Celestial Saga - セレスティアル サーガ -




4


 居並ぶ品々を、じ……っと眺めた。
 綺麗な装飾工芸品やハンカチのようなちょっとした布物、小物……他にも、女性の気を引きそうな可愛らしい品が数多く置かれている。
 だが、それらの品物を前にして、思案してしまった。昨日ダメにしてしまったハンカチの代わりを買うのでも良かったが、これなら布を買って自分で作った方が良いのではと思えるほど、どれも予算を上回る。多少自由にできるお金はあるが、自分用にするにはなんだか勿体なく思えるのだ。
 それ以前に――別の問題があった。それも、とても重大な……

――ダメだ、口実にならない……

 考えて、溜息が洩れた。
 できればイザークと一緒ではない時に、ここへ来てみたかった。その為に咄嗟に口を衝いて出た "言葉"――女の子特有の……というのは、しかし幾らなんでも言いすぎだったか……
 自ら墓穴を掘ったのだから、仕方がない。しかし、満たすだけの材料には遠いそれらを前に、どうしたものか――と、また途方に暮れてしまった。

――あ……

 ふと目に入った布ものが、とても可愛い。雰囲気の良い刺繍が、それには施されていた。
 ガーヤ達への土産。ふと浮かんだその考えに、一筋の光明が見えた。そうだ、贈答向けなら嵌るかもしれない。それならば、口実として立つのではないか。予算を上回るから、どの道イザークには助けを仰がなくてはならない。だから、元より黙ってはいられないのだが……
 だが――これならば、グローシアに……それから、ロッテニーナやアニタにも…………

「いらっしゃい」
「――あ…っ」

 不意の声に弾かれたように、ノリコは顔を上げた。

「ああー、いいよ、好きなだけ見てって」

 店の女主人は相好を崩す。

「こういうのに興味を持つところは、さすがに女の子だね。でも……お嬢ちゃんにはどれも値が張るよ。強い後ろ盾が要るかもねぇ。ふふふ、お父さんかお母さんを呼んできな。それか、未来の、カ・レ・シ・とか」

 突き合わせるように前屈みで顔を近づけると、女は尚も微笑った。

「…………」

 変な汗が出そうになる……
 無論、女は軽口のつもりで言った。そして笑顔で語るその言葉には、ほんの少しの悪意もない。ただ、膝を折って品を見ていた所為もあり、余計に幼く見えたのだろう。女の言う "お嬢ちゃん" とは、"可愛い童女" という意味合いの濃い単語であった。
 童顔であるのは認めるが、もしこれが日本であったとして、さすがに "お嬢ちゃん" とまでは呼ばれないだろう。些か溜息も催しそうなシチュエーションだが、とかく日本人とは年若に見られる人種であるということだ。……勿論、先方に "日本人" という認識がある筈もないが。
 そして、この店の女主人に限らず、更にはこの町の住人も多分に洩れず、はっきりした化粧や飾りが似合う顔立ちの主が多い。そうした所為もあるだろう。

「お嬢ちゃんは、幾つ?」
「あ……あの、今月……二十歳に……」
「へぇ〜、あんたレスタリウスの生まれなんだ。……そう、はた…………えっ!?」

 何でもなく話していた女は目を瞠り、勢い大きな声を上げそうになり、慌てて口を押さえた。

「……は……たち……?」

 我が耳を疑うように、押さえた口の隙間から声を出す。はぃ――と肯くノリコの頬が染まる。
 束の間目を瞬かせノリコを見つめていた女は、終いには堪らず、ぶっと噴き出して笑った。

「やあだっ……ひゃああ、ご免なさいっ。……もぉ、可愛らしいから、あたしったらてっきり……やあだぁ〜、あははっ」
「……ぁ…いいえ」

 照れ隠しもあるのだろう、女はしきりに "やあだぁ〜" を連発しながら笑った。
 下手に恐縮がられるより、却って思いきり笑い飛ばされた方が、悪気がなくていい。初見もそして笑い方も派手だが、照れ隠しの赤面ぶりは、根は悪い人間ではないということを物語っていた。
 女は一頻り笑うと、目尻に滲んだ涙を指で拭った。

「はぁぁぁ、笑ったぁ……や、本当にご免なさいね。ええ、どうぞどうぞ、ゆっくり見てやってね。で、気に入ったら買ってって?……それとも、彼氏におねだりしちゃう? ね、彼氏くらい、いるんでしょう?」
「え……あ……」

