天光樹 -- nostalgia --3





もしも・・・ 願えるのなら・・・・・

もう一度・・・ あの樹を見に行けたら良いのに・・・

だけど、花は一週間で散ってしまう・・・

イザークの次の休みの時まで待っていたら、多分今年はもうあの花は見れない。
だけど一人でのシンクロは、依然体力の消耗が激しいから、自分には無理だ。

立てた膝を抱え、そしてその上に顎を乗せながら・・・
ノリコは、込み上げてくる言いようのない歯がゆさと、そして切ない思いを感じていた。

あれから三日が経つ。イザークにはあんな風に言ってはみたものの・・・やはり、心の中に起こったこの小さな
アクシデントを拭う事は出来ない。イザークの前では普段と変わりないように振舞ってはいる。だが、様子が
やはりいつもとは違う事で、依然として彼が訝しんでいるのは間違いない・・・

心配を掛けたくはない。だから、自分の口からは真実が言えない。

彼の傍にいたいという気持ちには、今も変わりはないのだから・・・――――



帰りたいんじゃないの・・・ そうじゃないの・・・

あなたの傍にずっといたい・・・ それは変わりないの・・・・


でも・・・ でも・・・




「ノリコ〜」

その声にハッとして、顔を上げる。振り返ると、そこにはニーニャ。小首をかしげて微笑っている。

「こんな所にいたのね。家の扉を叩いても応答がないから、出かけてるのかと思ったわよ?」
「ニーニャさん・・・?」

ノリコは自宅の前の通りを挟んだ向かい側にある草原に座って、じっと考え事をしていた。
だから、ニーニャが近付いて来ていたのにも気づかなかった。
訝しげな視線をニーニャに向ける。

「元気ないなぁ〜、どうしたの?ノリコ。この間から、あなた変よ?」

そう言いながらクスクス微笑う。
だが、ノリコは視線を伏せる。

「・・・いえ・・・別に・・・何も・・・・」

だが、ノリコの返事にニーニャは、違う違うと言うように首を振る。

「それは、嘘ね。」

と、何もかもを見透かしたような瞳で、ノリコを見つめた。
そんな事を言われ、困ったような顔で、ノリコはニーニャを見返す。

「今からウチへ来ない?いい物見せてあげるわ。きっとノリコの気に入ると思うわよ?」
「ニーニャさんの家へ?」
「そ。ま、正確に言えば、町長の母の勤める庁舎の方だけどね。母があなたを呼んでいるのよね」
「え・・・・・・」

突然の事で、ノリコにはニーニャの言わんとしている事が理解できない。
何故、町長が自分に用事があるのだろうか・・・・

「ほら、時間が惜しいんだから、さ、立って。馬車も待たせてあるのよ、急いでね」

そう言いながら、ノリコの腕を掴んで引っ張る。その勢いにノリコは圧されてしまう。

「え、え、あの、ニーニャさん??」
「説明は後。来れば解かるわよ!」

ノリコの背中を押しながら、馬車の待つ通りの方へと連れて行く。


ニーニャと、そして彼女の意図が掴めないでいるノリコを乗せた馬車は、町の方へと引き返して行った。




―――――・・・


「あら、ノリコ!よく来てくれたわ。急に呼び出してしまって、ごめんなさいね!」

町長がニコニコと人懐っこい笑顔で、ノリコを出迎えた。

「ご苦労様、あんたはもう引っ込んでいいわよ?」
「お母さん・・・それはないでしょう?・・あたしにだって、事の顛末を知る権利があると思うのよ?」

腕を組みながら、顎を突き出し、ニーニャはごちる。
町長は、少し眉を寄せるが・・・・

「・・・うーん、まあ、いいか・・・じゃあ、あんたもいなさい」

意外とあっさり承諾する。そうした母の物言いに苦笑しながら、ノリコを見るニーニャ。
手でやれやれというポーズを取っている。

「あの・・・町長さん。あたしに用事というのは・・・それに見せたい物って・・・」
「ええ、是非ノリコに見て貰いたい物があるのよ、こっちへいらっしゃいね」

そう言いながら、町長は、庁舎の裏手の庭へと向かう。
そして、訝りながらも、ノリコはその後に着いていった。


三人は庭の方へ出た。そこは陽が燦燦と降り注いでいる。

ノリコはここへ来るのは初めてだった。町長宅へ泊めて貰った事はあるが、庁舎の方までは来た事がない。
以前に花祭りに出た時もここまでは来てはいない。もっともあの時はそんなにゆっくり出来る旅ではなかったが・・・
そんなこんなで、つい無意識の内に建物周りをキョロキョロしてしまう。

「あの・・・・」

「ほら、あれよ、ノリコに見て貰いたいのは」

町長に言われるまま、その指差す方にノリコは視線を向けた。


―――――!

