とは違い、身体の麻痺の回復もままならない今の状況での震えは、ただその身を衰弱させる以外の何ものでもない。

薬草や薬に関する知識を持ち合わせているという事が、反ってイザークを苦しめた。解かっていながら、何もしてやれる事はないのか・・・と 、歯がゆい思いが悪戯に彼を苛める。


ベッド脇の椅子に腰掛けながら、イザークは考える。






-- illustration by webmaster --





―――――・・・・


依頼を受けずに、迂回路を通っていれば良かったか・・・

だが・・・それでは、この町に来る者達の犠牲者が絶える事はなかっただろう。

しかし・・・

今度の事では、ノリコまで巻き込んでしまう結果となった。

何てことだ・・・

俺はともかく、彼女にここまで辛い思いをさせる事になろうとは・・・――――


「イ・・・ザー・・ク・・・・」

不意にノリコが自分を呼ぶ声に、イザークは我に返る。

「ん・・どうした?・・・苦しいのか?」

労わるように、彼女の顔を見つめた。

「・・・あ・・りが・・・と・・・・・・も・・いい・・から・・・・・イザ・・ーク・・・・や・・すん・・・で?」
「ノリコ・・・?」
「ごめ・・ん・・・・あた・・・し・・の・・ため・・に・・・・・イザ・・ク・・・に・・・め・・・・わく・・・ば・・かり・・・」

悪寒で苦しい呼吸の中、ノリコは振り絞るように言う。辛うじて、話す事は出来た。
キナジスの後遺症は、場合によっては言葉さえもままならない。だから、ノリコが辛うじてでも話せるのは、 不幸中の幸いと言えるかもしれない。

「何を言う、ノリコ・・・あんたの所為じゃないだろ?・・・気にするな」

彼女の姿に、そしてその言葉にイザークはいたたまれなくなる。

「イザ・・ク・・・お・・ね・・がい・・・も・・・・やす・・ん・・で・・・・・あた・・・し、だい・・じょ・・・ぶ・・・」
「ノリコ・・・」

「俺の事など気にするな・・・そう言っただろ?・・もう喋るな」
「・・・イ・・・ザーク・・」



――――・・・


体温上昇を図る為に震えが起きるのは仕方のない事だが、眠るとその機能回復をも妨げてしまう。

だからノリコは眠る事も出来ない・・・・



―――体温が上昇するまでは、なるべく眠らないで、頑張る事だ・・・ 出来るだけ、身体を温めて・・・・



医者が言った言葉・・・ だが・・・ 今のノリコに眠るなと言うのは酷だ・・・

このままでは悪戯に体力ばかりを消耗してしまう・・・

どうする・・・

長引けば、それだけノリコに苦痛を強いる事になる・・・


どうすればいい・・・

今の俺に、彼女にしてやれる事は・・・・



―――まあ、これは最後の手段だがな、実はこれが一番効果がある。・・・身体を温めるには、人肌だ・・・



・・・その身体が一瞬、ピクリと震えた。



―――おまえさんの彼女なんだろ?・・・一肌脱いでやったらどうだ?・・・



くっ・・・・・あのヤブ医者・・・笑いながら言っていた・・・


・・・端整な眉が寄る。


彼女とはそんな関係じゃないんだ・・・



―――まあ、後はおまえさんの判断に任せよう。儂が助言出来るのは、ここまでだ。
―――キナジスは抜けていくまで待つしかない。厄介だがな・・・



確かに、あの医者の言った事には一理ある・・・ しかし・・・


・・・躊躇いが生じ、その目をぎゅっと閉じた。

そして暫くして、その目を再び開く。


だが・・・やはり、今の俺に出来る事は・・・それしか・・・・・・――――




「・・・・・?」

ノリコは不思議そうな表情で、イザークを見つめる。その呼吸は相変わらず苦しそうだ。

イザークは黙って立ち上がると、バンダナを外し、着ている上着を脱いで椅子の背もたれに掛けた。それを見て、ノリコは彼がてっきり 休んでくれるのだと思っていた。だが、イザークがその身を滑り込ませたのは、自分が休むベッドではなく、ノリコが横たわっている 方だった。

「!・・・・・・イ・・イザ・・・・」

流石にこれにはノリコも慌てた。だがイザークは、ノリコを包んでいる毛布を捲ると、彼女をその腕の中に包むように抱きしめた。

「イザ・・・ク・・・・あ・・の・・・あ・・」

蒼白だったその顔が赤くなってくる。心臓の鼓動も、まるでその音が聞こえてしまうのではないかと思えるほど、ドクンドクンと脈打った。
それはそれは、滑稽と思えるほどに・・・・・