 いますっ。世界一の彼氏がいますっ。――今度はノリコの方が真っ赤になり、コクコク肯いた。

――彼氏……彼氏……彼氏……恋…人……わあぁぁぁ……

 頭の中でその言葉が渦巻き、どぎまぎする。
 無論恋人と言っていい。どころか、一生の伴侶としても過言じゃないほど心許せる存在であるのに、やはり未だに、他者のこんな指摘にノリコは動揺を披露してしまう。……多分に照れ隠しであるところは、大きいが。
 ノリコのそんな振る舞いを微笑ましく見遣りながら、女は息をついた。

「……ふ…本当、あんたって可愛いわ。……そっか、いるんだね。良かった……ん、でもあんたにはどれも少し派手かねぇ……そうだ、これくらいの布物なら、あんたでも大丈夫かな?」

 そう、手に取って見せられたのは、つい今し方見たハンカチだ。

「あの……今日は見るだけでもいいですか?……いえ、あたしのではなくて、お土産にできたらと……思って……」
「土産? へぇ、あんた旅の人なんだ……こんな辺鄙な所を訪ねるなんて、あんたも彼氏も相当な物好きだ。ああそれとも、何処かへ向かう途中かぃ? はははっ。いいよ〜、好きなだけ見てって。
ウチにはね、いろんな客がくるんだよ。奥さんや彼女の為の贈り物に、って買っていくのもいるし。ほら、恋人達の日がもうすぐあるだろ?」
「はぃ」
「旅の人ならここら辺の風習には馴染みがないだろうけど、今度の週末には復興祝いの収穫祭もあるし、それまでは絶対町にいなよ。――そうだっ、あんたなら、妖精の踊りが似合うんじゃないかな」
「……」
「あんた、本当に可愛いからさ。………これは、ここだけの話だけど…」

 女は内緒話のように声を落とし、耳打ちするようにノリコに顔を近づけた。

「……本当は、踊りに出られるのは十三までなのさ。だけど……黙っていれば、バレないよ」
「…………」

 まさに、その踊りに出たいと思っていたのだ。ノリコは頬を染めてはにかんだ。

「……ぁ、実は、出たいな…と。……えぇと、知り合いの女の子がいるので、なんとか一緒に……でも、彼にはまだ、内緒で……」
「本当かぃ。いいさ、自由参加なんだ、出ちゃえ出ちゃえっ」

 目がなくなってしまうほどの、屈託無い笑顔。

「あんたの彼氏ってのも、気になるねぇ、ふふふ……あ…」

 そういえば――と、女は思い出したように宙を仰ぎ、苦笑いを溢した。

「彼氏といえば……ああ、あんたに話してもしょうがないんだけどさ。昨日来た男の客が、傑作でね」
「……ぇ」
「これがもう、にこりとも笑わない男。綺麗な顔してたけど、あ〜んな無愛想じゃ……彼女になる娘が気の毒さ」
「…………」

 思わぬ話の展開だった。綺麗な顔――というのは、イザークのことだろうか。
 お手上げだわ、ないわ、と手をひらひら振る女の言葉に、ノリコは注目した。

「特注扱いの色の品を買ってくれたんだよ。滅多に発注のないヤツだから、生憎置いてなくってね」
「……特注……扱い……」
「そうさ。それで、ウチの亭主に製造元のあるギナまで行って貰ってるのさ。まあ無愛想でも、客は客だからさ……御足も弾んでくれたし」

 メルアよりもかなり南に位置するギナは、海から採れる貝などを使った宝飾加工や植物の天然染めが盛んな町だ。染め物にも使用する花植物の畑が周辺の丘に連なっているというのは、ノリコも聞いて知ってはいたが……それにしても、と思う。わざわざ作らせてとは、いったい何をイザークは買ったのだろう……

