天光樹 -- nostalgia --2





鬱蒼とした山の中腹――――

獣道に毛が生えた程度で、まだ人が歩けるほど大した道幅がある訳ではないが、それでもその新たな樹の栽培に向けての開発の手が少しずつ入ろうとしていた。そして、その少しばかり開けた場所に、イザーク、ノリコ、そしてカイザックと ニーニャはシンクロアウトした。

見上げれば、山の頂き付近にその目的の樹がある。シンクロアウトしたその場所から、更に上に登らなければならないが、言ってみれば楽しい登山という訳だ。

「この上にある。もう少しだからな・・・」

後ろのイザークとノリコにそう言いながら、カイザックはニーニャを気遣いつつ登っていく。この二人にしてみれば初めての地ではないので、そこは慣れたものだ。

「大丈夫か?ノリコ・・」
「うん。樹海から出る時に通ったあの険しい岩山よりは、遥かに楽よ」

そう言ってノリコは微笑う。イザークも微笑いながらノリコに手を差し伸べ、気遣いながら登っていった。


その内に、森の木々が切れ、視界が拡がる。

「ほら、見えてきたぞ。あれだ」

カイザックがそれを指差す。開けた山頂の広場に、たくさんのその樹が、まるで光を全身に受けるかのようにして立っている。

「ほう・・・美しいな・・・」

イザークが感嘆の声を思わず漏らした。

「だろ?・・・これほどのものは、ちょっと他では見られないぜ」
「ああ〜、今年も綺麗に咲いてるわねぇ〜」

そして、坂を上ってきた所為で、少し荒くなった呼吸を整えつつノリコが顔を上げ、その樹に視線を移した。

その時――――・・・


「・・・!」


その樹を見た瞬間、ノリコはまるでその身体が硬直したかのように、その場に立ち尽くす。周りの物は一切目に入らないかのように、その樹に注目した。 だが、イザークはまだ彼女のこの小さな変化に気づかず、樹やその咲いている花に視線を遣ったままだった。

「ディーラ・スタリュース・・天光樹(てんこうじゅ)という、このバラチナ国の花だ。天上に向け、高くその姿を伸ば
 す。そして光が充分に注がれる土地でなければ育たないし、花も咲かせない。お陰でこんな山頂まで来な
 ければ、見る事も出来んがな・・・ どうだ?・・なかなかだろ?」


「・・ディーラ・・・」

カイザックの説明に、イザークが呟く。

「そうだ。・・聞き覚えがあるだろう?イザーク・・」

カイザックが意味ありげな視線を、イザークに向けた。そのイザークもカイザックに視線を向け、苦笑しながら頷く。

「ああ、うんざりするほどな・・・」

「そう・・天上鬼デラキエル・・・つまりは、あんただな。」

カイザックのその言葉で、イザークの瞳に一瞬光るものが走る。だがイザークは無言のままだ。

「心配するなイザーク、・・・こんな所で俺達以外、他には誰もいないさ・・」

実は、カイザックとニーニャ、そしてこの町の町長に限っては、イザークとノリコの正体を既に知っている。 勿論、この国の国王も二人のことについては知っているのだが、この花の町に住むにあたり、最初に二人の事を町長やカイザック達に話したのは、実はイザークだ。この町でずっと暮らしていく上で、全てを話しておきたいという思いがあったし、純粋に今の二人を知っておいて貰いたいという事からだった。
そして全てを聞き、それを承知した上で、町長もカイザックも、そして勿論ニーニャも、この二人を温かく歓迎したのだ。

そして、カイザックは尚も説明を続ける。

「・・・そのディーラだがな、といっても決して悪い意味ではない。ディーラとは≪天≫つまり≪天上≫を意味する。
 そして≪光≫を意味するレスタリウス、その二つを繋げてこの樹の名とされた。その名の通り、天の光の恵みを
 全身に受けて育つ。そしてその光が無ければ、この樹は死ぬ。」