そして、動けなかった・・・・ 麻痺の所為もあるが、それだけではない。



「・・・苦しいか?・・・」
「・・・ぇ・・・」

抱きしめる腕と我が身に伝わってくる、彼女の身体の冷たさ・・・ 

心が・・・酷く打ちのめされる。

自分の体温を分け与えるように、一層その腕に力を込めた。

「・・・・・・・」

ノリコにはじっとしている事しか出来なかった。頭の中は既にパニックで、何も言えない。ドキドキも一向に収まらない。

「すまない・・・あんたまで、こんな事に巻き込んでしまった・・・」
「!・・・イザ・・・ク・・・」
「辛いだろうが・・・キナジスが抜けるまで、頑張ってくれ・・・」
「・・・・・・・」
「他に手は尽くした。後、俺に出来るのは、こんな事ぐらいしか無い・・・・・だが、あんたが苦しんでいるのを見る
 のは・・辛い・・・ なんとか・・・助けたい・・・」


ノリコは目を見開き、じっとイザークの言う言葉を聞いていた。




――――・・・


温かかった・・・


その思いが・・・ その気遣いが・・・ 伝わってくる・・・

今も自分の心臓は、滑稽なくらいにバクバク言っているのに、

心の中は、不思議なくらいに穏やかな気持ちで・・・温かい何かで満たされていく・・・・


何度こうして、彼のお陰でホッとする事が出来ただろう・・・

命を助けてくれた・・・ そして、いつも・・・危ない時には助けに来てくれる・・・

宿のおかみさんが、そっと教えてくれた・・・

あたしが盗賊に連れて行かれそうになって、イザークが急いで戻って来てくれたんだって・・・

彼は何も言わなかったけれど・・・


いつも、守ってくれてる・・・・

その気遣いが・・・凄く、嬉しい・・・・



・・・・・ぁ・・・―――――



そうか・・・
 

どうして、彼の事が心配になったのか・・・・

どうして、無事でいて欲しいと・・・そう願ったのか・・・

どうして、ずっと一緒に旅をしたいと・・・そこまで・・・感じたのか・・・


そうか・・・ そうだったんだ・・・・



ああ・・イザーク・・・・ 凄く・・・あったかいよ・・・


イザーク・・・

ずっと・・・ ずっと・・・ 

どうか・・・ これからも・・・――――



ノリコの目には涙が滲んでいた。

ホッとした為か、潤んだその瞳は半分ほど降りている。

流れる涙を拭えないまま、幾度かゆっくり瞬きをし、・・・そして目を閉じた。




イザークはずっとノリコを抱きしめていたが、やがて、規則正しい呼吸が聞こえて来たのに気が付いた。

そのままノリコの様子を伺うと、彼女が安らかな寝息を立てているのが解かった。

呼吸も落ち着いて来たようで、震えもいつの間にか治まっている。

そして何より、冷たかったその身体に、少しずつではあるが温もりが戻りつつあるのは確かだった。


ふと・・・その顔を伺い、涙の跡があるのに気づく。


トクン・・・!

・・・一瞬、心がざわめいた。


濡れた睫、涙の跡、若干赤みの戻ってきた頬・・・ そして・・・ その唇に・・・


(・・・ノリ・・コ・・)


慌てて顔を逸らす。

心臓が高鳴るのを感じる。


今まで感じる事のなかったこの感情に、正直・・・酷く戸惑った。

だが、複雑な思いはあるものの敢えて離れることはせず、イザークはノリコが目覚める朝まで、そのままずっと彼女を腕の中に抱き続けた。









翌朝・・・―――――


ノリコは、温もりを感じつつ、その心地良さの中で目を覚ました。

「・・ん・・・」

朝ぼら気の中で、まだその目ははっきりとは開かないが、まどろみながらも、何かに包まれている事に気づく。


枕だと思ったそれは、温かい腕・・・

そしてすぐ目の前には、広い胸・・・


(・・・・!・・)

いきなりノリコは覚醒し、その目がぱっちり開く。
自分を包んでいるのが何かというのが解かって、再びパニックに見舞われる。

そして、その顔もまた、みるみる内に赤くなった・・・・


(・・そうだった・・・昨夜イザークが抱きしめてくれて・・・それで、あたし・・・眠ってしまったんだ・・・)

(・・・ぇ・・・・・ずっと、一晩中・・・こうして抱いててくれたの?・・・・)