「え……亭主?……旦那…さん?」
「そうさ。……ま、昨日の客よりは多少見劣りするってのは、ここだけの話だよ?」

 女は微笑うが……なんと反応していいのか、ノリコは少し困ったように微笑んだ。

「だけどね、気は凄くいい奴さ。それにね、笑うと……目がなくなるのさっ」

 そこに惚れちまったんだよねぇ〜と、しみじみぼやいた。だが、全然厭そうな顔ではない。どころか、微笑っているその様は、自慢しているようにも取れる。

「魔が差したっていうのかね〜、ははは。……ご免よ、つまらないこと話しちゃって」
「ぁ……いいえ」
「んー、大抵の男はこのとびきりの美女に靡くのにさ、昨日のお客は全然だったよ。余程、彼女が大事らしいね」
「……ぇ」
「――っていうのは、このあたしの見立て。でも、やっぱり愛想がなさすぎるね。あたしが、もっと目立つ綺麗な色を勧めたんだけど、けんもほろろさ。必要ない――ってまあ、こ〜んな顔して睨まれちまった」

 言いながら女は、目尻を両の手の指で吊り上げてノリコに見せた。
 やはり、イザークのことを言っているのに、違いないようだった。
 そんな遣り取りがあったのか……
 親しげに話しているように見えたのは、錯覚だったのだろうか……
 なんだろう。考えて、気持ちの中にささやかな違和感を感じた。
 ……安心していい筈であるのに――

――え……

 そこまで考えて、どうして、と……また、不思議な気持ちになった。
 何故、安心であると――…
 あの時の気持ちは……確か……

「……」

 消えない先の違和感に、新たな違和感が重なり……
 何であるのか、自分でもよく解らなくなってしまった。

 そして――

「あんたの彼氏は、優しいかい?」
「え……ぁ……」

 そんな風に振られ、ノリコの鼓動がまた高鳴った。
 笑顔のイザークも優しいイザークも、無論、ノリコは知っている。

 肯くノリコの頬がまた、愛らしく染まった。









「――なぜ、それを俺に話す」

 詩人を見据える眼に、鋭さを孕んだ冴えた光が掠めた。

「その男達のこと、伝説やサーガについて探っているというのは解った。……だが、何故それを俺に話す?」

 竪琴に手入れの布を滑らせながら、詩人の男は、何処か後ろめたさを含んだような笑みを浮かべた。

「私とて、理不尽なことは好まない……彼等がもし真に光を求める種類の者達なら、こんなにも心に引っ掛かることはなかったでしょう。これは私の、夢を歌う者としての勘。そして……あなたへの、お詫びと――」
「俺への、詫び……?」
「あなたの大切な方を……恐らくは、巻き込んでしまいました」
「……」

 ――思いがけない言葉。イザークは、僅かに目を瞠る。

「この町の方々と同じようであって、そうではない……あの方の持たれる雰囲気は……何でしょう、光のような、そして柔らかな……いや、そんな一辺倒な言葉では片づけることのできない何かを、私は感じました」

 詩人の言葉に、眉根を寄せた。

「これは私の……吟遊詩人としての眼で見た、心の真実です。そして、更にあなたも何処か人とは異なっている。そうして剣を帯び、ただ人にはない鋭さをお持ちなのに、あの男達と全く違う風を感じるのは、あの方と共にいらっしゃるからではありませんか?――そう、あなたの持たれるそれは、光の……正しいことの為に戦う者が持つ鋭さのように思えてならない」
「…………」
「これも、私の詩人としての勘です」

 そう告げて、詩人は微笑う。

 ――洞察が深いのは、表現者たるゆえか。
 確かに、作品の内面深くを歌い上げ語り伝える業だ。表現者として必要な質であろう。或いは、そうした経験で身に付いたものか……
 硬い表情を崩さぬまま、イザークはそう判じて、なるほど…――と賛同しつつ、僅かに目を伏せた。

「あの方の風体について詳しく語った訳ではありませんが、彼等は何かしら探りを入れてくるかもしれません。徒党のそれがどれほどなのかも不明です。もしも何か、あの方と、そしてあなたにご迷惑を掛けるようなことになったなら……私は二度と竪琴を持つことはできないでしょう。霞を掛けたがゆえにこの町の皆さんにも要らぬ厄介を掛けてしまうかもしれない――」
「…………」
「杞憂であるなら、嬉しいのですが……」