イザークはその厳しい視線のまま、眼前に咲き乱れている美しい樹を見つめている。

「ま、言ってみれば、この樹はあんたみたいなもんだな」
「・・・・?」

意味が解からないという感じで、イザークはやや不思議そうな顔を見せる。

「光が無ければ死ぬ。光とは、あんたにとっては即ちノリコだからな・・・ノリコがいなくなったら・・どうだ?」

そう言いながらカイザックは微笑う。そしてニーニャも微笑った。これには、イザークも苦笑せざるを得ない。

「・・・・そうだな・・確かに・・」


だが、カイザックとイザークがそんなやり取りをしているその後ろで、ノリコがふと呟いた。

「ディーラ・・・スタリュース・・・」

いつもと違うその声の様子に気が付き、イザークは振り返る。
普段の彼女なら、天上鬼の話が出るとギョッとしてしまうものだが、今日は違っていた。
その言葉よりも、目の前のその樹に心を奪われてしまっている。

「ノリコ・・・どうした?」

だが、イザークの呼びかけにも応じず、彼女は放心したままその樹に近づいていく。

「ん?・・ノリコはどうしたんだ?」
「さあ・・・樹や花が綺麗で見とれているんじゃない?」


ノリコはその樹の下まで来た。その樹の幹は幾分白っぽく、葉はどちらかといえば薄い緑色、今時期はまだ葉よりも花の方が目立っていて、小さく可憐な花を咲かせている。柔らかな風にそよぐその枝と花・・・・ 花の色は白と桃色の中間といった感じか・・・・

樹を見上げるノリコの顔には、切なげな色が見えている。そしてその瞳の光が・・・揺れる・・・・

イザークもまた、彼女の傍まで来て、その樹とそして彼女とを見つめる。
その切なげな瞳に、いつもと違う雰囲気をイザークは感じ取った。彼女の瞳からは、今にも涙が溢れそうな・・・
そんな気にさえなってくる。それほどに、切なげな視線だった。

「・・・ノリコ」

肩に手を掛けながら、イザークはノリコの名を少し強めに呼んだ。
それまで放心していたノリコは、そこで初めてハッと我に返る。その身体がビクッと震えた。

「どうしたんだ?ノリコ。・・この樹がどうかしたのか?」

心配そうな視線がノリコを気遣う。

「あ、・・・ごめんなさいイザーク・・・あまりにもこの樹が・・・そして花が綺麗で・・・つい見とれてしまって・・・」

ノリコは少々慌てたが、声を取り繕いながら笑顔で平静さを保っているように見せた。
だが、そう言いながらも・・・彼女の視線は、やはり切なげにその樹を見つめている。

気配に聡いイザークが、ノリコの変化に気が付かない筈がない。彼女のいつもとは違うその様子に、イザークは尚も訝しんだ。


風がそよそよと吹き、早咲きの枝から、僅かに花を散らせて・・・ そして飛ばす・・・
ノリコはその散る花にも視線を向けた。そして、舞い散って落ちた花びらを、彼女は拾い上げる。
その花びらを見つめる瞳は、何処か寂しげなようにも見える。

「ディーラ・スタリュース・・・天光樹・・・」

そして、その呟きもまた、何処か寂しげに聞こえた。





その後のノリコは、いつもとまるで違っていた。
何処かが変だという訳ではないが、とにかく口数が少なくなったのだ。

皆で弁当を食べている時も、ニーニャとそれぞれの弁当を取り分けながら―それこそ笑顔ではあるのだが―余計なおしゃべりは一切しなかった。そして食べていながらも、彼女の視線は、その樹に向けられていた。会話に加わっているよりは、呼ばれて初めて慌てて取り留めの無い返事をするので、噛み合わずにその場の雰囲気を壊してしまうといった感じだ。

自宅に帰って来てからも、彼女の様子はやはり昼間の時と変わらない。

夕食の用意をしている時も、余計なおしゃべりは一切せず、いつもなら料理中から既に会話を楽しんでいる彼女なのに、その日は食事中でさえ、殆どしゃべらなかった。笑顔ではあるのに、大人しい。良く言うなら大人びていて、悪く言うなら元気が無い。 特に普段の彼女はイザークより遥かによくしゃべるのに、それが今日に限ってはまるで別人のようだ。