ノリコは、その目を見開いた。

「これは・・・・」

ノリコがそこで見たものとは・・・・・

三日前に山の山頂で見た、天光樹そのものだった。
だが、山頂で見たものよりは、少し小さめだろうか・・・
多分若木なのであろう・・・
その枝ぶりはまだ幾分劣ってはいるものの、見事な薄桃色の花を咲かせていた。

「どうぞ・・近くで見てみたら?ノリコ」

言われるまま、ノリコはその樹に歩み寄る。

まだ花は散る時期には入ってないようで、その枝にも見事な、そして可憐な花を咲かせている。
その花を、そしてその樹を見上げながら、ノリコはとうとう耐え切れなくなったかのように、その瞳から涙をこぼす。

「・・・・ぅ・・・」

そして口元を押さえ、嗚咽を漏らした。

「ノリコ・・・」

町長もニーニャも、ノリコの様子に一様に驚いている。
が、程なくニーニャがノリコに歩み寄り、口を開く。

「この間、山頂で見たものの若木を移植したのが、ここにあるこの天光樹よ」
「この樹は栽培の研究用にしているの。その為にここへ移植したのよ」

町長もそれに言葉を繋いだ。

「苦労したわ。この樹は光が充分に望めない場所では育たないし・・・でも、香油用に是非この樹をたくさん
 栽培したくてね」
「それで、ここの建物をわざわざ少し退かして、この樹の為の場所を作ったほどなのよ・・」
「でも、苦労の甲斐があったわ。どうやら、上手く育ってくれそうで、正直ホッとしてるのよ」

「ノリコ?・・」

ニーニャがノリコの肩に手を掛ける。

「ね・・・そろそろ、話してくれてもいいんじゃない?」
「・・・ニーニャさん・・」
「いったい、この樹に何の秘密があるの?・・・この樹はバラチナの国花であるにも関らず、今まではあまり人の
 目には触れてはこなかった。だから、ノリコが知っている筈はないんだけどなぁ〜。あの時、ただ綺麗だから
 見とれてた訳じゃないんでしょ?・・とてもそんな風には、見えなかったけど?」

ウインクしながら、ニーニャは訊いてきた。

ノリコは、口元を覆っていたその掌を暫く見つめていたが、ゆっくりと下ろす。
天光樹に向けていた視線・・・ やや恥ずかしげに下ろし、だがまた・・・ その視線を樹の方へと向けた。
そして、ノリコはゆっくりと事情を説明し始めた。


「そっくりなんです・・・この樹が・・・」

「・・・そっくり?」
「ノリコ・・・」

ニーニャも町長も共に、ノリコの言葉に訝る。

「この樹の形、そして葉、そして・・・何よりも、この花・・・あまりにもよく似ていて・・・それで思い出してしまって・・・」
「似ているって、そんな樹を知ってるの?・・・」
「ええ・・・」

ノリコはゆっくりと頷いた。

「話すと、心配させてしまうかと思って・・・・それで言えなくて・・・」


「私の住んでいた世界の・・・《サクラ》という花の樹と、よく似ているんです。いえ、樹の幹の色以外は皆同じ・・・
 葉の形も、花の形も・・・ そして・・・その色も・・・」


「ノリコ・・・・」

町長もニーニャも、ノリコの言葉に絶句した。

「本当によく似ている・・・・ でも、懐かしがっていると、あの人が心配するんです。あたしが・・・帰りたがって
 いるのではないか・・・って・・・」

自嘲するかのように、ノリコは笑う。

「帰りたいんじゃない・・・そんな事はないのだけど・・・ それでも郷愁に駆られてしまう・・・ 懐かしい思いが、
 込み上げてくる・・・・ でも、それを言うと心配させてしまうから・・・ だから、話せなくて・・・・・・」

そう説明するノリコの表情は、寂しげだった。



暫し沈黙が流れた・・・・

それを破るかのように、町長が口を開く。

「そうだったの・・・ ノリコの世界に同じ花の樹があったのねぇ・・・」
「そりゃ、懐かしいと思っても仕方ないわよね。でも、誰だってそうよ?」
「ええ、それは解かっているのだけど・・・ でも、あたしの生きていた世界は、こことは違う・・・ いつ自分が消えて
 しまうか、いつか向こうに戻されてしまうのではないか・・・ 生きていた世界が違うというだけで、それが心の楔に
 なっている・・・ そして、あたしが消えてしまうのを、あの人は恐れている・・・ それが解かっているから・・・
 だから、余計に言えない・・・」