 詩人の端正な顔が、悔いるように歪んだ。
 暫し考えるように黙っていたイザークだが、いや――と、口を開く。

「そうならんようにと考えている――」

 詩人にとってもまた思いがけない言葉を、イザークは紡いだ。

「話してくれたことに礼を言う。お陰で、点でしかなかったものが幾らか繋がった」
「――と、言いますと……?」
「詳しくは話せないが……今度の祭りで同じくサーガを奏でるつもりならば、身の危険を回避する手段を講じておくことを勧める」
「……祭り……」
「仲間の占者が不穏な未来を占た。今度の祭りは、狙われる可能性がある」
「……な……っ……」
「求める者の所在を掴めなければ、その照準は拡がるだろう。祭りが狙われるというのは、そういうことだ。だが、町全体の規模になろうそれを中止にするのは、今の時点では難しい。まだ掴めない詳細もある中で町の人間に知らしめて、悪戯に恐慌を煽る訳にもいかん。混乱はできれば最小限に留めたいが、それも、そいつ等の出方次第だ」
「…………でも、あなたは……それを、防ぐことができるのですね……?」
「俺だけでできることには限りがある。だが、仲間もいる。皆、世の立て直しに協力してきた者だ」

 その言葉に目を瞠る。

「そうですか……やはりあなたは、ただ人ではなかった……」

 これにイザークは、苦い笑みを溢した。

「多少、剣を使えるというにすぎん。ただ人でありたいとは、常のことだが……いや……」

 言い掛けて、頭を振る。

「……ただ……厄介事を見逃せなくなっているだけなのかもしれん」
「それにしては、あなたはそれを嫌厭(けんえん)しているようには見えない。寧ろ、己のことのように受け入れておいでだ。まるで――」

 それが、宿命であるかのように――……そう呟いた詩人をイザークは束の間見据え、自嘲にも似た笑みを洩らす。厄介事を見逃せなくなるきっかけとなった、数年前の邂逅に、刹那、想い馳せた。
 そして、ふと辺りに目を遣った。そろそろ人の姿が目立ち始めている。

「……ここまでにした方が、良さそうだ」
「……そのようですね」

 イザークは立ち上がると、今一度ノリコの気配を確かめるように、市の方角へと目を向けた。





 市の並びが賑わいを見せる中、ノリコは広場へ戻る大路を小走りで駆けていた。
 頬はほんのり染まり、表情は明るい。そして――手には、その掌に収まる大きさの膨らんだ巾着袋。
 店の女主人に譲り受けた物で、中には体温で温められると匂い立つ香草と焚きしめた布が入っていた。



「ここだけの話だけどさ、あんた、あっちの障りはきつい方かぃ?」

 にわかに言葉が飲み込めず、不思議そうな顔でノリコは首を傾げた。

「……あっちの……障り……?」

 しぃ――と、女主人は指を口に当てる。

「……あんまりね、大きな声では言えないのさ。……これはね」

 言いながら、大きな布袋の中から取り出したそれをノリコに持たせた。手にしたそれは、微かだが、芳香がある。

「肌に当ててると、体温でほんのりと立つ香りが気持ちを落ち着かせてくれるのさ。腹に付けておけば温かいし、中の葉は湯に入れてもいい。月の障りに、じんわりとイイ感じなんだよ、ふふふ」
「あ……」

 これは……口実が満たせる――!
 道が開けたようで、感嘆の溜息を見開いた笑顔と共に溢した。

「これっ、欲しいです。あの、お幾らなんですか?」
「あげる。持っていきな」
「え……でも……」
「どうしてだろうねぇ、あんたのことが気に入っちゃったようだ」
「え……」
「パノの葉を乾燥させたものと、焚きしめた布を入れてある。手に入りにくい香草じゃないし、ここいらじゃ月の障りを迎えた娘達は大抵使っているよ。でも男達には内緒……ふふ、野郎には解らない辛さだ。それに、そうしてると、解らないだろ?」

 確かに、可愛らしい袋で拵えてあるから、一見お洒落な小物に見える。
 パノとは、ラベンダーのようなハーブだ。その辺に生えている草とは無論違うが、女の言うとおり入手しやすいハーブで、自家栽培も可能だ。
 ――しかし……

「本当に、いいんですか?」
「勿論。その代わり……土産、ウチで買っていってね」
「あ……」
「それから、あんたの大事な彼氏……ちゃんと連れておいで? 一緒に旅してるんだろ?」
「…………」