イザークが不審に思って問い掛けても、依然それは変わらず、

「え、・・・ううん、どうもしないよ?・・・やだなぁ、あたしだっておしゃべりしない時もあるのよ・・ふふ・・」

そう微笑いながら、応えるだけ・・・・
だが、その笑顔もやはりいつもの彼女とは違っている。何かを思い詰めているかのような、その瞳・・・

当然の如く、イザークが納得する筈がなかった。


その後一緒に風呂に入っても、確かに笑顔を見せてはいるのだが、違う。やはり殆どしゃべらない。

そしてそれは、ベッドの中でも変わらない。


仄かにランプの光が灯る中、枕元に片肘をついて頭を支え、横になった状態でイザークはノリコを見つめる。

「・・ノリコ、何か気になる事があるのか?・・・俺にも話せない事なのか?」

イザークが訝ってそんな風に訊いても、ノリコは、

「ホントに何でもないよ・・・ごめんね、でも心配しないでイザーク・・・ホントに何でもないの・・・」

と、それだけしか言わず、やはり微笑うだけだ。


「・・・ね、しゃべらないあたしって・・・そんなに変?」
「え・・・いや・・・」

ノリコが逆にそんな風に訊くので、イザークは不意を突かれた感じになる。

「そんな事はないが・・・ ただな・・・やはり、今日のノリコは少しおかしいぞ?・・・いつものおまえと全然違う・・・」
「イザーク・・・」
「天光樹を観に行ってからだ・・・おまえの様子が変なのは・・・」
「・・そう・・だね・・・ごめん・・・」
「あの樹に何かあるのか?・・・」
「・・・本当に、綺麗だったよね・・・一年で今頃にしか咲かないだなんて・・・少し寂しいな・・」
「ノリコ・・・」
「感動・・しちゃったの・・ただ、それだけ・・・」

穏やかな笑顔で静かにそう言いながら、ノリコはイザークを見つめる。

「・・・きっとね、感動したら、言葉も少なくなるんだわ・・・」
「ノリコ・・・本当に、それだけなのか?」

心配そうな瞳が、彼女を見つめている。ノリコは片手を夫の頬に添えた。

「うん・・それだけ・・・本当になんでもないの・・・」
「・・ノリコ・・・」

ノリコがそんな風に言っても、イザークにはまだ腑に落ちない何かを感じていた。
だが、ノリコは何も言わず、イザークの胸に飛び込むように、その顔をうずめる。

「ノリコ・・?」
「・・・イザーク・・・・・・・大好き・・・」

普段の彼なら、妻のそんな言葉には大いに喜ぶのだが、今日の彼女には妙に引っ掛かりを感じ、
それが拭えない・・・

「・・・どうした?・・急に・・・」

だが、イザークの問いにもノリコは首を横に振るだけだ。

「ううん・・・何でもないの・・・ あのね・・・ずっと・・・・・」
「ん?・・・」

顔を上げ、ノリコは夫を見つめる。その瞳の光が切なげに揺れる・・・・

「・・・ずっと、・・・傍に・・・いさせてね・・・」
「ノリコ・・・」

その言葉で、きっとイザークはもっと訳が解からなくなっただろう。
何故、ノリコがそんな事を言うのか、彼女はいったい何を考えているのか・・・ 彼には掴めない・・・

やはりあの天光樹に、何か彼女をこんな風にさせてしまった秘密があるのではないだろうか・・・・
イザークにはそうとしか考えられなかった。

だが、これ以上彼女に問い質しても、結局は同じ事の繰り返しになるだろう・・・・・
思うところはいろいろあるが、イザークはこの事で、もうそれ以上彼女に質問するのは止めにした。

ノリコの頬に手を添える。

「・・当たり前だろ・・・ずっと俺の傍にいろ・・・」

優しげな藍色の瞳が妻を見つめる。ランプの灯火がその瞳に映り、揺れている・・・

そして、覆い被さるようにして、そっとその唇を重ねた。



「・・・・イザー・・ク・・」

ノリコの瞳の光もまた切なげに揺れる。
今朝と同じように、極至近距離に夫を感じて、その頬も染まる。

イザークは穏やかに微笑う。

「・・・声を・・聞かせてくれ・・・・おしゃべりでなくても・・いいから・・・・」

そう囁き、今度は首すじに唇を這わせる。ノリコの身体がピクンと震えた・・・・

交ざり合う・・・ 漆黒と栗色の髪・・・


ランプの灯りがふっ・・と消える。

掛け布をはぐる衣擦れの音。そしてベッドの下にするりと落ちる。

幾度となく繰り返される熱い口づけ・・・ そして、絡み合う足・・・


ただ窓から射し込む月の明かりだけが、重なり合う二人を仄かに照らし・・・・

時折漏れる甘い吐息と切なげな声が、部屋に静かに響き渡る・・・


――――――――

―――――・・・





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