「ふーん・・・まあ、気持ちは解かるわ、・・・・でもね、ノリコ?・・それにしては、随分と憔悴しきってたらしい
 わよ?彼・・・」

ニーニャの言葉にノリコは、えっ・・と顔を上げる。怪訝な顔でニーニャを見つめる。

「憔悴?・・・イザークが?」
「うん。てんで仕事が手についてないってウチの亭主がぼやいてたのよ・・・余程あなたの事を心配しているのね。
 これって珍しい事よ? こと、仕事に関しては責任感の強い彼が、そんな有様ですもの・・・」

「・・・イザーク・・が・・」

「カイザックが訊いても、無口になって全然訳を話さないから、昨日飲みに誘ったのよね・・・」
「あ・・・・」
(そういえば、昨日はイザーク、遅かった・・・)

「理由を聞き出すのには苦労したって言ってたわよ。お酒を飲ませて、それでもなかなか話してくれなくて・・・
 でもようやく、ノリコの様子がおかしいって、少しずつ話してくれて・・・」
「あの、イザークは・・・なんて?・・・」
「見るからにいつも違う、そして元気もない、口数も少なくなった・・・自分が無口なのはいいが、あいつまで
 しゃべらないのは、辛い・・・」
「ぁ・・・・・」
「理由を訊いても、何でもないの一点張りだ。だけど、何でもない筈がない。それでもノリコは自分に話して
 くれようとはしない・・・」
「・・・・・・」

ニーニャの言うイザークの言葉に、ノリコは呆然と立ち尽くしてしまう。

「気になる事があるのなら、何でも話して欲しいのに・・・自分はノリコの悩みを解消してもやれないのが
 歯がゆいって・・・」

ノリコの唇が震えている。いや、その身体が震えていた。視線を伏せる。両手をぎゅっと握り締めた。

「ノリコ・・・?」

町長がノリコの傍に来る。

「心配を掛けない為に話さない優しさも勿論あるだろうけど、敢えて話すことで、相手の心配を和らげる
 優しさもあると思うのよ?」

町長の言葉に、ノリコは顔を上げる。

「町長さん・・・」

「そうねぇ、確かにイザークは、少し心配のし過ぎだけど、それだってノリコの事を思えばこそでしょう?
 あなた達は夫婦なんだから、お互いの想いは包み隠さず、語り合う事の方がいいんじゃないかしら?」

「今度ばかりは、ノリコの気遣いも、イザークにとっては優しさにはならなかったようね?あなたの変化には
 敏感な彼なのに、正直に話さない事で反って余計に心配させてしまったじゃない?・・・更にもっと悪い
 事に、彼はノリコが話してくれないのは、全て自分の所為だと思っている・・・」

「!・・・・そんな・・・そんなんじゃないのに・・・」

ノリコは思わず声を荒げてしまった。

「あたしは・・・ずっとここにいたくて・・・ 彼の傍にいたくて・・・ だから・・・」

そう言いながらも、ノリコの目からは留め処なく涙がこぼれてきている。

「ごめんなさい・・・ ごめんなさい・・・イザーク・・・ そんなつもりじゃなかったのに・・・ あたし・・・・」

しゃくりあげながら、詫びの言葉を漏らす。

「ノリコ・・・」

町長も、そしてニーニャも、ノリコの肩や背に手を掛ける。

「その気持ちをそのまま、イザークに伝えてあげたら?・・・そしてもう、彼に心配させちゃだめよ?
 あなたの事となると心配のし過ぎで、本当に彼、死んでしまいかねないほどだから・・・」