 それは、多分、絶対……

「はぃ……必ず……」

 思わずはにかんだ顔を見て、女はまた笑んだ。

「イイね、あんたのその笑顔。最高だ」
「え……」
「その笑顔が気に入ったんだね、きっと。それに……ああ、そうだ、うん……」
「あの……」
「きっと、あんたに似合うかも……あの色、うん、今初めて解ったよ。いや、きっとそうだ」
「あの……色……?」

 解せない言葉をまた掛けられて、ノリコは怪訝な顔をする。女はひらひらと手を振った。

「ご免ご免。ほら、さっき話した昨日の客の男が注文した色さ。なんか、あんたにこそ似合いそうだなって、今気付いたんだよね。ハ……ご免。またつまらないこと話しちゃった」
「…………」



 ――自分に似合う色……いったい何だったのだろう。そもそも、そのモノが何であるのかさえ、解らない。店の女主人は、そこまでは語らなかったのだ。
 しかし、譲り受けたこれは、女の子特有のものだと胸を張って言え…………

「ぁ……胸を張る必要なんて、ないんだった……へへ」

 暫く忘れていたと言っていい。しかし、過ごす環境がまるで変わり、何をどうしたらいいのか、とにかく目まぐるしくていちいち途方に暮れる暇さえなかった……そんな数年前を思い出して、微笑う。

――何にしても、まずは言葉だったんだ……うん……

 こっちの世界でのことは、立ち寄った先の宿の女将に教えて貰ったことも多かった。習い立ての言葉を、下手なりに駆使して……
 そして――酷く病むそれに泣かされることは、今では殆どなくなった。体力がついてきたのもあるだろうし、何よりイザークと共にいられることで、心の平安も保たれている。だからだろうか。不思議なものだと思うが、否めない。それでも、女の子の微妙な体調の変化……時には、少々のけだるさに纏われることもある、それもまた否めない。……どちらにしても、有難い……
 ひょんな巡り合わせだったが、親切な人だと思った。いいことを、教えて貰った。やはり、おばさん達への土産はあの天幕の店で選ぶことにしよう。それには、まず……

「……イザークに相談しなくちゃ……うんっ」

 広場の方向に、大好きなその人の気配を感じて嬉しくなり――ノリコの足が速まった。





「――あなたの大切な方が、何よりも傷つかないことを、願います」

 広場で憩う者達や、詩人の歌を楽しみにする者の数が増えてきていた。
 通りの向こうから駆けてくるノリコの姿をその視界に捉えていたが……――掛けられた言葉に、イザークは今一度詩人へと視線を戻す。

「……何を差し置いても、それは優先となる」

 イザークは、ふっと笑み……詩人もまた、笑んだ。


「イザーク……はぁぁ…」

 駆け寄ってきたノリコは、呼吸を調えようと大きく息をついた。

「はぁ、はぁ……ありがと……ご免……ね、待たせ……ちゃって……はぁぁぁ」
「無理して話さなくてもいい……大丈夫か」

 ノリコの手にしている布物がイザークの目に入る。

「目当てのものとは、それか」
「あ……これ?……えへへ……うん、そんな感じ……ああ、でもね……また行かなくちゃ……ならないの……」
「また?」
「後で、イザークに……相談したいことが、あるの……あのね、おばさん達への、お土産……買いたいなと思って……」

 息をつきながら、ノリコはざっと状況を話した。

「そうか……土産か、そうだな」
「………あれ……何か、話していたの?」

 イザークと詩人の男とを交互に見つめながら、ノリコは問うた。詩人とイザークとの距離がそれほど離れていない。並べばそれこそ見惚れるほどの二人の美丈夫。そして、まるで今まで話でもしていたような風情だ。
 ノリコの頭にイザークは掌をふわりと被せ、くしゅ、とゆるく撫でた。

「ああ……少しな」

 詩人はノリコに軽く頭を下げ、木のベンチに改めて腰を据えた。爪弾く指が織りなす魔法か……程なく穏やかな旋律が、目立ち始めた人の間に響き始める。
 イザークはノリコを右手側方のベンチに座らせ、自身はその隣に腰を下ろした。そして、流れてくる歌や語りに耳を傾ける傍ら、にわかに感づいた不穏な気を広場の隅に捉えていた。