温もりはまだ伝わって来ていた。

ドキドキはするものの、何だかずっとこのままでいたいという気持ちになり、ノリコはじっとしていた。




「・・起きたのか?・・・ノリコ・・」

頭上からのイザークの声。彼はノリコよりも先に起きていたようだ。
その声に、ノリコの心臓が高鳴る。


「・・・ぁ・・・あの・・・お・・はよ・・・ござい・・ます・・・」

慌てて朝の挨拶をした。その改まった挨拶に、イザークはやや目を丸くし、そしてふっと微笑う。

「身体は・・どうだ?・・」
「・・・ぇ・・・・から・・だ・・?・・・・あの・・・」

改めて、ノリコは驚いた。あんなに辛かったのに、今はとても身体が楽だという事に・・・――――
まだだるさは残っているが、あの凄まじい悪寒と震えから開放されただけでも、有難かった。

「ぁ・・・ありが・・とう・・・あの・・・」

その間も、ずっと変わらずに抱きしめられているので、気恥ずかしさもあり顔を上げられない。
・・・きっと顔が赤いだろうから・・・。

「昨日・・より・・・ずっと・・・楽・・・だい・・じょうぶ・・」
「そうか・・」
「ホントに・・・あり・・がと・・・」
「いや・・、だが、まだ無理はするな。麻痺が治まっても、リハビリが必要だ・・」
「ぅ・・・うん・・・」

「だいぶ、温まってきたな・・ノリコ・・」
「ぇ・・・」
「良かった・・・」

そう言うと、イザークは更に包むように抱きしめた。
ノリコは目を見開く。相変わらず情けないほどにドキドキは続いている・・・・

「・・イ・・ザークは・・あの・・」
「ん?」
「あの・・・眠れた?・・・ちゃんと・・・その・・・」


ノリコが少し動いたので、その柔らかい髪がイザークの顎の辺りをくすぐった。

抱きしめるその手に触れる髪の感触、そしてそのいい香り・・・・

心地良く感じさせる・・・ 何故だか、とても心が安らいだ・・・―――


「ああ、ちゃんと眠った。大丈夫だ・・・」


「・・それにしても、俺の心配ばかりするんだな・・・あんたは・・・」
「ぇ・・・」


・・・ふっと微笑う。



――――・・・


本当は暫くの間、寝付けなかった・・・

腕の中のおまえが、あまりにも華奢で・・・・

そして、触れているその感触が・・・ 心地良くて・・・・


おまえの体温が少しずつ戻ってくるのが、その温もりで解かり、ホッとした・・・・

そして、それが嬉しくて・・・ それを、ずっと確かめていたくて・・・

身体を離せば、また体温が下がってしまうのではないか・・・と、そんな気さえして・・・


何故だろう・・・ その心地良さに安堵を感じた・・・

今まで得る事の叶わなかったもの・・・

それが・・・・・・・・



僅かな時でもいい・・・このままでいたい・・・ そう思えるほどに・・・・―――――




トントントン――――


扉を叩く音がし、ハッと我に返る。


「誰かが来たようだ・・・」

ややバツが悪そうに呟くと、イザークはノリコからそっと身体を離し、ベッドに身を起こす。
離れた事で、少しだけ冷えた空気が身に触れる・・・ それが何故だか酷く心許なく感じた。

「あんたは休んでいろ・・」

そうして彼女に毛布を掛け直してやってから、扉に向かう。

「ああ、あたしだよ。食事はどうしようかと思ってねぇ」

扉の向こうの人物はおかみだった。

「おはよ。どうだい?あの子は・・」

扉を開けるなり、おかみがそう切り出すので、イザークは苦笑した。

「ああ、どうやらヤマは越えたようだ・・」
「そうかい、そりゃ良かったよ。あんたもホッとしただろ〜」
「ああ。だが、まだ充分に休ませなければならん。それに、リハビリもある・・」
「そうだね・・ま、とにかくゆっくり休ませておやりね。食事はどうする?こっちにあんたの分と持ってくるかい?」
「いや、俺が行こう。・・・顔を洗って来たいんでな・・」

おかみの言葉に、イザークは髪を掻き上げながら言う。

「じゃあ、下に用意しとくからね」
「ああ、すまない・・」

そうしておかみは用件を済ませると、下に降りていった。


扉を閉め、イザークは一つ小さく息を吐く。



・・・おかみが来てくれて・・・良かったんだろうな・・・・

・・・そうでなければ・・・ そのままずっと・・・彼女のことを抱きしめていてしまいそうで・・・



そんな思いが心を掠め、自嘲めいた笑いが込み上げた。






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