穏やかな笑顔で、ノリコに優しく諭す。顔を上げたノリコは、涙でぐしゃぐしゃだった。

「故郷を懐かしく想わない人間なんていないわ。ましてや、両親と離れてしまっているのだから、
 尚更無理もない事よ?だから、その気持ちを大切にね?」

ノリコは何も言えず、しゃくりあげた状態で頷いた。





「そういう訳だから、イザーク!もう出てきてもいいわよ〜!」

「・・・!?」

ニーニャのその声に、ノリコは驚いた顔で、彼女を見つめる。
そして、ニーニャは悪戯っぽい笑顔で、向こうの方を指差した。ノリコは、指差された方向に目を向ける。

「!・・・・イ・・ザーク・・・」

建物の角のところにはややニヤリと笑ったカイザック、・・・そしてその隣にはイザークが立っている。
流石にイザークの方は、少々バツが悪そうな表情だ。

「・・・ノリコ・・」


ノリコはまだ、状況が飲み込めず、信じられないというような顔をしていた。だが、ニーニャに背中を押される。

「ほらノリコ、旦那様のところに行ってあげなさい!」
「え、・・・きゃっ!」

背中を押されてノリコはバランスを崩し、前につんのめりそうになる。・・・が、

「!」

転びそうになったところを、ダッと素早くフォローに入ったイザークに抱き留められる。
華奢な彼女の身体は、すっぽりとイザークに包まれる。

「ふぁ・・・」
「大丈夫か?・・ノリコ・・・」

妻の身体をしっかりと抱きしめる。その腕には力が入っている。自分の不安も、妻の不安も全てを踏まえた上で
彼女を離したくないという気持ちが、抱きしめる腕にこもっているかのようだ。

「・・・う・・ん・・・イザーク・・・」

だが、ノリコの涙はまだ止まってはいない。

「・・・イザーク・・・イザークぅ・・・・」

彼の名を呼び続ける。そして、イザークも大切そうに妻を抱きしめ、髪に頬を寄せる。

「ノリコ・・・」
「ごめんなさい・・・ごめんなさい・・・あなたを心配させたくなかったの・・・帰りたいって思ったんじゃないの」
「ノリコ・・・解かった・・・おまえの気持ちはよく解かった・・・俺の方こそすまなかった・・・」

腕の中でノリコは首を横に何度も振る。

「イザークの所為じゃない、あなたが悪いんじゃない・・・あたしが、あたしが・・・」




二人のやり取りを見ていたカイザック達だったが、邪魔者よろしく、気を利かせてその場を静かに立ち去る。

庁舎の中に戻ってきたカイザックが、おもむろに一言こぼす。

「いつもながら、奴の素早いフォローは流石だ。だがまったく、世話の焼ける奴等だよなァ〜、ははっ・・」
「ふふ、ま、でも仕方無いわよ?あたし達だって、そういうじれったい時期があったんだもの・・・」
「うんうん、本当にあんた達にも、苦労させられたわ」

ニーニャも言葉を継ぐが、母の言葉には、流石に二人とも苦笑が漏れた。

「お母さん・・・」
「お義母さん・・・」

そうこぼした二人の台詞は、ほぼ同時だった。




「これからは、気になる事があったら、俺にも話してくれ・・・」
「うん・・・絶対に話す・・・約束する・・・ごめんなさい・・・」
「ノリコ・・・」
「ずっと傍にいたいの・・・あなたの傍にいたいの・・・イザーク・・・」

涙がまた止め処なく流れる。

「ノリコ・・・俺もだ・・・おまえを離したくはない・・・何処へもやりたくはない・・・」
「イザーク・・・」

優しい瞳が見つめる。そして唇が下りてくる。
ノリコも瞳を閉じる。二人の唇が重なり合い・・・ そして抱きしめる・・・



「ノリコ、この間見た天光樹を、これからもう一度見に行かないか?」

イザークの提案に、ノリコは驚いた顔を向ける。

「これから、・・・もう一度?・・・でも、イザーク、お仕事は?」
「ああ、・・問題がすっかり解決するまでは、おまえは役立たずだから来るな。と言われてしまったよ・・
 すっかり信用を失くしてしまった・・・」
「え・・・・そんな・・」

苦笑しながら話すイザークに、ノリコは惚けたような表情を隠せない。

「まあ、いいさ。ちょうどいい休日になる。おまえともまた過ごせるからな・・・」
「イザーク・・・」

ノリコの表情が少し明るくなる。

「じゃ、行くか?」
「あ、でも、チモは?それに・・・もしかしたら、もう花も散ってしまっているかも・・・」
「チモか?・・それなら・・・ここに・・」

イザークがそう言うと、彼の首の後ろの髪の間から、チモの雄と雌がひょっこり姿を現す。
心なしか、チモの表情も明るい。

「あ・・・・」
「それに、花だが・・・散り際もまた美しいのだろう?それもまた一興だ。そうは思わないか?」

言いながらニヤリと微笑う。

「うん・・・そうだね・・じゃあ、行けるんだね・・・嬉しい・・」
「ああ、・・・それじゃ、行くぞ?」

そしてイザークは、ノリコをしっかりとその腕で支え、思念に山頂を思い浮かべる。
チモがその思念をキャッチする。シュンッ!という空気を掻くような音がし、その場の空気が
渦巻いたようになり、二人の姿を飲み込み、そして消えた。





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