 先ほどからこちらに向けられる、些か不自然なその様。男達二人の視線。
 サーガを聴きにきたようにも見える。だが、半身を樹木の幹に隠し、その視線は詩人へというよりも、寧ろ自分達や聴衆に向かっている。何でもないそれを装っているが、見渡す様は何かを探しているような風情だ。叙情的な世界に興味を示している、とは……とても思えない。
 そして、似たようなその視線が、あろうことか町の中に点在している。一見は他の者と大差ない。町の人間に馴染んでいる。いや、事実町に住む者なのかもしれない。
 短い刻の間にそうした気配を捉え、イザークの警戒心は一気に増した――
 詩人との話は洩れてはいない。では、目的は、純粋に "それ" を探す為――か。
 町に点在するその者達の、抑えてはいるが穏やかではない気……殺気にも近い……それが、解った。
 恐らく、昨日まではなかっただろう……
 僅かに奥歯を噛む。本音を言うなら、早くこの場を離れたかった。目立った動きを晒すつもりは元よりないが、奴等の視界に、少なくともノリコを置きたくはなかった。
 詩人でさえ、何かを感じ取った。奴等の "探求の眼" のほどが如何なるものか。今はまだ解らない。

――だが、今立てば、却って不自然か…………

 無防備に立っているようでいて、こちらの弱みを確実に握っているのと同じだ。
 切りのいいところで、場を発つのが無難か――

―― イザーク ――

 ぴくりと、僅かに見開く――
 小さな声……違う。頭の中に入り込んできた思念だ。表情を変えず、イザークは僅かに目だけをノリコに向ける。

―― 凄くぴりぴりしてる……何かあったの? ――

 ノリコも、僅かに目だけをイザークへと上向けた。

―― もしかして……昨日のジーナの話の……それらしい人が、いたとか……? ――

 応えないイザークに、ノリコは更に訊いた。こういう時、物理的な声を必要としない会話というのは便利だ。
 ノリコの気に異変があれば、イザークは尋常ではいられない。反対に、イザークの不安もまたノリコには敏感に伝わる。

―― 心配するな……気配を探っているだけだ ――
―― 気配? ――
―― 一応、警戒は常にしなければならん。それもあって、さっきはおまえを一人で遣りたくはなかった。――いや…… ――

 一度 "言葉" を置き、イザークは若干目を伏せた。

―― ……すまん。それらしい人物の特定に繋がれば、御の字だが。それだけだ。今すぐどうこうというのではない ――

 ノリコは、顔もイザークに向けた。心配そうに見上げる。
 イザークも今度はノリコに顔を向けた。

―― 悪戯に不安を煽るつもりはないが……外出の際はやはり、俺と共にいた方がいい ――

 自分といた方が却って人目を引くのかもしれない。だが、非常時の場合、傍にいた方が対処が早い。これは昨日のことにも言えることだった。
 不安げな瞳がほんの少し光を纏ったように揺らめき……ノリコは受け入れるように頷いた。

 そして翌日より…――根城探索と包囲は始まった。







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大変に遅くなりまして。ええ、今回も、今回も……
なんとか年内に間に合わせました。あー…でも、気持ち的には、もっと話を進めたかったんですが。
思ったよりも進まなかった、というより進められなかった……時間の取り方、要改善。拙い拙い。
しかし。原稿も書き上げてみると、これっぽっち?……と情けなくなってくるんですけど……僅か何行かにいったい何時間、いや、何日を費やすんだね、あたしは(遠い目)
すみません。次回頑張ります。


天幕の、自称美貌のおねぃさん……いや、彼女は本当、綺麗な部類の女性です。イメージで表せたらいいのですけど(苦笑)
しかし物売りなんて所詮水モノというヤツです。管理人も販売員やら厨房員やら遣っておりましたんで、水モノで培われる度胸なんたら……は解っております。
色んなお客さんがいますから〜〜〜、ね。

女の子特有のモノ……多分拍子抜けさせたと思いますぅぅ……これもどうか許してください(滝汗)
どうしようと悩んだノリちゃん、思わぬ展開での助け船。結果オーライです。
おなご週間の時には、お腹温めてください♪

詩人さんとイザークさん、イイ感じかもしれません。
仲間……というのとはちょっと違った感覚なんですけど、少しですけど、そんな感じの、同じ種類の空気を吸ってる世界の人間と申しましょうか……
訳解らんですね(苦笑)でも、これだけは言える。彼もまた一つの正義を持っています。正義……これも、奥が深い。
ではでは、次回もまた、宜しくお付き合いください(にっこり)

夢霧 拝(10.12.31




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